祖母の葬式
昨日の記事を書いていたら、祖母の葬式のときのことを思い出した。
祖父は私が3歳の時に他界したので、ほとんど記憶がない。
身内の死を初めて身近に感じたのが、祖母の死であった。
今でこそ、葬祭場を借りてお葬式をやるのがあたりまえになっているが、昔は葬式を自宅でやることも多く、祖母のときも、自宅で葬式をすることになった。
狭い畳敷きの部屋に、大きな祭壇がもうけられた。
お通夜が始まった。
お坊さんが読経を始めると、突然、家の中が真っ暗になった。
祭壇の電気の容量が大きすぎて、ブレーカーが落ちたのである。
「おい!誰だ?こんなときに電子レンジを使ったヤツは!」
それはまるで、コントのようなタイミングだった。
そんなこんなで、お葬式はドタバタで、祖母の死を悲しんでいるようなヒマはなかった。
父が喪主の挨拶をしたが、これが、まあへたくそな挨拶だった。
だいたいうちの父は、ビックリするくらい喋るのがヘタなのだ。
(はずかしいなあ。オレが挨拶をした方がよっぽどマシだ)
すべてが終わり、いよいよ出棺である。
孫たちが棺を持ち上げ、霊柩車まで運ぶのだが、私は棺を持ち上げた瞬間、ボロボロと涙が流れて、止まらなくなった。
それまで、全然泣いていなかったのに、である。
祖母の死は大往生だったので、すんなりと受け入れていたはずなのだ。
にもかかわらず、自分の意志とは無関係に、涙が止まらなくなったのである。
なぜあの時だけ、涙がボロボロと出て止まらなかったのだろう。
いまだによくわからない。
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コメント
夏という季節はなぜか過去のことを思い出させて、いろいろなことを思わせますね。考えてみれば不思議なことです。昔の人々も、そうだったんでしょうかね。
投稿: ほろりひょん | 2014年8月20日 (水) 22時49分
たしかに夏はそうですね。お盆がありますとね、どうしてもむかしのことを思い出してしまいますよね。
「思い出を喚起する夏」というのは、いつ頃からなんでしょうね。案外新しくて、戦後あたりからだったりして。
投稿: onigawaragonzou | 2014年8月21日 (木) 01時44分
心のふるさと韓国で、リフレッシュされてますか。夏が休暇の季節になったのは、戦後とは言わないまでも近代からですよね、たぶん。それまでは、夏は労働の盛りの散文的な季節で、思い出どころではなかったかもしれませんね。
一方で、照りつける過酷な太陽の下で緑が茂り虫がうごめく夏は、生と死が鮮やかに対照される季節のようにも思います。そんな中から「夏草や 兵どもが 夢の跡」という感慨が生まれるのも、なにか分かる気がします。そういうところはわれわれも昔の人も共有しているのかな、とも思ったり。なんだか古戦場に行きたくなったな(笑)。
投稿: みんみんひょん | 2014年8月22日 (金) 11時39分