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2014年9月

プロの定義

9月30日(火)

9月10日以来の長旅が終わり、いったん家に戻る。

「いったん」と書いたのは、明日の夜に今度は北に向かうからである。

うーむ。想像を絶する長旅だった。

とくに今日の仕事は、精神的にかなりきつかった。

長旅の道中で多くの人とお会いした。

名刺を交換した人だけでも27名いたので、名刺交換していない人を含めると、ゆうに50名以上の人にはお会いしただろう。気心の知れた人もいれば、初めてお会いして人もいたり、十数年ぶりにお会いする人や、お名前だけは知っていて今回初めてお会いする人など、実にさまざまであった。

もともと社交的な人間でもないし、「好きな人間」のストライクゾーンもかなり狭いので、苦手だなあと思う人も数多くいたのだが、それは自分の心の狭さに起因するのだろう。

私は、好きな人と苦手な人に対する態度の差が大きいので(すぐに表情にあらわれるので)、その点は、あらためなければならない、ということを、今回の仕事で痛感した。

もうひとつ、今回の旅では、いろいろな「プロ」の人にお会いした。訪れた先でお会いした人々だけでなく、「トラック野郎」のおじさんも含めて、である。

プロの定義とは何か?と考えてみた。

「難しい仕事であればあるほど、燃える」

という人なのではないか、と。

「トラック野郎」のおじさんやあんちゃんを見ていると、そんなふうに思う。

その点私は、難しい仕事になると、とたんにおじけづいたりするので、今の仕事に関しては、全然プロとはいえない。

ところで、この間ずっと職人さんたちと一緒に手塩にかけて作ってきたものが、このたびようやく完成したといって、昨日の夕方、職人さんが、ホテルまで完成品を持ってきてくれた。

私の判断1つで、職人さんによる仕上げが決まってしまうので、かなりのプレッシャーであった。

職人さんにとっても、これまでに経験したことのない、かなり難しい仕事であっただろうと思う。

「今回の仕事は、とても勉強になりました」とその職人さん。

「とんでもない。勉強になったのは私のほうです」

経験がない中で、私は最善の方法を尽くしたつもりである。

それは若い職人さんにとっても、同じだっただろうと思う。

「経験」は、やがて自信につながるだろう。

でも、「経験」を誇るような人間にはなりたくない、とも思う。

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クイズのためのクイズ

毎回、こぶぎさんを相手にクイズを出すのがプレッシャーになっていて、今日はネタもないのでやめようかと思っていたのだが…。

9月29日(月)

何とか無事に今日の仕事が終わった。

今日の走行距離は、あちこちと立ち寄ったこともあり、約260㎞。午前8時10分に出発し、ホテルに着いたのは、午後4時だった。

あと少しでホテルに到着する、というところでトラックが交差点にさしかかったところ、交差点には、直交する道路の名前の看板が立っていた。

「どちらも変わった名前の街道ですね」

「そうですね」

いま私たちが通っている道路と、この交差点をこれから曲がろうとする道路の2つのいずれもが、まるで時代錯誤のような、変わった名前である。

「どうしてこんな名前なんでしょう?」

「むかし、陸軍の師団がこのあたりに置かれていて、市街地からその師団司令部に至る道として作られたようです」

「なるほど。で、それと直交するこの道もまた、時代錯誤的な名前ですね」

「そうですね。この街道のもうひとつ向こう側に、これと平行する道があって、その道ぞいにも、軍の関連施設が置かれたのです。そのため、その道とこの街道を結ぶために、ほぼ同じ頃に作られた道だそうです」

「なるほど。すると、番号がついているということは、複数の道が作られたということでしょうか」

「どうもそのようです。この街道と、もうひとつ向こうの道の間には、やはり同じように鉄道と運河が平行して流れていますからね。そこを複数の道で結ぶ必要があったのでしょう」

「なるほどねえ。この直交する2つの道路の名前は、そういう由来だったのですか」

交差点を曲がってほどなくして、私たちの乗ったトラックは、ホテルに到着した。

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久しぶりのひとり居酒屋

9月28日(日)

今日は移動日。

朝8時半にホテルを出発して、一日トラックに乗ったまま、目的地に向かう。

運転しているわけではないのだが、乗っているだけでかなり疲労する。

高速道路は、山側を走っているので、基本的に、景色はあまり変わらない。

「この県のガードレールは、みんな黄色いんだなあ」

とか、

「この県は、やたら溜池が多いよなあ」

とか、窓の外から眺めて、そんなことを感じるていどである。

旅回りの一座とか、寅さんのテキ屋稼業とか、旅を仕事にする人に憧れたものだが、1年中こんな感じの旅を続けているのかと思うと、大変なんだなあと思う。

490㎞を走行し、午後4時半、今日の宿泊地に着いた。

Photo今回のクイズは簡単である。

この町には以前も来たことがあるが、少し立ち寄っただけで、町のどのあたりに繁華街があるのかなど、皆目わからない。

長時間の移動でかなりのストレスがたまったのと、このところ毎日ひとりメシで、チェーン店のうどんだのラーメンだのしか食べていないので、ひとりでうまいものでも食べようと考える。

だがこの町に不案内な私は、どこに美味しい店があるのかわからない。

ホテルは、繁華街からはずれた場所にあるので、チェックインしたあと、歩いて探すことにした。

結局、どこに美味しい店があるか、よくわからず、さんざん歩いた末に、駅前の小さなやきとり屋さんに入って、カウンターでやきとりを食べた。

Photo_2狭い店だが、すごい繁盛している。客層のほとんどは、オッサンである。あたりまえだが。

本当は地元の美味しい魚料理でも食べたかったのだが、この町はやきとり屋さんも多いようだ。値段も安く、味もよい。

もうすっかり、旅先の小さな居酒屋にフラフラ入って、ひとりでカウンターで飲むことに抵抗がなくなってしまった。

次にまたこの町に来る機会があれば、この店に立ち寄ろう。

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文豪参拝

9月27日(土)

順調に仕事が進み、夕方、トラックに乗って今日の宿泊地に向かう。

夕方4時半頃に、今日泊まるホテルに着いた。

この町に来たのは、2度目である。

私の大好きな「文豪」がこの町の出身で、以前、その文豪の記念館を訪れたことがあった。

調べてみると、開館時間は6時までで、入場は5時半までとある。

(まだ間に合うな…)

ホテルにチェックインしたあと、急いで、記念館に向かった。

圧巻なのは、この記念館の中に、文豪のかつての「家」が、そのまま再現されていることである。家にあったさまざまな品が、そのままここに移されたのである。

古今東西のありとあらゆるテーマの本が並べられている書庫。

数々の出版社の編集者たちとの接点だった応接室。

そして、ひとりで思索と執筆にふけった書斎。

亡くなった当時と、寸分違わぬまま、再現されている。

文豪と関わった数々の出版社の編集者たちが、文豪との思い出を語る、という映像が流れていた。

そこで、編集者たちが一様に言っていたのは、

「文豪は、自分の原稿の評判を、ひどく気にしていた」

ということであった。

締切までに原稿を書いてもらおうと、編集者は、1階の応接室で、じっと待っている。

2階の書斎で原稿を書いている文豪は、憔悴しきった姿で1階に下りてきて、応接室にいる編集者に原稿を渡す。

だが、全部書き終わってから、編集者に渡すのではない。

書き終わった分を、少しずつ、小出しに渡すのである。

それを、編集者が出版社に持ち帰る。

編集者がまずやらなければならないことは、その原稿を読んで、文豪に、電話で感想を言うことである。

文豪は、自分の書いた原稿を、最初の読者である編集者がどう思ったかを、常に気にしていた。

もし電話が来ないと、「ああ、俺の書いた小説はつまらなかったんだな」と、勝手に解釈して、落ち込むというのである。

それでテンションを下げられてはたまらない。

そこで編集者は、とにもかくにも、持ち帰った原稿を読んで、すぐに感想を伝えなければらないのである。

しかし、ただ「面白いです」と言っただけでは、文豪はまた、落ち込んでしまう。

「具体的にどういうところが面白かったか」を言わなければ、文豪は納得しない。

その点が、一番苦労したのだ、という。

あるとき、ある出版社の若い編集者が、

「話があっちに行ったりこっちに行ったりして、クドいです」

みたいなことを言ったら、その文豪は出版社の社長に直接電話して、

「編集者に『面白くないです』と言われたので、次回は休載して、練り直すことにする」

と告げたのだという。

「大作家なんだから、若くて経験の浅い編集者の意見など気にせずに、でんと構えていればいいものを…」

と、編集者は困惑したのだという。

なんとも厄介な性格だが、考えようによっては、それほどの文豪でも、小さいことにクヨクヨと気にしているのだから、こちらも元気がわいてくる。

私も、「自分の書いていることが正しいのか?面白いのか?」といつも不安である。まったく同じ性格なのだ。

この文豪にふれると、私自身も元気をもらう。

そういう意味で、この記念館は、私にとっての「聖地」なのかも知れない。

数々の連載を同時並行的に抱え、そのひとつひとつに渾身の力を込めて書いていた文豪。

私にとって、その文豪は、漫画家の手塚治虫先生とならんで、

「創作の巨人」

と、仰ぐべき存在である。

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ごめんねジロー

9月26日(金)

夕方、ソウルから、福岡に着いた。

福岡といえば、高校時代の友人、コバヤシである。

9月8日(月)の福岡出張の折にあったばかりであるが、さっそく呼び出して、博多の祇園で一献傾けることにした。

「おい、お前、いい加減にしろよ!」

待ち合わせ場所に来るなり、コバヤシが言う。

「なにが?」

「また、俺のことブログに書いたろ!」

「うん」

「あれじゃあまるで、俺が『上から目線』でお前に説教している見たいじゃないか。知らない人が読んだら、俺がいかにもエラそうな人間に思われるじゃないか!」

「そんなことないぞ。読者の中には、コバヤシのファンがけっこういるんだぜ」

「別にそんなことはどうだっていい。問題は、うちの兄貴だ」

「え?どういうこと」

「うちの兄貴が、お前のブログを読んで、俺にいろいろと言ってくるんだよ」

「お前のお兄さんって…。なんでお兄さんが、俺のブログを知ってるんだ?」

「だって俺が紹介したから」

「なんだ!お前が紹介したのか!」

なんと!コバヤシのお兄さんも、このブログの読者だったのである。

「とにかく、俺のことを誇張して書くのはやめろ!そのたびに俺は、兄貴にいろいろ言われるんだ」

「そうか、わかった」

とは言ってみたものの、やはり書かずにはいられない。

今日もまた、生ビールに日本酒、焼酎をしこたま飲みながら、四方山話をする。

「俺、最近、死期が近いんじゃないかって思うんだ」とコバヤシ。

「え?何で?」

「先日、お前に会ったばかりだろう?」

9月8日のことである。

「あの週に、高校や大学の友人が、立て続けに、福岡にやってきたんだ」

どうやら、福岡のコバヤシを訪ねたのは、私だけではなかったらしい。

「ジローが来たんだぜ」

「え?ジローが???!!!」

「15年ぶりくらいに会ったよ」

ジロー、というのは、高校時代のブラバンの後輩で、私やコバヤシの2学年下である。つまり、私たちが高3の時に、ジローが高1であった。ジローは、私たちと同じ、サックスパートだった。

ジローは、都内の私立大学を卒業したあと、ジャズミュージシャンになりたいといって、就職をせずに、フリーターをしながら、サックス奏者を続けていた。若い頃、1年間、アメリカに音楽留学したこともある。もちろん、苦学生としてである。

私はジローとはよく会っていたが、福岡にいるコバヤシにとっては、実に15年ぶりの再会、になった、というわけである。

「なんでまたジローが福岡に???」

「あいつのバンドが、福岡にライブに来たんだ。それをたまたま俺が知ってね、ライブを聴きにいった」

「へえ。あいつに知らせずにか?」

「うん」

「びっくりしてただろ?」

「まあな」

そりゃあそうだ。たまたま来た福岡のライブ会場で、高校時代の先輩が聴きに来ていたら、ジローもビックリするだろう。

そればかりではない。コバヤシとジローには、実に深い因縁があるのである。

それは、ジローにジャズミュージシャンの道を歩ませたのは、ほかならぬコバヤシだからである。

ジローが、将来の進路について悩んでいたとき、

「自分の好きな道を歩むべきだ」

と示唆したのは、コバヤシだったのである。

そのときコバヤシは、すでに民間企業に就職していて、彼自身は、プロのミュージシャンになる道をあきらめていた。

おそらくコバヤシは、自分の見果てぬ夢を、ジローに託したのではないだろうか。

結果、ジローは、ふつうに就職することをあきらめ、ミュージシャンの道を歩むことになる。

しかし、ミュージシャンと、ひとくちに言っても、実際に続けていこうとなると、容易なことではない。プロとして、花が咲くのは、ごくわずかである。

俺が無責任なことを言ったせいで、ジローは、人生の道を踏み外したのではないだろうか?

コバヤシはそのことを、今に至るまでずっと気にしていたのである。

コバヤシは、ジローのバンドのライブが終わったあと、ジローと一緒に飲みに行ったのだという。

「でも、ジローと、もつ煮込み屋で話していて、安心したよ」とコバヤシ。

「何が?」

「ジローが、『いま所属してるバンドで音楽していることが、とても楽しい』と言ってくれたんだぜ。オレ、その話を聞いて、嬉しくってなあ…」

「……」

「もしいまジローが、ミュージシャンになったことを後悔していたら、それはオレのせいかもしれない、と、ずーっと思っていたんだ。でもあいつは、いまのバンドが楽しいって言ってくれた。ようやく、贖罪をはたしたような気がしたよ」

「肩の荷が下りたんだな」

「ああ」

コバヤシの目には、涙がたまっていた。

「俺、、ジローとか、お前のことが、うらやましいよ」コバヤシが言う。

「どういうことだ?」

「お前にしたって、ジローにしたって、なりたかったことを、いまも続けているんだろ?でも俺は、大学のときにそれをあきらめて、やりたいというわけでもない仕事をやっている」

「そんなことはないだろう。だってお前、いま、福岡でバンドをつくって、好きな音楽やってるじゃないか」

「そうだな」

「人間、何が幸せなのかなんて、わからないぜ」

「それもそうだな」

実際、そうである。

プロの道をあきらめ、趣味でバンドを続けながらサラリーマンをしているコバヤシ。

安定した収入よりも、ミュージシャンとしての看板を背負って生きるジロー。

どちらが幸せかなんて、わからないのだ。

「そうそう、ジロー、あいつ、ブログやっているんだぜ」

「そうなの?」

「ジロー、俺と福岡で飲んだことを、ブログに書いてくれたんだぜ:」

「へえ」

ふだん、感情をオモテに出さないコバヤシが、めずらしく嬉しそうに話した。

まんざらでもなかったのだろう。

「おまえ、今日のこと、またブログに書くんだろう?」

「まあな」

「だったら、ジローのことを書いてくれよ俺のことなんてどうでもいいからさ」

「わかったよ」

読者諸賢。

どうか、サックスミュージシャン・ジローのことをお見知りおきを。

ブログ「じろうな日々」

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縦断半島、縦断列島

9月25日(木)

もはや曜日の感覚もない。

昨晩の、先方との会食も、やはり座持ちの悪さにひどく落ち込んだが、ひとまず無事に終了した。

日本で同等のアテンドをしなければならないかと思うと、かなりのプレッシャーである。

まあそれはともかく。

これで、韓国でのミッションがすべて終わり、いよいよ明日、帰国である。

メールに添付されたPDFファイルで、原稿の校正が届いていて、「土曜日までに戻してください」という。

土曜日といったら、明後日ではないか!

直す箇所の多いにもかかわらず、こっちではプリントアウトすらできないのである。

うーむ。困った。

ソウル市内を探しまわり、ソウル市役所の前に印刷屋さんがあるのを見つけた。

「あのう…PDFファイルをプリントアウトしたいんですが」

「いいですよ。どうぞ」

値段は少しかかったが、なんとかプリントアウトを終えた。

校正に赤を入れて戻すことになるのだが、こちらにはスキャナーもない。

仕方ないので、赤を入れた箇所をデジカメで写真に撮って、それをメールで送るしかない。

あとは喫茶店でボーッとしたり、意味もなく景福宮や三清洞のあたりを歩いてみたり。

歩きながら、今回の旅で感じたことを振り返る。

今回の仕事で、韓国の同業者たちの層の厚さと技術の高さを、まざまざと見せつけられた。

技術がないのは単に私だけかも知れないが、こちらがもっと精進しなければ、どんどん置いていかれてしまう。

もうひとつ感じたこと。

これは仕事とは関係ないが、ソウルに来る外国人観光客のほとんどが、中国人であることに驚いた。これは最近の大きな変貌である。

いまやソウルは、中国人観光客をターゲットにしている。

これから日本は、ますます相手にされなくなるだろう。

やはりこれからは、中国語を勉強しなければダメか…。

さて、9月10日から約2週間、韓国に滞在し、釜山からソウルまでを縦断した。

長期間滞在したような気もしたが、たった2週間だったのか。

日本にいれば、2週間などあっという間だが、こちらにいると、長く感じるから不思議である。

しかしミッションは、これで終わりではない。

明日、福岡に渡り、今度は約1週間かけて、日本列島を秋田まで縦断するのだ!

釜山からソウルへ半島を縦断したあと、今度は休む間もなく、福岡から秋田まで、列島を縦断する。

まるで「水曜どうでしょう」の旅のようだ。

「お金返すから、うちへ帰して!」

これは、かの有名な小松政夫のギャグである。

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国際交流事始

私が「前の職場」に赴任して間もない、いまから10年ほど前のことである。

交流協定を結んでいる海外の大学から、短期研修プログラムで15人ほどの女子学生がうちの部局に来ることになった。

私にとってはなじみのない国でもあるし、私にはあんまり関係ないだろうな、と思っていた。

短期研修が始まる直前、研修プログラムのすべてを担当をしていた同僚のNさんが研究室を訪ねてきた。

「お願いがあるんですが」

「何でしょう?」

「2週間の研修プログラムの中で、学生たちを一日、T町に連れていくという日があるんです」

T町というのは、県南にある町である。

「そのときに、一緒についてきてもらえませんか?」

「それはかまいませんけれど、どうしてです?」

「T町に、博物館があるでしょう?」

「ええ。私もよく行きます」

「そこで、簡単な解説をしてもらいたいのです」

「わかりました。でも、日本語しかできませんよ」

「日本語でかまいません。日本語がわかる学生もけっこういますから」

ということで、短期研修プログラムがはじまって数日後のある日、Nさんや短期研修生たちと一緒にマイクロバスに乗って、T町に出かけることになった。

午前、T町の博物館で一通り説明したあと、おなじT町にある、「昭和の町並み」の面影を残す商店街を、みんなで散策した。

といっても、海外から来た学生たちには、なんのこっちゃわからない。そりゃあそうだ。「昭和」という時代に、何の思い入れもないのだから。

そこには、懐かしの看板が数多く残っていて、私と同世代のNさんとふたりだけで、「懐かしいですねえ」などと、盛り上がっていた。

ふだんほとんど話したことのないNさんが言った。

「いい町ですよねえ、T町は」

「ええ、私もそう思います」

「将来、この町に住んでみたいなって、思うんですよ」

「いいですねえ」

私もNさんの気持ちが、なんとなくわかった。

さて、お昼を食べることになったが、彼女たちの食の好みが全然わからない。

せっかくだから、地元の美味しいそばでもと思ったのだが、彼女たちはそういうものにまったく興味を示さず、脂っこくてジャンキーな食べ物に興味を持っていたようだった。

午後は、駅の構内にある温泉に案内したが、彼女たちにとっては、温泉もあまり興味の対象ではなかったようだ。

(異文化交流って、難しいな…)

と、そのとき初めて、思ったのであった。

帰りの車中で、Nさんが言った。

「週末、彼女たちを東京に連れていかなければならないんですよ」

「短期研修プログラムの予定表では、そうなっていましたね」

「でも土曜日、娘のピアノ発表会があるんです」

「それは、発表会のほうを優先しないといけませんよ」

Nさんひとりがそこまで犠牲になることはないのだ。

私は言った。

「ちょうどこの週末、私が東京の家に戻ることになっていますから、もしよければ、土曜日は私が東京を案内しますよ」

「いいんですか?」

「ええ。妻もいますし。二人いれば何とかなります」

「じゃあ朝、彼女たちを新幹線で送り出して、娘のピアノ発表会が終わったら、夕方、新幹線で東京に向かいます。そのときまで、彼女たちの面倒を見てやってください」

「わかりました。ついでに、どこをまわるかも考えます」

「ありがとうございます」

ということで、急遽、週末の土曜日に15人の海外からのお客さんを引率することになった。

彼女たちが東京駅に着いたのは、お昼少し前。

前日に東京に来ていた私は、妻と一緒に、改札口で彼女たちを出迎えた。

さて問題は、お昼ご飯である。

彼女たちが一番喜ぶ食事は何だろう?

さんざん考えたあげく思いついたのが、チェーン店の「牛丼屋」である。

ここだったら、値段も手ごろだし、脂っこいものが好きな彼女たちも、満足するだろう。

実際、この作戦は功を奏し、彼女たちは満足していた。

その後、皇居、上野公園と散策し、最後はアメ横で自由時間とした。

とくに「アメ横」には、みんなテンションが上がっていたようだった。

夜になり、ふたたび東京駅に行く。Nさんの乗った新幹線が到着する時間である。

改札でNさんを出迎え、15人の彼女たちを、無事引き渡した。

「ありがとうございました、大変だったでしょう?」とNさん。

「いえ、楽しかったです。娘さんのピアノ発表会、いかがでした?」

「おかげさまで、うまくいきました」

これからNさんは、都内の宿泊施設まで15人を引率し、翌日の日曜日はNさんが東京を案内することになっていた。

私にとっては、わずかな時間だったが、恥ずかしながらこれが、私が職場で初めて経験した「国際交流」であった。

Nさんの、国際交流に対する献身的な姿勢に、いったいどれほどの人が気づいているのだろう、と、そのとき思った。

それ以降、この体験が、私の「国際交流」の基準になっている。

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うさぎ探偵

ナイトひょんさんから、「韓国にうさぎをデザインしたものがあるのか、調べてほしい」という依頼が来た。

コメント欄で答えようとしたが、韓国からは、なぜかコメント欄に自分のコメントを載せようとするとエラーになるので、さしあたり気がついたことを簡単に。

韓国で、こんな形のスマホカバーをよく見かける。

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「大人向け」か「子ども向け」かは、議論の余地があるが、明らかにこれは、うさぎの耳である。

日本でも、学生がよくこのカバーを使っていたと記憶する。

うさぎの意匠が日本独自である、という仮説は、再検討すべきである。

というより、「日本独自」という考え方じたいを、疑うべきなのだ。

…詳細な調査は、私に心の余裕ができたら再開します。

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会話のラリー

9月23日(火)の続き。

今日の仕事が一段落した、夕方4時頃のこと。

私と同世代の、先方の担当者と椅子に座ってコーヒーを飲みながら休んでいたのだが、前回にも書いたように、私は座持ちが悪いので、これといった話題がない。彼は日本語がわからないし、私も韓国語に自信がないので、なおさら会話が億劫になってしまう。

所在なげに、窓の外に目をやると、5階の窓からは、いままさに建設ラッシュといった、高層アパート群(韓国のアパートは、日本でいうマンションにあたる)が見えた。

窓の外を眺めていた私に気をきかしたのか、彼が言った。

「このあたりは高層アパートが次々と建ってしまって、景観が悪くなりました」

「そうですか」と私。私も何とか話をつなげようとして考えたあげく、このあたりは日本人が多く住んでいる、ということを思いだした。

「そういえば、このあたりは日本人が多く住んでいると聞いたことがあります」と私。

「そうです。たしかに日本人は多いですね。あと、米軍基地が近くにありますので、アメリカの軍人さんなども多いです」

「そうですか」

「あと、芸能人もけっこう住んでます」

「へえ、芸能人ですか」

「ここからはKBS(韓国の国営放送)が近いですからね。芸能人といっても、一流芸能人は別のところに住んでいるんでしょうけれど、それなりの芸能人とか、あと、アナウンサーとか」

「たとえば、どんな人です?」

「チャ・テヒョンって知ってますか?映画『猟奇的な彼女』の」

「ええ、知ってます。私も妻もファンですよ」

「彼はたしかこのあたりに住んでいるはずです」

「そうですか」

ということは、「一流芸能人」ではなく「それなりの芸能人」ということか?

「私が最初に見た韓国映画が、『猟奇的な彼女』だったんですよ」

と私が言うと、

「今度、映画『猟奇的な彼女』のシーズン2が製作されるそうですよ」

という。

「本当ですか?」私は驚いた。

「ええ。チャ・テヒョンは出るみたいですが、相手役はチョン・ジヒョンではないようです」

「そうですか…」

なんと、2001年の公開から15年近くたって、映画「猟奇的彼女」の第2弾が製作されるのか???

ちっとも知らなかった。

前作が名作すぎるだけに、なんとも複雑な心境である。

…ところでこの話題が、座持ちが悪い私が、今日最もがんばった「会話のラリー」である。

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座持ちが悪いにもほどがある

9月23日(火)

朝9時から始まった仕事は、なにも問題なく、夕方4時に無事終了した。

無事に終わった最大の要因は、先方の誠実で献身的な対応によるものであり、感謝してもしきれない。来月に日本にいらしたときは、、精一杯、ご恩返しをしなければならない。

仕事が終わった夕方、ソウルの友人2人から、夕食に誘っていただいた。

それもまた嬉しいことなのだが、私ひとりでは、まったく話題がなく、全然話が盛り上がらなかった。

せっかく誘っていただいたのに、気のきいた話題のひとつも、出すことができない。

私をよく知る人はご存じの通り、私は、びっくりするくらい「座持ちが悪い」のだ。

これといった話題のない人間なのだ。

人間としておもしろみのない自分を、のろうばかりである。

二人の友人の貴重な時間を、台無しにしてしまったと、ひどい自己嫌悪に陥った。

このままでは、明日の夕方におこなわれる、先方のみなさんとの会食も、思いやられる。

…しばらくは誰とも会わず、引きこもりたい心境である。

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ソウルの平日

9月22日(月)

待機3日目。

午前、東大門駅からひと駅の、テハンノ(大学路)に行ってみることにする。

いわゆる学生街だが、行ってみても、たいしたことはなかった。

そういえば土曜日に仁川空港に行ったときに、月曜の11時過ぎに飛行機の便の変更の電話をかけるようにと、航空会社に言われていたのだった。

11時過ぎに、教えられた電話番号に電話をかけてみた。

26日午後の便に空きがあったようで、無事、変更することができた。

「あのう…、Eチケットはどうしたらいいでしょうか?」

「当日、仁川空港に早めに来ていただいて、我が社の発券カウンターで出力したEチケットを受け取っていただければ大丈夫ですよ。そのEチケットをお持ちになって、○○○のカウンターに行ってください」

○○○とは、コードシェアをしている航空会社のことである。

本当に便の変更ができたのか、例によって、私の不安神経症が頭をもたげてきた。

「あのう…、いまからそちらにうかがってよろしいでしょうか?」

「は?」

「そちら、ソウル市内にある支社ですよね」

「そうです」

「そちらで、Eチケットを発行してもらうこともできるでしょうか?」

「もちろんできますよ。でも、当日空港でお受け取りになっても、同じことですよ」

「ええ、それはわかっています。ちょっと不安になったもので」

「当日空港で受け取ったほうが楽だと思いますけど…。ま、こちらとしては、どちらでもかまいませんので、お客様のお好きなようになさってください」少し呆れ気味である。

「ちなみに、そちらの場所は、どこですか?」

「ロッテホテルの隣です」

「じゃあ近くなので、取りに行きます」本当はそれほど近くではないのだが。

「わかりました」

まったく、私の不安神経症にも、困ったものである。

地下鉄を乗り継いで、ロッテホテルの隣のホテルに向かった。

そこで、無事にEチケットを受け取ったのであった。

そうこうしているうちに、お昼である。

ロッテホテルの近く、つまりソウル市庁の近くは、ビジネス街である。ちょうどお昼休みの時間に重なり、通りはスーツ姿のサラリーマンたちでごった返していた。

今日は月曜日なのだ。

(さて、どこでお昼を食べようか…)

近くに南大門市場があることを思い出し、ガイドブックに載っていた、「鶏肉のコムタン」を食べることにした。地元の人しか行かない、かなりマニアックなお店らしい。

南大門市場の路地裏を探し回り、ようやく「鶏肉のコムタン」の店を見つけた。

お店はたくさんの客で賑わっているが、そのすべてが、「背広姿のサラリーマン」とは真逆な感じの、おじさんたちである。おじさんと行っても、還暦を過ぎた感じのおじさんたちばかりである。

さすがにこの店には、外国人観光客も、若い男女もいない。

無造作にちぎられた鶏肉が鍋で煮込まれ、鍋のまま出される。

これぞ、正真正銘の「ザ・B級グルメ」である。

午後、妻に頼まれた、ある私設の博物館を探してみることにする。

その私設博物館にある「あるもの」が、今どうなっているのかを調べてほしい、と、妻からメールが来た。インターネットで検索してみても、博物館の場所はわかるのだが、ふだん開いているのかどうか、そしてその「あるもの」が展示されているかどうか、皆目わからないというのである。

私にとっても、まったくなじみのない博物館である。

その私設博物館は、徳寿宮の北にある、というので、歩いて探してみることにした。

だが、いくら探しても、その博物館は見つからない。

(おかしいなあ。たしかにこのあたりなんだがなあ)

道行く人に聞いてみても、「知らない」というばかりである。

それらしいビルに入り、ビルの管理人さんらしき人に聞くことにした。

「あのう、このあたりに、○○博物館というのはありませんか?」

「なくなりましたよ」

「え?なくなった?」

「たしかにこの建物がそうだったんですがね。昨年、博物館の館長さんが亡くなって、博物館は閉館したんです。この建物も、リフォームしました」

1階は、オシャレなイタリアンレストランになっていた。

「そうなんですか…じゃあ、展示していたものというのは…?」

「さあ、わかりませんがね。館長の家族がひきとったんでしょう」

個人の私設博物館だったようだが、館長が収集したものは、どうなってしまったのだろう?

昨日、東大門歴史文化公園の「DDP(東大門デザインプラザ)」で見た、澗松(カンサン)収集の国宝級の美術品とは対照的に、実に寂しい末路をたどったように思える。

その後は、近くの喫茶店に入り、原稿の構想を練る。

明日からは、また緊張と忍耐の仕事が始まる。しくじらないように頑張ろう。

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ソウルの退屈

9月21日(日)

いま私は、ソウルの東大門駅の近くの路地裏にある、古めかしいモーテルに連泊している。

まるで独居房のような部屋で、部屋にいると息苦しくなりそうなので、どうしても、外へ出なければならない。

ただ、東大門のよいところは、ひとりメシができる店が多いことと、食事代がほかの繁華街にくらべて安いということである。

その意味で、食事には不自由しない。

さて今日は、日曜日である。

午前中、モーテルから歩いてすぐの、東大門歴史文化公園にある、「東大門デザインプラザ」(DDP)に出かけた。最近オープンした、実にアートな建物なのだが、いまここの博物館で、「澗松(カンサン)美術館」所蔵の美術品の特別展が開催されている。韓国最初の私立博物館「葆華閣」を設立した、「澗松」ことチョン・ヒョンピルの収集した、韓国美術の優品ばかりを展示している。

植民地時代を生きた「澗松」ことチョン・ヒョンピルが、「文化で国を守る」という信念のもとに収集した国内の美術品は、質・量ともに、ハンパではない。18世紀に生きた朝鮮時代屈指の風俗画家・シン・ユンボクが書いた有名な「美人図」のほか、なんと、「訓民正音」の原本も展示されていた。「訓民正音」の原本なんて、めったに見られるものではないのだ。

美術展を堪能したあと、午後は、日本の職場から大量に送られてきた書類に「作文」を書く、という仕事をしなければならない。

どこか適当な喫茶店にでも入ろうと、ソウル随一の繁華街、明洞(ミョンドン)に行くことにした。明洞ならば、喫茶店の数も多いはずだ。

明洞の駅を降りてすぐのところに、韓国のCDやDVDを売っている店があり、ついそこに立ち寄ってしまった。

するとその店には、日本人の若い女性ばかりがいて、CDを手に持って、レジに長蛇の列を作っていた。「K-POP」ファンが根強くいることに、少し安堵した。

Imagesli60o1is手に持っているCDを見ると、そのほとんどが、「スーパージュニア」のCDである!なかには、誰かに頼まれたのか、ひとりで同じCDを何枚も買っている人がいるではないか!

最近、スーパージュニアの新譜でも出たのだろうか?

CDを買った人にはもれなく、レジでポスターが渡されていた。おそらくスーパージュニア:のポスターなのだろう。

私も、ある映画のOST(オリジナル・サウンドトラック)を手に取って、レジに並んだ。

会計を済ませると、レジの女性が英語で私に話しかけた。

「誰か好きなアイドルはいますか?」

「???」

どうやら、私にもアイドルのポスターをくれる、ということらしい。

私が買ったのは、アイドルのCDではなく、映画のサントラである。

だがしかし、店員さんには、「K-POPアイドル好きのおじさん」に見えたようだ。

私はとっさに「いません」と答えてしまったが、こぶぎさんのために「少女時代」と言って、「少女時代」のポスターをもらっておけばよかったかな、と、あとで後悔した。

あるいは、ちょっとひねって「東方神起」と言えばよかったか?

…まあ、そんなことをしてみたところで、別にどうということはない。

明洞の繁華街は、相変わらず多くの人でごった返していたが、昨日にくらべて、若い男女のカップルの比率が低いことに気がついた。

その代わり、家族連れとか、友達連れが多い。

そうか!

韓国の若者たちは、土曜日はデートの日、日曜日は、家族や友人と過ごす日、というふうに、週末を使い分けているのか!

…まあ、そんな仮説を立てたところで、別にどうということはない。

喫茶店に入って、職場からメールで送られてきた書類に作文をする、という仕事を、延々とおこなった。

気がつくと夜の7時過ぎである。午後2時過ぎからはじめて、5時間がたっていた。

さすがに目が疲れ、頭もはたらかなくなったので、帰ることにした。

地下鉄の駅で、こんなポスターを見かけた。Editor_1408933263
「配達の民族」という映画のポスターらしい。

しかも、主演はリュ・スンリョン。いま最も脂ののった俳優である!

「2014年8月23日大公開」とあるので、現在公開中の映画か?

リュ・スンリョンが主演の映画なら、面白くないはずがない!これは見に行かねば!

さっそくインターネットで調べてみるが、どの劇場でも公開されている様子がまったくない。

(あれ?観客が不入りで、公開が早々に打ち切られたのかな?)

と思って、よくよく調べてみると、これは、「配達の民族」というフードデリバリー・アプリの、広告だということがわかった。

まぎらわしいなあ。これを見れば誰だって映画のポスターだと思うじゃんかよ!

ちなみに、こんなポスターも作られているという。

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すっかり騙されてしまった。

まったく、ひとりで過ごすソウルというのは、退屈である。

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ソウルの品格

東京駅の品格

9月20日(土)のつづき。

休日を棒にふるわけに行かないので、仁川空港からソウル市内に戻って、お昼を久しぶりに、景福宮(キョンボックン)の西側にあるサムゲタンの店「トソクチョン」に行くことにした。

「トソクチョン」といえば、ソウルに来る観光客が、一度は訪れる店である。

お昼時をはずして行ったのだが、それでも、いつものように長蛇の列である。

しかもビックリしたのは、そのほとんどが、中国人観光客なのである。

日本人の姿は、ほとんどみられない。

これが数年前だったら、日本人だらけだったのだ。

しかし、お店の中で聞こえてくるのは、中国語だけである。

すっかり、ソウルに来る外国人観光客が様変わりしてしまったのだな、と思った。

そもそも私がいま泊まっている東大門市場(トンデムンシジャン)のあたりも、中国人観光客でごった返しているのだ。かつては日本語しか聞こえてこなかったのだが。

…もう、私がこの店に来ることはないだろう。

続いて、地下鉄を乗り継いでイテウォンの近くにあるリウム(サムソン美術館)を訪れた。

ここは、韓国で最高の美術品を数多く所有しており、かなり見応えがある。音声ガイドも凝っている。

しかしすっかり疲れてしまった私は、途中で集中力が途切れてしまい、イテウォンの喫茶店で休もうと思い、美術館を出た。

ところが、イテウォンという町は、とてもおしゃれで、私のような者が入ることのできる喫茶店がない。おしゃれなバーみたいな店しかないのだ。

しかもそのおしゃれな店では、昼間っからオシャレな西洋人や若くてオシャレなカップルたちがもれなくビールやカクテルみたいなやつを飲んでいるではないか!

もともとイテウォンは、米軍基地に近いことから、米軍向けの商業地域として発達した。そうしたこともあり、アメリカナイズされたお店が多いのである。

…うーむ。ここも私の居場所ではない。

地下鉄に乗り、安国駅で降りて、仁寺洞(インサドン)に向かう。

仁寺洞は、日本でいう浅草の仲見世みたいな場所である。

だが土曜日の夕方の仁寺洞は、外国人観光客と、韓国人のカップルでごった返している。

そもそも、どこへ行っても、外国人観光客と、韓国人の若いカップルばかりである。もっとも、私も外国人なのだが。

何なんだ?韓国では土曜日は「デートの日」なのか???

悪趣味ながら、カップルたちを観察してみたが、どのカップルも、所在なく歩いている。それでいて、どこか「必死」である。

どうも「土曜日はデートの日」という強迫観念にとらわれているとしか思えない。

それはともかく。

仁寺洞も、私の居場所ではなかった。

鍾路3街(チョンノ3ガ)まで歩いて、ようやく喫茶店に入ることができた。

そしてそこから、東大門のモーテルまで歩いて帰った。

ビックリするほど狭い、息苦しくなるような東大門のモーテルの部屋で考える。

もう、ソウルには私の居場所はないのかもしれない、と。

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翻弄され、休日を棒にふる

9月20日(土)

他人様(ひとさま)にとってはどーでもいい話だが。

当初は9月30日の帰国予定だった。

ところが、急遽9月27日の午後に福岡で仕事が入ることになり、ソウルでの仕事を早めに切り上げて、そのまま福岡入りしなければならなくなったのである。

いろいろ調べてみると、もうひとりの同僚とうまく引き継ぎができれば、私がひとり、早めに帰国しても問題ないことがわかった。

問題は、いつ、その引き継ぎが終わるかである。

作業が26日までかかる可能性があり、できれば26日まではソウルにいてほしい、ということを同僚にいわれた。

ということは、27日の早朝の便で、仁川空港から福岡空港に飛ぶしかない。福岡の仕事には、ギリギリ間に合うという形になるが、仕方がない。

早朝の便なので、ソウル市内から仁川空港まで、移動手段があるかどうかわからないが、とにかく飛行機の便だけは変更することにした。

しかし、出張続きで忙しく、便の変更は、結局出発当日の9月10日にやらざるを得なくなった。

面倒な手続きをして、かなりギリギリになって、なんとか帰国の便を30日成田着から、27日福岡着に変更することができた。

ここまではまだよい。

さて、実際にこちらで作業を始めてみると、どうやら遅くとも25日までには、作業が完了し、引き継ぎができるということが判明した。

ということは、26日のうちに福岡入りできるということである。

もし26日の午後に仁川空港を出発し、夕方にでも福岡入りできれば、翌日午後の福岡の仕事には余裕をもってのぞむことができ、精神的にもずいぶんと楽になる。

ということで、ふたたび、飛行機の便を変更しようと考えたのである。

しかし、韓国内でどのような手続きをすればよいかわからない。

そこで今日、仕事が休みだったので、直接仁川空港まで行って、チケットの変更が可能かどうか尋ねることにした。

ソウル市内から鉄道に乗って、2時間近くかけて、仁川空港に到着した。

苦労して航空会社のカウンターを探し当て、26日の福岡行きの便に変更ができるか聞いてみると、さっそく調べてくれた。

「26日は金曜日ですよね。この日の3便とも、すべて満席です」

「えええぇぇぇっ!!すべて満席ですか???」

「はい」

「こまったなあ」

「ちょっとお待ちください」

そういうと、カウンターの職員さんは、何か調べてくれた。

「でも、この便は○○○とのコードシェア便です。もし○○○のほうで空席があったとしたら、数日後に、それをオープンするかも知れません」

「はあ」

コードシェアをしている別の航空会社が、自社の空席分があった場合、他の会社にも公開する、ということなのか???航空会社の仕組みがよくわからない。

「ですので、月曜日になったら、こちらに電話をしてください」

「はあ」

電話番号を書いた紙を渡された。どこにかかる電話番号なのかは、わからない。

なんだかよくわからないが、月曜日になれば、空席が出る可能性がなきにしもあらず、ということだそうだ。

ということで、帰りの便は、いまだ決定せず。

かくして、仁川空港行きはムダ足となり、休日を棒にふったのであった。

はたして帰国は、26日になるのか?

それとも27日になるのか?

もし27日早朝になったとして、早朝の便に間に合うのか?

仁川空港で夜を明かすべきなのか?

もう、考えるだけでも、面倒くさい。

ま、他人様にとっては、どーでもいい話である。

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緊張と忍耐の2日間

9月18日(木)

朝9時から作業開始。

途中、1時間半ほど昼休みをはさんだが、午後は休みなく、作業が夜7時半まで続いた。

その間、ずっと立ちっぱなしで、緊張と忍耐を強いられたので、すっかり腰が痛くなってしまった。

その上、韓国語での会話が続くと、さらに緊張を強いられることになる。

無事、作業が終わり、先方の担当者の方々と食事に行くことになった。

今回の作業には、「大工職人」のおじさんがかかわっていて、その人のおかげで、困難だといわれた作業がなんとかうまくいったわけだが、夕食は、そのおじさんが案内してくれることになった。総勢男子5人である。

そのおじさんは、日本でいえば「べらんめえ調」のガッハッハおじさんで、とにかく大きな声で、早口で喋りまくる。顔は、昔の俳優の伊藤雄之助によく似ている。

といっても、わからないだろうな。

「口は荒いが、仕事は手堅い」という、典型的な大工さんで、この方面の業界では、かなり信頼されている人らしい。撮影監督の木村大作みたいな感じの人である。

といっても、これもまたわからないだろうな。

韓牛の焼き肉をたらふく食わせてもらったあと、「2次会はビールを飲みに行くぞ」という。

疲れていたので早く解放してもらいたかったが、そういうわけにはいかない。すぐ近くにある、そのおじさん行きつけの「ビールのお店」に入ることになった。

そこは、よくある感じの、日本でいう居酒屋みたいなところなのだが、私と同じ世代くらいの女性が、ビールやおつまみを運んできて、なぜかそこに居座って、私たちと一緒にビールを飲みながら、私たちの話を聞くのである。といって、別にエッチな店というわけでもない。

ああいう店って、何て言うの?スナック?よくわからない。

ずーっと、その伊藤雄之助似のガッハッハおじさんが喋っている。私たちはそれなりに面白く聞いているのだが、ビールやおつまみを運んでくる女性は、その話じたいには、さほど興味がなさそうである。必死に話を合わそうとしたり、もっとくだけた話に持っていこうとしたりしているのだが、どうも空回りである。

だったら、無理して我々の席にいなくてもいいのに、と思うのだが、むこうも仕事だから仕方がないのだろう。

最後は、韓国の年金制度の矛盾について、伊藤雄之助をはじめみんなが、口角泡を飛ばして議論をしていた。

韓国でたびたび経験していることだが、議論が熱くなると、私などはほったらかしになり、彼らは近視眼的な議論に夢中になる。すっかり慣れてしまったので、どうということはないのだが。

そんなこんなで、夜12時、ようやく解放された。ずいぶんと酒を飲んだ。

9月19日(金)

朝9時、作業開始。

荷造りが終わり、午前10時、車でソウルへと出発した。

6時間かかり、午後4時、ソウルの某所に着いた。荷下ろしをすませ、先方の偉い方にご挨拶をして、午後6時過ぎ、昨日からの一連の作業が、無事に完了したのであった。

最初は私の韓国語の能力が心配だったが、なんとかミスもおかさずに、乗り越えることができた。

そして新米の私にとっては、先方の「プロの仕事」を実感した2日間であった。

明日からは少しお休みして、週明けからまた緊張の仕事が続く。

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喫茶店再々訪

こぶぎさん、正解です!

9月17日(水)

2午後、昨日入れなかった喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、電話がかかってきた。今日合流することになっている同僚からである。

「予定より早く現場に着きました。みなさんお待ちなので早く来てください!」

オペラの音楽が流れる店内で、慌ててコーヒーを飲み干し、仕事の現場まで全速力で走って向かう。

大汗をかいて現場に到着。

そのまますぐ、ご挨拶と簡単な打ち合わせがはじまった。

先方は、なぜ私だけ大汗をかいているのか、意味がわからなかっただろうな。

今日の夕方から本格的な仕事が始まると思っていたのだが、今日の仕事は先方だけでおこなうことになり、我々は簡単な打ち合わせだけで、今日のところは終了した。

明日からは同僚と私が別々の場所で仕事をすることになっていて、私にとっては「初めてのおつかい」である。

はたして俺みたいな役立たずが役に立つのか?

足手まといにならないようにしたい。

自分の力不足に、激しい自己嫌悪である。

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喫茶店再訪

9月16日(火)

今日は移動日。

昨日、一昨日と、「かつて私が住んでいた町」に泊まっていたが、そこからバスで移動して、ある町に着いた。今日からこの町で3泊するのだ。

夕方、散歩がてら、ある喫茶店に行くことにした。

その喫茶店は、私が以前に行ったことがある喫茶店で、この喫茶店に入ったことがきっかけになって、「将来は喫茶店を開きたい」という夢を持つに至ったのだ。

店の前まで来て、中に入ろうとしたが、店の中には誰もいない。

その代わり、店の入り口の前に置かれたテーブルで、親子連れとみられる3人が、ラーメンをすすっていた。

私が喫茶店に入ろうとして前を通ると、3人がギロリとこちらを睨んだ。

この店の主人の一家だ!

顔を見て思いだした。

喫茶店の主人とその家族が、入り口をふさぐようにテーブルを置いて、そこでラーメンを食べていては、とても中に入ってコーヒーを飲むことなどできない。

なんでよりによって、入り口をふさぐようにしてテーブルを置いて、ラーメンを食べているのだろう?

明日も時間があるから、明日また来ることにしようか。

この場所、ディープな読者なら、どこだかもうおわかりですよね。

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明日は夕方から、いよいよ第3の仕事がはじまる。今回の旅の、メイン・イベントである。

はたしてどうなることやら。

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第2の仕事も終了

9月15日(月)

第2の仕事も無事終了した。

第2の仕事は、私がかつて住んでいた町の隣の町で、朝から夕方まで野外でおこなわれた。

5時前に仕事が無事終わり、昨日から宿泊している「私が住んでいた町」に、バスで戻る。

今回の仕事では、日本から私を含めて3人、ソウルから同世代の友人が1人、参加した。

その友人は、私よりすこし年下だが、私が尊敬してやまない友人である。

彼はこの日のうちにソウルに戻るというのだが、汽車の時間ギリギリまで、「かつて私が住んでいた町」で、一緒に夕食を食べることになった。

私たちのために時間を作って夕食をともにしてくれるというのは、なにより嬉しいことである。

移動中のバスの中で、彼が私に言う。

「誰か、会いたい人がいますか?」

これから「かつて私が住んでいた町」で夕食をとるので、ついでに、その町に住んでいる誰かを電話で呼び出して、一緒に夕食を食べよう、ということなのである。全然関係ない人を呼び出して一緒に夕食をとることは、よくあることなので、別に驚くべきことではない。

だがこういうとき、軽々しく、呼び出したい人の名前をこちらから口にしてはいけない。

「かつて私が住んでいた町」には、それなりに知り合いが多いので、この機会に会って、一緒に夕食でも食べようと思う人は、何人か思いあたった。

だがその名前を、決して彼には口にしなかった。

なぜなら、私が会いたいと思う人は、彼にとって、疎遠であるかもしくは、犬猿の仲である可能性があるからである。

うっかり名前を出すと、「お前、あんなヤツと仲がいいのか」といわれてしまうことにもなりかねない。

私が、のらりくらりかわしていると、

「いないんですか?」

「ええ」

「長い間この町に住んでいたのにねえ」

いないわけではない。彼の前で名前が出せないだけなのだ。

結局、彼は、その町に住む、彼の大学の後輩、という人を、呼び出した。

私たちにとっては、ほとんど面識のない人である。

その人を交えて、会食をすることになったのである。

韓国では、大学の先輩後輩というのは、絶対である。先輩に呼び出されれば、知らない人とでも会食しなければならない。

私自身が何度も目撃していることである。

韓国は、日本以上に、人間関係が強い社会だといわれる。

だがそれは、学閥といった、あくまでも「ミウチ」の中での話である。

「ミウチ」の中にいると、たしかに心地よいのだが、ひとたびそれを外から眺めると、「ミウチ」の外の人間に対する冷淡な対応が見えてしまい、なんともやるせなくなる。

私はそれを、とても残念なことだと思う。

私が最後まで、この国の社会になじめない部分は、そこである。

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ポスト・キム・ユンソク

疲れているので手短に。

C155x225現在韓国で公開中の映画「ドキドキ私の人生」は、久々の「涙強盗」の映画である。

「涙強盗」とは、映画の観客から涙を強引に奪い取り、後に何も残さない映画のことである。泣けるけれども、あとに何も残らない映画。

韓国でベストセラーとなった小説が原作だが、この小説を読んだ妻によると、「小説はビックリするほどつまらない」のだという。それをこれほど「泣ける映画」に仕上げたのは、カン・ドンウォン、ソン・ヘギョをはじめとする俳優陣と、演出陣の手腕によるところが大きい。

C198x288さてもうひとつ、やはり現在韓国で公開中の映画「タチャ イカサマ師2」のことだが。

キム・ユンソクが出るというので見てみたが、あんまりキム・ユンソクの良さが出ていないというか、この映画にキム・ユンソクが登場する必然性がよくわからない、といったことを感じた。

それよりも、この映画で鮮烈な印象を残したのが、クァク・ドウォンである。

クァク・ドウォンこそ、私が「ポスト・キム・ユンソク」であると注目している俳優である。

この映画を見ればわかるように、キム・ユンソクとクァク・ドウォンは、ほとんど「キャラがかぶっている」。

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その意味でこの映画は、クァク・ドウォンが、「ポスト・キム・ユンソク」であることを印象づけた1作である、、といってよいだろう。

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釜山の休日

9月13日(土)

釜山を舞台にした映画といえば、「チング」が有名である。ロケ地となった乾物市場は、いまでも独特の雰囲気を残している。

だが、釜山でロケをおこなった映画は、ほかにもある。

私はその映画が大好きで、釜山を訪れるたびに、このロケ地の前を通ることにしている。

今回のクイズは、かなり簡単である。

なぜなら、写真の中に答えが書いてあるから。

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第1ミッション終了

9月11日(木)~12日(金)

第1ミッションが無事終了した。

第1ミッションは、「ものづくり」の仕事である。今回は、私と若手職人のHさんと二人だけで、先方に訪問して、「ものづくり」の仕事をすることになっていた。限られた時間は、2日間である。

交渉役や現場の判断役が私ひとりなので、つまり私にとっては「初めてのおつかい」である。

はたしてうまくいくのだろうか?まったくわからない。

朝、釜山駅前のホテルから、タクシーと電鉄を乗り継いで1時間半かけて仕事先に向かう。

行きのタクシーでは、運転手さんに親切にしてもらった。

釜山のタクシーの運転手さんは、言葉は荒いが、とても親切である。

仕事先では、先方の担当者であるIさんに、「ものづくり」の仕事がスムーズに進むように配慮してもらった。

相手から信頼を得るためには、誠実に仕事をするしかない。その点で、若き職人Hさんは、実に手堅く、誠実に仕事をしていた。

お世話になったIさんに、何か恩返しをしなければならない。

Iさんが言う。

「今度の10月に、職員3人で九州に出張するんですが、3人とも九州に行ったことがなくて、どのようなルートでまわっていいのか、わかりません。ほかの二人は日本語がまったく分からず、私もすこししか分かりませんし…」

「だいたいの予定は決まっているのですか?」

「ええ」そういうと、、出張の訪問先を書いた紙を私に見せてくれた。

「わかりました。私が行程を考えてみましょう。あと、訪問先への公文書の原案も考えてみます」

私は、詳細な「旅のしおり」を韓国語で作成し、公文書の原案を日本語で作成し、Iさんにお渡しした。

こういうときだけ、私は凝り性である。

「助けていただいてありがとうございます」

「とんでもないことです。助けていただいたのは私のほうです。来月の出張が、無事にうまくいくといいですね」

2日間の仕事は、12日の夕方5時過ぎに、無事に終了した。

「いろいろとありがとうございました。またお会いしましょう」

最初のミッションが無事に終了したことで、出発前の私の気持ちは、だいぶ軽くなった。

一歩踏み出す前は、いつも気が重い。

だが一歩踏み出してしまえば、心はだいぶ軽くなるのだ。

(豆知識)

韓国では今年から「振替休日」の制度ができた。韓国の今年の「チュソク」(お盆休み)は、7日(日)、8日(月)、9日(火)だが、7日が日曜日なので、10日(水)が「振替休日」として、休みになるのである。ただし日本と同様、「振替休日」の対象は、日曜日のみで、土曜日には適用されない。

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ああ!成田空港

9月10日(水)

成田空港は、ややこしい。

今まで、成田空港まで行くのにリムジンバスを使うことが多かったので、航空会社のターミナルを間違える、などということはなかった。

だが4月以降は、職場から私鉄に乗って20分のところに成田空港があるので、昼間、職場で仕事をしたあと、夕方に私鉄の各駅停車で成田空港に向かう機会が多くなった。

しかし、今日の昼間はあまりに忙しく、職場をギリギリに出て、慌てて空港行きの各駅停車に乗り込む。

成田空港には、「第1ターミナル」と「第2ターミナル」があり、降りる駅が違う。

(JALの国際線ターミナルは、第1だったっけ?第2だったっけ?)

よくわからない。

(JALだから、第1ターミナルだろう)

と思い込み、終点の第1ターミナルで降りた。

出発ロビーに向かうと、どうも様子がおかしい。

第1ターミナルはANAのほうで、JALは第2ターミナルのようだ。

近くにいた空港案内サービスの女性に聞いた。

「JALって、第2ターミナルですか?」

「そうです」

「ええええぇぇぇぇ!!!第1ターミナルではないんですか?」

「ええ」

「てっきり、第1ターミナルだと思っていました」

「いえ、第2ターミナルなんです」

「でも、羽田空港では、第1ターミナルがJALで、第2ターミナルがANAでしょう?」

「そうですね」

「ややこしいと思いませんか?」

「たしかにそうですね」

そんなこと言われても、という顔をした。

「こまったなあ。ここから歩いて遠いですか?」

「そうですね。連絡バスを使わないと…。私が乗り場までご案内します」

そう言うと、ご丁寧にも、わざわざ停留所まで連れていってくれたのである。

なんて親切な人だ!

「あのう…時間はどのくらいかかりますか?」

「バスで10分かかります」

「じゅ、10分???」

同じ空港の中なのに、バスで10分もかかるのか?

「途中、東成田駅に寄りますので」

えええぇぇぇ!第1ターミナルと第2ターミナルの間に、東成田駅があるなんて、知らなかった!

「バスはすぐ来ますか?」

「7分間隔で運転しています」

ええええぇぇぇぇ!!!

ということは、第2ターミナルまで、最大で17分もかかる、ということか???

(飛行機に乗り遅れたらどうしよう…)

急に不安になった。

ご親切に停留所まで案内していただいたまではよかったが、バスが待てど暮らせど来ない。

どうやらバスが出たばかりのようだ。

私の前に、いわゆる「バカップル」がいた。

どうやら私と同じように、第2ターミナルに行くべきところを、間違えて第1ターミナルに来てしまったらしい。

「間に合わなくね?」

「超ヤバくね?」

みたいな、語尾が上がるバカップルならではの会話をしているのだが、今の私に、彼らをバカにすることはできない。

7分後、バスがやっと来て、渋滞にやきもきしながら、ようやく第2ターミナルに着いた。

ドタバタで、飛行機に乗り込み、ひとまず、韓国で2番目の都市に到着した。

教訓。

羽田空港は、第1ターミナルがJALで、第2ターミナルがANA。

成田空港は、第1ターミナルがANAで、第2ターミナルがJAL。

ここのところは、間違えないように。

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旅の前に

9月9日(火)

昨日の話の続き。

「最近、高校とか大学時代の友達と会う機会が多くってね。この年齢になると、これまでの人生を振り返ったりして、そういったものを大事にしようと思うようになるんだ」

高校時代の友人のコバヤシの、柄にもない発言である。

「柄にもない発言」と書いたのは、元来コバヤシが、人間関係に対してクールな考え方を持っていたからである。

だからそんな発言を、意外に感じたのである。

「おい、いいことを思いついた」と私。「いま、俺たちが一緒にいるところを写メで撮って、モリカワさんとエーシマに送ろうぜ」

モリカワさんとエーシマ、というのは、高校の部活の、同じ楽器パートの一年後輩である。二人にとって我々は直接の先輩にあたり、お互い言いたい放題のことを言い合った関係だった。

私とコバヤシは、今となってはめったに顔を合わせる機会がないので、二人は驚くだろうと思ったのである。

「そんなくだらないこと、やめろよ!」

とコバヤシは言うが、まんざらでもない、という顔をしていた。

お互いがお互いを写メで撮り、コバヤシはモリカワさんに、私はエーシマに、メールを送った。

いい年齢をしたオッサンが、お互い写メで撮りあっているのを見て、お店の店員さんが、失笑していた。

てっきり無視されるだろうと思っていたら、しばらくして、返信が来た。

モリカワさんから小林に来た返信には、「相変わらず、二人はどんだけ仲がいいんですか!」と、呆れた様子がみてとれた。

エーシマから来た返信には、「どうせ二人で美味しい魚でも食べたんでしょう。魚卵の食べ過ぎは痛風の悪化のもとなので、ほどほどに」と、気遣いながらもたしなめる内容。

バカバカしいと思いながらも反応してくれる二人に、申し訳ないと思いつつも、感謝した。

くだらないノスタルジーだと、人は笑うかも知れない。

さて今日、福岡での仕事も無事に終わり、いったん帰宅した。

いよいよ明日から、「苛酷な9月」の本番である。

…ということで、またまた、しばらく旅に出ます。

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福岡のコバヤシと会う

すっかりかえりみられなくなりましたが…(笑)。

9月8日(月)

いま、福岡に来ています。

9月に入ってから、東京から西へ向かう新幹線で1時間半ばかりの「カレーうどんの町」で、4日間喋りたおし、

先週末は、北へ向かう新幹線とローカル線を乗り継いで4時間かかる「山の港町」でシンポジウムに参加し、

昨日、「山の港町」から帰ったと思ったら、今度は福岡です。

今日の昼間、職場での打ち合わせが終わったあと、夕方、急いで福岡に向かう。

福岡といえば、高校時代の友人、コバヤシである。このブログでも、準レギュラーとなっている。

忙しいし疲れているから、連絡をとるのをどうしようかためらっていたが、直前にメールを送ってみたら、なんと、予定をあけてくれて、お店まで予約してくれた。

やはり持つべきものは親友だな。

夜8時半に天神に到着し、コバヤシが予約した「サバづくしの店」に入る。

サバや穴子に舌鼓を打つ。

料理の写真を撮ろうと思ったら、店員さんがとんできて、「すみません。写真はご遠慮ください」と言われた。なんと写真NGの店なのだ。

料理を食いながらの会話はだいたい、決まっている。

そのほとんどは、私に対するダメ出しである。

曰く、「お前はむかしから周りをさんざん振り回す」

「本当はかまってほしいんだろう」

「野心さえなければ、お前ももう少しメジャーになるのになあ」

高校時代から言われ続けたことだ。

そういえば高校時代、頻繁にコバヤシの家に長電話をした。

その頃は当然、携帯電話などなかったから、家の固定電話にかけたのである。

そこでいつも2時間くらい、コバヤシに部活の愚痴をこぼしていた。

「誰もオレのことをわかってくれない」だの、「あんな部活、とっととやめたい」だの。本当はやめる気などさらさらなかったのだが。

いつもそんな話ばかり聞かされるコバヤシは、呆れかえってくる。

そのたびにコバヤシは、「いい加減にしろ!」と、電話口で声を荒げるのである。

すると、それを聞いていたコバヤシのお兄さんに、

「お前、友達に向かって、そんな口をきくやつがあるか!」

と、そのたびにコバヤシは叱られたのだという。

「いいんだよ、こいつは」

といくら言っても、お兄さんは納得せず、

「とにかく友達にそんな口をきいてはダメだ」

と、叱られ続けたのだという。

「なんでお前のしょーもない愚痴を聞かされた上に、兄貴に叱られなければならないんだ?」

コバヤシは高校時代のことを思い出して、怒っていた。

とにかく私は、コバヤシの前では傍若無人なのである。

これでよく絶交されないものだ、と思う。

あとは、大学時代に旅行に行ったときの思い出話。

大学時代、二人でよく旅をした。

あるとき、地方の大学に散らばった、高校時代の友人を訪ねる、という旅をしたことがあった。東北地方一円を、ぐるっとまわったのである。

私が企画して、コバヤシが渋々ついてきたのだが、コバヤシはそのときの旅行のことを事細かに覚えていて、あの時誰がどうしたなどと言うのだが、私はまったく覚えていない。

「覚えてないなんて、冷たいなあ。お前が企画した旅だぞ!俺はさほど行きたくはなかったのに」

と、またダメ出し。

「人間というのは、いくつになっても変わらないんだよなあ」

コバヤシは私に会うたびに、そう思うのだという。

お互い明日が早いので、2時間で切り上げた。

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3つの恐怖

9月6日(土)

水曜日あたりから、なんとなく腰が痛い。

かがむと、腰がすこし痛いのだ。

木曜日の夜、「喋りたおす仕事」が終わって新幹線で家に帰り、翌金曜日は、職場に出勤したあと、夕方、新幹線で「前の前の職場」の町まで移動する。

翌土曜日は、この近くの町で開かれるシンポジウムのパネラーとして参加することになっていた。

シンポジウム当日の土曜の朝になっても、腰の鈍痛は変わらない。

ここのところ、まったく休みがなかったので、疲れによるものだろうか。

妻に「腰が痛い」とメールしたところ、

「軽いギックリ腰かも知れないね」とおどかされ、たいそうびびった。

うーむ。いま最も恐れているのは、痛風の発作と、ギックリ腰である。

もしいま、痛風の発作が起きたり、ギックリ腰になったりして動けなくなったら、これから先の苛酷な予定が、全部おじゃんになり、各方面に大変な迷惑をかけることになる。

腰の不安を抱えたまま、シンポジウム会場に向かった。

シンポジウムでは、かつてこの県で一緒に研究をともにした同世代の仲間たちと再会した。これは、このシンポジウムを企画したIさんによる粋なはからいであると、感謝した。

4人が壇上に並んだことに関しては、私なりの感慨があった。シンポジウムじたいは大成功だったが、私はつい調子に乗って喋りすぎてしまったかもしれず、あとで猛烈に反省した。

そればかりか、そのあとの懇親会でも、調子に乗って喋りすぎて周りに不快な思いを与えたのではないか、と、さらに反省した。

さてその懇親会の席で、「帯状疱疹」の話題が出て、「我々の世代も、ストレスや疲れから、いつ帯状疱疹になってもおかしくない」と言われ、たいそうびびった。

そうか。

私が今恐れているのは、痛風の発作と、ギックリ腰と、帯状疱疹である。

今もしこのタイミングでそうなったらもう、アウトだな。

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喋りたおす、最終日 ~歌の贈り物~

9月4日(木)

喋りたおす日、最終日。

午後の試験が終わり、一人ひとりが、答案を提出する。

なんとビックリすることに、登録者57名中、受験者は57名。つまり脱落者はゼロである。

私はそれを、1枚1枚受け取った。

ひとり、私に話しかけたそうにしている男子学生がいた。

昨日の学生主催の歓迎会に来ていた、3年生のタクロー君である。「女子力が高い男子学生」のひとりだった。

「昨日はありがとうございました」

「昨日は楽しかったねえ」と私。

「ええ。まさかピンクレディーの『サウスポー』の話題で、あんなに盛り上がるとは思いませんでした」

タクロー君は、思い出し笑いをした。

「先生はどちらからいらっしゃったんですか?」

「東京だよ」

「じゃあ、遠くからいらしたんですね…これからお帰りになるんですか?」

「うん」

「4日間ありがとうございました」

「お疲れさまでした」

タクロー君は、もう少し話したそうだったが、教室を出て行った。

続いて、昨日の歓迎会の幹事を務めた、3年生のコウヘイ君である。彼もまた、「女子力の高い男子」である。

「先生、お昼にKCKCに行かれました?」

「KCKC」とは、大学の近くにある喫茶店で、この大学の学生たちのたまり場である。「ぜひ、お昼を食べに行ってみてください」と、彼が教えてくれたのである。

「行ってきたよ」

「そうですか!アハハ。どうだったですか?よかったでしょ?」

「ランチが美味しかったね」

「それはよかったです」

「KCKC」は、コウヘイ君の行きつけのお店らしく、まるで自分の店がほめられたかのように喜んでいた。

前の職場で一緒に過ごした学生たちと、少しも変わらない。

すべての仕事が終わり、大学前の駅から私鉄で新幹線の駅に向かう。

すると「先生!」と声をかける男子学生がいた。4年生のダイキ君である。

電車に乗りながら、進路のことなど、いろいろと話をする。彼は小学校の教員をめざしているのだという。

「卒論も頑張ります」

駅で別れる。一期一会だが、今後の人生に幸あれ、である。

新幹線に乗り、今日の授業のあとに提出してもらった出席カードに目を通した。

どれも、長い感想が書かれていた。

とりわけ目を引いたのは、4年生のトモノリ君である。

最初の日に提出した出席カードで、百人一首がきっかけで和歌が好きになり、自分でも作るようになった、と書いてあった。

今度の感想には、こうあった。

「せっかくなので、自作の歌のうちの一つを書き置いておきます。数年前に作った歌です。

 永遠を夢にみせてはうたかたの心を照らす君はうそ月」

そのあとに、解説が書いてあった。

「ずっと一緒にいてくれると思っていたのに、ほんの一瞬しか夢をみせてくれなかった君は、まるでその美しい姿を一瞬しか見せてはくれないうそ月のようだ、みたいな感じの意です」

和歌のプレゼントをもらったのは初めてである。

もちろんこれは、今回わざわざ作ったものではなく、以前に作った和歌を書いてくれたものであるが。

しかしそれにしても、である。

私は「女子力の高い男子」に、どうやらモテるようだ。

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喋りたおす、3日目 ~じゃんだらりん~

9月4日(木)

6時間喋りたおす仕事の3日目。

1日の授業が終わったあと、授業の感想などを書いてもらうのだが、別に感想に限らず、書きたいことがあったら書いてください、と言ったら、昨日、次のような文章を書いた学生がいた。

「私の趣味のひとつに銭湯巡りがあります。東京都は非常に多くてうらやましいです。先日は台東区にある○湯というところに行ってきました。建物自体が重要文化財になっており、非常に趣深いお風呂屋さんでした。いま住んでいる○○市は、近隣の市では一番多く銭湯が残っている地域です。最近ではスーパー銭湯が増え、町の小さなお風呂屋さんは廃業する一方です。「自分がお年寄りになったとき、いったいどのくらいの銭湯が残っているのだろう」と考えると、かなり少なくなっていると思います。なので、後輩や友人を銭湯に誘い、若いうちにできるだけ多くの銭湯に足を運ぶことが今の私の楽しみのひとつとなっています。

大学の周辺には、「○○の湯」、駅の近くでは「○之湯」があり、市営電車に乗れば「○○湯」「○○湯」などがあります。遠方より来られてもしお疲れでしたら、一度足を運んでみたらいかがでしょうか」

うーむ。授業の感想というより、ラジオ番組に寄せられたふつうのお便り、といった感じである。

私はこういう文章、つまりラジオに寄せられるふつうのお便りみたいな文章が大好きで、あまりに面白かったので、今日の授業の冒頭で紹介することにした。

夕方、授業が終わると、学生が何人か教壇のところにやってきた。

「先生、あの銭湯の話、書いたの僕です」

老練な若者を想像していたが、全然そうではなく、就活にがんばっているイマドキの4年生といった雰囲気である。

「東京とか○○市以外の銭湯にも行くの?」

「ええ。就活とかで地方都市をまわると、その町の銭湯のことをあらかじめ調べて、まわるようにしています」

その学生は銭湯について熱く語り始め、周りの友達が茶々を入れながら、会話に参加する。

「…盛り上がってるねえ」

授業が終わったころを見はからって、私を迎えに来たYさんが、この様子を見てびっくりしていた。

授業が終わったあと、学生たちが教壇の近くにやってきて、ひとしきり雑談をする、というのは、前の職場でも何度となく経験したことであった。

いま目の前にいる学生たちは、私が出会った「前の職場」の学生たちと、何一つ変わらない。

懐かしさがこみ上げてきた。

授業が終わり、ほとんど休む間もなく、3日目の宴会である。

今日は、学生が主催して、歓迎会を開いてくれるという。

学生8人と、私を含めた大人4人の、合計12人の、こぢんまりした会である。

男子学生6人、女子学生2人だが、男子学生の「女子力」が高いのも、前の職場の学生たちのことを思い出させてくれて、微笑ましい。

「こっちの方言で、『じゃんだらりん』というのがあるんですよ」

隣に座った男子学生が言った。

「『じゃんだらりん』?」

「語尾につける言葉です。『○○じゃん』というふうに」

「それは横須賀あたりでも使うね」

「あと、『そうだら』とか」

「へえ」

「『りん』は、『○○してみなさい』というような意味で使います。『お酒飲んでみりん』とか」

「『お酒飲んでみりん』か。ずいぶん可愛らしい言い方だね」

「ええ。女の子に言われると、グッと来ます。あと、『来てね』という意味で、『こりん』と言ったりします」

「へえ」

ひとしきり、この土地の言葉や食べ物の話で盛り上がる。

後半は、なぜか大人たちの間で、ピンクレディの「サウスポー」の歌の分析というのがはじまり、

「どうやら『サウスポー』で論文が書けそうだね」

という話にまとまった。聴いていた学生たちは呆気にとられていたが。

そんなこんなで、2時間半ほどの歓迎会が終わり、学生たちはカラオケへ、大人たちは、ウィスキーを飲みにと、それぞれ2次会へと向かう。

こうして、今日も夜11時過ぎまで喋りたおした。

前の職場での学生たちとの日々を、久しぶりに思い出した1日だった。

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喋りたおす、2日目

9月2日(火)

これまでの「ひとり相撲」を反省し、心機一転、仕事に打ち込もうと決意して2日目。

今日も9時20分から4時半近くまで、ほぼ6時間喋りたおした。

飛ばしすぎて、すでに声はガラガラである。

考えてみれば、50名ほどの前で1日6時間も話す経験など、めったにできるものではない。

「大沢悠里のゆうゆうワイド」や「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」だって、放送時間は、8時半から13時までの、4時間半なのだ。

それをはるかにしのぐ6時間の喋りは、聴いているほうが大変だろう。

終わってから、昨日同様、「男子会」である。

私を含めた昨日のメンバー4人に加え、やはり私と同じようにこの場所に呼ばれた方1名と、大学院生4名の、合計9名で、6時過ぎから10時半まで、日本酒を飲みたおし、喋りたおす。

私を招いていただいた方は、とにかくお喋り好きで、延々と話題が途切れることなくお話になる。私も負けず嫌いだから、つい応戦してしまう。

結局今日も、合計で10時間近く喋りたおした。

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原稿の泣き言は言わない

9月1日(月)

9月から心機一転、仕事に打ち込むことにした。

もちろん8月以前も一生懸命仕事をしていたのだが、昨日「仕事に専念するように」という神の啓示を受けたこともあり、しばらくは、仕事に打ち込もうと考えた次第。

とりわけ目標は、「原稿ため込み党」の汚名を返上することである。

旅先でもどこでも、とにかく誰にも負けないような原稿を書く、というのが、当面の目標である。もう原稿の泣き言は言わない。

だがさしあたっては、今日から4日間の「1日6時間喋る仕事」を全うしなければならない。

朝9時20分から夕方4時30分まで、途中何度かの休憩をはさみつつ、喋りたおしてやった。

休憩時間に、廊下に出た学生どうしが、私が後ろを歩いているのも気づかずに、話していた。

「集中講義、ハンパねえ」

そりゃあそうだ。こちとら、喋りたくてうずうずしていたんだから。

残りの3日間も、手を抜かず、喋りたおしてやろう。

…といいつつ、4時半に今日の仕事が終わると、外は大雨である。

(出鼻くじかれるなあ…)

と思いつつ、いったんホテルに戻る。

夕方6時からは、今回の仕事に招いていただいた方3人と、男子会である。

お寿司屋さんに入り、ビックリするくらい美味しい魚と、これまたビックリするくらい美味しい日本酒を堪能した。

最近、日本酒はめっきり弱くなったが、それでも美味しいお酒をこれでもかと飲み続けた。

そして、「女子会」以上に、4人で喋りたおした。

気がつくと午後10時。

結局今日はほぼ10時間、喋りたおしたことになる。

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