国際交流事始
私が「前の職場」に赴任して間もない、いまから10年ほど前のことである。
交流協定を結んでいる海外の大学から、短期研修プログラムで15人ほどの女子学生がうちの部局に来ることになった。
私にとってはなじみのない国でもあるし、私にはあんまり関係ないだろうな、と思っていた。
短期研修が始まる直前、研修プログラムのすべてを担当をしていた同僚のNさんが研究室を訪ねてきた。
「お願いがあるんですが」
「何でしょう?」
「2週間の研修プログラムの中で、学生たちを一日、T町に連れていくという日があるんです」
T町というのは、県南にある町である。
「そのときに、一緒についてきてもらえませんか?」
「それはかまいませんけれど、どうしてです?」
「T町に、博物館があるでしょう?」
「ええ。私もよく行きます」
「そこで、簡単な解説をしてもらいたいのです」
「わかりました。でも、日本語しかできませんよ」
「日本語でかまいません。日本語がわかる学生もけっこういますから」
ということで、短期研修プログラムがはじまって数日後のある日、Nさんや短期研修生たちと一緒にマイクロバスに乗って、T町に出かけることになった。
午前、T町の博物館で一通り説明したあと、おなじT町にある、「昭和の町並み」の面影を残す商店街を、みんなで散策した。
といっても、海外から来た学生たちには、なんのこっちゃわからない。そりゃあそうだ。「昭和」という時代に、何の思い入れもないのだから。
そこには、懐かしの看板が数多く残っていて、私と同世代のNさんとふたりだけで、「懐かしいですねえ」などと、盛り上がっていた。
ふだんほとんど話したことのないNさんが言った。
「いい町ですよねえ、T町は」
「ええ、私もそう思います」
「将来、この町に住んでみたいなって、思うんですよ」
「いいですねえ」
私もNさんの気持ちが、なんとなくわかった。
さて、お昼を食べることになったが、彼女たちの食の好みが全然わからない。
せっかくだから、地元の美味しいそばでもと思ったのだが、彼女たちはそういうものにまったく興味を示さず、脂っこくてジャンキーな食べ物に興味を持っていたようだった。
午後は、駅の構内にある温泉に案内したが、彼女たちにとっては、温泉もあまり興味の対象ではなかったようだ。
(異文化交流って、難しいな…)
と、そのとき初めて、思ったのであった。
帰りの車中で、Nさんが言った。
「週末、彼女たちを東京に連れていかなければならないんですよ」
「短期研修プログラムの予定表では、そうなっていましたね」
「でも土曜日、娘のピアノ発表会があるんです」
「それは、発表会のほうを優先しないといけませんよ」
Nさんひとりがそこまで犠牲になることはないのだ。
私は言った。
「ちょうどこの週末、私が東京の家に戻ることになっていますから、もしよければ、土曜日は私が東京を案内しますよ」
「いいんですか?」
「ええ。妻もいますし。二人いれば何とかなります」
「じゃあ朝、彼女たちを新幹線で送り出して、娘のピアノ発表会が終わったら、夕方、新幹線で東京に向かいます。そのときまで、彼女たちの面倒を見てやってください」
「わかりました。ついでに、どこをまわるかも考えます」
「ありがとうございます」
ということで、急遽、週末の土曜日に15人の海外からのお客さんを引率することになった。
彼女たちが東京駅に着いたのは、お昼少し前。
前日に東京に来ていた私は、妻と一緒に、改札口で彼女たちを出迎えた。
さて問題は、お昼ご飯である。
彼女たちが一番喜ぶ食事は何だろう?
さんざん考えたあげく思いついたのが、チェーン店の「牛丼屋」である。
ここだったら、値段も手ごろだし、脂っこいものが好きな彼女たちも、満足するだろう。
実際、この作戦は功を奏し、彼女たちは満足していた。
その後、皇居、上野公園と散策し、最後はアメ横で自由時間とした。
とくに「アメ横」には、みんなテンションが上がっていたようだった。
夜になり、ふたたび東京駅に行く。Nさんの乗った新幹線が到着する時間である。
改札でNさんを出迎え、15人の彼女たちを、無事引き渡した。
「ありがとうございました、大変だったでしょう?」とNさん。
「いえ、楽しかったです。娘さんのピアノ発表会、いかがでした?」
「おかげさまで、うまくいきました」
これからNさんは、都内の宿泊施設まで15人を引率し、翌日の日曜日はNさんが東京を案内することになっていた。
私にとっては、わずかな時間だったが、恥ずかしながらこれが、私が職場で初めて経験した「国際交流」であった。
Nさんの、国際交流に対する献身的な姿勢に、いったいどれほどの人が気づいているのだろう、と、そのとき思った。
それ以降、この体験が、私の「国際交流」の基準になっている。
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