第2の仕事も終了
9月15日(月)
第2の仕事も無事終了した。
第2の仕事は、私がかつて住んでいた町の隣の町で、朝から夕方まで野外でおこなわれた。
5時前に仕事が無事終わり、昨日から宿泊している「私が住んでいた町」に、バスで戻る。
今回の仕事では、日本から私を含めて3人、ソウルから同世代の友人が1人、参加した。
その友人は、私よりすこし年下だが、私が尊敬してやまない友人である。
彼はこの日のうちにソウルに戻るというのだが、汽車の時間ギリギリまで、「かつて私が住んでいた町」で、一緒に夕食を食べることになった。
私たちのために時間を作って夕食をともにしてくれるというのは、なにより嬉しいことである。
移動中のバスの中で、彼が私に言う。
「誰か、会いたい人がいますか?」
これから「かつて私が住んでいた町」で夕食をとるので、ついでに、その町に住んでいる誰かを電話で呼び出して、一緒に夕食を食べよう、ということなのである。全然関係ない人を呼び出して一緒に夕食をとることは、よくあることなので、別に驚くべきことではない。
だがこういうとき、軽々しく、呼び出したい人の名前をこちらから口にしてはいけない。
「かつて私が住んでいた町」には、それなりに知り合いが多いので、この機会に会って、一緒に夕食でも食べようと思う人は、何人か思いあたった。
だがその名前を、決して彼には口にしなかった。
なぜなら、私が会いたいと思う人は、彼にとって、疎遠であるかもしくは、犬猿の仲である可能性があるからである。
うっかり名前を出すと、「お前、あんなヤツと仲がいいのか」といわれてしまうことにもなりかねない。
私が、のらりくらりかわしていると、
「いないんですか?」
「ええ」
「長い間この町に住んでいたのにねえ」
いないわけではない。彼の前で名前が出せないだけなのだ。
結局、彼は、その町に住む、彼の大学の後輩、という人を、呼び出した。
私たちにとっては、ほとんど面識のない人である。
その人を交えて、会食をすることになったのである。
韓国では、大学の先輩後輩というのは、絶対である。先輩に呼び出されれば、知らない人とでも会食しなければならない。
私自身が何度も目撃していることである。
韓国は、日本以上に、人間関係が強い社会だといわれる。
だがそれは、学閥といった、あくまでも「ミウチ」の中での話である。
「ミウチ」の中にいると、たしかに心地よいのだが、ひとたびそれを外から眺めると、「ミウチ」の外の人間に対する冷淡な対応が見えてしまい、なんともやるせなくなる。
私はそれを、とても残念なことだと思う。
私が最後まで、この国の社会になじめない部分は、そこである。
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