肉声
高校時代の部活の友人、Bが自殺したのは、大学4年の時のことである。
その日、僕は福井県にいた。大学のゼミ合宿が終わり、ゼミの友達に、「もう少しこのあたりを観光してから帰ろう」と誘われたのだが、ひどく疲れてしまい、その日の新幹線で東京に帰ることにしたのである。そうしたら帰宅した晩、Bの訃報を電話で知らされたのであった。
「詳しくはわからないけど、自殺したそうです」
と、後輩が電話で伝えてくれた。
僕はすぐに、やはり高校時代の部活の友人であったKに電話した。
Kはこの日、岡山にいて、やはり先ほど、東京の家に戻ったのだという。よくよく聞いてみると、どうやら僕とKは、同じ新幹線に乗って、東京に戻ってきたらしい。
「不思議な感じだよな。Bが呼んだのかもしれないな」
ふだん、迷信を信じない僕も、そのときばかりはそう思った。
高校時代の吹奏楽部で、BとKと僕には、ある共通点があった。
それは、3人とも、高校に入って初めて楽器をはじめた、ということである。
同期のほとんどは、中学時代から吹奏楽をやっていた「経験者」ばかりだった。高校に入ってから吹奏楽をはじめた「初心者」は、この3人だけだった。
最初は、楽器の音を出すことさえままならなかった3人。ほかの人たちにくらべてはるかにおくれをとっていた3人は、いつしか、自然と仲よくなった。
僕とKは、ちゃらんぽらんな人間だったが、Bは、恐ろしいほど「真面目」で「堅物」だった。滑稽なほど、「真面目」だった。
高校2年になって、Bが指揮者になった。
自分で立候補したのか、ほかの人に推薦されたのかは、覚えていないが、たぶん自分で立候補したのではないかと思う。そもそも、「吹奏楽初心者」が指揮者をする、というのは、かなり勇気がいる。「高校から吹奏楽をはじめたお前に何がわかる」という目で見られることも、なくはないので、あまり例のないことなのだ。
彼のくそまじめな指揮は、時に笑いを誘ったが、彼の指揮に不満を持つ者は、ほとんどいなかった。誰よりも真面目に、「スコア」を研究していたことを、みんな知っていたからである。
高校卒業後、3人はそろって1浪し、僕は都内の大学へ、BとKは、地元の近くの国立大学に入学した。
大学3年の時、高校のOBで吹奏楽団を立ち上げた。そこで3人は再会し、Bはふたたび、楽団の指揮者になった。
大学4年になり、Bは国家公務員をめざし、Kは民間企業の就職活動をし、僕は大学院進学を考えた。お互い、自分たちのことが忙しくなり、会う機会も少なくなった。
就職活動に忙しくなる前のことだったか、Bとお酒を飲んだことがある。
彼はいっぷう変わったところもあったので、同期が集まる飲み会に参加することは稀だったが、めずらしくそのときは、彼も参加したのであった。
そこで彼は、めずらしくぐいぐいと日本酒を飲み、恋愛の悩みを、僕に語っていた。
くそまじめで堅物なBが、そんな話をするのは、意外だった。
いま思えば、真面目だろうと堅物だろうと、そういう悩みは誰しももつ、ということは、重々わかっているのだが、そのときは、
「へえ、お前みたいな真面目なやつでも、恋の悩みなんてものがあるのか」
と、ただただ驚いたのだった。
Bが自ら命を絶ったのは、それからしばらくたった、その年の7月末のことであった。
最初、進路のことで悩んでいたのだろうか、と思った。だがあとで聞くと、彼は国家公務員の試験に合格していたという。
遺書などは残されておらず、彼がなぜ、死を選んだのか、誰にもわからなかった。
なんて馬鹿なことをしたんだ、と思った。
卒業後の進路も決まって、これからの将来は約束されたようなものじゃないか、と。
あるいはその理屈は、残された者の勝手な言い分なのだろうか?
彼には、僕などにはわからない、深い心の闇があったのだろうか?
考えてみれば僕は、彼について、何も知らなかったのだ。
お酒を飲みながら、恋の悩みを聞いた、あのときだけが唯一、彼の内面をかいま見た瞬間だったのかも知れない、と。
彼にとって、この世の中は、生きにくい世の中だったのだろうか?
もし「真面目」で「堅物」な彼が生きにくい世の中だったのだとしたら、いったいこの世の中は、誰のためにあるのだろう?
後日、友人と一緒に彼の家を訪れた。
彼のお母さんと、初めてお会いして、お話をうかがった。
お母さんは、「その日」の出来事を、淡々と、僕たちに語ってくれた。
お母さんにとっても、息子がなぜ死を選んだのか、わからないようだった。
僕たちに語りながら、「その日」のことを、何度も思い返しては、思いあたることを探しているようにも思えた。
「いちど、息子のお墓に行ってやってください。ちょっと遠いんですけど、鎌倉にあるんです」
1年後の命日に近い日、僕は友人のKと一緒に、鎌倉に行った。
駅からバスに乗り、終点で降りて、小高い丘に登る。
見晴らしのよい場所に、彼のお墓があった。
家に帰ってから、久しぶりにカセットテープを聴いてみた。
高校2年の春休みに行われた、定期演奏会の時のテープである。
このときの演奏会は僕にとって最も思い出に残るもので、僕は感慨深く、その演奏を聴いた。
演奏会が終わり、会場が拍手で包まれた。
テープを止めずに、しばらく聴いていると、拍手の音に混じって
「ありがとうございました」
と、観客へ向かって感謝の言葉を叫ぶ声が聞こえた。
指揮をしていた彼の声である。
ふつう、指揮者は、演奏会が終わって、会場が拍手に包まれても、お客さんに向かって
「ありがとうございました」
と声を出すことはない。黙って礼をするのが、礼儀なのである。
だが彼は、感情を抑えきれずに、
「ありがとうございました」
と大声で、客席に向かって叫んでしまったのである。
(馬鹿だなあ、客席に向かって「ありがとうございました」だなんて…)
でもそれが、この世に残された、彼の唯一の「肉声」だったことに、僕はそのとき、気づいたのだった。
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