マツコ依存症
最近の唯一の楽しみは、マツコ・デラックスの出ている番組を見ることである。
これは妻と一致した意見なのだが、タモリの「笑っていいとも!」の後継者と、「徹子の部屋」の後継者は、マツコ意外には考えられない。
それに加えて私は、「笑点」の司会の後継者も、マツコがいいのではないか、と思っている。
理由は、「三波伸介にちょっと似ているから」。
まあそれはともかく、とにかく今の私は、マツコのトークが聴きたい、という「マツコ依存症」なのだ。
好きな番組は、お笑い芸人の有吉弘行と二人でトークをくり広げている「怒り新党」という番組である。
どういうところが好きか。
たとえば先日の放送では、こんな話があった。
マツコが30年ぶりに、幼なじみと会った、という話である。
幼なじみといっても、小学校でクラスが一緒だった、とかいったようなレベルではない。家族どうしが行き来していた、本当の意味での幼なじみである。
つまりマツコにとっては、特別な存在なのである。
あるとき、その幼なじみは、テレビに出ているマツコを見て、
「あいつ、ひょっとして俺の幼なじみなんじゃないだろうか?」
と思ったという。
なにしろ、幼いときとくらべたら、似ても似つかない姿に変わり果ててしまっているから、幼なじみにとっても、自信がないのだ。
その幼なじみは、逡巡したあげく、知り合いを通じて、自分の連絡先を教えることにする。
で、教えてもらった連絡先にマツコが連絡をとって、晴れて再会したのである。
30年ぶりに会った幼なじみとは、まったく違和感なく話すことができた、という。
まるで、昨日の話の続きをするように、である。
マツコは、幼なじみとの再会を、素直に喜んだ。
いままで、自分はたった一人で、味方なんて誰もいない、と思って生きてきたけれど、幼なじみと会って、「自分はいままで、たんなる意固地だったのかも知れない。本当は自分の周りには、味方がいるのかも知れない」と思ったのだという。
その幼なじみは、海外赴任していて、日本に戻るのは年に1回程度。つまり、そうやたらに会えるわけではない。連絡をとるのも、ごくたまに、である。
だがめったに会えないものの、そうやって海外で、幼なじみががんばっているというのを考えただけで、自分も頑張ろうと思えるのだ、と、マツコは述懐した。
「ね?キモチワルイ話でしょう?」
最後にマツコが自虐的におどけて言った。
たしかにマツコは、そういうことを言うようなキャラクターではない。もっと世間にケンカを売るような発言のほうが、本来はふさわしい。そのマツコが、しんみりとこういう話をすることは、ふだんのキャラクターからすれば、ちょっと「キモチワルイ」のである。
だが、40歳を過ぎたおじさんにとっては、こうした心境の変化を、隠すことなく話せるというのは、実になんというか、共感できるのだ。
しかし私がそれ以上に、この番組をすごいと思うのは、この話を聞いている、有吉の受け答えである。
有吉は、マツコのこの「キモチワルイ話」を、決して茶化すことなく、真剣に聞いているのである。
ふつうだったら、「あんたのキャラクターじゃないよ!」とか何とか言って、笑いに変えるのだろうが、有吉は、ひたすら、マツコの話を聞き、ときに共感するのである。
些細なことだが、そこが、この番組のすごいところだと思う。
マツコがこの番組でよく見せる「ダメな部分」「弱い部分」を、茶化すことなく有吉が聞く、というところが、この番組の真骨頂だと、私は思うのだ。
だから見ていて、心地いいのだ。
ここで私は知るのである。
友人の話は、茶化すことなく聞くのが大事なのだ、と。
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