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大人は判ってくれない

11月19日(水)

文字通りこき使われていて、肉体的にも精神的にも限界である。

そろそろアブナイんじゃないだろうか、という予感がする。生命の危機、という意味で。

141119_110001出張先での仕事がひとまず一段落したので、この町に来ると必ず立ち寄る喫茶店でコーヒーを飲み、そのあとブラブラ町を歩いていると、

「野口久光・シネマグラフィックス」

という展示が開催されていた。

野口久光って、一般にどのていどの知名度があるのだろう?映画ファンならば、誰でも知っているのだろうか。

私は20代の頃に、ある映画のポスターを見たのがきっかけで、野口久光の名前を知ったのであるが、その映画が何であるかは、ここでは明かさない。

戦前から戦後にかけて、おもにヨーロッパの映画のポスターのデザインを手がけてきた。展覧会では、彼が手がけた数多くの映画のポスターが展示されていた。

Tky200911270262いちばん有名なのは、フランソワ・トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」のポスターである。

トリュフォー監督自身が、このポスターをとても気に入っていて、のちに自分の映画の中でこのポスターを使用したという逸話もあるそうである。

「大人は判ってくれない」という邦題もまた、センスがいいね。

もうひとつ有名なのは、ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」である。

Photo子犬の死骸を抱いてたたずむ少女の姿が、鮮烈な印象を残す。

実は私は、このどちらの映画も、見たことがない。

というか、展示されているポスターの映画のほとんどを、見たことがない。

「恐怖の報酬」くらいである。

自分がいかに、ヨーロッパ映画について無知であるかが、よくわかる。

本当の映画通って、こういう映画をすべて見ている人のことを言うんだろうな。

不思議なのは、野口久光の映画ポスターを見ていると、どの映画も見たくなってしまう。

展覧会では、野口久光がポスターを手がけた古いヨーロッパ映画の「予告編」が、エンドレスで上映されていたのだが、見ていると、どれも本編を見たくなってしまうのだ。

とりあえず、ルネ・クレマンという監督がすごい監督らしい、ということだけはわかった。

いまはまったく時間がとれないが、時間ができたら、古いヨーロッパ映画を見まくろう。

ちなみに野口久光は、一流のジャズ評論家でもあった。

渡辺貞夫は、野口久光のことを次のように評している。

「ジャズ評論家という人たちがたくさんいた時代、ぼくらが最も信頼していたのが野口先生でした」(野口久光『ジャズ・ダンディズム』講談社、2012年)

映画俳優やジャズミュージシャンの似顔絵をたくさん描いていて、とくに女優・リリアン・ギッシュが永年の憧れの人だったという。後年(1988年)、おばあちゃんになったリリアン・ギッシュに、これまたおじいちゃんになった野口久光が、自分の描いた(若い頃の)彼女の似顔絵をプレゼントしている写真というのが展示されていた。

この写真が、実にほほえましい。

きっとこの人は、惚れっぽい人だったんだろうなと思う。

1994年、84歳でこの世を去った。

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