このすばらしき、愚劣な世界
11月12日(水)
出張3日目。
このところ、ずいぶんお気楽な旅行記を書いてきて、
(何だあいつ、調子に乗りやがって)
と思われているだろうなあ、と想像する。
これを読んで人が離れていっても、去る者は追わずなので、仕方がない。
実際のところは、自分のふがいなさに落ちこむ毎日である。
こういうときは、何か本を読んで気を紛らわすしかない。
仕事が終わった夕方、町をぶらついていると、古本屋を見つけたので、久しぶりに古本屋で時間をつぶすことにした。
やはり古本屋というのは、ワクワクする場所である。
福永武彦全集のうち、「夜の三部作」がおさめられている巻が廉価で売っていたので、買うことにした。
福永武彦の「夜の三部作」は、「冥府」「深淵」「夜の時間」の三編の短編小説をさす。
ずいぶん前に読んだ記憶があるのだが、すっかりと忘れてしまった。
このうち、「冥府」を読み始める。
これは、ある男が死んで、死後の世界に行った話である。
…こう書いてしまうと、何となく安っぽく聞こえてしまうが、コンセプトとしては、以前に紹介した短編小説「未来都市」と同様の、「虚構の社会」をモチーフにした小説である。
彼がまのあたりにした「死後の世界」では、多くの人々が、「新生」、つまり生まれ変われるかどうかの裁判を受けている。
多くの人が、「秩序」のある生の世界に戻りたい、と考えているのだ。
その中に登場する人物の1人に、「自殺者」がいた。別名を「愚劣には耐えられなかった者」という。
なぜ彼は自殺したのか。
「僕は子供の頃から人生とは何と愚劣なものかと考えていました。長ずるに及んで、ますますその感を深くしました。学校も、仕事も、恋愛も、すべて愚劣でした。それに戦争というあの馬鹿げた代物、ところが平和もまた馬鹿げていました。要するに、何ひとつこれといって身を打ち込めるものはなかったのです」
かくして彼は自殺した。
しかし彼は、「死後の世界」の裁判で「新生」を強く望んだ。
当然、その希望は、陪審員たちによって却下される。
「君は人生が愚劣だからそれで死んだのじゃないか?何もわざわざもう一度、そんな愚劣な秩序に戻ることなんかあるものか?」
彼は答える。
「秩序に帰ったところでまた愚劣な人生を繰り返すだけだと言ったよ。確かに言った。しかし僕は、それからこういうことが分かったのだ。秩序がたとえ愚劣でも、此所ほど愚劣じゃないってことがね」
「諸君、僕はさっき、秩序では何もかも愚劣だと言いました。それは間違いではない。あそこでは死ぬことの他はすべて愚劣でした。しかし諸君、あそこでは一つの愚劣さともう一つの愚劣さとの間で、そのどちらかを選ぶことが出来た。戦争か平和か、ファシズムかマルクシズムか、映画かハイキングか、この女かあの女か、少くとも、生きるか死ぬか、それを選ぶことが出来た。しかるに此所では、自分で選ぶことは出来ない、何一つ出来やしない!」
陪審員たちは、彼のこの意見を「叛逆」と断じ、結局「新生」を認めなかった。「死後の世界」の価値観からすれば、それは当然のことであった。
この男が述べているように、この世界は、絶望に値するくらい、愚劣である。
それでも、自分で考え、どの愚劣を選択するかという選択の意志がこの世に存在する限り、生きる価値があるのである。
もし、自分で考えることをやめさせられ、選択の意志が許されなくなったとしたら、それこそが「暗黒の世界」であり「死後の世界」である。
この考えは、同じ福永武彦の短編小説「未来都市」にもはっきりとあらわれている。
福永武彦自身、この世界の愚劣に苦しめられながらも、それでも自ら考え、選ぶ意志を持つことが、最も尊いことだと、信じてやまなかったのだ。
そしてその対極にある世界を、「未来都市」や「冥府」の中で、寓話的に表現したのである。
私が、いまこそ福永武彦を読めと声を大にして言いたいのは、まさにそこである。
こんなことは、文学や芸術からしか、教わることができないのだ!
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