キョスニム、教会に行く・その2
12月25日(木)
韓国では、クリスマスは休日である。
朝9時、ナム夫妻と一緒に、昨日行った教会に行く。クリスマス礼拝があるのである。
9時ギリギリにつくと、講堂にはすでに多くの人であふれていた。
賛美歌を歌ったあと、お祈り、聖書朗読などがあり、牧師様の説教である。
参加した人たちはみな、賛美歌を大声で歌い、お祈りの時は目を閉じて真剣に祈り、牧師様の説教をうなづきながら聞く。
私にはとてもまねのできないことである。
とくに、1時間にもわたる牧師様の説教は聞くのにかなり忍耐が必要なのだが、ナム夫妻はそれを、かなりまじめに聞いている。
とくにナム先生は、印象に残る言葉を手帳にメモしていた。
1時間半にわたる礼拝が終わった。
「牧師様は、毎回違うお話しをされるんですか?」私はナム先生に聞いてみた。
「ええそうです。毎回違います」
「牧師様の言葉をメモしているのですか?」
「ええ。昨年末からずっとです」細かな字で、何頁にもわたってメモが書かれている。
「キョスニム、覚えていますか?この手帳、キョスニムにいただいたものですよ」
そういえばその手帳は以前、お土産としてお渡ししたものだった。
「大切に使っていますよ、キョスニム」
昨日今日と、韓国の教会での礼拝を体験したことは、私にとってとても新鮮だった。
信仰についてはよくわからないが、「ちゃんと生きよう」という気持ちになった。
ナム夫妻は、最後まで、私に対して親切だった。
とくにナンピョン(韓国語で「夫」の意味)は今まで2度しか会ったことがないのに、なぜここまでよくしてくれるのか、わからない。
ナンピョンは、顔が広いようで、教会でたくさんの知り合いとすれ違う。そのたびに私を紹介する。
「こちらは?」
「日本から来たキョスニムですよ、私たちがお世話になっている」
「まあ、キョスニム、こんにちは」
「こんにちは」私は会釈した。
「キョスニムは、教会が初めてだそうですよ」
「そうですか。また来てください」
「ええ」
またしてもこれは「寅さん」現象である。
「こちらは?」
「柴又の寅さんですよ、私たちがお世話になっている」
「まあ、寅さんですか、こんにちは」
もはや、「寅さん」同様、「キョスニム」が何者なんだか、全然わからないが、「キョスニム」というだけで周りが納得させられてしまうのだ。
いったい「キョスニム」とは、何者なのだ?当の本人にもわからない。
「キョスニム、またお会いしましょう。こんどは必ず、わが家に泊まってください」とナンピョン。
「わかりました」
お昼前、私は二人と別れ、空港に向かうバスに乗った。
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コメント
クリスマスである。
忙しい。
何しろ、とある史跡の隣のセンターへ通って、調べ物をしているのである。
ここへは実家から通うのが利便がよいので、ものすごく久しぶりに、実家でクリスマスを過ごすことになった。
大こぶぎ、故郷に帰る。
なんちって。
大体、両親が宗旨替えしてから、実家は「年中クリスマス」みたいなものなので、クリスマス自体には、さして感慨はない。
牧師のお説教のポイントは当然メモしてあって、それをお土産に持たせようとするし。
そのうえ、団地の中に、とにかく言葉で形容できないほどクリスマスの電飾を張りめぐらした家があると言われ、2日間探したし(夜8時に消灯されるらしく、そうなると、ただの住宅と見分けがつかない)。
アーメン。
しかし、雪のないクリスマスは、実に感慨深い。
やはり青空の下、ピーカンのブルークリスマスに限るね。
街の風景は普段と変わらなくても、ラジオからクリスマスソングが流れてくるから、雰囲気はある。
自然に口ずざんじゃう。
あれ?
「デモッソの年」って、ひょっとしたら、「でも、その年」だったりして?
投稿: ルドルフこぶぎ | 2014年12月26日 (金) 09時33分