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2014年12月

輝く!2014年吹きだまりエピソード大賞

A・B 「輝く!2014年吹きだまりエピソード大賞」!!

(BGM)

A 大晦日のお楽しみ、「吹きだまりエピソード大賞」の時間がやってまいりました。

B はい、この「吹きだまりエピソード大賞」とは、2014年にこのブログに書かれた記事の中から、最も印象に残った記事に対して大賞をお贈りするものです。

A あれ?でもこの大賞って、毎年おこなわれていましたっけ?

B いえ、今年が初めてです。

A 何でまた唐突にこんなことを始めたんです?

B 今年は劇場で映画を見る機会やまとまって本を読む機会もなく、「2014映画ベストワン」も「2014書籍ベストワン」も書けなかったので、仕方なくこれでお茶を濁すと、こういうわけです。

A なるほど。でも悲しいことに、読者からは何のノミネート作品もあがってきませんでしたね。

B ええ。ほとんど関心がないからですね。

A それは悲しいですね。私もこの大賞の司会をするにあたってざっと今年の記事を読み返してみたんですが、この記事を書いた人は、相当病んでますね。

B 心の闇をかかえています。これらの記事はすべてメタファーですからね。表面的に読んではいけません。

A 読んでいて、ちょっとひいてしまいました。

B 私も読んでいて不愉快になりました。

A さあそんな中、いよいよ「大賞」が決まるんですが、ちょっと待ってくださいよ。ふつう、こういう場合、「大賞」だけではなくて、さまざまな「賞」があるものじゃないですか?

B そうですね。いちおう「コメント部門」と「エピソード部門」に分かれています。

A そうそう。そういうのですよ。ではまず「コメント部門」からいきましょうよ。

B やるんですか?めんどくせえなあ。

A まあそう言わずに。

B では、コメント部門の「新人賞」から。

A 「新人賞」?

B はい、「新人賞」は、…「ほろひょん」さんです!

A ほろひょんさん、おめでとうございます!

B 続きまして、「最優秀コメント賞」です。

A さあ、誰なんでしょうか?

B 「最優秀コメント賞」は…こぶぎさんです!

A おめでとうございます!

B …というか、こぶぎさんしかいませんけど。

A そうですね。ではいよいよエピソード部門です。

B エピソード部門は、「ニッチエピソード賞」と「大賞」の2つです。

A 「ニッチエピソード賞」?

B はい。これは、日常のどうでもいい話に関する記事に与えられる賞です。

A さあ、何になるでしょうか。

B「ニッチエピソード賞」は、「ああ!宅配ボックス」です。

A おめでとうございます!次はいよいよ「大賞」ですね。

B はい。では、発表します。

(ドラムロール)

B「輝く!2014年吹きだまりエピソード大賞」は…

(ドラムロール)

B「第九のスズキさん」シリーズに決まりました!

第九のスズキさん

続・第九のスズキさん

続々・第九のスズキさん

第九のスズキさん ~歓喜満堂~

A おめでとうございます!…しかしこのシリーズ、読者にはまったく反響がありませんでしたが。

B いいんです、誰にも理解されなくても。書いた本人だけは満足しているんですから。

A なるほど。というわけで、「輝く!2014年吹きだまりエピソード大賞」は、「第九のスズキさん」シリーズに決まりました。来年もまた楽しみですね。

B いえ、来年はやりません。

A それではみなさん、よいお年をお迎えください。

(エンディングテーマ:坂本龍一「YOU エンディング」)

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年賀状やめませんか

12月30日(火)

妻の実家で、恒例の「年賀状会議」である。

今年は忙しくて、ようやく30日になって年賀状にとりかかることになった。

毎年、その年の旅先で撮った夫婦の写真を載せることをルールにしていて、出かけるたびに年賀状用の写真を撮ったりしていたのだが、今年は何と、たった1枚しかなかった。

また、私のデジカメには妻を被写体とした写真がなく、妻のデジカメには私を被写体とした写真がけっこうあるという現象は、昨年同様である。毎年この点については、妻に非難される。

「どんだけ自分が好きやねん!」「結局、自分にしか関心がないんだね」と、例によって文句を言われつつ、なんとか今年も凝ったデザインの年賀状が完成した。

いつも思うのだが。

もう年賀状やめませんか?

毎年、時間をかけて、こんなことをする必要があるんだろうか?

親しい人にばかり年賀状を出しているわけではない。

たとえばですよ。

高校時代の親友、福岡に住むコバヤシとは、これまで一度も、年賀状を交わしたことがない!住所だって知らないし。

それから、このブログの最大の愛読者であるこぶぎさん。

彼とも、いちども年賀状を交わしたことがない。こぶぎさんにいたっては、携帯電話を持っていないから、ふだん連絡を取り合うこともできないのだ。

親しければ親しいほど、年賀状は不要なんじゃないかって気がしてきた。

いちおう、年賀状をいただいた方には、お返ししなければいけないので、出すようにしているが、最近は、宛名もデータ管理しているので、例年年賀状を出している人に自動的に出すという仕組みになっている。私が最も嫌う「思考停止」を、他ならぬ私自身が、年賀状に関してはしているのである。

たとえばこんな人がいる。

10数年前、出張先の飲み会でたまたま二言三言会話を交わした、専門分野の異なる院生(当時)から、毎年年賀状が届いている。

だがその人とは、そのときに1度会ったきりで、その後は会っていない。

年賀状の様子によると、その方はその後就職して、ご結婚なさったようである。

ある年の年賀状には、「昨年は、立ち直れないような悲しい出来事があり、皆様にご心配をおかけしましたが、最近ようやく持ち直してまいりました」と書かれていてて、

(おいおい!いったい何があったんだ?)

と、気になって仕方がなかったのだが、なにしろ1度しかお会いしたことがない人なので、まさか「何があったんです?」と聞くわけにもいかない。

ありがたいことに毎年年賀状をいただくので、こちらもやめるわけにはいかない。

それと、こういう事例もある。

10数年前の卒業生から、ありがたいことに年賀状をいただくのだが、結婚して姓が変わってしまい、しかもそれから何年も経ってしまうと、

(あれ?この人誰だっけ?ああそうか卒業生か…でも、旧姓って何だったっけ?)

と、たいへん失礼なことに、とっさに思い出せないのである。

最近はこんなことがあった。

10数年前に卒業した女子学生2人から、毎年年賀状をいただくのだが、2人は同郷で、仲もよかった。

ここ最近になって、2人が立て続けに結婚したのだが、年賀状の住所を見ると、なんと2人は同じ町内に住むようになったらしい。

そればかりではない。結婚して姓が変わったのだが、2人とも同じ姓になったのである!

私は女性を、「名前」ではなく「姓」で認識している場合がほとんどなので、「姓」が変わってしまうと、もう誰だかわかんなくなってしまう。それだけに、結婚して姓が変わった上にそれが同じ姓だったりすると、もうどっちがどっちなのか、よくわからなくなってくる。

こっちもだんだん年をとってきて記憶力がなくなっていくから、

(この人誰だっけ?)

という人と延々と年賀状を交わす、みたいな事態が、今後起きかねないのである。

今年は、職場が変わったり引っ越したりしたので、ちゃんと年賀状を送らなければならないことはわかっているが、来年からは、すこし縮小しようかなあ。

手始めに、よく会う人やふだん連絡を取り合っている人にはもう送らない、というのはどうだろう。

いっそのこと、(この人誰だっけ?)と思う人だけと、年賀状を交わすかなあ。

年賀状なんてものがあるばっかりに、毎年この時期には、思い悩んでしまうのだ。

年賀状やめませんか。

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阿部サダヲ版「泣いてたまるか」

宮藤官九郎脚本・阿部サダヲ主演の映画「なくもんか」(2009年公開)を見た。

映画の内容自体はいまひとつだったが、阿部サダヲの演技がすばらしい。

前から言っていることだが、阿部サダヲは「ポスト西田敏行」である。

若いころの、全盛期の西田敏行を彷彿とさせる演技である。

たまらなく可笑しく、たまらなく哀しい。

私の中では、渥美清、西田敏行に次ぐ、国民的俳優なのである。

そしてこの映画は阿部サダヲ版「泣いてたまるか」なのだ。

周知の通り、渥美清の若いころの代表作がドラマ「泣いてたまるか」である。

1話完結のドラマで、渥美清が、さまざまな職業の人物に扮し、孤軍奮闘する男の悲喜劇を演じた。

渥美清は、ふつうの男の、孤独や悲哀、挫折や希望などを見事に演じたのである。

そしてあまり知られていないが、西田敏行もまた、のちに同名のドラマ「泣いてたまるか」で、孤軍奮闘するさまざまな男性を演じている。

クドカンは、渥美清と西田敏行が演じた「泣いてたまるか」を、阿部サダヲにも演じさせたかったのではないだろうか。

若いころの渥美清や西田敏行を彷彿とさせる、阿部サダヲの豊かな演技が、何よりそう思わせるのだ。

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リスナー第1号

「ラジオ番組、誰も聞いてなかったんじゃないだろうか」と書いたが、そんなことはないようで、まったく自分の「かまってちゃん」ぶりには呆れるばかりである。

12月29日(月)

仕事納めも終わり、誰もいない職場に行く。職場に顔を出すのは10日ぶりである。

自分のメールボックスにメモが貼られていた。不在の時には、「○○様という方からお電話が来ました」と、事務補佐員さんがメモを書いて貼ってくれるのである。

メモには「○○市で大工をしておられる○○様という方からお電話がありました。折り返しお電話いただければとのことでした」と書いてあった。日付が「12月22日」とあったので、先週の月曜日に電話が来たらしい。

○○市、というのは、私がこの3月まで11年間住んでいた町である。大工の○○さん、という方は、まったく面識がない。

とりあえずメモに書かれている電話番号に電話をかけてみると、おじいさん、といった感じの方が電話に出た。

「もしもし」

「私、鬼瓦と申します。先週、お電話いただいたようなんですが」

「ああ、先生ですか!わざわざお電話いただき、ありがとうございます」

ここまでは、なんとか聞き取れた。

「○△×※◇■♪…」

ここから先の自己紹介のくだりが、聞き取れない。

たいへん失礼ながら、訛りがきつすぎて、何をおっしゃっているのか、まるでわからないのである。

私は14年間もその地に住んでいたのにもかかわらず、ネイティブの方のお話になる言葉が、まるで聞き取れず、ショックを受けた。

いったい私は、14年間、何をしてきたんだろうと、ひどく落ちこんだ。

かといって、

「え?何です?」

と聞き返すのも失礼である。

しかしながら、断片的に聞き取れた中からお話の内容を何とか復元してみると、

「たまたまラジオを聴いていたら、自分の仕事にかかわることが話題に出ていて、ラジオを最後まで聞いたら、お話しされていたのが鬼瓦先生だということがわかった。そこで放送局に問い合わせて、ラジオで話されていた内容にかかわる本のタイトルや出版社を聴き出し、さっそく3冊買い求めた」

というようなものであった。

「ええぇぇっ???3冊もお買い求めになったんですか?」

「はい、そうです。知り合いに配ろうと思って」

何と!ラジオを聴いたことがきっかけで私の本の存在を知り、お一人で3冊も買われたというのである!

ラジオ効果恐るべし!である。

「ありがとうございます」と私が言うと、

「いえ、こちらこそありがとうございます。自分の仕事にかかわることが取りあげられてとてもうれしいです。棟梁も喜んでおりました」

「年明けに、仕事で○○市にお邪魔しますので、昼間に時間をみつけて、お目にかかってお話をうかがいたいと思いますがいかがでしょうか」私は提案した。

「願ってもないことです。棟梁にも伝えておきます」

というわけで、年明けに、実際にお会いしてお話をうかがえるかも知れない。

言ってみれば、「ラジオリスナー」に会いに行く、というわけである。

知り合いではなく純粋な聴取者であるということからすれば、私にとっては記念すべき「リスナー第1号」である。

実際にラジオを真剣に聴いてくれた人がいたのだな、と、あらためて感激した。

しかも、「リスナー第1号」は、大工さんである。私の祖父は大工をしていたが、私が幼い頃に亡くなったので、その仕事ぶりを見たことがない。でもこうしていま、研究を通じて大工さんと関わりを持つというのは、祖父の仕事をかいま見られるような気がして、じつに因縁めいている。

だが心配なのは、お会いしたときに私がちゃんとお話を聞き取れるか?ということである。

14年間も住んでいたにもかかわらず、ネイティブの言葉を聞き取れなかったのは、かえすがえすも情けなかった。

そして不思議なのは、あの電話を最初に受けた事務補佐員さんである。

彼女は、どのていど電話の内容を聞き取れたのだろうか?

年明けに職場に顔を出したら、聞いてみることにしよう。

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反対意見を言う人

12月28日(日)

今回の旅のミッションは、「反対意見を言う」ということ。

少なくとも私は、自分がその場に呼ばれた意味を、そう解釈した。

一つの考えに流れていかないように歯止めをかけること、である。

もともと私は「事なかれ主義」なので、できれば何事も知らないふりをして過ごしたい人間だった。

しかし、しだいに面の皮が厚くなっていったというか、心臓に毛が生えてきたというか。

それもこれも、「前の職場」で鍛えられたおかげである。

時間は限られている。やるとなったら、最も効果的な材料を使って相手が反論に窮するような発言をしなければならない。

私の発言の機会は、2日目の午後である。

1日目に出た発言を吟味し、戦略を練る。

こうなったら本気である。

こういうときに、「敵にまわすとタチが悪い」という本領を発揮しなければならない。

…というわけで、2日目の午後、手をあげて発言した。

相手側は反論に窮しつつも、結局議論は平行線のまま終わってしまった。だが大事なことは、勝つか負けるかではない。

議論の様子を、周りにさらけ出すことである。

相手側が納得しないことなど、こちらは百も承知なのである。

こちらの発言に、相手側がどういう反応を示したか。

それを明るみにしただけでも、十分である。

それもまた、「前の職場」での経験で学んだことである。

私を呼んでいただいた方、そして、私の反対意見を受けとめていただいた方々に、感謝しなければならない。

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飽きられた人

12月27日(土)

旅の空、2日目。

私の出演したラジオ番組が、今日で全4回の最終回を迎えたようだ。

「ようだ」、と書いたのは、結局、自分で自分の番組を聴く時間がなかったからである。

さすがに全部の回を聴いてくれた人はいなかったようで、せいぜい最初の1、2回くらいがいいところで、あとは飽きられてしまったみたいだ。さながら語学講座のようなものである。

息の長いラジオパーソナリティーへの道にはほど遠い。これからは精進して、飽きられないような人間にならなければならない。

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帰省新幹線で雪国へ

12月26日(金)

昨晩、韓国から帰って、ようやくひと息つきました。

…と、思うでしょう。

またまた旅の空です。

新幹線で4時間ほどかかる北国にやってきました。

すごい雪です!

新幹線は、さながら帰省列車で、「お母さんと小さい子供連れ」であふれかえっていました。

おそらく、若いお母さんと幼い子供が、先に帰省して、お父さんはあとから帰省する、というパターンなのでしょうね。

新幹線の中は、ギャーギャーとお騒ぎになるお子様たちでいっぱいでした。

おかげでひとっつもくつろぐことができず。目的地に到着したのでした。

その間にも、職場から次々と業務命令がメールでやってきて、私の正月休みは、おそらくないようです。

さて、気がついたら今年も年末になりました。

今年もたくさんのエピソードを書きましたが、今年書いた記事の中から、「2014年エピソード大賞!」を決めたいと思います。

気が向いたら、大晦日までに発表したいと思います。

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キョスニム、教会に行く・その2

12月25日(木)

韓国では、クリスマスは休日である。

朝9時、ナム夫妻と一緒に、昨日行った教会に行く。クリスマス礼拝があるのである。

9時ギリギリにつくと、講堂にはすでに多くの人であふれていた。

賛美歌を歌ったあと、お祈り、聖書朗読などがあり、牧師様の説教である。

参加した人たちはみな、賛美歌を大声で歌い、お祈りの時は目を閉じて真剣に祈り、牧師様の説教をうなづきながら聞く。

私にはとてもまねのできないことである。

とくに、1時間にもわたる牧師様の説教は聞くのにかなり忍耐が必要なのだが、ナム夫妻はそれを、かなりまじめに聞いている。

とくにナム先生は、印象に残る言葉を手帳にメモしていた。

1時間半にわたる礼拝が終わった。

「牧師様は、毎回違うお話しをされるんですか?」私はナム先生に聞いてみた。

「ええそうです。毎回違います」

「牧師様の言葉をメモしているのですか?」

「ええ。昨年末からずっとです」細かな字で、何頁にもわたってメモが書かれている。

「キョスニム、覚えていますか?この手帳、キョスニムにいただいたものですよ」

そういえばその手帳は以前、お土産としてお渡ししたものだった。

「大切に使っていますよ、キョスニム」

昨日今日と、韓国の教会での礼拝を体験したことは、私にとってとても新鮮だった。

信仰についてはよくわからないが、「ちゃんと生きよう」という気持ちになった。

ナム夫妻は、最後まで、私に対して親切だった。

とくにナンピョン(韓国語で「夫」の意味)は今まで2度しか会ったことがないのに、なぜここまでよくしてくれるのか、わからない。

ナンピョンは、顔が広いようで、教会でたくさんの知り合いとすれ違う。そのたびに私を紹介する。

「こちらは?」

「日本から来たキョスニムですよ、私たちがお世話になっている」

「まあ、キョスニム、こんにちは」

「こんにちは」私は会釈した。

「キョスニムは、教会が初めてだそうですよ」

「そうですか。また来てください」

「ええ」

またしてもこれは「寅さん」現象である。

「こちらは?」

「柴又の寅さんですよ、私たちがお世話になっている」

「まあ、寅さんですか、こんにちは」

もはや、「寅さん」同様、「キョスニム」が何者なんだか、全然わからないが、「キョスニム」というだけで周りが納得させられてしまうのだ。

いったい「キョスニム」とは、何者なのだ?当の本人にもわからない。

「キョスニム、またお会いしましょう。こんどは必ず、わが家に泊まってください」とナンピョン。

「わかりました」

お昼前、私は二人と別れ、空港に向かうバスに乗った。

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ハンドベルは世界を救う!

久々に、ハンドベルの演奏を実際に見て感動した。

私はそもそも、ハンドベルの演奏が好きなのだ。

何時間見ていても、たぶん飽きない。

なぜ、それほど好きなのか?

それは、ハンドベルによる演奏が、他の演奏とはまるで違う性格のものだからである。

ピアノやギターや金管楽器や弦楽器などは、それじたいでメロディーを奏でることができる。

だが、ハンドベルは、それ一つではメロディを奏でることはできない。

ピアノやギターなどは、上手な人が目立ったりするし、ダンスも、上手な人や見た目のいい人が目立ったりする。

だが、ハンドベルにはそうした要素がほとんどない。技巧的である必要もないし、見た目もまったく関係がない。

どんなにがんばっても、自分が出せる音は、一つの音しかないのである。

その意味で、徹底的に平等な条件の下で、一人ひとりがハンドベルの音を出している。

しかも、どの音が一つ欠けても、曲としては成立しなくなる。

ベルを持った一人ひとりが、自分の音に責任を持たなければならない。

合唱のように、自分の声が埋もれてしまう、ということはないのだ。

つまりハンドベルによる演奏とは、「自分の持ち場をがんばる」「自分の役割を知る」ことの大切さを学ぶことのできる、最もふさわしい演奏法なのである。

だから私は思うのだ。

ハンドベルによる演奏こそが、あるべき社会の姿である。

ハンドベルを練習すれば、自分が社会でどんな働きをすればよいかがわかるのではないか、と。

学校の授業で「道徳」を必修にするよりも、「ハンドベル」を必修にすべきである。

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キョスニム、教会に行く

12月24日(水)

午前中に仕事が終わり、仕事仲間たちと別れる。

明日の帰国まで、どうやって過ごすか…。

カトク(カカオトーク)でたまに連絡を取り合っている、語学学校時代のナム先生に連絡をとってみたところ、

「大邱へいらしたらどうです?クリスマスですから、みんなで教会に行きましょう。私たちも他に予定がありませんから」という。

新婚さんのところにお邪魔しては悪いと思ったが、まあ一人で過ごすよりはいいか、と思い、「じゃあ行きます」というと、

「うちに泊まっていただいてもいいですよ」

という。

まさか、新婚夫婦の新居に泊まるわけにはいかないので、

「市内のモーテルに泊まるので大丈夫です」とお断りした。

夕方、大邱市内でナム先生とお会いすると、「新居を見ていってください」というのでついていった。新居にはナム先生のナンピョン(韓国語で「夫」という意味)がいた。

「キョスニム、お久しぶりです」とナンピョン。

ナンピョンと会うのは、これで2度目であるが、もはやナンピョンにとって、私が何のキョスニム(教授様)なのか、いったい何者なのか、全然わからないだろう。私も、ナンピョンの名前すらわからない。

にもかかわらず、旧知の間柄のように接してくれている。

その意味で、「キョスニム」は、完全に私のあだ名である。

たとえばこれを、「寅さん」に置き換えているみるがよい。

「オッパ(あなた)、寅さんがいらしたわよ」

「寅さんこんにちは。よくいらっしゃいましたね」

てな感じで、もはや「寅さん」が何者かもわからないのに、あたりまえのように「寅さん」と呼んでいるのと、基本的には同じである。

「キョスニム、なぜうちに泊まってくれなかったんですか?」とナンピョン。「遠慮なんかいらないんですよ」

まさか、新婚夫婦の家に泊まるわけにはいかない。

「いや、その、…突然大邱に来ようと思い立ったもので、…準備もできていなかったので」

とごまかすと、

「この次にいらしたときは、絶対に泊まってくださいよ」

という。

「はあ」と言ってはみたものの、困ったなあ。

「さあ、教会に行きましょう」

ナンピョンの運転する車に乗って、教会に移動する。

途中、ナム先生のお母さんと合流する。

「あら、キョスニム、こんにちは」

ナム先生のお母さんとは、ナム先生の結婚式のときにお目にかかっただけなのだが、すでにお母さんの中でも、私はあたりまえのように「キョスニム」なのだ。

いったい、「キョスニム」とは何者なのだ?と、自分でもわからなくなる。

途中、ナム先生のヒョンブ(義理の兄)ともお会いする。

ヒョンブは忙しいみたいで、会ったのは一瞬だった。

「キョスニム、こんどゆっくり時間を作ってくださいよ」

「はあ」

ますます「キョスニム」が何者なのか、自分でもよくわからない。

Photoそんなこんなで、教会に着いた。

「今日はクリスマスイブでしょう。教会では毎年恒例の音楽発表会をしているんです」という。

入り口でもらったプログラムを見ると、「オープニング」から始まって、合唱や踊りやミュージカル、ハンドベル演奏など、さまざまなグループが音楽発表をするらしい。

教会の大きな講堂に入り、2階席に着席した。すでにたくさんの人が集まっていて、舞台の上では、合唱をしている人がいた。

(もう音楽会が始まっているのかな…)

今が、プログラムのどの部分かが、わからない。

ほどなくして歌が終わり、牧師さんが出てきて、お話しを始めた。

(おかしいな…。プログラムには牧師さんの講話が書かれていないのだが…)

この講話が、長い長い。

しかも「業界用語」ならぬ「教会用語」が多く、ほとんど内容が聞き取れない。

もうひとつわからないのは、牧師の説教の節目節目に、まるで合いの手を入れるように、人々が「アーメン」というのである。

どういうタイミングで「アーメン」というのかがわからない。どうやらコツがあるようだ。

1時間ほど講話が続いたあと、

「では、賛美歌を歌いましょう」と牧師。

客席にいる人たちが、大きな声で賛美歌を歌い始めたので、私も見よう見まねで、韓国語で賛美歌を歌った。

(まるで、Mr.ビーンだな)

わかる人がわかればよろしい。

ようやく牧師さんの講話が終わると、講堂全体が暗くなり、舞台上のスクリーンに、

「オープニング」

という文字が出た。

えええええぇぇぇぇっ!!!!まだ始まってなかったのかよ!

ようやく音楽会の始まりである。

中学生、高校生、大学生、社会人など、さまざまな人たちが、合唱をしたり、ミュージカルをしたり、ダンスを踊ったり、楽器を演奏したりと、日ごろの練習の成果を発表していた。

それらはいずれも、

「微笑ましい」

のひと言に尽きる。

Photo_2出し物の中で、高校生たちによるハンドベルがとくに感動したが、これについては項をあらためて述べる。

夜10時すぎ、クリスマスイブの音楽会が終わり、ふたたび牧師さんの説教が始まった。

また例によって、合いの手のようにみんなが「アーメン」という。

そして、牧師さんの話が終わった瞬間、みんなが、

「メリークリスマス!」

と言ったので、私も周りの人たちに、

「メリークリスマス!」

と言った。

なるほど、これが本当の意味での「メリークリスマス!」なんだな。

ひょっとしたらいままで生きてきて、今日がいちばん本来のクリスマスイブらしい過ごし方をしたのかも知れない。なにしろ、教会でクリスマスを過ごすのは、初めてなのだから。

「いかがでしたか?」とナンピョン。

「十分に楽しみました」

「教会に初めていらして、どんなふうに感じましたか?」

私は、信仰のことはよくわからない。

「教会をきっかけに音楽を始めたりするのは、いいことだと思いました」

と答えた。するとナンピョンが続ける。

「毎年出し物が変わりますから、毎年クリスマスには韓国に来てくださいよ」

いや、そこまでハマッたわけではない。

「でもキョスニム、これは本番じゃないですよ。だって今日はクリスマスイブじゃないですか」

「それはそうですね」

「明日が聖誕節ですから、明日の朝は、礼拝に行きましょう」

えええぇぇっ!!!明日も教会に行くのぉぉ???

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大甕、故郷に帰る

12月23日(火)

朝9時半、ソウルを出発し、車で6時間かけて地方都市へ向かう。

今回の旅の最も大きなミッションは、

「イベントのさいにお借りした、人の背丈ほどある大甕(おおがめ)を、お借りした博物館に無事にお返しする」

ということである。

今回の旅では、細かなミスを連発し、周りの方々にご迷惑をおかけして、意気消沈してばかりであるが、何としてもこの大甕は、無事にお返ししなければならない。

問題は、非常に脆弱だ、ということである。

「つぎはぎだらけの焼き物」のため、運んでいる途中で、何かの振動により接合している部分から破壊してしまう危険性がある。

最悪の事態は、このつぎはぎだらけの大甕が、バラバラになってしまうことである。

私はそのことを想像し、夜も眠れなかった。

9月に、こちらの博物館からうちの博物館へお借りしたときにも、細心の注意を払い梱包して、試行錯誤しながら6時間半ほどかかって梱包し終わったのであった。

そして無事に、飛行機で日本に運ばれ、大甕は2カ月間、うちの職場でその仕事を全うしたのである。

その大甕が、いよいよ故郷に帰るのである。

日本で梱包し、空港に運び、成田空港から仁川空港へ、そしてこんどは、陸路をトラックで6時間かけて運ぶ。

この大甕は、もともと常設、つまり、この博物館でずっと展示されていたもので、お返しするときも、展示場に直接搬入して、もと置かれていたとおりに展示しなければならない。

なにしろ人の背丈ほどある大きな甕なので、展示ケースも特注品である。

四方を、大きなガラス板と、さらにその外側に、堅い木枠でガッチリとガードされるという作りである。

お借りしていた期間中は、別のものがそこに展示されていたが、明日からは大甕が、ふたたびこの展示ケースの主役になる。代役では、やはり力不足である。

観覧時間が6時に終了し、お客さんが全部いなくなったあと、さっそく作業が始まった。

この時点でまだ、大甕を梱包した大きな木箱は、開いていない。

緊張の面持ちで、木箱が開くのを見守る。

木箱の蓋が開いた!

それはまるで、人間の入っている箱を魔術師が開けるが如き緊張感である。

大甕は無事だった!

先方の担当者と、状態に変化がないかくまなく観察したが、まったくもって問題なかった!

よかった!と安堵した。

さあ、問題は、これをふたたび、特注の展示ケースに収めることである。

四方を囲っている堅い木枠をはずし、さらにガラス板をはずし、代役の品物を退場させ、その代わりにこんどは大甕を慎重に運び、展示台に載せる。

ちょっとでも気をゆるめると、今までの苦労が台無しになる。

私はただ、見守るしかなかったのだが、トラック野郎たちの献身的な働きで、無事、展示ケースに収めることができた!

大甕の周りをふたたびガラス板で囲い、さらに四方を木枠で囲い、もとの通りに戻った。

「人の背丈ほどある、つぎはぎだらけの大甕」。

私にはもはや、一個の人格を持った存在のように思えてきた。

「傷だらけなのに、よくここまで無事だったよなあ…。お疲れさん」

私は涙が止まらなくなった。ただ見守るだけしかしていないのだが。

すべてが終わったのが、作業を開始してから2時間がたった午後8時。

「人の背丈ほどある大甕」は、まるで何事もなかったかのように、元の場所に屹立していた。

明日からまた、この博物館に来た人々の目に触れるのだろう。海を渡って3カ月ものあいだ旅をしていたことなど、知るよしもなく。

私はこの博物館をおとずれるたびに、この大甕に会いに行くだろう。

そして、何十年か経って、いろいろな人に、自慢げに説明するのだ。

「むかし、この大甕は、海を渡ったことがあるんだよ」

と。

数十年後、大甕を前にしてそんなおじいさんがいたとしたら、それは私である。

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プチョニムの憂鬱

12月22日(月)

うーむ。

昼間の仕事で、ちょっと落ちこむようなことがあった。

今後の対応を、慎重に、誤らないようにしなければならない。

夕方、相手機関のVIPと、その部下の方たちと、お酒を飲むことになっていた。

そのVIPは、10月に日本に招待した方で、ひどくお酒が好きな方だったので、(今日は帰れないかも知れない)と覚悟していた。

ところが、そのVIPは、ひどくお疲れのようで、早々とお帰りになった。

残されたのは、同世代のメンバーで、気兼ねないお話をして、夜9時に解散となった。

気になったのは、VIPが帰りがけに私に言った言葉である。

「君、うちの○○○君に雰囲気が似ているなあ」

○○○、という名前の部分が聞き取れなかったが、どうやら部下の誰かに似ているということをおっしゃりたかったらしい。

VIPがお帰りになったあと、その場に残った部下の方に聞いてみた。

「あれはどういうことです?」

「うちの同僚に、○○○さん、という人がいて、そのひとは、雰囲気がプチョニムみたいな人なんです」

「プチョニム」とは韓国語で、「仏様」という意味である。

「つまり、私は仏様に似ていると…?」

「そういうことですね」

なるほど。

私は、韓国人と会食するとき、自分の韓国語能力に自信がないせいもあって、自分から話題を出すことはほとんどない。もっぱら、相手が話すことを、ニコニコしながら聞くだけなのである。

いわば「ピクニックフェイス」の「微笑みデブ」と化すのであり、そうした応対の仕方をして、「プチョニム」と思わしめたのであろう。

「プチョニム」とはつまり、「都合のいいときだけ、すがられる存在」であり、これまでしばしばそんな目にあってきた私は、(韓国でもそう思われているのかよ!)と、少し憂鬱になった。

昼間のこととも相俟って、目下、心はどん底状態だが、明日は朝早くからまた苛酷な仕事が待っているので、乗り越えよう。

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韓国チーム結集!

12月21日(日)

ソウルは凍死しそうなほど寒くて、何もやる気が起こらない。

夜、日本から同僚が一人、ソウルに到着した。

これで、金曜から来ている私とキムさんを合わせた3人による「韓国チーム」がそろった。夜、3人でキムチチゲを食べ、明日に備えることにした。

明日からいよいよ本格的な仕事が始まる。

といっても、私と同僚は、手分けして作業をおこなうため、明日の午前、同僚はソウルの作業場に顔を出したあと、すぐに「トラック野郎」と一緒に別の場所に出発する。

私はキムさんと一緒に、ソウルの作業場で一日作業をして、明後日、「トラック野郎」と一緒に出発である。

キムさんは、若き青年研究者だが、今回の韓国との交渉事のいっさいを引き受けてくれた。おかげで私もその同僚も、ずいぶんと助かった。我々の片腕、といっては失礼だが、キムさんがいなければ、このプロジェクトは立ちゆかなかっただろう。

実務能力もあるし、研究もしっかりしているし、社交性はあるし、どこへ行っても通用することだろう。

「雪が心配ですねえ」

もし雪のために交通機関がストップしたりしたら、この仕事は、もうアウトである。

どうしてこう、いつもギリギリのところでばかり仕事をしているのだろうと、3人は自分たちの運命をのろいつつ、笑うしかなかった。

この3人は、9月の準備からはじまり、10月のVIPのアテンド、そして今回の後片づけと、常に一緒に行動した。

苦楽をともにする、というのは、こういうことを言うのだろう。

「今年のクリスマスは、悲しいっすね」と同僚。「家族と離れて、一人で迎えるのかあ…」

同僚は木浦(モッポ)、キムさんは釜山、そして私は慶州でクリスマスイブを迎えることになっているのだ。

「明日からがんばりましょう」

「明日はさっそく大変ですよ」とキムさん。

「何がです?」と私。

「VIPが、先日の日本でのお礼がぜひしたいと言って、明日の作業が終わったら我々と飲む気満々ですよ」

VIPは、お酒好きで有名な方だった。

「大変ですねえ。がんばってください」と同僚。同僚は、明日の午前中にはもうトラックで出発してしまうので、お酒の席には出席できない。

「倒れない程度に飲みますよ」

明日からまた、がんばろう。

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一生どうでしょうできません!

(今日のタイトルは、「レインボーブリッジ封鎖できません!」という感じで声に出して読んでみてください)

12月21日(日)

昨日に引き続き、氷点下のソウルをさまよい歩く。

例によって誰も話し相手がいないので、どうでもいいことばかり頭に浮かんでしまう。

北海道のテレビ局が製作していた「水曜どうでしょう」という番組が好きだった。

大泉洋、鈴井貴之という北海道出身のタレントと、藤村忠寿、嬉野雅道という放送局の二人のディレクター、計4人が、国内外を珍道中するという旅番組である。

出演者、スタッフ合わせて4人しかいないので、自然とこの4人は結束が固まり、視聴者は彼らがときに罵りあいながら、ときに笑いあいながら旅を続ける姿を、ドキュメンタリーを見るがごとく見届けてきたのである。いつしか視聴者も、その旅仲間のような感じになっていった。

私も、彼らが旅をした場所に、「巡礼」と称してよく訪れたものだ。

2002年9月に8年間続いた番組が終了することが決まったとき、この4人は、

「一生どうでしょうします!」

と宣言した。

番組は終了するけれども、僕らはこれからも変わらない。再放送を続けたり、過去の放送をDVDに再編集し、出演陣の副音声(オーディオコメンタリー)をつけて販売したり、時折「新作」と称して新たなロケに出かけて特番を放送したり、何より毎日、番組のホームページの日記を更新するので、「水曜どうでしょう」は僕らが死ぬまで続くのだ、という宣言である。

実際、番組終了後も、人気が衰えることはなかった。

DVDは記録的に売り上げを伸ばし、番組を回顧するイベントを企画すると、多くの人が集まるなど、異様な盛り上がりを見せていた。

私もご多分に漏れず、毎回、DVDを予約して購入したクチである。番組ホームページも頻繁にチェックしていた。

しかし、である。

12年たった今、今も出続けている番組DVDを、とうとう買わなくなってしまった。

番組ホームページも、全く見なくなってしまった。

DVDを見直すようなことも、ほとんどなくなった。

10年以上もの間、少しずつ発売され続けているDVD。映像じたいは過去の放送分なのだが、副音声(オーディオコメンタリー)は、DVD製作時点のものである。

ごく最近出されたDVDの副音声を聞いてみると、何となく、番組をやっていたころの4人の関係性とは微妙に異なってきているようにも思う。

お互い、少し気を使いあっているというか。

一人ひとりの考え方も、番組当時とはかなり異なってきていると思う。あまり変わらないのは、嬉野ディレクターくらいだろうか。

少しずつ考え方が変わっていっている出演陣の話を、戸惑いながら聴いてしまう。

私自身も「一生どうでしょうします!」と誓ったはずなのだが、その誓いは、はたして本当に一生続くのか、わからなくなってきた。

3年ほど前、やはり「水曜どうでしょう」の熱烈なファンだったという同業の人と話したときに、

「え?まだDVD買い続けてるんですか?僕はとっくに買わなくなってしまいましたよ」

と、すっかり冷めているようだった。

やはり、一生どうでしょうするのは難しいようだ。

考えてみれば、人間のテンションが時とともに変わるのなど、あたりまえのことである。

番組終了時の心の高揚感と、そこから時が経って、それぞれが別の道を歩みはじめてからのテンションが異なるのはあたりまえである。

出演陣の4人のテンションも、常に一緒というわけではない。別の仕事にかかりきりになれば、お互いの思いが平等であり続けるというわけにはいかない。

誰かにとっては思い入れが強くても、別の誰かにとっては優先順位が下がる、ということは、十分にありうることなのである。

しかしそれは、当然のことである。

同じテンションのまま「一生どうでしょうします」というわけには、いかないのだ。

では、私たちは「一生どうでしょうできない」のだろうか?

いや、そういうことではない。

ふだんは忘れていても、またいつか、心が高揚することがあるだろう。

重要なのは、またいつか心が高揚できるかどうか、である。すっかり忘れることなく、である。

そのとき私たちは初めて、「一生どうでしょうします!」と胸を張って言うことができるのだ!

そして賢明な読者ならばお気づきのように、こうしたことは、たんに番組に限ったことではないことを知るのである。

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K君からのメール

鬼瓦殿

何となく貴殿のブログを見たら、B君のことについて書いてあったのでメールしてしまいました。

おそらく就職内定先の拘束旅行で倉敷から帰って来た時だったのでしょうが、すっかり忘れていました。B君のことはいまでも年に何回か、ふと思い出します。

思えばB君とは、高校3年間の部活もそうですが、予備校のクラスもそうですし、大学の前期課程の2年間も同じクラスでした。計6年間も身近にいたはずなのですが、親しく話した記憶はほとんどありません。若いころは自意識過剰だったのか、他人に対しても寛容な態度がとれず、B君に対してもヘンなやつと思うばかりで、ほとんど話すことはありませんでした。

それでも彼は、私が1年の時の大学祭の講堂前のステージでバンド演奏した時に、

「君のソロは雄叫びみたいで凄かったよ!ビックリしたよ!」

と、あとで熱く語ってくれたのを思い出します。いまさら後悔しているわけでもないのですが、なぜ、彼と話をしなかったのかと、いまでもたまに思うことがあります。

大学時代にB君と語り合う機会があれば、また違ったふうに物事が進んだこともありえたのかとも考えたりもしますが、あの頃の自分であれば、彼に対して酷いことを言ってしまっていたかも知れません。

鎌倉のお墓ににひとりで行ったと書いてましたが、貴殿に誘われて私も一緒に行ったはずです。鎌倉駅から少し離れた場所で、バスに乗って一緒に行ったと記憶しています。季節は覚えていませんが、たしか紫陽花で有名な古いお寺だったと思います。

葬儀の時は、私だけ彼の死に顔を見る勇気がなく、柩のところまで行けませんでした。何年かぶりに会った予備校の時に同じクラスだった高校の同級生に酷い悪態をつかれたけれども、言い返す気力もなく、同じ部活だったO君から「何で黙ってるんだよ!あんなヤツ殴ってやれよ!」と憤慨されたことも思い出します。

長々ととりとめもなく書いてしまいすいません。最後にもう一言だけ書いておくと、B君のことをたまに思い出して考えるのは、せめて自分は彼のことは忘れずにいようということです。

何だかとりとめもない感傷的なことを延々と書いてしまい恥ずかしいので、このあたりでやめます。

では、またそのうち。

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氷点下のソウルを歩く

12月20日(土)

土日は本務がないので、氷点下のソウル市内を歩くことにした。

まる一日、誰とも話をしないので、こういうときは、いらないことをグダグダと考えてしまう。寒いから、なおさらである。

たとえば、このブログにしばしば登場する高校時代の友人、福岡のコバヤシ。

例に挙げて恐縮だが、彼ならば差し障りがないので、彼を例にとって書かせてもらうと。

福岡のコバヤシとはいまでも仲のよい友人だが、高校のころは、よく喧嘩をした。

喧嘩、というか、私が調子に乗って自分のペースで身勝手でクドいことを言ったりするので、コバヤシが呆れて、口をきかなくなる、ということが、何度となくあったのである。

そうした局面は、今でもたまにおとずれる。

最近、福岡に出張に行く機会が多くなり、コバヤシと会う機会が増えたのだが、メールのやりとりをしていると、やはりあのころのように、私がつい自分のペースで身勝手でクドいことを書いたりする。

さらに、その身勝手さに自分自身が気づき、こんどは卑屈で自虐的なメールを送ってしまうのである。私の悪い癖である。

これがもし若いころだったら、コバヤシもキレて、また距離を置かれてしまうところだろう。

だが最近は、私の卑屈なメールに対して、真っ正面から反論したりたしなめたりするのではなく、むしろかなり気を使った表現で「大人の対応」をしてくれるので、おかげで関係が悪化せずに済むのである。

まったく、恥ずかしい限りである。

「30代以降の友人関係においては、メンテナンスが大事」と、ジェーンスーも言っていた。ちょっとしたことで、ボタンのかけ違いのまま一生を終える可能性だって、十分にあるのだ。

私はいまだに成長していないが、コバヤシはやはりそのあたりをよくわかっているのである。

翻ってみるに、私の周りの友人には、そういう人が多い。卑屈で自虐的な私を、「大人の対応」で交わしてくれるからこそ、なんとか私は友人関係を維持させてもらっているのだ。

…とまあ、そんなことをグダグダと考えていた。

また別の話。

先日、ある老齢の偉い方とお酒を飲んでいたら、その方がいい心持ちで酔っ払って、同じ話を何度も繰り返していた。

酔って同じ話を繰り返す、というのは、よくある話だが、その方は以前はそういうことがなかっただけに、ちょっとショックだった。大変失礼だが「老い」のせいだろうか、と思ってしまったのである。

同じ話を繰り返す、というのが「老い」のあらわれだとすると、なぜ人は老いると、同じ話を繰り返すようになるのだろうか。

前に話したことを忘れてしまうからだ、というのが一つの有力な仮説だろう。

だが私は、それだけではないと思う。

老いると、視野が狭くなるのではないだろうか。

今までいろいろな話題に目配りしていたことが、だんだん視野が狭くなることで、自分の関心が固定化され、結局、一方的で同じような話しかできなくなってしまうのではないだろうか。

今までいろいろな話に対応できていた脳が、しだいに対応できなくなり、自分の目下の関心事に対してしか、反応しなくなってしまう。

…ずいぶん乱暴な仮説かも知れない。

しかし、最近私が身の周りで漠然と感じていることを言語化すると、以上のようになってしまう。

それが「老い」とともにおとずれるとみてよいのか、あるいは単に、その人の個性が年齢を重ねるとともに強調されていくのか。

どうもそのへんがよくわからない。

自分もやがてそうなるのか、あるいは、すでにそうなっているのか。

…などということを、グダグダと考えていた一日であった。

やはり、まる一日誰とも話をしないというのは、よくない。

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門前の小僧

12月19日(金)

朝4時半に起きて、5時過ぎに家を出て、朝9時の便で成田空港から韓国に向かう。

われながら、よく働くねえ。

ぐうたら生活をしていた学生時代には、考えられなかったことだ。

しかもこんなに不摂生な生活をしているにもかかわらず、零下10度のソウルに降り立っても、風邪一つひくことがない。相変わらず鬱状態ではあるが。

ありがたいことである。

さて、荷物も無事に仁川空港に到着した。

昨日は成田空港の貨物ターミナルに初めて足を踏み入れ、今日は仁川空港の貨物ターミナルに初めて足を踏み入れた。

こういう仕事をしていないと、なかなか見る機会がないのだが、貨物ターミナルというのは、実にワクワクする。

とくに感動したのは、フォークリフトである。

飛行機の貨物便から降ろされた大量の荷物を、一人のおっさんが、フォークリフトに乗せてひとつひとつ運び、それをまたそれぞれのトラックに収納していく。

そのさばき方が、実に見事なのだ。見ていて惚れ惚れする。

ずーっと見ていても飽きないのだ。

吹きっさらしの寒空の下でフォークリフトの動きをじーっと見ていたら、気がついたら1時間以上たっていた。

その間に我々の荷物も、ようやくトラックに積み込まれ、韓国の「トラック野郎」たちによって、所定の場所まで運ばれてゆく。

午後5時、荷物はソウル市内の所定の場所に収納された。

家を出てから、実に12時間が経過していた。

しかしこれはまだ始まったばかり。本当の仕事は、週明けからである。

前回の記事で、「門前の小僧、習わぬ経を読む」と書いたが、よくよく考えると、私自身が、そうやって生きてきたことに気づいた。

今の仕事が、まさにそうである。間近でいろいろなものを見ながら、なんとなくわかった気になっている。

お互いが知識や技術を出し合い、それをまたお互いが「門前の小僧」として、知識や技術を共有しあう。

そういう仕事が、たぶん、やっていて楽しい仕事なんじゃないだろうか。

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まつりのあとに

12月18日(木)

月曜日の朝から、さっそく後片付けがはじまった。

準備するのには時間がかかるが、片付けるのは、実にあっけないほど早く終わる。

並べられていたものが次々と箱に収められ、梱包されてゆく。

それはあたかも、「まつりのあと」といった感じで、いささか寂しい。おかげで少し鬱気味になってしまった。

企画展は、花火大会に似ている。

限られた時間、そこに居合わせた人たちによる、一期一会である。

そして時間が終わると、あとかたもなくなる。

幸いなのは、企画展のほうが花火大会より、少しだけ期間が長いということである。

今はただ、そこに居合わせた人たちの記憶にとどめられれば、それで満足である。

さて、片付けに話を戻すと。

やはり私の心を揺さぶってやまなかったのは、「トラック野郎」たちのプロ意識、職人気質だった。

大変失礼な言い方だが、「門前の小僧、習わぬ経を読む」とはまさにその通りである。

まったくハタケ違いの「モノ」に対して誠実に向き合っていくうちに、いつしか、それが知識として血肉になってゆく。

経験に裏打ちされた技術は、どのようなモノに対しても揺るがない。

この職場に移ってよかったことは、プロの仕事とか、職人の技術といったものを、まのあたりにする機会が増えたことである。

その場に立ち会えることを、幸せに思うのである。

さて、明日からまた長い旅に出ます。

荒れ狂う天候の中で、はたして次なるミッションは無事にやり遂げられるのか?

ほんとうに、次々と試練が訪れるものだ。

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洋食屋さん

12月14日(日)

若い世代は知らないと思うが、シティーボーイズというコントグループがある。

大竹まこと、きたろう、斉木しげるのオッサン3人組のコントグループである。

斉木しげるときたろうは、他人をイラッとさせるオッサンを演じさせたら、右に出るものがいない。

その二人に対して、「常識人」である大竹まことがツッコミを入れる。

この掛け合いが絶妙である。

私の大好きなコントに、「洋食屋さん」というのがある。

舞台は港町の小さな洋食屋さん。

そこは、やたらと陽気なシェフ(斉木しげる)が一人で店を切り盛りしている。

このシェフは、他人をイラッとさせることこの上ない。

厨房から出てくるたびに、いちいち大声で歌を歌うのである。

「わ~た~し~は、よ~きな~、ようしょくやさんっ!」

みたいな感じで。

ある日の夜遅く、その店に、二人の客が現れる。

ひとりは、気ままな一人旅の青年(きたろう)。

もうひとりは、疲れ果てた営業マン(大竹まこと)。

シェフは一人旅の青年に「ぬれねずみさん」とあだ名をつけ、出張中の営業マンに「グッタリさん」とあだ名をつけ、客をあだ名で呼ぼうとする。これがまた、ウザイのである。

とくに不機嫌なのは、疲れ果てた出張中の営業マンである。

腹ぺこなので、とにかく腹を満たせばよい、という彼は、いちいち大げさな行動を取り、そのたびに手が止まるシェフに、イライラし続けるのである。

一方の一人旅の青年は、他人との会話を楽しみたいタイプのようで、シェフのお喋りに楽しそうにつきあう。

ぬれねずみさん(一人旅の青年)が、シェフに聞く。

「あのう…あそこの、窓側の席に移ってもいいですか?あの、花が飾ってあるテーブルです」

店の中でいちばん眺めのいい席を指さす。

「…で、でも、こちらの方が暖かいですよ」とシェフ。

「でも、あちらの方が、港の灯りがよく見えるかもと…」

「申し訳ございません。この席は、予約席なんです」

「予約?こんな時間に?」

「ええ」

「どんなお客さんなんです?」

「え?」ニヤっとするシェフ。

「いや、どんな人かなあと思って…」

「どんな人だとお思いになりますか?」得意げに質問で返すシェフ。どうやら聞いてほしそうだ。

「そうですねえ…。きれいな女の人って感じがしますけど」

「ちょっと惜しいな」

「じゃあ…このあたりに住んでいる年老いたご夫婦で、むかしはフランスに住んでいたとか」

「それも、違います」

「じゃあいったい、どんなお客さんなんですか?」

「『思い出』っていう名のお客さんです」

ここで、この会話の一部始終を聞いていたグッタリさん(営業マン)のイライラが、頂点に達する。

「楽しい会話に割り込んで悪いんだけどさぁ!…メニューまだかな!」

会話に没頭しすぎて、メニューをなかなか取りに行かない。

とにかく、一事が万事、こんな調子なのである。

すったもんだあって、ようやく料理が出てきた。

「いかがですか」とシェフがぬれねずみさんに聞く。

「おいしいですよ」

「それはよかった」

「こんなに温まるシチューは初めてですよ」

「ちょっと、塩辛くありません?」

「いや、美味しいですよ。どうしてです?」

「今夜のシチューには、ちょっと涙が入ったかも知れない」

「涙?」

「あ、いえ、お早くどうぞ、ね。恋もシチューも冷めないうちがいちばんです」

「あ、わかりました。あちらの席の方を待ってらっしゃるんですね」

「…はい」

「よろしかったらお話を聞かせてい…」

「そうですか」ぬれねずみさんの質問にかぶせ気味にそう言って、シェフは待ってましたとばかりにうれしそうに語り始める。彼は聞いてほしかったのだ。

「あの席は、10年前に別れた恋人のためにとってあります。今日は彼女の誕生日なんです。この10年間、私は待ち続けました。きっと彼女はこの店を訪ねてくれるに違いない。…でももうあきらめます。どうやら今夜もキャンセルされちゃったみたいだ。…お客さん、こちらの席に移りませんか?港の景色もよーく見えますよ」

「いや、空けときましょう」時計を見ながらぬれねずみさんが言う。「12時まで、まだあと1時間あるじゃありませんか」

「ああ、そうでした。ごめんなさい。しんみりさせてしまいましたね」

そう言ってグッタリさんの肩をたたくシェフ。自分は無関係だと思っていた会話に巻き込まれたグッタリさんは、不意に肩をたたかれ、思わず料理を吹き出す。

「わ~た~し~は、よ~きな~、ようしょくやさんっ!」

元気を奮い立たせるように歌いながら厨房に戻るシェフ。

さすがに呆れる二人。

厨房に入ったシェフを見届けたあと、ぬれねずみさんがグッタリさんに聞く。

「美味しいですか?」

「ものすごく不味いですよ」

「でしょう?私のもです」

ここでコントが終わり、暗転。

斉木しげるときたろうの、一見センチメンタルに聞こえるけれど、周りから見たらイラッとするような、それでいてバカバカしい会話がたまらなく面白い。そしてそれを冷静にとらえる大竹まことのツッコミも最高である。

私はたぶん、若いころから憧れてきたのだ。

この「センチメンタリズム」と「バカバカしさ」と「冷静さ」を表現できるオッサンたちに、である。

…さて、私が全力で取り組んできた、2カ月にわたる職場のイベントも、ついに最終日を迎えました。

時間を作ってわざわざ見に来てくださった方、本当にありがとうございました。

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カーテンコール運動、実る!

12月13日(土)

こんにちは、「サイバン劇におけるカーテンコールの実現」を運動してきた者です。

コメント欄でこぶぎさんが書いてくれたことだが

毎年この時期、「前の職場」では学生によるサイバン劇が行われる。

昨年までそのサイバン劇を見に行っていた私は、終演後のアンケートに毎回、「カーテンコールをしてほしい」と書いた。

そのサイバン劇は、終わると、スタッフやキャストによるカーテンコールがおこなわれず、その代わりに、舞台中央のスクリーンにスライドショー的にスタッフやキャスト、そして稽古風景の写真が映し出されるのだった。

しかしそれでは、あまりにももったいない。

何より、裏方でがんばっているスタッフたちが、表舞台に出る機会がないではないか!

カーテンコールをすることは、スタッフやキャスト、そして観客にとっても、幸福なことなのである。

私とこぶぎさんは数年前から毎年、しつこいくらいに、アンケートに「カーテンコールをするべきだ」と書いてきた。誰よりも、カーテンコールの実現を望んでいたのだ。

だが残念なことに、その声も空しく、なかなかカーテンコールはおこなわれなかった。

ところが、である。

つい先日おこなわれた今年のサイバン劇で、カーテンコールがおこなわれた、という速報が、実際にサイバン劇を観劇したこぶぎさんから伝えられたのである!

「カーテンコールをしてほしい」などとアンケートに書くやつは、観客多しといえどもこぶぎさんと私くらいしかいないはずだから、というか、そういう目線でサイバン劇を見るヤツは二人の他にいないから、カーテンコールが実現したのは、つまりは私たちの声が届いたということである!

どんな小さな声でも、継続して出し続ければ、いつかは届く日が来るのだ!

吹奏楽団をやっていた経験からすれば、継続的に舞台公演をしている団体というのは、ジンクスを重視したり、験をかついだりする。

だから、公演のスタイルを変えることはなかなか勇気のいることなのである。

長年、エンディングをスライドショーで締める、というスタイルが続いているのであれば、それを容易に変えることはできないのが人間の情というものである。

それだけに、今回、思い切ってカーテンコールをすることに踏み切ったことは、大英断といえよう。

観客のほとんどは、そんなことを気にもとめていないだろう。

だが私は、断固として支持する!

ありがとう!(知り合いが一人もいないけど)

ああ、その場に居合わせたかったなあ。

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中身が濃すぎて疲れた

12月13日(土)

今日は、最後のギャラリートークである。

午前11時。思いのほか、お客さんが集まった。

今回は悲しいことに誰一人知り合いがいなかったが、始まる前に一人、韓国語で話しかけてきた人がいた。

留学中にお会いしたことがある、ある研究所の先生だった。

「わざわざ見に来られたんですか?」私は驚いて聞いた。

「ええ。今年はサバティカル(研究年)でね。比較的自由にいろいろなところに行けるんです」

「日本に滞在されているんですか?」

「いえ、ふだんは韓国にいますけど、これを見るために日本に来たんです」

私は恐縮した。

午前11時に始まったギャラリートークは、予定の40分をはるかに超え、1時間15分かかって、ようやく終了した。

最後なので、これまで蓄積したものをすべて吐きだした。

終わってから、ギャラリートークを最後まで聞いていた韓国の先生が私のところにきた。

「今日はたくさん学びました。本当にありがとう」

私の日本語の説明を、どうやら聞き取っていたようだった。

「こちらこそありがとうございます」

「またお会いしましょう」

さて、午後は、都内の大学の先生が、学生を10人ばかり引率してやってくるので、ふたたびギャラリートークをしなければならない。

最後の最後なので、90分間、本気を出して、飽きさせることなく、笑いも入れながら、マシンガンのようにみっちり解説した。

たぶん、中身の濃い90分だったと自負する。

むかし、ラジオの「オールナイトニッポン」で、ビートたけしが2時間喋り続け、笑わせ続けたあと、エンディングで、

「中身が濃すぎて疲れた」

と言った、という話をどこかで読んだことがある。自分もいつか、そんな感じで喋りたおしてみたい、と思っていたが、今日はまさに、そんな感じである。

…というわけで、明日はいよいよ企画展の最終日なのだが、数か月ぶりに休日をとることにする。

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色紙のゆくえ

12月12日(金)

こんにちは、「細かいことにいつまでもこだわっているやつ」です。

もうおおかたの人は忘れてしまった話だが。

先日、「前の職場」に、「3年目の卒業式」のあり方についてメールを書いたところ、「前の職場」からあらためて、「卒業式」に参加した私の指導学生への色紙3名分が郵送で送られてきた。

添状には、

「貴殿へも要らぬ心配と不快な思いをさせてしまったことを深くお詫びいたします」

と書いてあった。

「要らぬ心配」、か…。無用な心配だったということか。

さらに、次のようにも書いてあった。

「今回の色紙はあくまでも参加者に授与する記念品であり、平成22年度前卒業生・修了生へお送りする趣旨のものではないことを申し添えます」

記念品、か…。

卒業生にお送りする色紙なのではなく、あくまでも参加者に対する記念品だというわけである。

そっちの理屈ではそうだとしても、卒業生からしたら、「参加した人だけがもらえる記念品」であると、なかなかわりきれるものではない。

事情があって参加できなかった卒業生もいたはずである。

腑に落ちぬことばかりだが、何を言っても仕方がない。

仕事の合間をぬって、3名の色紙にメッセージを書いて、「前の職場」に返送した。

ところが、である。

返送してから1週間。「届きました」とか、「卒業生に送りました」というような返事が、待てど暮らせど来ない。

はたして私の送った色紙は、「前の職場」に無事に届いたのか?

そして卒業生の元に無事に届いたのか?

卒業生からの「届きました」という返事を期待しているわけではない。なぜなら彼らは、依頼主ではないからである。

うーむ。せめて依頼主の「前の職場」から、何らかの反応があってもいいと思うのだが。それとも、こんな些細なことを気にする私の頭がおかしいのか…。

…と、これとは別の話なのだが、だいぶ前に、こんなことがあった。

ある依頼を受けて、急ぎの用事だったようなので、試行錯誤してなんとかそれを仕上げ、依頼主の人に送った。

そのあとすぐに依頼主の人からおかげで助かりましたという返事が来たものの、問題はそのあとである。私の仕上げたものが、依頼主から先方に提出されたあと、それが採用されたのか、それとも、ボツになったのかがわからないのである。

依頼主からその後、その件に関して何の音沙汰もないということは、私の仕上げたものが無事に採用されたということなのか。それこそ「便りのないのはよい便り」と考えるべきなのか。

いや、逆の可能性もある。

私が試行錯誤して仕上げたものがボツになってしまったものの、そのことを言うことができず、私に知らせてくれなかったのか。

あるいは、些末なことなので、ただ単に忘れてしまったのか。もうこの種の依頼は、ほかの人にバトンタッチしてしまったのかも知れない。

「その後どうなりましたか?」と私が聞けばすむ話なのだろうが、「そんなこと気にしてるの?」と思われそうで、聞くことができない。色紙の件も同様である。

いずれにしても、そんなことは、依頼主にとっては些細なことだったには違いない。

翻ってみれば、私自身も、ひょっとしたら、相手にとっては重要なことでも、些細なこととして片づけてしまっていることが、これまでにあったのかも知れない。これまでを振り返り、自分を戒めるばかりである。

こんなことばかり延々と考えていると、気に病んでしまいそうである。

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演劇がよくて、ロックはダメなのか?

教師時代の夢の一つが、「音楽サークルの顧問になりたい」だった。

最後の2年間、ふとしたことがきっかけで、音楽サークルの顧問になった。

おまけに、これまた念願かなって、学園祭でライブまですることができた

その音楽サークルは、主にロックバンドの活動サークルで、私自身、ロックを聴く人間ではないのだが、「青春デンデケデケデケ」の寺内先生のような顧問に憧れていたので、私には願ったり叶ったりの顧問就任だったのである。

そういえば私の高校時代にも、ロックバンドの部があり、クラスの友人の何人かが、バンド活動をしていた。

しかしどういうわけか、部の名称が「民族音楽愛好会」というものだった。

実際にはハードロックのバンドばかりが集まっているのに、「民族音楽愛好会」とは、不思議な名称だなと思っていたが、いま思うに、「ロック愛好会」では、不謹慎だと考えられていたのだろうか。「ロック」はダメだが、「民族音楽」ならばよい、という妙な理屈で、その名前がついたのかも知れない。

顧問は、私のクラスの担任のKeiさんだった

Keiさんも、ロックとは無縁の人だったが、おそらく、高校ではあまりオモテだってはよいとされないロックバンドに、理解を示していたのだろう。私もKeiさんのそんな考え方に、影響を受けたのかも知れない。

当時はそれくらい、高校でロックバンドを組むということが、高校生にとっては後ろめたく、不謹慎なものと考えられていたのである。

もっとも、いまはそんなことはないのかもしれないが。

しかし、いまだに大人たちには、ロックを格下に見る傾向にある。

たとえば、演劇とくらべてみるがよい。

演劇は、大学をあげて支援する。しかし、ロックバンドは、むしろ近隣に迷惑をかける「騒音」を出す存在として、これを煙たく思う。

演劇の公演をする、となると、大学をあげて宣伝するが、ロックバンドのライブは、そうではない。

同じ学生がしていることなのに、この扱いの違いは、何なのだろう?

演劇をしている学生の方が偉いのか?

ロックバンドをしている学生はダメなのか?

私は演劇を見るのが好きだし、ロックをあまり聴かない人間なのだが、このことだけは、いまだに腑に落ちない。

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続々・散髪屋は人生だ!

このところ忙しくて練った文章が書けず、昨日「きりたんぽ鍋」に関するどうでもいい話を書いたら、こぶぎさんがちゃんとネタにしてくれた。

今日もまた、これといって話題がない。

12月9日(火)

散髪屋は、人生だ!

続・散髪屋は人生だ!

手帳を見てみたら、年内のうちに散髪屋に行けるのは、今日の夕方しかないことが判明した。

夕方5時半に職場の会議が終わり、自宅近くにある行きつけの散髪屋に向かう。

自分の店を出すために、Y県の雪深いS市に旅立ったGさんに変わり、前回からTさんに散髪を担当してもらうことになった。

「ときに、Gさんはもう開業したんでしょうかねえ」私はTさんに聞いた。

「まだみたいですよ。冬になると雪が降って着工できないので、来春以降に開業するそうです。それでいま、工場でアルバイトしながら何とか生計を立てているそうです」

「そうですか。大変ですねえ」

「雪ってそんなに降るもんでしょうか」Tさんは、Y県の雪の多さを知らないらしい。

「S市は、豪雪地帯ですよ」私は自分の経験をお話しした。

「そうですか。それは知りませんでした。でもそういう場所で、奥さんとずっと二人でお店をやっていくなんて、どんな気持ちなんだろうなあ。俺にも家族がいるけど、できるかなあ…」

話題は変わる。

「俺、もう30になってしまったんですよ」とTさん。

(まだ30かよ!)

と思ったのだが、グッとこらえた。

「人生の先輩としてうかがいたいんですけど」

あらたまった調子で、Tさんが言う。

「10代の頃、30歳って大人だと思ったじゃないですか。でも自分が30になってみて、あんまり考えていることが10代と変わらないんじゃないかって思うんです。それって、ヘンでしょうか?」

「40を越えても変わりませんよ」と私。「高校生の時の悩みと同じ悩みをかかえてたりします」

「そうなんですか?」Tさんは驚いた様子。

「『あの人、どうして自分にあんな態度を取るんだろう?』とか、『自分は、周りにどう思われているんだろうか?』とか、そんな悩みです」

「へえ、そういうもんですか。じゃあ俺も、変わらなくていいってことですかね」

「まあそういうことです。私なんか、いまだに悩んでばかりですよ」

「悩みですか…。最近、俺、悩みとかないなあ。何か、若い頃にくらべて、いろいろあきらめちゃっている感じがするんですよね。家庭も持っちゃったし」

「たまには『あきらめない』ことも、悪くないですよ」

「あきらめない、ですか」

「そうです。あきらめなければ、ほどほどに悩みもできますしね。逆に、悩んでいるということは、あきらめていない証拠ですよ」

「なるほどねえ。たまには『あきらめない』っていうのもいいかもしれませんね。…おもしろいなあ。話してみるもんだなあ…」

そうつぶやいたあと、このままお待ちくださいと言ってTさんが席を外すと、こんどは見習い店員の女の子が「こんにちは」と声をかけてきた。

「やあ」

「10月に、I県に帰ったんですよ」と見習い店員さん。I県の沿岸部の町に実家がある彼女は、中学生の時に震災を経験し、高校卒業後のこの4月に上京して、この理容室で見習い店員としてはたらいているのだ。折にふれて私は、見習い店員さんから実家のあるI県の話を聞いていた。

「年末年始は実家に帰らないの?」

「年内は大晦日まで仕事で、年明けは3日から仕事なんです。仕事が終わって、深夜バスで実家に帰ることもできるんですけど、新年を深夜バスの中で迎えるって、悲しいじゃないですか」

「そうだね」

「なので1月末にお休みをもらって帰ります」

「そのほうがいいね」

ひとしきり、I県についてのお話をしたあと、洗髪、顔剃りをして、すべてが終わった頃には、その広いお店に、客が私一人になっていた。

「ちょっと早いですけど、よいお年を」

と、お店の人全員に送り出され、店を出る。

時計を見ると、午後8時半。散髪に2時間かかった。

散髪に2時間かかるというのは、ふつうのことなのだろうか?

それとも、喋りすぎたのだろうか?

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きりたんぽ鍋の優先順位

12月8日(月)

世の殿方(とのがた)は、どのくらいの頻度でスーパーに買い物に行くのだろう?

私は、スーパーで買い物をするのが好きである。

今日も、帰りがけにスーパーに買い物に行く。

安売りで有名なお店なので、レジにはたくさんの人が並んでいる。しかも誰もが、カゴの中を大量の食料品でいっぱいにしている。

どのレジに並ぶと早く会計をすますことができるか?

私はいつも「レジ運」がない。

私の前は、たいていの場合、大量の食料品をカゴに入れ、財布からお金を出すのに難儀をしている人が多い。

だからいつも待たされるのである。

10分近くたってやっとの思いで会計を済ませてオモテに出たが、「チューブ式の練りからし」を買うのを忘れてしまった。

あわててスーパーに戻り、「チューブ式の練りからし」1本を手に取って、またレジに並ぶ。

するとやはり長蛇の列である。

前に並んでいる数人がいずれも、カゴにいっぱいの食料品を入れている。

こっちは練りからし1本を手に持っているだけなのだが、

(また10分かかるのか…)

とため息をつく。

仕方ない。黙って並ぶしかない。

前に並んでいる女性は、私よりも少し若い感じの人だが、やはりカゴには大量の食料品が入っている。

(仕事帰りに、家族の夕食のおかずを買って帰るんだろうなあ…)

カゴの中を見るとはなしに見てみると、カゴのいちばん上のところに、タマネギだとか、にんじんだとかが入っている。

(今夜は、カレーなのかな?…)

しかし、カレーのルーは入っていない模様。

その下には、長ネギだとか、ニラだとかが見えている。。

(待てよ。カレーじゃなくて、鍋かな?)

「今夜はカレー」説は否定された。

やがて前の人の精算が始まった。

カゴから食料品が次々と取り出され、バーコードで精算をしたそばから、隣のカゴに移されていく。

だんだん、カゴの下にあるものが次々と明らかにされて行く。

キノコ類とか、鍋の具材らしきものが多いことから、「今夜は鍋」説が、ほぼ確定である。

(何の鍋なんだろうなあ…。キムチ鍋かな?。ちゃんこ鍋かな?海鮮鍋かな?)

などと想像をめぐらせながら、次々とカゴの中から取り出されていく食料品を目で追っていく。

すると最後に出てきたのが、「きりたんぽ」の真空パックだった。

(きりたんぽ鍋か!)

ようやく合点がいったのであった。

しかし、である。

「きりたんぽ」とは何のゆかりもないこの首都圏の町で、「きりたんぽ鍋」を、ふつう作るだろうか?

「さあ、今夜は鍋よ!」

と家族の前で宣言するときに、

「今日の鍋は何?」

「きりたんぽ鍋よ」

と答える確率は、どのくらいあるのか?ほとんどないのではないだろうか。

そもそも、「今夜は何鍋にするか?」と思って、「きりたんぽ鍋」を思い浮かべる人は、東京にどれくらいいるのだろうか?

かなり優先順位が低いと思うんだが。

私は15年近く、「きりたんぽ鍋」が有名な県、略称「きりたんぽ県」の隣の県に住んでいたが、その15年近くの間、「きりたんぽ鍋」をしようと思ったことは、ただの一度もない!

私の周りでも、「きりたんぽ鍋」を作った、という話を、聞いたことがなかったのである。

ましてや東京で、「きりたんぽ鍋」を作ろうと思う人は、どのくらいいるのか?

あんまりいないんじゃないだろうか。

その女性は、なぜ「きりたんぽ鍋」にしようと思ったのか?

聞いてみたい衝動にかられたが、聞いてしまうと、カゴの中を全部のぞいていたことがばれてしまうので、やめることにした。

ひょっとして「その女性が『きりたんぽ県』出身だったから」という、単純な理由だったりして。

いったい、「きりたんぽ県」出身以外の人で、「きりたんぽ鍋」を家で作る人は、どのくらい入るのだろう?

これは社会学的に非常に興味深い。

以上、「きりたんぽ鍋」にまつわる、どうでもいい話でした。

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やめ時を考える2日間

12月6日(土)

昨晩、新幹線でいったん家に戻り、またまた新幹線で旅の空です。

1年で最も憂鬱な2日間である。新幹線と私鉄を乗り継ぐこと3時間、今日と明日は「同業者祭り」である。

毎年、この「同業者祭り」に参加するたびに、

(あ~あ、この稼業、絶対にやめてやる!)

と思ってしまう。自分はとても、この業界にはむいていないと思うのだ。

だから、この2日間は、いつも「やめ時」というのを考えてしまう。

(できれば早めに引退して、どこかで喫茶店でも開いて、誰にも批判されることなく生きたい…)

そんなことを考えて、憂鬱になる。

夜11時近くになり、ようやく同業者たちの群れから解放されて、メールを確認すると、

「ラジオを聴きました!」

というメールを何人かの人からいただいた。

そうだ。今日は、記念すべきラジオ番組の第1回目の放送だった。

反応をいただいて、とてもありがたい。

業界人が全員敵にまわったとしても、そんなことはどうということはない。

聴いてくれた人たちのために、もう少しがんばろう。

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山の上の作業場にて

12月4日(木)

またまた旅の空です。

朝、新幹線と在来線を乗り継いで3時間ほどかけて「山の上の作業場」に訪れ、午前中からまる1日仕事である。

この日の夕方、他県に出張中だった同僚が、予定を変更して、新幹線で3時間かけて、この「山の上の作業場」にやって来た。

突然、あるトラブルがおこり、急遽、ここで打ち合わせをする必要が生じたのだという。

原因はまったくもって不明なのだが、とにかくそのトラブルに関してはこちらに非があるので、先方に事情を説明し、謝罪しなければならない。

そのため、ここで今後の対策を打ち合わせたあと、明日の職場での会議をキャンセルして、先方に事情を説明に行くことになったのである。

ふだん仕事をしていると、細かなトラブルがいろいろと起こる。

今回も、そういうものの一つなのだが、同僚の対応を見ていて、いろいろと考えさせられることがあった。

人間の真価が問われるのは、トラブルが起こったりミスをしたりしたときに、どのように対応するかという点にあることを、つくづくと感じさせられる。

もちろん、トラブルやミスに対して対応するのは、社会人としては当然なのだが、しかし、そこに誠実さが見られるかどうかは、個人差がある。

その同僚の場合、そのトラブルに対する対応を最優先し、先方の気持ちに立ってあらゆる事態を想定して、入念に今後の対策を考えている。

私がその同僚に絶大な信頼を置いているのは、まさにその点においてなのである。

人によっては、トラブルやミスに対する対応よりも、自分の「キャリアデザイン」のほうを優先するのが見え見えの輩がいて、そういう人に対しては、「底の浅い人だなあ。信用できない人だなあ」と思う。

私も、他人のことを云える立場ではないのだが、せめて、そうならないように心がけたいものである。

もうひとつ考えさせられたことは、こうしたトラブルがあったとき、相談する人が必要である、ということである。

今回の場合、その同僚は、今の職場ではなく前の職場の同僚に相談したという。

たまたま、その種のトラブルに関して相談できる人が、今の職場にはいなかったからだそうだが、これまで築いてきた人間関係がいかに大事かということがよくわかる話である。その同僚が、前の職場でも良好な人間関係を築いてきた証しであろう。

すべての打ち合わせが終わったのが、夜9時。

「疲れたねえ。早く帰ろう」

ふだん飄々としたその同僚が、めずらしくそんなことを口にした。

私よりもはるかに忙しいその同僚なので、疲れるのも無理はない。きっとこの数日、さまざまなことがあったのだろう。

「今日は早く休みましょう」

私はそう言葉をかけるしかなかった。

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キムラモトモリの衝撃

月曜の夜に福岡から帰り、翌2日、朝から終日会議。

12月3日(水)

午後、ひょんさんが、教え子の大学院生一人を連れてわが企画展を見に来てくれた。

午後2時から2時間ほど展示解説をした。

一緒に来た大学院生は、専門分野が異なるにもかかわらず、好奇心旺盛に私の話についてきてくれて、適切な反応を示してくれた。

こういう院生に出会うと、ついうれしくなり、もう少し教師を続ければよかったなあ、と思ってしまう。

夕方、久しぶりの再会を祝して、ひょんさんと二人でお酒を飲むことにした。

お互いの近況は、いずれもタイヘンである。私はいうまでもなく、周りに言われるがままに旅から旅への出張暮らしをしてヘトヘトだし、ひょんさんはひょんさんで、またタイヘンな日々を過ごしていた。

ショックを受けた話が、二つほどあった。

一つは、過去への悔恨の情にかられている話のときである。

「でも、一見まわり道に思えても、人生に無駄なことは何一つないんですよ」と私。最近私はこの言葉を思いつき、いろいろな人に得意げにしゃべっていた。

するとひょんさんが言う。

「それって、ウルフルズのトータス松本が言っていたよね」

「えっ…。そうなんですか?」

「そうだよ」

「知りませんでした」

まったく知らなかった。「人生に無駄なことは何一つない」というのは、すでにトータス松本が言っていたというのだ。

そんなこともつゆ知らず、私はこれまで得意げになって、自分が思いついた言葉だとばかり思ってしゃべっていた。

うーむ。これからはこの言葉を得意げに語るのはやめよう。

もうひとつは、私がいろいろな仕事を引き受けて出張ばかりしているという話になったときである。

「キムラモトモリって知ってる?」とひょんさん。

「いえ、知りません」と私。

「戦前の有名な哲学者だったんだけど、教育学部の先生でね。当時の教育学部の先生は、全国各地の学校から講演に呼ばれることが多かったそうなんだ」

「へえ」

「で、そのキムラモトモリって人は、とても誠実な人で、講演に呼ばれると律儀に全部引き受けて、全国をまわって講演をしていた。もちろん、研究を続けながらね」

「ほう、それは忙しかったでしょうね。まるで今の私みたいだ」

「当時としては、尋常じゃない距離を移動しながらいくつもの場所で講演をしていたそうだ。そうしたらあるとき、講演先の信州で、突然死んじゃった」

「えっ?…何でまた?」

「過労でね」

「……つまり、…それは…」

私は言葉につまった。つまりキムラモトモリという人は、私のような過酷な出張ばかりしていたことがたたって、過労で急逝してしまった、というのだ。

「鬼瓦さんの話を聞いていて、急にそのキムラモトモリのことを思い出したもんでね」

私は急に恐くなった。

「こ、…恐いこと言わないでくださいよ」

「ま、要するに無理はしない方がいいってことだね」

「はぁ」

最近いろいろな人から「体だけは大事にしてください」と言われるが、このキムラモトモリの話ほど自分を戒める話はない。

と同時に、キムラモトモリという人に、俄然興味がわいてきた。

こんど時間があったら、キムラモトモリについて調べてみることにしよう。

あれこれとしゃべっていたら、あっという間に3時間がたっていた。

「今日は充実した一日でした」

「またお会いしましょう」

愉快なひとときでした。

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三池版「復讐するは我にあり」

ひどく疲れているので、簡単にとどめる。

貴志祐介原作・三池崇史監督の映画『悪の教典』をDVDで見た。

三池監督は、今村昌平監督に師事していたといわれる。

そう思ってこの映画を見ると、これは三池版「復讐するは我にあり」である。

もちろん、この映画は「復讐するは我にあり」よりも、はるかにバイオレンスな作品である。

もとより、内容はまったく異なる。

だが根底にある、主人公の異常性やふてぶてしさは、今村昌平監督が手がけた「復讐するは我にある」の主人公と、重なる部分がある。

三池監督はこの映画に、師である今村監督の映画「復讐するは…」を重ね合わせたのではないだろうか、というのが、私の今回の妄想仮説である。

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1000㎞の大移動

11月30日(日)

朝、「前の勤務地」を出発し、新幹線と私鉄を乗り継いで、午後から「今の職場」でおこなわれる研究会に参加する。

明日(月曜)の朝9時には、福岡の某所に行って、仕事をしなければならない。

夕方5時まで研究会に参加して、翌朝9時に福岡の某所にいることは可能なのだろうか?

職場から羽田空港までは遠いし、無理だろうからどちらかを断念しようかと思って、いろいろ調べてみたら、一つだけ方法があった。

成田空港発夜7時半の福岡行きの飛行機乗れば、夜10時前には福岡空港に到着する。明日朝9時からの仕事に間に合うことになるのである。

職場から成田空港までは電車で30分ほどだから、夕方5時過ぎに職場を出ても十分に間に合う。

うーむ。これは俺に「死ね」ということかな?

計算してみたら、今日は通算で1000㎞の距離を移動することになる。

便利な世の中というのも考えものである。

一昨日、突然に連絡して晩ご飯を食べることのできる友人がいないと書いたが、一人だけいた。

気ままな一人暮らしをしている高校時代の友人、コバヤシである。

夜10時過ぎに福岡市内に着くし、翌日は朝早くから仕事なので、断られるかもしれないなと思って連絡をしたら、なんとOKの返事が来た。

ということで、夜の10時過ぎから、短い時間だが福岡のコバヤシと酒を飲むことにした。

コバヤシは、いまでも趣味でジャズバンドを結成してテナーサックスを吹いている。

先日、ある海辺の町のジャズフェティバルで演奏したという。

私も2年前の学園祭で、学生と一緒にバンドを組んでライブしたときのことを思い出した。

「恥ずかしい話なんだが」と私。「今でも、通勤の途中とかに、iPodに入れているそのときの自分のライブ演奏を聴いたりするんだ」

「バカじゃねえの」コバヤシは呆れた様子である。

「しかし不思議なもので、聴き続けていると、自分の演奏がどんどん上手くなっていくような気がするんだ。録音なのに」

私がそういうと、コバヤシは、そりゃそうだろう、という顔をした。

「それは、ずっと聴いているうちに耳が慣れてくるからだよ。最初は下手くそだなあと思っても、だんだん耳が慣れてきて、そうでもないような気がしてくるんだ」

「そういうもんかね」

「そうだよ。人間だっておなじことだ。たとえば最初にお前に会ったとき、俺はお前のことを『面倒くさいやつだ』と嫌っていたわけだが、今はもうすっかり慣れてしまって、気にならなくなったからな」

「ほう」

「つまりこれは、人間にもあてはまる真理ということだ」

「なるほど」

コバヤシからは、いつもいろいろと教えられる。

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