キムラモトモリの衝撃
月曜の夜に福岡から帰り、翌2日、朝から終日会議。
12月3日(水)
午後、ひょんさんが、教え子の大学院生一人を連れてわが企画展を見に来てくれた。
午後2時から2時間ほど展示解説をした。
一緒に来た大学院生は、専門分野が異なるにもかかわらず、好奇心旺盛に私の話についてきてくれて、適切な反応を示してくれた。
こういう院生に出会うと、ついうれしくなり、もう少し教師を続ければよかったなあ、と思ってしまう。
夕方、久しぶりの再会を祝して、ひょんさんと二人でお酒を飲むことにした。
お互いの近況は、いずれもタイヘンである。私はいうまでもなく、周りに言われるがままに旅から旅への出張暮らしをしてヘトヘトだし、ひょんさんはひょんさんで、またタイヘンな日々を過ごしていた。
ショックを受けた話が、二つほどあった。
一つは、過去への悔恨の情にかられている話のときである。
「でも、一見まわり道に思えても、人生に無駄なことは何一つないんですよ」と私。最近私はこの言葉を思いつき、いろいろな人に得意げにしゃべっていた。
するとひょんさんが言う。
「それって、ウルフルズのトータス松本が言っていたよね」
「えっ…。そうなんですか?」
「そうだよ」
「知りませんでした」
まったく知らなかった。「人生に無駄なことは何一つない」というのは、すでにトータス松本が言っていたというのだ。
そんなこともつゆ知らず、私はこれまで得意げになって、自分が思いついた言葉だとばかり思ってしゃべっていた。
うーむ。これからはこの言葉を得意げに語るのはやめよう。
もうひとつは、私がいろいろな仕事を引き受けて出張ばかりしているという話になったときである。
「キムラモトモリって知ってる?」とひょんさん。
「いえ、知りません」と私。
「戦前の有名な哲学者だったんだけど、教育学部の先生でね。当時の教育学部の先生は、全国各地の学校から講演に呼ばれることが多かったそうなんだ」
「へえ」
「で、そのキムラモトモリって人は、とても誠実な人で、講演に呼ばれると律儀に全部引き受けて、全国をまわって講演をしていた。もちろん、研究を続けながらね」
「ほう、それは忙しかったでしょうね。まるで今の私みたいだ」
「当時としては、尋常じゃない距離を移動しながらいくつもの場所で講演をしていたそうだ。そうしたらあるとき、講演先の信州で、突然死んじゃった」
「えっ?…何でまた?」
「過労でね」
「……つまり、…それは…」
私は言葉につまった。つまりキムラモトモリという人は、私のような過酷な出張ばかりしていたことがたたって、過労で急逝してしまった、というのだ。
「鬼瓦さんの話を聞いていて、急にそのキムラモトモリのことを思い出したもんでね」
私は急に恐くなった。
「こ、…恐いこと言わないでくださいよ」
「ま、要するに無理はしない方がいいってことだね」
「はぁ」
最近いろいろな人から「体だけは大事にしてください」と言われるが、このキムラモトモリの話ほど自分を戒める話はない。
と同時に、キムラモトモリという人に、俄然興味がわいてきた。
こんど時間があったら、キムラモトモリについて調べてみることにしよう。
あれこれとしゃべっていたら、あっという間に3時間がたっていた。
「今日は充実した一日でした」
「またお会いしましょう」
愉快なひとときでした。
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コメント
眞実に実在を
愛する人にとっては自己の死は何でもない
大きな交響曲の一音が私の一生であらう
發すべき時に發すべき音を發した時
そして消えた時それで一切はいい
秋雨よ静かに降り續け
投稿: コブギモトモリ | 2014年12月 4日 (木) 08時29分