大甕、故郷に帰る
12月23日(火)
朝9時半、ソウルを出発し、車で6時間かけて地方都市へ向かう。
今回の旅の最も大きなミッションは、
「イベントのさいにお借りした、人の背丈ほどある大甕(おおがめ)を、お借りした博物館に無事にお返しする」
ということである。
今回の旅では、細かなミスを連発し、周りの方々にご迷惑をおかけして、意気消沈してばかりであるが、何としてもこの大甕は、無事にお返ししなければならない。
問題は、非常に脆弱だ、ということである。
「つぎはぎだらけの焼き物」のため、運んでいる途中で、何かの振動により接合している部分から破壊してしまう危険性がある。
最悪の事態は、このつぎはぎだらけの大甕が、バラバラになってしまうことである。
私はそのことを想像し、夜も眠れなかった。
9月に、こちらの博物館からうちの博物館へお借りしたときにも、細心の注意を払い梱包して、試行錯誤しながら6時間半ほどかかって梱包し終わったのであった。
そして無事に、飛行機で日本に運ばれ、大甕は2カ月間、うちの職場でその仕事を全うしたのである。
その大甕が、いよいよ故郷に帰るのである。
日本で梱包し、空港に運び、成田空港から仁川空港へ、そしてこんどは、陸路をトラックで6時間かけて運ぶ。
この大甕は、もともと常設、つまり、この博物館でずっと展示されていたもので、お返しするときも、展示場に直接搬入して、もと置かれていたとおりに展示しなければならない。
なにしろ人の背丈ほどある大きな甕なので、展示ケースも特注品である。
四方を、大きなガラス板と、さらにその外側に、堅い木枠でガッチリとガードされるという作りである。
お借りしていた期間中は、別のものがそこに展示されていたが、明日からは大甕が、ふたたびこの展示ケースの主役になる。代役では、やはり力不足である。
観覧時間が6時に終了し、お客さんが全部いなくなったあと、さっそく作業が始まった。
この時点でまだ、大甕を梱包した大きな木箱は、開いていない。
緊張の面持ちで、木箱が開くのを見守る。
木箱の蓋が開いた!
それはまるで、人間の入っている箱を魔術師が開けるが如き緊張感である。
大甕は無事だった!
先方の担当者と、状態に変化がないかくまなく観察したが、まったくもって問題なかった!
よかった!と安堵した。
さあ、問題は、これをふたたび、特注の展示ケースに収めることである。
四方を囲っている堅い木枠をはずし、さらにガラス板をはずし、代役の品物を退場させ、その代わりにこんどは大甕を慎重に運び、展示台に載せる。
ちょっとでも気をゆるめると、今までの苦労が台無しになる。
私はただ、見守るしかなかったのだが、トラック野郎たちの献身的な働きで、無事、展示ケースに収めることができた!
大甕の周りをふたたびガラス板で囲い、さらに四方を木枠で囲い、もとの通りに戻った。
「人の背丈ほどある、つぎはぎだらけの大甕」。
私にはもはや、一個の人格を持った存在のように思えてきた。
「傷だらけなのに、よくここまで無事だったよなあ…。お疲れさん」
私は涙が止まらなくなった。ただ見守るだけしかしていないのだが。
すべてが終わったのが、作業を開始してから2時間がたった午後8時。
「人の背丈ほどある大甕」は、まるで何事もなかったかのように、元の場所に屹立していた。
明日からまた、この博物館に来た人々の目に触れるのだろう。海を渡って3カ月ものあいだ旅をしていたことなど、知るよしもなく。
私はこの博物館をおとずれるたびに、この大甕に会いに行くだろう。
そして、何十年か経って、いろいろな人に、自慢げに説明するのだ。
「むかし、この大甕は、海を渡ったことがあるんだよ」
と。
数十年後、大甕を前にしてそんなおじいさんがいたとしたら、それは私である。
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