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色紙のゆくえ

12月12日(金)

こんにちは、「細かいことにいつまでもこだわっているやつ」です。

もうおおかたの人は忘れてしまった話だが。

先日、「前の職場」に、「3年目の卒業式」のあり方についてメールを書いたところ、「前の職場」からあらためて、「卒業式」に参加した私の指導学生への色紙3名分が郵送で送られてきた。

添状には、

「貴殿へも要らぬ心配と不快な思いをさせてしまったことを深くお詫びいたします」

と書いてあった。

「要らぬ心配」、か…。無用な心配だったということか。

さらに、次のようにも書いてあった。

「今回の色紙はあくまでも参加者に授与する記念品であり、平成22年度前卒業生・修了生へお送りする趣旨のものではないことを申し添えます」

記念品、か…。

卒業生にお送りする色紙なのではなく、あくまでも参加者に対する記念品だというわけである。

そっちの理屈ではそうだとしても、卒業生からしたら、「参加した人だけがもらえる記念品」であると、なかなかわりきれるものではない。

事情があって参加できなかった卒業生もいたはずである。

腑に落ちぬことばかりだが、何を言っても仕方がない。

仕事の合間をぬって、3名の色紙にメッセージを書いて、「前の職場」に返送した。

ところが、である。

返送してから1週間。「届きました」とか、「卒業生に送りました」というような返事が、待てど暮らせど来ない。

はたして私の送った色紙は、「前の職場」に無事に届いたのか?

そして卒業生の元に無事に届いたのか?

卒業生からの「届きました」という返事を期待しているわけではない。なぜなら彼らは、依頼主ではないからである。

うーむ。せめて依頼主の「前の職場」から、何らかの反応があってもいいと思うのだが。それとも、こんな些細なことを気にする私の頭がおかしいのか…。

…と、これとは別の話なのだが、だいぶ前に、こんなことがあった。

ある依頼を受けて、急ぎの用事だったようなので、試行錯誤してなんとかそれを仕上げ、依頼主の人に送った。

そのあとすぐに依頼主の人からおかげで助かりましたという返事が来たものの、問題はそのあとである。私の仕上げたものが、依頼主から先方に提出されたあと、それが採用されたのか、それとも、ボツになったのかがわからないのである。

依頼主からその後、その件に関して何の音沙汰もないということは、私の仕上げたものが無事に採用されたということなのか。それこそ「便りのないのはよい便り」と考えるべきなのか。

いや、逆の可能性もある。

私が試行錯誤して仕上げたものがボツになってしまったものの、そのことを言うことができず、私に知らせてくれなかったのか。

あるいは、些末なことなので、ただ単に忘れてしまったのか。もうこの種の依頼は、ほかの人にバトンタッチしてしまったのかも知れない。

「その後どうなりましたか?」と私が聞けばすむ話なのだろうが、「そんなこと気にしてるの?」と思われそうで、聞くことができない。色紙の件も同様である。

いずれにしても、そんなことは、依頼主にとっては些細なことだったには違いない。

翻ってみれば、私自身も、ひょっとしたら、相手にとっては重要なことでも、些細なこととして片づけてしまっていることが、これまでにあったのかも知れない。これまでを振り返り、自分を戒めるばかりである。

こんなことばかり延々と考えていると、気に病んでしまいそうである。

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コメント

では続いて、立候補予定者のこぶきさんです。持ち時間は3分です。

(チン)

えー、卒業式に色紙の配布は不要です。

確かに低予算で済み、素材も紙というエコにやさしい企画であり、師弟愛溢れる企画ではあります。

しかしながら、卒業式の記念品と言えば時計とか万年筆とか、学校名だけ刷り込んでおいて、あとは卒業生なら誰にあげてもいい品物でないと、直前になって誰が来る、来ないで追加発注などのコストがかかります。

そもそも、色紙というものは、その場で人から人に渡すのが本来の姿ではありませんか。

おそるおそる「サイン下さい」と声をかけて、目の前で「まいうー」とか書いてもらうから価値があるのであって、実はマネージャーが夜なべで書いたアイドル歌手のサインを本人の直筆だと思い込んで、後生大事に持っていた、などという悲劇は枚挙にいとまがありません。

ではどうすればいいのか。わが党には対案があります。

3年ぶりだからといって気負わずに、普段通りの卒業式を行えばいいのです。袴を着て、写真を撮って、祝賀会で乾杯をして。卒業生達がやりたかったのは、ごくありふれた日常を取り戻すことではなかったのではないのでしょうか。

では、ごく当たり前の卒業式で、異動した教員が果たす役割とはなんぞや。

ズバリ、祝電です。来ない来賓は祝電を打つというのが、世の習い、卒業式の鉄則であります。

政治家や教育関係者の中に紛れて、文面も以下省略された祝電披露の最後に、ぼそっと恩師の名前が呼び上げられる。

それだけで、ゼミの卒業生には伝わります。否、ゼミ生以外の、その場にいる卒業生全てに対しても、その先生の名前を呼ぶことで、それぞれの脳裏に、大学生活のなんらかの記憶の断片を、よみがえらせることに繋がるやもしれないのです。

(「あと15秒」のチン)

このように、わが党では「色紙から電報へ」のスローガンのもと、卒業式改革を訴えています。では最後に、私からも祝電を披露させて頂き、この討論を締めさせて頂きます。

「6年間で小さくなったもの=机、ランドセル、自転車。 大きくなったもの=身体、友達の輪、そして夢。鬼瓦ちゃん、卒業おめでとう。... あれ、間違っちゃった。

(チンチン)

これにて、公開討論会の設問テーマは全て終了しました。ありがとうございました。


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明日12/14(日)は、衆院総選挙の投票日です。

今日12/13も期日前投票が行われており、前もって投票することができます。

よい子の読者のみなさんも、どうぞ忘れずに投票して下さいね。


電報申込サイト D-MAIL
http://www.ntt-east.co.jp/dmail/

投稿: 討論こぶぎ | 2014年12月13日 (土) 10時17分

ラジオ番組「ちぇ いるぼのさじょん」の途中ですが、ここでニュースが入ったようです。ニュースセンターよりお伝えします。

はい、ニュースセンターです。

平成26年3月に起こった紅坂学園高校生のいじめ自殺事件の民事裁判で、州山地方裁判所は判決の後に、スタッフ全員によるカーテンコールを行いました。

繰り返します。来場者アンケートで一部のファンから熱望の声が上がっていた、役者とスタッフ全員が舞台に上がってのカーテンコールが、いつものスライドショー的エンディングの後に行われました。

以上、ニュースセンターからでした。では、番組の続きをどうぞ。

投稿: 速報こぶぎ | 2014年12月13日 (土) 21時04分

なんと!こぶぎ候補者ともども、私は3年ほど前から「裁判終演後のカーテンコールを実現する市民運動」を地道に展開してきましたが、ついにその声が聞き届けられて、ようやく実現しましたか!とてもうれしいです。その場に居合わせたかった!

この調子で、「気負わずにふだん通りの卒業式をおこなう市民運動」のほうも、実現に向けてがんばりましょう!こぶぎ候補者。

投稿: onigawaragonzou | 2014年12月13日 (土) 21時39分

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