ハンドベルは世界を救う!
久々に、ハンドベルの演奏を実際に見て感動した。
私はそもそも、ハンドベルの演奏が好きなのだ。
何時間見ていても、たぶん飽きない。
なぜ、それほど好きなのか?
それは、ハンドベルによる演奏が、他の演奏とはまるで違う性格のものだからである。
ピアノやギターや金管楽器や弦楽器などは、それじたいでメロディーを奏でることができる。
だが、ハンドベルは、それ一つではメロディを奏でることはできない。
ピアノやギターなどは、上手な人が目立ったりするし、ダンスも、上手な人や見た目のいい人が目立ったりする。
だが、ハンドベルにはそうした要素がほとんどない。技巧的である必要もないし、見た目もまったく関係がない。
どんなにがんばっても、自分が出せる音は、一つの音しかないのである。
その意味で、徹底的に平等な条件の下で、一人ひとりがハンドベルの音を出している。
しかも、どの音が一つ欠けても、曲としては成立しなくなる。
ベルを持った一人ひとりが、自分の音に責任を持たなければならない。
合唱のように、自分の声が埋もれてしまう、ということはないのだ。
つまりハンドベルによる演奏とは、「自分の持ち場をがんばる」「自分の役割を知る」ことの大切さを学ぶことのできる、最もふさわしい演奏法なのである。
だから私は思うのだ。
ハンドベルによる演奏こそが、あるべき社会の姿である。
ハンドベルを練習すれば、自分が社会でどんな働きをすればよいかがわかるのではないか、と。
学校の授業で「道徳」を必修にするよりも、「ハンドベル」を必修にすべきである。
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