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2015年1月

よしなしごと賛歌

「かっぱえびせん」の話は、誰にも共感を得られなかったようだ。

それはともかく。

以前、

「人生に無駄なことなんて何一つない」

という名言を考えついたのだが、ある同世代の友人から、「たしかその言葉、トータス松本が言ってたよね」と言われた。

その後、その友人がトータス松本の「明星」という曲を紹介してくれた。その曲の歌詞の中に、

「何もかも 間違いじゃない

何もかも 無駄じゃない」

という一節があった。その友人が言っていたのは、この歌詞のことだったんだな。

若いころから私は、「歌詞のある曲」というのをあまり聴く習慣がなく、したがってウルフルズとかトータス松本の曲も、ほとんど知らなかったのだが、それ以来、私はこの曲をiPodに入れて、折にふれて通勤時間などに聴いたりしている。

むかしこの友人が、「実はウルフルズが好きだ」とカミングアウトした文章を書いたのを読んだことがあって、意外に思ったものである。一見クールにみえて、実はとてもウェットな人間であるということに、そのとき気づいたのである。ウルフルズのような、底抜けに明るく、前向きな歌詞に励まされて自分を奮い立たせているのだな、と思った。

まあウェットな人じゃなきゃ、このブログは読みつづけられないわな。

「明星」は、とくに私のようなオッサン世代にとっては、励まされる歌詞であふれているのだが、実はこの歌詞ある部分は、何となくちぐはぐなのである。

「この頃あのバカ 連絡ないけど

アメリカ行ったかな

そういえば今朝 ぜんぜん関係ないヤツに

留守電入れたの 今気づいたよ

あのコにあいたい

あのコにあいたい

夢でもいいから」

とか、

「「地球にやさしく」って言われても

何すりゃいいのかよ

それよりオレにもやさしくしてくれよ

頑張ってるんだから

タバコも吸わずに

パソコンがなんだ

検索がどうした

答えは見つけたか

最終電車で拾ったマンガを読んだら

涙が止まらない

腹が減ったな 何か食べたい

何か食べよう あったかいものを」

といった部分。

何度か聴いても、何だか意味がよくわかんなかったんだが、今日、仕事からの帰りの電車の中で、グッタリ疲れた状態で聴いていたら、その意味がようやくわかった。

これって、サラリーマンが勤め帰りの電車の中で、グッタリしながら頭の中に思い浮かぶような「よしなしごと」ことを、そのまま歌詞にしてみたんじゃないだろうか。

例えば最初の部分。これは3つの内容に分かれる。

①この頃あのバカ連絡ないけど、アメリカ行ったかな

②そういえば今朝 ぜんぜん関係ないヤツに留守電入れたの、今気づいたよ

③あのコにあいたい、あのコにあいたい、夢でもいいから

この3つは、何の脈絡もない「よしなしごと」である。だが、私たちは電車の中でボーッとしているときって、こんな感じで、脈絡のない「よしなしごと」を次々と考えているのではないだろうか。

後半の部分もそうである。

①「地球にやさしく」って言われても何すりゃいいのかよ。それよりオレにもやさしくしてくれよ。頑張ってるんだから、タバコも吸わずに。

②パソコンがなんだ、検索がどうした、答えは見つけたか。

③最終電車で拾ったマンガを読んだら、涙が止まらない。

④腹が減ったな、何か食べたい。何か食べよう、あったかいものを。

これも同じ。これって、ふだん俺が、電車の中でボーッと考えているようなことじゃないか。

「今日のあの会議での発言、言わなきゃよかったなあ」「いまさらだけど、俺にもなんか役に立つことあるかなあ」「そういえばあいつ、今ごろどうしているかなあ。何で連絡くれないのかなあ」「あのときは裏切られた感じがして、涙が出たなあ」「腹減ったなあ」「何かあったかいものでも食べたいなあ」

どんなに心配事があっても、どんなに悲しくっても、腹は減るものだ。あったかいものを食べれば何とかなる。人間の日常なんて、こんな断片的思考の連続なのではないだろうか。

それをトータス松本は、歌詞に表現したのだ!

…これも、ひょっとして共感を得られないか。

いや、でもためしに、仕事からの帰り道に自分がどんなことを考えていたかを、ひとつひとつ振り返ってみるがよい。

きっと、たいしたことは考えていない。

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サクサク地獄

1月29日(木)

日帰り出張。

新幹線とバスを乗り継いで、片道5時間以上の旅である。震災の影響で、今もバスによる代行輸送が続いているのだ。

新幹線を降りて駅を出て、バスに乗り換える。ちょうどお昼頃出発のバスなので、お客さんもまばらである。2列並んだ座席を独り占めできるくらいすいていた。

バスが出発した。車内は静かである。

ほどなくして、

サクサクサクサクサク

という音が聞こえてきた。

誰か、かっぱえびせんを食べているな。かっぱえびせんを食べている音に違いない。

ふと横を見ると、通路をはさんだ斜め前の席で、これから帰省する大学生、といった感じの女の子が、かっぱえびせんの袋を手に持っていた。お昼ご飯代わりに、かっぱえびせんを食べているのだろうか。

サクサクサクサクサク

サクサクサクサクサク

食べている本人にとっては、誰に気兼ねすることもなく、かっぱえびせん一袋を独り占めしてモリモリ食べるというのは、至福の時なのであろう。

だが、私からすれば、その音が気になって仕方がない。

見るとはなしに見ると、その人は、袋からかっぱえびせんを2,3本ずつ、指でつまんで取り出して、それを無造作に口の中に放り込んで、

サクサクサクサクサク

と、いい音を立てて食べている。

しかし、この

サクサクサクサクサク

という音を聞いていると、むしょうに腹が立って仕方がない。

わかるかなあ、この感覚。

かっぱえびせんは、自分が食べているときは気にならないが、他人が食べているときの

サクサクサクサクサク

という音は、なぜか腹が立って仕方がないのである。

かっぺえびせんを食べるときの、

サクサクサクサクサク

という音は、どうもバカにされているように聞こえてしまうのだ。

静かな車内に、

サクサクサクサクサク

という音が鳴り響く。

2,3本をいっぺんに指でつまんで袋から取り出して、無造作に口の中に放り込んでは、

サクサクサクサクサク

この繰り返しである。

静かな車内でその音を繰り返し聞いていると、だんだん自分がバカにされているような気になってきた。

わかるかなあ、この感覚。

試しにいっぺん、近くにいる人に、

「すみません。かっぱえびせんを食べてみてください」 とお願いして、

サクサクサクサクサク

という音を聞いてみるとよい。

なぜかむしょうに腹が立ってくるはずである。

いったいこの

サクサクサクサクサク

はいつまで続くのだろう?と思って見ているが、いつまでたっても、袋の中のかっぱえびせんはなくなる様子がない。

2,3本を指でつまんで取り出しては、口の中に無造作に放り込んで、

サクサクサクサクサク

の繰り返しである。

かっぱえびせんの一袋って、相当な量があるのだな。

20分ほど、一定のペースで、

サクサクサクサクサク

が続く。いったい袋の中にはどんだけの量のかっぱえびせんが入ってるんだ?

20分たってようやく、袋に残ったかっぱえびせんの粉を、袋から直接口の中に放り込む仕草をして、食べ終わったようだった。

(やれやれ、拷問だったなあ…)

と思った矢先、こんどは、後ろの席で、お菓子の袋を空ける音がして、

サクサクサクサクサク

…もう勘弁してくれよ!

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なくなりそうでなくならないこうもり傘

以前、「傘運がない」という文章を書いた。

傘とは、たいていどこかに置き忘れてしまうか壊れてしまうかの、悲しい別れ方しかしない。だからいつも高価なこうもり傘は買わず、いつなくしてもいいような安物の傘ですませていた。

だが、これではいけないと思い、前の勤務地にいたとき、オシャレな雑貨屋さんで、これまたオシャレなこうもり傘を買った。

自分にとって、いままででいちばんお気に入りのこうもり傘である。

(こんどこそ、絶対なくすもんか!)

幸い、前の勤務地を離れた今でも、その傘は壊れることもなくすこともなく、健在である。

しかし、何度もなくなる危険に見舞われた。

一番多いのは、飲み屋に忘れてきてしまうことである。

とくに、職場の近くにある、「よく行く飲み屋」に忘れることが多い。

あとでハタと思いだし、翌日、その傘を取りに行くのである。

いつだったか、「今世紀最大の二日酔い」事件の時も、やはり職場の近くにある、行きつけではない店にこうもり傘を置いてきてしまった。置いてきたもなにも、このときは1次会の店を出た時点でまったく意識がなかったのだから仕方がない。

翌朝、二日酔いの朦朧とする意識の中で、傘を忘れてきたことを思い出し、職場に行く前にその店まで行って、傘を取り戻してきた。

朝早かったので、もちろんお店は閉まっていたが、幸いなことに、傘立てが店の外に置いてあったので、傘を取り戻すことができたのである。

店の外の傘立てに、寒そうに立てかけてあったこうもり傘。

(よかった…。お前ここにいたんだね…)

まるで、迷子になって外で震えていた飼い犬と再会した気持ちである。もっとも、犬を飼ったことがないので適切なたとえかはわからないが。

また、こんなこともあった。

職場からの帰り、駅のホームでベンチに座って待っていると、特急電車がホームに入ってきたので飛び乗った。

電車に乗ってから気がついた。

(いけね!こうもり傘をベンチに置いてきちゃった!)

私はベンチの椅子の背もたれに傘を立てかけたことを忘れてしまい、それを持たずに電車に乗ってしまったのである。

あなたならどうしますか?

以前の私だったら、もういいや、とあきらめていたのだが、なにしろお気に入りのこうもり傘なのだから、あきらめるわけにはいかない。

10分ほどして次の駅に電車が到着したので、急いで電車を降り、反対ホームの電車に飛び乗って、先ほどの駅に戻った。

(誰かが持って行っちゃったかな?それとも駅員さんが片づけちゃったかな?)

と不安だったが、ベンチに駆けつけると、椅子の背もたれのところに、ちょこんと、傘が立てかけられたままだった。

(よかった…。お前、まだいたんだね)

やはり迷子の飼い犬と再会した気分である。

さて、先日の月曜日(26日)。

午後から雨が降るという予報だったので、お気に入りのこうもり傘を職場に持っていった。

その日の夕方、10人ほどのお客さんをアテンドして、職場の近くのいつもの飲み屋さんに行った。このとき、雨は降っていなかった。

夜8時半過ぎ、懇親会が終わり、カバンを持ってお店を出たが、何かが足りない。

(傘だ!傘がない!)

慌ててお店にもどった。

おかみさんに、

「傘、見かけませんでした?」

と聞くと、

「さあ」

という。

「私、今日傘持ってきてましたよね」

とおかみさんに確認すると、

「ええ、たしかに傘を持ってお入りになりました」

とおかみさんが答えた。

お店中を探してみるが、傘が見当たらない。

「外の傘立てに立てませんでしたっけ?」

私は記憶が曖昧になった。

「いえ、今日は、傘立てを外に出してないです。『雨が降りそうだから、傘立てを外に出そうかな』と思っていた矢先に、みなさんがおいでになったので、傘立てを外に出すタイミングを逸してしまったのです」

すると、傘はどこに行ってしまったのか?

「誰かが間違って持って行ってしまったんでしょうかねえ」

みなさん相当飲んでいたようだから、誰かが間違って持っていったのかもしれない。

「先生、もし傘が見つかったらご連絡しますよ」とおかみさん。

「お願いします」と言って、とりあえずその日は家に帰った。

それにしても、傘をなくしてしまったのは惜しい。

やはり、こうもり傘とはこういう別れ方をする運命だったのだ。

翌日の火曜日。

職場の仕事部屋にいくと、なんとお気に入りのこうもり傘が置いてあった!

私はてっきり、飲み屋にこうもり傘を持っていったと錯覚していたが、実は職場にこうもり傘を置いたまま、飲み屋に行ったのだった。

(よかった…。おまえここにいたんだね)

またしても、迷子になった飼い犬に再会した気分。

もはやこれは、「なくなりそうでなくならないこうもり傘」である。

それにしても不思議である。

私は、こうもり傘を飲み屋に持っていったと思い込んでいたのだ。あの記憶は、何だったのだろう。

そしてさらに不思議なことは、飲み屋のおかみさんも、「先生はたしかにこうもり傘を持ってお店に入ってきました」と証言していたのだ。

これって、「空脳(そらのう)」でしょうか。

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他人の星

ウルトラセブンのシリーズの中で、大人になってからそのよさがわかったエピソードが、市川森一脚本の「盗まれたウルトラアイ」である。

怪獣のぬいぐるみを作る予算がなくなったために、市川森一が怪獣の出てこないエピソードを書き上げた、という話は有名である。したがってこの回では、ウルトラセブンが怪獣と戦う場面がない。

子どもからしたら、なんとも物足りない感じがするが、それでもこのエピソードを、シリーズ中のベストにあげる人は多い。私もその一人である。

マゼラン星から地球に派遣されたマヤは、ウルトラセブンの変身を阻止するために、モロボシ・ダンの持つ「ウルトラアイ」を盗む、という任務を遂行する。

任務を遂行したマヤは、マゼラン星からの迎えを待つが、マゼラン星からはいっこうにマヤを迎えにくる気配はない。

それどころか、マゼラン星は地球に向かって弾道ミサイルを撃ち、マヤもろとも、地球を爆破しようとしたのである。

地球防衛軍は、その事実を通信傍受によって知る。

「裏切られたんだよ、自分の星に」モロボシ・ダンはつぶやく。

そのことを、ダンはマヤに伝える。

マヤ「この星の命も午前0時で終わりです」

ダン「君も死ぬのか」

マヤ「私は仲間が迎えに来てくれるわ」

ダン「誰も来ない、君は初めから見捨てられてたんだ」

マゼラン星からの通信を傍受したメッセージを見せられたマヤは、愕然とする。

ダン「この星で生きよう。この星と一緒に」

だが自分の星に裏切られたことを知ったマヤは、自殺してしまうのである。

何とも救いのない話であるが、いまなぜこの話を私が思い出したのか、その寓意はおわかりだろう。

ダンとマヤとの、次の会話もまた、印象に残っている。

ダン「ウルトラアイをなぜ取った」

マヤ「それがあたしの任務だから」

ダン「地球を侵略するつもりなのか」

マヤ「こんな狂った星を? 見て御覧なさいこんな狂った星、侵略する価値があると思って?」

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心配はいらない

1月25日(日)

今日は一日、まるでブレーカーが落ちたようにまったく体が動かず、死んだように眠っていた。

妻に勧められて、フジテレビのドラマ「問題のあるレストラン」の第1回を見た。

見ているうちに、だんだん腹が立ってきた。

真木よう子ほか、俳優の演技じたいはすばらしい。とくに私は、ショートカットの真木よう子のファンなのだ。

そんなことはどうでもよい。

私がよく言う、山田太一脚本の「高原へいらっしゃい」、市川森一脚本の「淋しいのはお前だけじゃない」の系統に連なる、「さまざまな事情をかかえた人間が、一つの目的に向かって突き進むドラマ」であるとみた。

あるレストランを舞台にした話なのだが、男性上層部の女性社員に対するセクハラやパワハラの実態を、多少誇張しながらも、あますところなく描いている。

「女性が輝く職場」などとうたいながらも、実際は、男性が管理職をしめ、女性の人権をないがしろにするような態度を平気でとっている。そこに腹が立ったのである。

「あれはドラマの世界だよ、あんな大げさなことがあったら、いまの会社は社会的信用を失って潰れるよ」

と思うかもしれないが、それは問題の本質を見誤っている。

どんな些細なレベルでも、セクハラやパワハラを受けた側は、大きな心の傷を負うのである。

その根底には、いまだにはびこる男性優位の風潮がある。

「前の職場」でも、その傾向があった。

「男女共同参画の職場」とうたっておきながら、その実、社長をはじめとする執行部は、全員男性である。

もし「男女共同参画」をうたうのであれば、まず理事に女性を入れるべきである。そのうえで、実力を競わせればよいのだ。

だが、そんな発想を持つ上層部は、誰もいなかった。

高等教育機関ですらそのレベルだから、あとは推して知るべしである。

…と、そんなことを考えたのは、卒業生たちのことが頭に浮かんだからである。

ここから先は、全然別の話。

数年前、私が指導するある4年生から、相談を受けた。

AとBと二つの会社から内定をもらったのだが、どちらにしたらよいか。

Aは、自宅から少しだけ離れているが、比較的大きな会社。

Bは、自分の住む町にある、小さい会社。

自分の住む町に愛着があるので、Bの会社も捨てがたい、という。

私は、「Aの会社がいいと思う」と答えた。

自分の住む町のために働くのもよいが、それよりも比較的大きな会社で、多くの同僚たちに揉まれながら視野を広げていく方がいいと思う、と。

その学生はAの会社に就職した。

そして最近、その卒業生に、

「職場はどう?」

と聞くと、

「いまの部署で、はじめて壁にぶつかりました」

という。

「どうして?」

「面倒な上司にあたってしまって、そのとばっちりを受けてイヤな思いをして、そのせいで仕事のやる気も失っています」

まあ、職場ではよくあることである。

「これも序の口でしょうけど、大人の世界ってヤツですね。勉強だと思ってがんばります」と言ったあと、こう付け加えた。

「でも基本的には、人に恵まれていて、いい職場です」

私は、あのときAという会社を勧めてよかったのかどうか、たまに考えることがあったが、「いい職場です」と言ってくれたことに、少し安堵したのであった。

これから先も、職場や社会では、理不尽なことが起こるかもしれない。

理不尽なことには、抗ってほしい。

…いや、私がそんな心配をせずとも、私の卒業生は、自分の道を自分で切り開くことのできる人だから、もう心配はいらないのかもしれない。

同じ志を持つ職場の仲間たちが、きっと支えてくれるだろう。

遠くから見守ろう。

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ズボン秘話

1月23日(金)~24日(土)

今回の旅(22日~24日)では、多くの人に会った。

とくに2日目以降は、多くの人と再会した。

あたたかく迎えていただき、「また来てください」と言われた。

帰りの新幹線では、この旅で再会したさまざまな人たちのことを思い返し、ありがたくって涙が出た。

…しかし、である。そんな感動の旅の裏に、こんな事実が!

旅の2日目、つまり23日(金)の朝のこと。

朝起きて、ズボンを履こうと思って驚いた。

ズボンが破れている!

しかも、股の部分が、ザックリ破れているではないか!

かなりはき古していたこともあり、ズボンがくたびれていたことはうすうすわかっていたが、いつの間にか、股の部分が破れていたのである。

明らかにこれは、私の太り過ぎによる亀裂である!

太りすぎが原因でズボンが破れるなんて、ポンコツ人間もいいところだな。

それにしても、いつから破れていたのだろう?

旅が始まった昨日の時点で、すでに破れていたのだろうか?

もしそうだとすれば、私はズボンの股の部分が破れたまま、満座の席でエラそうに講演をしていたことになる。恥ずかしいことこの上ない。

…まあ、過ぎてしまったことを嘆いても仕方がない。

問題はこのあとである。

今日(23日)と翌日には、仕事も含めて多くの人たちと再会する。大事な人たちと会うのにもかかわらず、まる2日間、股の破れたズボンをはいたまま過ごす、というのは、これから会う人たちに対しても失礼だし、人として最低である。

さらにこの2日で、股の亀裂がさらに拡大するおそれがある。もし食事の席で、畳の上であぐらをかこうものなら、最悪の事態を招くだろう。

その場合、ズボンの右足の部分と左足の部分が、真っ二つに裂けてしまうこともありうる。

替えのズボンも持ってきていない。さあ困った。

不幸中の幸いで、仕事先の集合時間までは、まだ少し時間がある。

駅前にある老舗のデパートに、開店と同時に入り、探してみたが、上品でスマートな人のためのズボンしか置いてなく、私のサイズにあるズボンなど、あるはずもない。

ハタと思いつき、少し離れた場所にある紳士服の量販店に行くことにした。ここは以前住んでいた町なので、紳士服の量販店がどこにあるかなどは、頭の中に入っていた。

店に入るなり、店員さんに聞いた。

「私のサイズに合うズボンをください!」

店員さんに勧められるがままにズボンを試着し、それに決めた。

「裾直しに、どれくらいかかりますか?」私は聞いた。

「お急ぎですか?」

「ええ、とても急いでいます」

「15分でできると思います」

「わかりました」

15分後、裾直しが終わった。

店員さんは、何かを察したようで、

「履いていかれますか?」

と言ってくれたので、

「はい、履いていきます!」

と答え、その場で股の破れたズボンを捨て、新しいズボンに履き替えて、店を出た。

昨日までのヨレヨレのズボンにくらべれば、はるかに履き心地がいいし、しっくりくる。さすがに高いだけある。

何より、股が破れていることを気にする必要がなくなったことが嬉しい。

かくして、何事もなかったかのように2日目の仕事場に到着し、その後の予定は、すべて順調に進んだ。

股が破れていることを気にする必要がなくなったおかげで、心おきなく、再会した人たちとお話しすることができた。

幸い、履いていたズボンの股が破れたために新しいズボンを買って履き替えたことに気づいた人は、誰もいなかった。よかったよかった。

これからは、替えのズボンを常に持ち歩くか、痩せるかの、どちらかを心がけなければならない。

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試されるのは、どっちだ

1月22日(木)

またまた旅の空です。

先週の唐津から一転して、今回は雪国。

まるで時計の振り子のように、北へ行ったり、南へ行ったり、そしてまた北へ行ったり。

今日は、専門家の方々の研修会で、お話しをさせていただいた。40人くらいいただろうか。

いつも思うのだが、「俺ごときの話が、はたして何の役に立つのだろうか?」と。

その思いに、いつも苛まれる。

申し訳ないと思いながらも、一つでもお役に立てればと思い、非力ながらお引き受けすることにした。

今回は、講演のあとに、実践編ということで、実際に私が、満座の中で、ぶっつけ本番で「依頼に答える」という企画があった。

いつもは、依頼者と私との間でおこなわれているやりとりを、列席者全員の前で公開でおこなうというものである。私にとっては初めての体験である。

事前に何の打ち合わせもなかったので、どんな依頼が来るのかドキドキだったが、とても楽しかった。自分の力量が試されているみたいで、私にとってもすごく勉強になった。

「研修」とは、受ける側だけが切磋琢磨すればいいというものではなく、受ける側と提供する側とが、お互いに切磋琢磨する場なのだということを、あらためて実感した。よい「研修」とは、たぶんそういうものなのだと思う。

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職人魂に火をつけろ!

1月21日(水)

職人さんと一緒に作ってきた作品のうちの何点かが完成したというので、職場に完成品を持ってきてくれた。

すばらしい出来である。

…いや、たぶんふつうの人が見たら、「何だこれ?」と思うかもしれないが、私からしたら、かなりレベルの高い仕上がりである。

私にとっては、鉄道模型などよりもはるかにこっちの方がグッとくるのだ。

「いやあ、すばらしい。よくここまでに仕上げましたね」と私。

「いえ、鬼瓦さんの指示通りに作ったらこうなったのです」と若き職人さん。

もちろん営業トークだろうが、その職人さんはよく、「鬼瓦さんは、方針がしっかりしていてブレないので、仕事がやりやすい」と言ってくれていた。

「そうでない人もいるんですか?」

「ええ、いますね。私どもとしては、依頼主に判断していただかないと何ともしようのないこともあるんです。鬼瓦さんは、いつもちゃんと言ってくださるので、とても助かります」

この1年間、職人さんたちと仕事をしてみて、学んだりわかったりしたことは多い。

依頼主の私が、どういう方針でそれを作ってもらいたいか、まずビジョンをはっきりさせる必要がある。

その上で、職人さんに、いろいろと具体的な注文をつける。

それは理不尽な注文ではなく、ちゃんと理にかなった注文でなければならない。

こっちがレベルの高い要求をすれば、職人さんはそれに応えようとしてくれる。

何でもそうだが、仕事というのは、「いま自分がやっていることに意味があるのだ」ということに気づいたときに、やりがいが生まれるのである。

職人はプロだから、理にかなっている要求には、ちゃんと応えてくれるのだ。

だから私の仕事で大事なことは、「職人さんをその気にさせること」「職人魂に火をつけること」「意味がある作業だということに気づかせること」なのである。

そのためには、私自身がその仕事に対して誠実でなければならない。

こっちが本気だということがわかれば、職人さんも手を抜くわけにはいかなくなる。

さて、できあがった作品、公開は数年後である。

しかも、とても地味な作品なので、気がつかずに通り過ぎてしまわれるかもしれない。

誰が作ったのか、といったことは、その作品を見てもわからない。

もちろん、私の名前が書いてあるわけでもない。

数十年もたてば、誰が作ったかなんて、わからなくなってしまうだろう。

でも私は信じているのだ。

この作品は目立たないけれど、これからも残り続けるだろう、と。

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準工業地域

1月19日(月)

久しぶりに、通勤のために最寄りの駅まで自転車に乗ったら、危うくトラックにひかれそうになった。

まあそんなことはともかく。

午前中、職場で仕事をして、午後、業務命令で都内のある町に行く。

ほんと、よく働くなあ。

何度でも書くが、この世で最も尊い仕事は、「目立たない仕事」ですからね。「目立つ仕事」はあとに残らないが、「目立たない仕事」は、後々まで残るのだ。

そこのところを間違えないように。

…と自分に言い聞かせる。

職場から、電車を乗り継いで2時間近くの場所。

新宿駅で都営大江戸線に乗り換え、降りたこともない駅に降り立つ。初めておとずれる町である。

町の名前の印象から、やきとり屋が多いイメージがあるが、それはむかし、そんな名前の映画があったせいだろう。よくある住宅街といった感じである。

事前に、

「駅から徒歩6~7分、実物大の電車が目印で、その向かいが工房です」

とだけ言われ、それだけをたよりに町を歩く。するとほどなくして、実物大の電車が見えてきた。

その向かいにある小さな建物が、工房である。

そこでひととおり仕事を終えたあと、聞いてみた。

「ここは本社とはずいぶん離れていますね」

「本社には営業担当の者がいるだけで、実際の作業はこの工房でやっています」

「なぜですか?」

「ここは準工業地域なんですよ。だからこの町に工房を置いているのです」

「準工業地域?」

恥ずかしながら、初めて聞いた言葉である。住宅街の中に、環境悪化のおそれのないような工場を置くことが許されている地域のことをさすらしい。

「向かいの立派な建物の前に、実物大の電車が置いていたでしょう?」

「ええ、よく交通公園にあるような」

「あの建物は、日本でも有名な鉄道模型の会社なんですよ」

「え?そうなんですか?」

会社の名前を聞いたが、私は初めて聞いた会社名だった。

「知らないんですか?鉄道模型の分野では誰でも知っている有名な会社ですよ」

「そうなんですか」

またしても、私の無知がさらけ出された。

「もともとは小さな工場だったのですが、最近建物をリニューアルして、敷地も広げて、立派な建物になりました。1回には鉄道模型も売っていますから、帰りがけにぜひ入ってみたらいかがです?」

「はあ」

工房を出た目の前が、その鉄道模型の会社の新築ビルである。

帰りがけにそのビルの中に入ってみると、1階の広々としたフロアには鉄道模型が展示・販売されていた。

マニアにはたまらないのだろうが、私は鉄道にさほど興味がないので、「ふーん」という感じで、特に感慨もなく出てきてしまった。

なるほど、ここは準工場地域だから、鉄道模型の工場もここに置かれたということなのだな。

だからどうだというわけではないのだが、なぜこんな住宅街の中に日本でも有数の鉄道模型の工場があるのか、その謎が解けたことの方が、むしろ私には鉄道模型そのものよりも重要であった。

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オリエント急行の殺人

1月18日(日)

昨日の高山祭の件で、私の常識のなさが露呈されてしまったが、似たようなことは今日も起こった。

正月に放送されていたドラマ「オリエント急行殺人事件」を録画していたので、見ることにした。世界的に著名なアガサ・クリスティの推理小説を、三谷幸喜が日本の昭和初期に舞台を置き換えて脚色したドラマである。

見ているうちに、犯人が気になってきた。

「うーむ。犯人は誰だろうなあ」

「え?知らないの」と妻。

「知らないよ。だってアガサ・クリスティの小説なんていままで読んだことないもん」

「名探偵ポアロシリーズも見たことないの?」

「ないね」

「考えられへん。こういう人がいたとは」

「どういうこと?」

「オリエント急行殺人事件は、結末まで全部知っていて、それをどう脚色するかを見るドラマでしょう。つまり歌舞伎や落語と同じで、世界中の人がこのストーリーを知っているんだよ」

「ええええぇぇぇぇぇっ!そうだったの?」

「私なんか、むかし学校の読書感想文をアガサ・クリスティの本で書いたくらいだから」

そうだったのか…。

だがストーリーを知らないおかげで私は、このドラマをとても新鮮に見ることができた。

ドラマに出てくる、鉄道省の役人・高橋克実とまったく同じリアクションをとりながら、ドラマを見ていたのである。

それにしても私の知識は、なんとバランスを欠いていることか。コロンボは全エピソードを見ているのに、ポアロシリーズはひとっつも見たことがないのだ。

これからアガサ・クリスティの小説を読んで、これまでの遅れを取り返さなければならない。

しかしやはりこれも問いたい。

「オリエント急行殺人事件」は、誰もがその犯人を知っているくらい有名なストーリーなのか?

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高山祭論争!

1月17日(土)

唐津の話の続き。

寿司屋を出て、福岡に住む高校時代の友人・コバヤシと曳山展示場を見学していたときのことである。

唐津は、毎年11月初めにおこなわれる「唐津くんち」というお祭りが有名である。いわゆる曳山行事で、市内の各地区の人たちが江戸時代以来の「ヤマ」を勇壮に曳きながら、市内を練り歩く。この時期になると、唐津の人たちはお祭り一色になるのだ。

展示されている「ヤマ」を見ながら、ひとしきり伝統祭りの話になったのだが、そのときコバヤシが、

「日本の祭りといったら、何といっても、高山祭が有名だよな」

と言いだした。

「高山祭?飛騨高山の?」

「そう」

「さあ、あまりよく知らないけど」と私が答えると、

「え?お前、知らないの?有名なお祭りだぜ」

「ちょっと待て」と私。「そりゃあ、高山に行ったこともあるし、古い町並みが残るいい町だということも知っている。お祭りだって当然あるだろう。だけど、高山祭が有名かどうかは、別の話だぜ」

「いや」コバヤシが反論する。「高山祭は、日本人なら誰でも知ってる、超有名な祭りだぜ」

「それは言い過ぎだろ」と私。「たんにお前が、子供の頃に高山に住んでいたことがあるから知ってるだけだろ」

「バカも休み休み言え」とコバヤシ。「お前、高山祭を知らないなんて、大人として恥ずかしいぞ。日本三大祭りの一つなんだぜ」

「聞いたことないぞ」と私。「高山祭よりも有名な祭りはいくらでもあるだろ。例えば、この「唐津くんち」だって有名だぞ。小学生のころ、NHKの「新日本紀行」で見た記憶があるもの。それでこのお祭りのことを知ったんだ」

「唐津くんちなんて、九州の中では知られているけど、全国的な知名度はない。だが高山祭は全国的に知られているぞ」

「そうかぁ?だって「新日本紀行」で見た記憶がないもん」

「それはお前が、たまたま高山祭の回を見逃したんだ。絶対放送されてるって」

「ちょっとまて、じゃあ、諏訪の御柱祭はどうだ?あれだって小学生の時、『新日本紀行』を見て知ったんだから」

「知名度から言ったら、高山祭は、諏訪の御柱祭の比ではないぞ。じゃあ試しに、ご家族に聞いてごらんよ。絶対知ってるはずだから。…というか、なんでお前は有名無名の基準が「新日本紀行」なんだよ!」

「いや、いままで生きてきて、家族の中で「高山祭」のことが話題にあがったことはない!」

「そんなはずはない!きっとあたりまえすぎて話題にあがらなかったんだ!」

…とまあ、いいオッサンが、高山祭は全国の誰もが知っている有名な祭なのか否かで、口論を始めたのである。

こういうときになると、コバヤシは一歩も引かない。

私も負けじと反論するのだが、たいてい私は、コバヤシの一歩も引かない独善的な弁舌に敗れてしまうことが多い。

なんか高校時代も、こんな感じで、始終口論をしていた記憶がある。

しかし私は問いたい。

コバヤシがいうように、高山祭は、誰もが知っている超有名なお祭りなのか?

「高山祭」と聞いて、「ああ、あのお祭りね」と、高山祭の内容をきちんと説明できる人はどのくらいいるのか?

私は自分が無知であることの恥を忍んで、このことをいま強く問いたいのである!

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3年越しの唐津の寿司屋

1月17日(土)

最近思うところがあって、「いつ死ぬかわからないから、会えるときにできるだけ友人に会っておこう」と考えるようになった。

福岡に住む高校時代の友人、コバヤシに、「いつか、唐津を案内してやる。唐津で、俺が行きつけの寿司屋に連れてってやる」と言われたのが、2011年の8月末のこと。コバヤシは唐津焼に目覚め、月に1度の割合で唐津に通い、必ず立ち寄る寿司屋があるという。

「行きたいねえ」と言ってみたものの、実際に唐津に行く機会なんてそうそうないだろうから、無理だろうな、と思っていた。

しかし、不思議なこともあるものである。

職場の業務命令による出張で、昨年10月と、今週の2回、唐津に訪れることになった。しかも今回は、週末にかかる出張である。

3年半前の約束が、ようやく実現できそうである。

コバヤシに連絡をとると、さっそく、寿司屋を予約してくれた。

今日のお昼、唐津で合流し、コバヤシが月に1度通っているという寿司屋に向かった。

唐津駅から徒歩2,3分という場所で、カウンターしかないお店。観光客というより、地元の人たちが通う店である。予約をしないと、席がとれない。

ま、これだけの情報では、お店の名前はわからないだろうな。ましてやお店の名前も、「○○寿司」といったようなベタな名前ではないから、どんな安楽椅子探偵でも、特定は難しいだろう。

昼間っからビールと日本酒を飲み、真珠貝の貝柱、カナギ、ブリの内臓、刺身の盛り合わせ、蒸した牡蠣など、次々と出てくるつまみに舌鼓を打つ。

最後に寿司を食べて、大満足である。

かくして、3年半越しの約束が実現したのであった。「いつか実現させましょう」というのは、よくある社交辞令だが、それを実現させるか否かは、お互いがそれをどのていど本気で考えているかどうかにかかっている。お互いの強い意志がないと、実現はしないのだ。

さて、寿司を食いながらいろんな話をしたと思うが、料理が美味すぎて何を話したかは忘れてしまった。

唯一覚えているのは、彼がよくいう話なのだが、

「高校1年の時にラーメン屋さんに行ったとき、お前ともう1人のヤツが、『店員がラーメンどんぶりに指を入れて持ってくる』ことについて真剣に議論しているのを見て、『こういうくだらないことを真剣に議論しているようなヤツとは一生友達になれない』と思った。」

ということである。私はぜんぜん覚えていないのだが。

つまり第一印象は、最悪だったらしい。

第一印象が最悪だったもの同士が、30年間も友人でいられるとは、どういうことなのか。

友人とは、砂金のようなものかもしれない。

川砂を、時間をかけてふるいにかけて、ふつうの砂とは比重の異なる砂金だけをとりだす。

そうして残った砂金が、友人なのである。

だから人生でどんなに数多くの人に出会っても、生涯の友人と呼べる人は、それほど多くはないのだ。

砂金なのか、砂なのか。

それは、時間をかければかけるほど、ふるい分けられていくものだと思う。

何年もたって、あらためて気づくこともあるのだ。

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腰痛警報

ついにうちの職場でも、インフルエンザ警報が出されたらしい。

同僚がすでに何人か感染している。それも会議中に発症した人がいて、感染はさらに拡大するとみられる。

私は不幸中の幸いで、その会議に出ていなかったし、その後すぐに出張に出ているので、感染せずにすんだ。

それよりも私の周りでは、私を含めて腰痛が蔓延している。思い起こすと、腰痛の友人に会ったあとに私が腰痛になったり、さらに私に会った人が腰痛になったり。

なるほどこれが「ウィルス性腰痛」というものか。言い得て妙である。疲れて免疫力が弱まったところに、スッと腰痛ウィルス?が入り込んでくるのである。

インフルエンザも警報レベルだが、腰痛もまた、警報レベルである。

「腰痛の流行について(注意喚起)

平成27年1月現在、私の周りには別紙のとおり腰痛警報が発令されており、すでに身の周りでは罹患者が見受けられ、今後更なる流行の恐れがあります。

ついては、疑われる症状が出た際はすぐに医療機関を受診をお願いします」

インフルエンザと腰痛には気をつけましょう。

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やきとり屋は、人生だ!

1月15日(木)

地方都市に一人で出張に行くと、夕食を食べるところに困る。ちょっと生ビールを飲みたい、というときはなおさらである。

そういうときは、チェーン店ではない、地元のやきとり屋さんを見つけて入ることにしている。

やきとり屋さんなら、カウンターが絶対にあるし、一人でカウンターに座ってやきとりを食べていても、不自然ではない。

…というかもう、完全にオッサンだな。

それらしきやきとり屋さんを見つけ、一人で入る。開店して間もない時間なので、客は私一人である。

カウンターで生ビールを飲んでいると、お客さんが入ってきた。

「大将!久しぶり」

えらく威勢のいいおじいさんである。フリースを着て、フードを頭にかぶっている。カウンターには私の他に誰もいないのに、私のすぐ隣に座った。

(もっと離れて座ればいいのに…)

「病院から抜け出してきたんばい!」

「大丈夫かい?入院してたんだろ?」と大将。

「大丈夫。見つからずに8時までに病院にもどれば大丈夫!」

大丈夫って、そっちかい!

「今日はヨコタのアニキが来てくれるかもわからんよ。電話したら、『行けるかどうかわからんけど、この店で待っとれ』言われたんでね」

「ヨコタさんも、仕事だから忙しいでしょうに」

「そうやね。でも今日ぐらいしか時間がとれん言いよったから、今日は病院抜け出してきたんじゃけん…。もう喋りとうて喋りとうて。入院していたら誰とも話できんで」

とにかく声のでかいおじいさんである。まくし立てるように大将に話しかけるが、大将も仕事をしているので、適当に相づちを打っている。

そのうち、そのおじいさんに生ビールが運ばれてきた。

私はずっと、そちらを見ないようにしていたが、ついにそのおじいさんは、私に話しかけてきた。

「すんませんなあ。うるそうて」

「いえいえ、…それにしても大丈夫ですか?入院しているのに、お酒なんか飲んでいいんですか?」

「大丈夫です。内臓の病気とか、そういうのじゃなかですから。たんに背骨が折れただけですから」

「せ、背骨?重傷じゃないですか!事故か何か?」

「それが覚えとらんのです。ある日、背中が痛うて痛うて…。それでも我慢して仕事をしておったんですばい。…ワテ、調理師をしてますねんけどね。1週間くらい経ったころかな。もう脂汗が出て、どうにもならん状況になって、さすがにこれはマズイやろ思て病院に行ったら、背骨が折れていることがわかって、即入院ですわ」

「そりゃそうでしょう。全治何ヶ月なんです?」

「2カ月以上ベッドに寝ておりましたなあ。その間、ギブスで固定されて動けんでね。この間ようやくギブスがとれて、外に出られるようになったんですわ。ほら」

そういうと、フリースの前のチャックを開けた。

するとフリースの下は、病院の寝間着だった。たしかに入院しているらしい。

「だからもう、喋りとうて喋りとうて」

そういっているうちに、お客さんが入ってきた。

「アニキ!おひさしぶりです!」とそのおじいさん。

「よお、生きとったか」ヨコタさんの登場である。

実生活で本当に「アニキ」と呼んでいる人を、初めて見たぞ。

しかしおかしい。

ヨコタさんは、一見、「中年ロックミュージシャン」みたいな雰囲気の人で、オジサンなのだが、それなりに若い。俳優で言えば、パク・チュンフンみたいな人なのだ。

それに対して、病院から抜け出してきた人は、初代水戸黄門の東野英次郎みたいな、おじいさんである。

しかも、である。

「アニキ、ワテ、こんなに禿げてもた!」

そう言って頭にかぶっていたフードを取り払うと、なんとツルッパゲなのである。

「お前、マルコメ味噌みたいなやっちゃなあ。歌とてみい」

「マルコ~メ味噌♪」

何なんだこの二人は??

私が不審に思っていることを勘づいたのか、「マルコメ味噌」が私に言った。

「不思議やと思とるでしょう」

「ええ」

「アニキが51歳で、ワテが48歳だとは、思えんでしょう?」

ええええぇぇぇぇぇっ!!!

「ほ、本当ですか?」ヨコタさんに確認すると、

「見えへんでしょう。でもホンマのことです」

ビックリである。

「マルコメ味噌」はどう見ても、水戸黄門の時の東野英次郎にしか見えない。

だが、私と2歳しか違わないというのだ。

どうなってんだ???

「アニキはね、ワテの命の恩人なんです」

「そうですか」

「ワテが間違った道に進もうとしていたところを、アニキが救ってくれたんです」

私から見たら、「アニキ」も相当ヤンチャをしてきたようにしかみえないのだが。

あまり深く追求すると恐いので、それ以上追求しないようにした。

「マルコメ味噌」の話によると、ヨコタさんは、めちゃめちゃ女性にもてるらしい。

たしかにそうだろうな、と思う。なにしろ、

「客はお店についてくるんやない。人についてくるんや」

とか、

「アニキは何でもようモノを知っちょるばいね」「いや、女の心だけはわからん」

などという名言を連発しているのだ。

それにひきかえ、「マルコメ味噌」の方はといえば、自分はまったく女性にもてないという。なにしろ、入院している病院の看護師さんにも、うるさいと言って煙たがられている始末。

話の様子だと、「マルコメ味噌」はいまだ独身で、それは母親が変わっているせいだという。お母さんは76歳で、髪を金髪に染めて、カチッカチのパンチパーマをあてている。ど派手なピンクの服を着て、町を闊歩しているという。

「もう恥ずかしうて恥ずかしうて」

…というか、何で俺がそんな情報を知る必要があるんだ?

もっぱら、カウンターでは「マルコメ味噌」と「アニキ」ことヨコタさんの漫才が続いていたが、時計を見ると7時50分。

「お前、もう帰らなあかんやろ」とアニキ。「5000円ほど置いていけや」

「何でですの?アニキ」

「こっちは忙しい体をやりくりつけて来とんじゃ。俺にギャラを払ろて当然やろ」

まるで恐喝である。

「マルコメ味噌」は、5000円をカウンターに置いて、

「ほな、また来ますわ」

そして私に向かって、

「すんませんでしたな。うるそうて」

と言って、帰って行った。

見つからずに病院に戻れたのだろうか?

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『捏造の科学者』メモ

須田桃子著『捏造の科学者 STAP細胞事件』(文藝春秋、2015年)を読んだ。

毎日新聞の記者の取材によるドキュメンタリーで、専門性が高く、冷静な叙述で、真摯な本だと受けとめた。

専門知識がないので、読むのに難儀したが、一読して、

(15年ほど前に起こったあの捏造事件と、構造的にはまったく同じではないか!)

という印象を持った。

若き「有望」な研究者と、「一流」の研究者。

「一流」の研究者は、若き研究者になぜか全幅の信頼を置き、その実験結果を信じて疑わない。そしてあっさりと騙される。

まさか若き研究者が捏造をするなどとは、露も思っていない。

周りで疑念がささやかれているにもかかわらず、「一流」の研究者は意に介することなく、お墨付きを与え、暴走を続けるのである。

そこに見えるのは、ある種の「狂信性」と「集団催眠」である。

「STAP細胞はあります!」と記者会見で叫んだ若き研究者は、騙そうとして言ったのではなく、本当にあると信じていたのではないだろうか。もはやそこには、科学的根拠のない「信仰」しか存在しない。

実験結果も、騙そうと思ったのではなく、「一流」の研究者に喜んでもらいたいために、なりふり構わずとった行動の結果なのではないだろうか。

この点が、15年ほど前に起こった捏造事件と、構造的には同じである。

一つ気になる叙述があった。

STAP細胞の存在について疑念が高まったころ、中心的にかかわった「一流」の研究者が、当然のことながら、その騒動に巻き込まれることになる。

そのときの、記者とのメールのやりとりの中に、次のような記述がある。

「なぜ、こんな負の連鎖になるのか、悲しくなってしまい、今日の上原賞の晴れの授賞式でもマスコミが押し掛け、異様な雰囲気になってしまいました」

彼はSTAP細胞とは無関係の自身の研究成果で、その分野のすぐれた業績に与えられる「上原賞」に選ばれ、授賞式に参加したのだった。そのときのことを「晴れの授賞式」と表現している。もし私だったら、こんなことは絶対に書かない。

「末は博士か大臣か」。理系研究者の世界では、学問的な成功が立身出世と分かちがたく結びついているのではないだろうか。華々しく評価されることが、科学者として一流であるとする認識が当然のごとく存在しているのではないだろうか。

文系の私による卑屈な見方かもしれないが。

いずれにしても感じたことは、

「科学の世界は非科学的な思考に満ちている」

ということと、

「人間は学ばない生き物だ」

ということである。

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ダーツの旅

1月14日(水)

またまたまた、旅の空です!

雪国から一転して、こんどは、佐賀県の唐津というところに来ています。「唐津焼」で有名な唐津です。

唐津での仕事は、昨年の10月に続いて2回目。

午前中、職場で仕事をしたあと、羽田空港まで電車で2時間かけて移動し、そこから飛行機で2時間、さらに福岡空港からバスで2時間。

6時間以上かけて、ようやく到着した。明日の朝から仕事である。

…どんなに旅好きな人間でも、これだけあちこち移動していればさすがにイヤになる。

名所旧跡なんかくそ食らえ、みたいな感じになってくるのである。

まあそんなことはともかく。

久しぶりに顔を出した職場では次々と難題が降ってくるし、出張続きで心はすさんでくるし、さんざんな目にあっているが、こういう中にも、嬉しいことというのがたまにあるので、2つほど書きとどめておく。

昨日、久しぶりに職場に行ったら、いつもお世話になっている事務補佐員さんがやってきた。

「ラジオ、聴きました」

なぜ私がラジオに出たことをその事務補佐員さんが知っているかというと、放送局から私宛に来た最初の電話を受けたのがその方だったからである。私は職場の人にほとんど言わなかったのだ。

「ありがとうございます」

「あのぅ…、本放送と再放送、全部聴きました」

「ぜ、全部ですか?というと、計8回?」

「そうです。録音とかできなかったもので、生でしか聴けなかったんです。最後の回が年末に放送したでしょう。再放送するはずの翌週の土曜日が正月3日の日で、再放送がなかったんですよ。でも、先生の最後の言葉がどうしてももう一度聞きたくて、『もうやらないのかなあ』と思っていたら、10日に再放送があることに気づいて、無事に最後の回の再放送も聴けました」

「そうですか。ありがとうございます。再放送も含めて全部聴いてくれたのは、たぶんお一人だけだと思いますよ」

真剣に聴いてくれる人がいることに感謝した。応援してくれる人がいるというのは、ありがたい。

もうひとつ、嬉しい知らせがあった。

「前の職場」の4年生のSさんから、無事に卒業論文を提出したという知らせが来た。

先週、「前の職場」で4日間の集中講義をしたのだが、Sさんは1日も欠かさず、卒論についての相談をしに、放課後に非常勤講師控室にやってきた。

私は、Sさんの学年が3年生のときに「前の職場」を去らねばならなかったこともあり、卒論のことがずっと気にかかっていたのだが、今回、Sさんの卒論を少しだけでもお手伝いできて、いささかの罪滅ぼしができたような気がした。

「本当にありがとうございました!!

先生のおかけで提出できましたー!

お忙しい中毎日ありがとうございました!

提出締め切り日に、ビバークしていた全員で提出に行きましたよ(笑)」

はずんだような文面を見て、私自身が励まされた。私は、なんの役にも立たなかったのに。

Sさんのメールには、「マイダーツ」の写真が添付されていた。

これについては、説明が必要である。

集中講義の期間中に、学生主催で歓迎会を開いてくれた。

この歓迎会には15人くらいの学生が集まってくれ、私にはとても思い出に残る会になった。

そればかりでなく、私の誕生日を覚えていてくれたSさんが「みんなでハッピーバースデーを歌いましょう」と、なんとその場でみんながハッピーバースデーの歌を歌ってくれたのである。

うれしいやら恥ずかしいやらである。

さてこの歓迎会の席で、ダーツの話題が出た。

私が、ダーツに興味があることを言うと、Sさんは、

「マイダーツ持ってますよ」

という。Sさんは、趣味でダーツをやるとのことだった。

私も負けずに、「フライト、シャフト、バレル、チップ」などという知識を披露した。

そのときの会話を覚えてくれていたSさんは、「マイダーツ」の写真を、送ってきてくれたのである。

「シャフトが猫で、フライトがうさぎです。

先生がいらっしゃるときまで練習しておきますね」

Photo

いつかまたこの地に来たときに、ダーツをすることができるだろうか。

文字通りの「ダーツの旅」。なかなか楽しみである。

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原稿の神様

1月13日(火)

信じないと思うが、私には「原稿の神様」というものがいるらしい。

私が年がら年中原稿をため込んでいることは、すでに何度もこのブログで書いている。

「原稿の神様」といっても、困ったときに手助けをしてくれる神様ではない。

原稿が急に書けるようになるとか、そういう神様ではない。

「原稿を書きなさい」という啓示を与えてくれる神様である。

たまに、「原稿の神様」が登場して、

「つまりこれは、うつつを抜かすことなく、俺におとなしく原稿を書けということだな」

ということに気づかせる神様である。

そういうときは、「神の啓示」にしたがって、粛々と原稿を書かなければならない。

少なくとも今月は、(というか、今月ももう半分来てしまったが)「原稿を書く月間」である。

しかし、明日からもまた、しばらく旅である。

今回こそは、旅の空でも、原稿を進めよう。

なにしろ「原稿の神様」が、そう言っているのだ。

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名誉顧問

1月11日(日)

よく私が自己紹介で、自虐的にいう挨拶に、

「福山雅治と同い年です」

というのがある。この挨拶はもちろん、福山雅治のようなオシャレでスマートな人とは、似ても似つかないオッサンです、という意味が込められている。

この理屈からいえば、こぶぎさんは、

「織田裕二と同い年です」

ということになるのだろうが、私もこぶぎさんも、いいオッサンである。

そのオッサンこと、こぶぎさんを、唯一、かっこいいと思う瞬間がある。

そう、それが「モギ裁判」の話をしているときである。

昨年末、「前の職場」で、恒例の「モギ裁判」があった。

もちろん私は、職場が変わってしまったので見に行くことができなかったのだが、こぶぎさんはもう10年ほど、「モギ裁判」を見に行っている。

こぶぎさんがすごいのは、知っている学生もいないのに、わざわざチケットを予約して、自腹を切って、片道50キロの道のりをかけて見に来ているということである。招待券をもらって見に行くどこぞの大人たちとは、わけが違うのである。

そして毎回、アンケートに細かく答える。よかったところは褒め、問題のあったところはダメ出しをする。

そのアンケートが実って、このたび「カーテンコール」が実現した、ということは、前に書いた。

モギ裁判を見たのがもう1カ月近く前であるにもかかわらず、こぶぎさんはモギ裁判のストーリーをよく覚えていて、それをまるで、浜村淳のように私に解説してくれるのである。

「最初に、顧問みたいな人が挨拶するでしょう。『ここで裁かれるのは、モギ裁判を演じる学生たちです』みたいなことを言うんだけど、『俺はそんなつもりで見に来ているんじゃない。純粋に演劇を楽しみに来ているんだ』って、いつも思うんだよね」

「去年もその人、その挨拶をしてたけど、今年もその挨拶したの?よっぽど気に入ったフレーズなんだろうね」

「まあそんなことはともかく、今回の演劇は、ここ10年で最高の出来だったよ」

「あぁそう」

そこから、話はとまらない。

「自殺した高校生、いじめた高校生、傍観者の幼なじみの女子高生を舞台に三人並べて、暗闇に上からピンスポットだけを当てて「魂の台詞」を叫ぶ。これがまたすごいんだ」

「へえ」

「ふだんは、ゆっくりしたセリフ回しでしょう」

「そう、歌舞伎みたいにね」

「でも、このときだけ、学生たちも感極まったのか、きわめて演劇的なんだ」

「そのギャップがまた、いいんじゃないの」

「で、このあと画面が暗くなって『中入り休憩』へって、『え?ヤマ場はまだこのあとかよ』って思ってさ」

「すごいねえ」

「あと、裁判シーンで原告側代理人が遺書を読み上げると、自殺した高校生と入れかわりになって、やはり「魂の叫び」の台詞回しで遺書の後半を読み上げる、といったズルい演出があって、泣いちゃったよ」

「まさに涙泥棒だね」

…と、こんなふうに詳細な解説が続く。

「あの場面で、カウンセラーはああいう行動は取らないよ。カウンセラーに取材して台本を書いたと思うんだけどね。そのこともちゃんと、アンケートに書いておいた」とこぶぎさん。こぶぎさん自身、カウンセラーの資格を持っている。

「それは、取材をした学生が悪いんじゃなくて、きっと取材先のカウンセラーに問題があるんだと思う。私もよく知ってるけど、あそこのカウンセラーはちょっと問題があるんだ」と私。

私はモギ裁判を見てないのだが、話をしているうちに、まるで自分も見ているような気がしてきたから不思議である。

そして「こんどはどんな裁判を取りあげたらよいか」について、あれこれと話し合う。

それにしても、である。

これほど、モギ裁判に愛情を注いでいる人は、いるだろうか?

私の知る限り、こぶぎさんこそが、モギ裁判に最も愛着がある人である。

このようにモギ裁判を見てくれる人がいるだけでも、学生たちにとっては「冥利に尽きる」というものである。

ああ、こぶぎさんみたいに熱心にモギ裁判を見てくれる人がいるということを、学生たちに聞かせてあげたかったなあ。

「こぶぎさん、あなたが顧問をやりなさいよ。あなたこそ、顧問にふさわしい」

「ヤだよ。義務が生じたら、やる気がなくなるもん。外野からあれこれ言ってるのが楽しいんだよ」

たしかにそうだ。

こぶぎさん、あんた、かっこいいよ。

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続・リスナー第1号

1月11日(日)

「1日6時間喋る仕事」が終わっても、まだこの町ですることがあった。

それは、先月出たラジオ番組を聴いていたリスナーのおじいちゃんにお会いするということである。

昨年末、私の職場に電話がかかってきて、「ぜひお話がしたい」という。私の出たラジオを聴いて、私の本を5冊も買ってみんなに配ってくれたというのだから、会わないわけにはいかない。

朝9時、泊まっているホテルの前に1台の軽トラックが横付けされ、私はそのトラックに乗り込んだ。

初めてお会いするその方は、宮大工のKさんという方で、70歳くらいの方である。ご自宅から1時間ほどかけて、自家用の軽トラックでおいでいただいたのであった。

軽トラックには幌などがかけられておらず、雪が積もったままだったが、そこに、ビニール袋に入ったたくさんの本が無造作に置かれていた。

「とりあえず、私が懇意にしている喫茶店に行きましょう」

そういうと、駅の反対側にある写真屋さんの前に車をとめた。写真屋さんの中にカウンターだけの小さな喫茶店があるのだ。

Kさんは、軽トラの荷台に無造作に積んでいた、雪にまみれた大きなビニール袋を取り出して、それを持って店に入った。ビニール袋の中には、たくさんの本が入っていた。

カウンターに座って、コーヒーを飲みながら、もっぱら一方的にKさんが話しはじめるのだが、これが申し訳ないことに、訛っていてほとんど聞き取れない。何とかして聞き取ろうと、こちらも必死である。

しかし、お話ししている内容は、まさに博覧強記。バチカンのサンピエトロ大聖堂の壁画修復に和紙が使われている、という話や、自身が尊敬する漆芸家の藪田信次の話、さらにはそこから派生して、藪田信次の親戚にあたる藪田義雄が、北原白秋の門人となったというお話しなど、次から次へと、お話が飛んでゆく。

「藪田義雄先生は、小田原に住んでおりましてね。北原白秋も小田原に住んでいたでしょう?」

「はあ」

「その関係で、藪田先生は白秋の門人になったのです」

「なるほど」

「ときに小田原といえば、先日『世界かんな削り大会』があったので、行ってきたんですよ」

「世界大会、ですか?」

「ええ。海外からも来ますんでね」

「ほう」

かんな削りの世界大会があるなんて、知らなかった。

かんな削りの技術を競うその大会では、厚さ数ミクロンという世界で、削りくずの薄さが競われるという。まさに職人の「神業」の世界である。ちょっと見てみたい気がする。

とにかく、宮大工のKさんのお話は、次から次へとつきることはない。

Kさんは、若いころに上京して、一般住宅の大工として仕事をしていたが、あるとき、一般住宅の仕事がしだいに効率化され、採算重視になっていくやり方に嫌気がさし、宮大工になろうと、地元に帰って修業したのだという。山本周五郎の「武家草鞋」を、地でいくような話だ。

「私はね、わからないことがあるとすぐに人に聞くんですよ」

なるほど、疑問に思ったことは、すぐにいろいろな人に聞いてまわるらしい。物怖じせず、どんどん知らない人ともお話をする人だというのは、よくわかる。

「ぜひ先生とお話ししていただきたい先生がいるんですよ」

そういうと、Kさんは携帯電話を取りだし、いきなり電話をかけ始めた。

「もしもし、○○さんですか?いま私の横に、鬼瓦先生がいらっしゃるんですよ。…ええ、前にお話しした先生です。せっかくなので、お話しください」

そういうとKさんは、私に携帯電話を渡して「どうぞ」と言った。

ええええぇぇぇぇぇっ!!いきなりか!

どんなお方なのかもよくわからず、とりあえずお話しする。

「今後ともよろしくお願い申し上げます」

と言って、電話を切った。

なるほど、Kさんはこんなふうに、どんどんと人のネットワークを広げてゆく方なんだな。そしてそれが、自身の知識の幅を広げていく大きなきっかけになっているのだ。

ナンダカヨクワカラナイが、とにかくパワフルで前向きで行動力のある方だということだけは、よくわかった。

気がつくと、3時間以上が経っていた。

「話し足りないなあ、先生」とKさん。「またお会いしましょう」

「そうですね。またお会いしましょう」

携帯電話番号を交換したから、いずれまた電話がかかってくるだろう。

Kさんは、軽トラに乗って、ご自宅のある雪深い町へと帰っていった。

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腰痛の理由

1月7日(水)~10日(土)

「前の職場」で、1日6時間喋り続ける仕事。これを4日間続ける。

この感覚、何だろうなあ、とずーっと考えていたら、

「古巣のニッポン放送に久々に呼ばれた伊集院光が、ニッポン放送のラジオ番組でトークをする」

という感覚が一番近い、という結論に達した。

わかる人だけがわかればよろしい。

私の場合、ニッポン放送と伊集院光との関係ほど、その関係は悪くないのだが、やはり何となく、「放置プレイ」の感じとか、私に対する周りの反応が、そんな感じである。

えてして、そんなもんなんだろうと思いつつ、大事なのは目の前の学生なのだと言い聞かせて、粛々と喋りたおした。

そんな中、学生や卒業生や元同僚など、かつて志をともにした人たちが時間を見つけておつきあいしてくれたことは感謝に堪えない。もっとご挨拶すべき方々はたくさんいたのだが、あまりに時間が限られていて、お世話になったすべての方にお会いすることはできなかった。

3日目くらいから、腰が痛くなった。

落とした鉛筆を取ろうとして屈んだりすると、かなり痛いのである。

(まさか…ギックリ腰か?)

いよいよ私も、これまで経験のしたことのないギックリ腰の世界へと、足を踏み入れることになるのか?

しかし、重いものを持ち上げた記憶がまったくないし、腰がギクッとなった記憶もない。

となればこれは、原因不明の腰痛ということになる。

腰痛は、重篤な内臓疾患の信号である場合があるという。

重篤な病気の前兆だろうか。

心配になってギックリ腰の経験のある友人に聞いてみたら、

「それはウィルス性ギックリ腰ですね。疲労で免疫力が下がると罹患します」

という。ギックリ腰を経験しているだけに、説得力がある。だが、「ウィルス性ギックリ腰」という病名は、なかなか調べても出てこない。

また別の友人に聞いてみると、

「ひょっとして、トラックだの鉄道だのと、同じ姿勢で長時間座っていたからではないか」

という答えが返ってきた。

「しかし、乗り物に乗って移動したのは1月5日~6日で、腰が痛くなったのは1月9日あたりからですよ。因果関係があるとは思えない」

と反論すると、

「それはトシだからですよ。筋肉痛みたいに、何日か経って痛くなるもんです」

そういうものだろうか。

でもたしかに、1月5日と6日は、それぞれ6時間ほどトラックに乗って走り続け、しかも6日はそのあと、鈍行電車のロングシートに2時間45分も座り続けて移動したのである。

これが原因である可能性は極めて高い。

福岡の住む高校時代の友人・コバヤシに用事があり、メールしたついでに腰痛だと書いてみたところ、

「私も年末年始に長距離移動したら腰が痛くなりました。トシで背筋が衰えているのでしょう。もう若くはないということです。相変わらず忙しそうですが無理はしないことですね」

と返事が返ってきた。なるほど、岡目八目。

どうやら総合すると、

「長距離長時間移動で疲労した上に、トシなので背筋の筋肉や免疫力が衰えていているために、腰が痛くなった」

というのが、腰痛の原因ということらしい。

そもそも、体重が重いのがいけないのだ。1月7日(水)に誕生日を迎えたのを機に、今年は痩せることを目標にしなければならない。

…さて、すべての仕事が終わり、前の勤務地を離れる日。

腰はまだ少し痛い。

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名優は名随筆家なり・高峰秀子編

高峰秀子の出演映画といえば、学生時代にリバイバル上映で「浮雲」(成瀬巳喜男監督、1955年公開)を見たのと、最近DVDで「張り込み」(松本清張原作、橋本忍脚本、野村芳太郎監督、1958年公開)を見たくらいなので、高峰秀子について何か評論めいたことを書ける立場ではない。

女優の高峰秀子が、たぐいまれなる文筆家であったことはよく知られている。

彼女が自身の半生を綴った自伝的随筆『私の渡世日記』は、日本を代表する屈指の半生記といえる。

なにしろ、文章が小気味よい。そして冷静である。

高倉健のエッセイが感傷的なのと、ひどく対照的である。

そして、恐るべき記憶力を駆使して書かれている。

さらに、自身の歩みを、日本の昭和史と重ね合わせて叙述していて、現代史のテキストとしても有益である。高峰秀子自身が、相当な勉強家であったことがうかがえる。

いろいろな著名人との出会いが描かれているが、私がとくに印象的だったのは、彼女が師の一人と仰ぐ、山本嘉次郎とのエピソードである。

山本嘉次郎は、戦前の映画監督である。あの黒澤明が若い頃、師事した監督である。

戦後は、不遇の晩年であったという。

高峰秀子は記す。

「昭和二十年の敗戦後、山本嘉次郎は、時代の激変にあえぎ、あやしげな酒とヒロポンの常用で、みるみる体力を失っていった。山本嘉次郎に欠けていたものは「人を押しのける強靱さ、図々しさ」だけだった。人一倍優しく、やわらかな山本嘉次郎の神経は、戦後の混乱にさか撫でされ、ボロボロとなり、むちゃな痛飲や薬に走るよりほかに、逃げる道がなかったのかもしれない」

それでも山本嘉次郎は、多くの人に慕われていた。

「現場で働く人間にとって、何より嬉しいのは同じ現場の人間に慕われることである。山本嘉次郎の喜びは、私自身の喜びである。そういう意味で、山本嘉次郎は、ちょっと妬けるほど「幸せな人」であり、私には忘れることの出来ない師であり、兄であり、遠く離れた父のような人であった」

私には山本嘉次郎が、多くの芸人に慕われ、最後は不遇なまま破滅的に幕を閉じた泉和助という芸人と、ダブって見える。

それはともかく。

印象的なのは、次の場面である。

高峰秀子がまだ20代の初め頃、退屈そうに空を眺めていると、山本嘉次郎が「ドッコイショ」と、彼女の横に腰を下ろした。

「デコ、一人で、何を考えていた?」

「別に、なんにも…」

「デコ、つまんないかい?」

「つまんない」

「そうかなァ…例えばサ、ホラ、あの松の木を見てごらん。なぜこっちへ向かって曲がっているんだと思う?」

「?」

「たぶん、海のほうから風が吹くんで自然に曲がっちゃったんだよね」

「……」

「普通の人でもタクワンは臭いと思うだろう?でも俳優は普通の人の二倍も三倍も臭いと感じなきゃダメなんだな」

「……」

「なんでもいいから興味を持って見てごらん。なぜだろう?どうしてだろう?って……。考えるっていうのはワリと間が持つよ。そうすると世の中そんなにつまんなくもないよ」

たわいもない話である。だが高峰秀子は気づく。

「松の木やタクワンの話にかこつけて、彼が私に言いたかったのは、どうせ役者になるなら「プロになれ」ということだったのだ」

「好きも嫌いも仕事と割り切って、演る以上はプロに徹しよう。持てない興味をつとめて持とう。人間嫌いを返上して、もっと人間を知ろう。タクワンの臭みを、他人の五倍十倍感じるようになろう」

「私の目からウロコが落ちた。それから三十年。曲がりなりにも役者の道を歩み続けて五十歳になったいま、あのときの山本嘉次郎の言葉がなかったら、いったい私はどうなっていただろう、と慄然とする」

すごいのは、高峰秀子の感性である。

山本嘉次郎のこのたわいもないお喋りから、高峰秀子は、「演るからにはプロに徹する」という生き方の指針を、導き出したのである。

山本嘉次郎は、そんなつもりで言ったわけではなかったかもしれない。

よしんば、彼がそういうつもりで言ったとしても、その何気ない言葉から「プロに徹しろ」という生き方の指針を読み取れる人は、ごく稀である。

高峰秀子が俳優として評価されるだけでなく、文筆においてたぐいまれなる才能を発揮し、多くの人に愛されたのは、この感性によるものではないか、とも思う。

山本嘉次郎の言葉に感化される以前に、高峰秀子はすでに「人間を知る」という点において、比類なき才能を持っていたのではないか、と私は思うのである。

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とんぱち

1月6日(火)

私をよく知る人はおわかりのように、私の悪い癖は、「人の話を聞いて、すぐにその気になる」ということである。

で、いつも家族に叱られる。

今日も5時間近くトラックに乗り続けたが、何もすることがないので、トラック野郎のSさんと話をする。

どういうはずみか、「ダーツ」の話になった。

Sさんの最近の趣味は、ダーツらしい。

「ダーツは面白いですよ。スノボーだとか、バイクだとか、今までいろんなことを趣味にしてきましたけど、ダーツがいちばんお金がかかりません」

「そうですか。ダーツって、どこでやるんです?」

「ダーツバーですよ」

「ダーツバー?」

「ええ、みんなとダーツを真剣に競うと、すごい面白いです」

「そうですか」

私はいままで、ダーツのダの字もしたことがないのだ。

「やるんだったら、マイダーツが必要ですね」

「マイダーツ?」

どうやら、ダーツは奥が深いらしい。

ダーツ。あれが実は、4つの部位に分かれていることを、初めて知った。

ボードに刺さる針みたいな先っちょの部分を「ティップ」という。

ちなみに、堅い針と、そうでないソフトなものがあるそうで、前者をハードダーツ、後者をソフトダーツというのだそうだ。

野球でたとえれば、硬式野球と軟式野球のようなものか。

「僕はソフトダーツ派ですけどね」とSさん。

「つまり、軟式野球ということですね」

「まあそういうことです」

そして、「持つ部分」。

これを「バレル」というが、ここがいちばん大事な部分で、自分の感覚に合わせて、いいものを選ぶ必要があるという。

「いいバレルを選べば、それだけ当たりやすいです」

「そうですか」

「タングステンの90とか、いいんじゃないでしょうかねえ。僕は最初、タングステンの80のやつを使ってました」

もはや、この時点でよくわからない。どうやら「タングステン」が多く含まれているバレルが、いいバレルらしい。

で、「持つところ」のやや後ろの部分を「シャフト」という。

そして、羽みたいな部分を「フライト」というのだそうだ。

この4つの部位を組み合わせて、自分に合ったダーツにする。

ダーツは3回投げて1セットなので、常に3本持っていなければならない。

「ダーツは、練習すればするほど、上達します」

「なるほど、練習は裏切らないということですね」

「そうです。それに、人間性が出ます」

「というと?」

「たとえば、『とんぱち』を狙ったとします」

「とんぱち?」

とんかつ屋の名前かと思った。

「1ラウンド内で20のトリプルに3本入ることですよ。そうなると合計点数は180点でしょう」

「はあ」

「100点のことをダーツの世界では『トン』というので、180点でトンパチです」

「なるほど」

とにかく、ボーリングでいえば、ストライクが3回続くようなことなのだろう。

「2本目までトリプルに入ったとします」

「はあ」

「さあそのあとですよ。プレッシャーに弱いと、3本目ははずしてしまいますし、土壇場に強ければ3本連続トリプルに入ります」

「つまりトンパチですね」

「そうです」

「すると、メンタルな要素が強いということですね」

「そうともいえますね。ですから、ダーツの世界では、『3本目に放つダーツが本当の実力を示す』とも言えるわけです」

「なるほどねえ。まるで人生のようだ」

「どうです、面白いでしょう」

「たしかに」

「一度試しにやってみたらいかがですか?」

「はあ」

ここでまたもう1人の私がつぶやく。

(おい!ここで調子に乗って、ダーツなんか始めるんじゃねえぞ!)

(どうして?)もう1人の私に、私が反問する。

(だって、Sさんは、もともとスノボーとかバイクとかを趣味にしている人だぞ。そういう人だから、ダーツは面白いと思えるんだ)

(なるほど、そうか)

(スノボーとか、バイクとかにひとっつも関心のないお前に、ダーツが面白いと思うはずはないだろう!)

(なるほど、それもそうだ)

という脳内会話の結果、ダーツの趣味は、しばらく見送ることにした。

…そんなこんなで、昨日から今日にかけての約650キロの大移動も、無事終了した。

明日から週末にかけて、また別の仕事がはじまる。

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ごとこん

1月5日(月)

今年の仕事始めは、またまた旅の空です。

朝9時、トラックに乗って職場を出発する。

2人の「トラック野郎」が代わる代わる運転しながら、6時間かけて移動する。

移動の車中、とりたててすることもない。

「トラック野郎」の1人、Sさんといろいろな話をする。

この前、初めて空港の貨物ターミナルに行ったんですけど」と私。

「初めてだったんですか」

「ええ。そこで、荷物の積み降ろしを見ていて…。あれって、何ていうんですか?前の部分に二つの刃がついていて、荷物を上げたり下ろしたりするヤツ」

「ああ、フォークリフトですね」

「そう、そのフォークリフト。あれを手際よく操作している姿を見たら、とてもかっこいいというか、面白いというか、時間を忘れて作業を見入ってしまいましたよ」

「そうですか。うちの社にも、フォークリフト専門の人間がいますよ」

「あれって、免許が必要なんですか?」

「いえ、免許は必要ありませんが、資格が必要です。いちおうこういう仕事をしていると、たいていはフォークリフトの資格を持っています」

「そうですか」

「でも、常にフォークリフトに乗って操作している人間は、やはり技術が断然違いますね」

「そうでしょうね。見ていてすがすがしいですもん」

「たしか、コンテストもあったはずですよ」

「フォークリフトの?」

「ええ」

「それって、一般人も見学できるものなんですか?」

…と自分で質問していて、もう1人の自分が私にささやいた。

(おいおい、まさかお前、フォークリフトのコンテスト、見に行くんじゃないだろうな!)

「たぶん、一般の人も見ることができると思いますけど…。乗り物とか、お好きなんですか?」

どうやら「はたらくくるま」マニアだと思われたらしい。

「いえ、そういうわけでは…。この仕事を始めてから、何となく興味を持ったもので…」

とごまかした。

話題を変えた。

「昨年、職場と自宅を引っ越ししたときに、トラックではなく、貨車で荷物を運んだんですよ」と私。

「貨車ですか」

「ええ。5トンのコンテナ3台で運んだんです」

「ゴトコン3台ですか」

ゴトコン?聞いたことがないぞ。

…そうか!「5トンのコンテナ」のことか!

それを業界用語で「ゴトコン」というんだな。

「ええ、ゴトコンです」と私は繰り返した。

「ゴトコンで運ぶと、意外と安いと聞きましたけど」とSさん。

「そうそう、その通りです。それ以来、私もゴトコンに注目するようになりましてね。ゴトコンを積んだトラックなんか見かけると、つい目で追ってしまったり、あと、鉄道の貨物ターミナルでゴトコンを探してしまったり」

私もすっかり「ゴトコン」という言葉を使ってしまっていた。単に「ゴトコン」って言いたいだけなんじゃないか?

「やはり乗り物に関心がおありなんでしょう?」とSさん。

「い、いえ、そういうわけでは…。ときに、そういう情報が書かれた業界誌なんてものがあるんですか?」

(お前、そんなことを知ってどうするんだ!)

と、ふたたびもう1人の自分の声が脳内に鳴り響いた。

「業界誌ですか…。さあ、見たことがないですねえ。そういう情報は、口コミで入ってきたりしますから」

「そうですか」私は一つ思い出した。「以前、何かで見たんですが、『荷主と輸送』という雑誌があるそうなんですけど、ご存じですか?」

「『荷主と輸送』ですか?まさか、定期的に出ている雑誌じゃないでしょう?」

「いえ、たしか月刊だったと聞いています」

「月刊ですか?!」Sさんは驚いた様子だった。「よくネタが続くなあ。そんな雑誌が出ているなんて知りませんでした」

その雑誌は、業界人の間ですら、かなりマニアックな雑誌らしい。いったいどういう人が読んでるんだ?

また、もう1人の自分がささやく。

(まさかお前、その雑誌を探してきて読もうと思ってるんじゃないだろうな。お前には関係ないことなんだから、これ以上ヘンな関心を広げることだけはやめとけよ)

(わかってるよ!)と、私はもう1人の自分に対して答えた。

ただ、フォークリフトのコンテストは、一度くらい見てみたいものである。

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あはがり

元日に、久しぶりに実家に帰った。

夏以来、まったくといっていいほど連絡をとっていなかった。連絡をとったといえば、「12月にラジオ番組に出演する」というメールを送ったていどで、10月半ばから始まった職場のイベントすら、まったく連絡していなかった。だから両親は、職場のイベントを見に来ていない。

むかしから私は、両親に対して必要なことすら言わない息子だったのだ。

まったく、親不孝者である。

まあそれはともかく。

「テレビを見てたら、とても素敵な曲に出会ったのよ」と母。「あまりに素敵だったもので、メモしたんだから」

メモを見せてもらうと、「あはがり 朝崎郁恵」と書いてある。

「あはがり…?」

「奄美の島唄らしいのよ」

奄美の島唄…。

何ということだろう!

8年ほど前、仕事で奄美大島に行ったときに、奄美島唄というものに、初めて出会った。

元(はじめ)ちとせ、という歌手が、もともと奄美出身の島唄の歌い手だった、ということは何となく知っていたが、島唄についての知識は、まったくなかった。

「島唄」といえば、THE BOOMの「島唄」が思い浮かぶくらいの知識しか持ち合わせていなかったのである。

奄美大島に行ったときに、島唄を聴いて感動し、「セントラル楽器」というレコード屋で、奄美島唄のCDを何枚か買ったのであった。

「島唄」とはもともと、奄美群島の民謡のことをいう。奄美地方で「島」とは、アイランドの意味ではなく、「集落」という意味である。つまり「島唄」とは、奄美群島で集落ごとに歌われる民謡のことなのであり、本来は「シマ唄」と書くべきものである。THE BOOMの「島唄」によって、「島唄」は沖縄民謡、というイメージがすっかり強くなってしまったが、本来は違うのである。

奄美島唄の特徴は、裏声を多用した独特の歌唱法が印象的である。沖縄民謡にくらべると、やや暗い印象を受ける。だが、暗さの中に力強さがある。おそらく、奄美群島が江戸時代以来、抑圧された歴史を背負わされてきたことと無関係ではないだろう。

私が惹かれたのも、奄美島唄がかかえているこうした歴史的背景によるところが大きいが、何よりそこに、歌の持つ力強さを感じたのである。

5年ほど前、韓国に留学していたとき、語学学校の授業で、「自分の国の民謡を調査して3分間のスピーチをしなさい」という課題が出された。私は迷ったあげく、日本の民謡の代表として、奄美島唄を紹介することにした。このことについては、以前の日記に書いた。

もちろんこんなことは、母に言ったことはない。もともとは母は体育会系で、音楽に対してはほとんどといっていいほど関心がない人なのだ。

その母が、奄美島唄に惹かれたという。

私が8年前、奄美島唄に感動したことと、母が今、奄美島唄に感動していることは、やはりどこかでつながっているのだろうか?

血のつながりというのは、実に不思議である。

さて、私は恥ずかしながら、「あはがり」という曲名も「朝崎郁恵」という歌手も知らなかった。奄美島唄が好きだといいながら、情けないことである。

調べてみると、NHKの番組の主題歌になっているらしい。

「あはがり」とは、奄美の言葉で「すべてがあかるい」という意味だそうである。

この曲じたいは、むかしから伝わる奄美島唄そのものではなく、奄美島唄をベースにしたオリジナル曲である。

奄美島唄は、通常は伴奏に奄美三味線を用いるが、この歌は、ピアノやストリングスを使った編曲がなされているので、通常の島唄よりもかなり耳になじみやすい。ただし、歌詞は奄美地方の言葉が用いられており、歌の意味はとりにくい。

もし、心に琴線というものがあるのならば、私も母も同じように、奄美島唄が琴線に触れるらしい。

この歌を聴いて、そんなことを思った。

私はこの歌のCDを、母にプレゼントすることにした。

元日に、Amazonに注文し、実家に送付してもらうようにした。

すると、Amazonってすごいねえ。

翌日の2日には、もう届いていた。

母からメールが来た。

「『あはがり』のCDが届きました。あとの2曲もすばらしい歌です。ありがとう」

もし、心に琴線というものがあるのならば、同じように琴線に触れるだろうか。

奄美島唄が。

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お心入れ

高倉健のエッセイ『あなたに褒められたくて』について、もうすこし書く。

読んでいてハッと思ったのは、「お心入れ」というエッセイである。

「お心入れって、いい言葉ですよね。

お心入れがないんですよね、このごろ…端的に、どこどこの何でございますって、ちょっと高級といわれる料亭行くと、

『ええ、これは琵琶湖のシジミでございます』って。

『聞いてねえよ』って言いたいときがありますね。

どこどこの和牛でございますとか、これは何とかのヒレでございますとかって、みんな説明しちゃうんですものね…。

この自分が今、売る商品に関しての……それはある意味では自信なんでしょうけど、僕はだからお心入れっていうのは、お互いにわかっているって、何も言わないで出すんだけれども、これだけはあなたのために自分は選んできたんだって言いたいけれども言わない。で、出された方は、これだけ気を使って出してもらった、みんなわかってる……それはもうある意味では、文化だっていう気がするんですよね」

この部分を読んで、ハッと思ったことがある。

以前、偉い人たちに連れられて、和食料理の美味しい店に行くことになった。といっても、割り勘である。

その店の主人は、老舗の名店で何年も修業したという人で、たしかに料理は美味しかった。

偉い人たちは、

「料理も美味しいし、いい店だなあ。これから定期的に来ようか」

と言っていたのだが、私はあまりそんな気になれなかった。

もちろん値段が高いので、おいそれと来られる店ではないのはたしかなのだが、理由はそれだけではないような気がした。

高倉健のエッセイを読んでその理由がわかった。

それは、店の主人が、自らの料理についてやたらと説明をしたがるからである。それから、お酒についても同様である。

たしかに料理は美味しいし、自分の腕に自信のある方であることは間違いないのだが、ひとつひとつそれを説明なさるのである。

私にはそれがどうもなじめなかったのである。

考えてみれば、私が好きでよく行っていた飲み屋さんに共通していたのは、店の主人が余計なことをいわず、料理を作り、運んでくるところだった。

親しいもの同士で気楽に喋っているところに、黙って、スッと料理が運ばれてくる。

そういう店が理想なのだ。

おそらく、やたら料理について説明するという風潮は、客のほうにも原因があって、昨今の客は、料理についての説明を求めたがっているからだろう。

つまり提供する方とされる方のお互いが、高倉健のいう「お心入れ」を失わせてきたのである。

さて、この「お心入れ」は、日本の古きよき文化なのだろうか?

高倉健は、そうは書いていない。

同じエッセイの最後に、マイケル・ダグラスのエピソードを書いている。

映画「ブラックレイン」で共演したマイケル・ダグラスが、撮影が終わる10日くらい前の週末、総勢18名をレストランに招待してくれた。

そのときマイケル・ダグラスは、全員に、映画にちなんで特別にデザインしたTシャツをプレゼントした。真っ赤なリボンで結んで。

そのときの印象を、こう書いている。

「オシャレだなあって思いましたね。何日も前からその日のために別染にしてあって。

そんなことを微塵も言わないところが、またいいなあ。

じゃあ、心にそういうのいっさいよぎらないかって、決してそんなことないですよね、生身の人間ですから。そこだけは歯を食いしばって、言いたくないっていうのあるでしょ、大切なことは……。

要するに思いが入ってないのに思いが入ってるようにやろうとするから具合が悪いので、本当に思いが入ってるのに、入ってない素振りをするところが格好いいのかもわからないですね」

「お心入れ」は、日本人だけの「美徳」ではない。

思いを込める人と、思いをくみ取る人がいれば、どこにでも「お心入れ」は存在するのである。

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名優は名随筆家なり

1月1日(木)

これはまったく個人的な意見だが、高倉健は、いい作品に恵まれなかったのではないか、と思う。

私は高倉健の出演作を熱心に追いかけていたわけではないのでよくわからないが、高倉健の代表作は何か、といわれると、ハタと困ってしまう。なにしろ初期の任侠映画は全く見ていないのだ。

私個人としては「遙かなる山の呼び声」(山田洋次監督、1980年公開)なのだが、多分そう思う人はいないだろう。

八甲田山」(森谷司郎監督、1977年公開)かも知れない。

「ブラックレイン」(リドリー・スコット監督、1989年公開)もよかった。

「ブラックレイン」のラスト、ともに事件を解決したアメリカの刑事(マイケル・ダグラス)と、空港で別れる場面。

日本の捜査風習に最初は嫌気がさしていたマイケル・ダグラス扮するアメリカの刑事は、やがて高倉健扮する刑事と友情を深めていく。

別れ際、マイケル・ダグラスは高倉健に日本式のお辞儀をする。

すると高倉健は言う。

「違う。親友は、こうする」

そう言って、高倉健はマイケル・ダグラスと、固い握手を交わすのである。

このラストシーンは、何度見てもグッと来る。

高倉健の話す英語は、聞いていて心地よかった。

あとで聞いたところでは、高倉健は英語やフランス語が堪能だったという。

かなりのインテリだったのではないか、と想像する。

高倉健のエッセイ集『あなたに褒められたくて』を読んでみたいと、以前から思っていたのだが、タイトルが何となく照れくさくて、今まで手に取ることができなかった。

思いきって、読んでみることにした。

これが、実にすばらしい。

私が勝手にイメージしていたものとは全然違っていた。

高倉健は、稀代のエッセイストである。じつに味わい深い文章を書く。

実際、この『あなたに褒められたくて』は、第13回日本文芸大賞エッセイ賞を受賞しているという。

なぜもっとたくさん書いてくれなかったのだろう、もっと高倉健のエッセイが読みたい、と思わずにはいられなかった。

半生を自慢げに書いた文章でもない。

著名人との交友録でもない。

ましてや、演技論などでもない。

むしろ、旅先で出会った、名もない人たちとの一期一会が、エッセイ全体を貫いている。

高倉健は、俳優というより、旅人である。

そこで出会った人たちとの何気ない交流が、気負うことなく記されている。

「内蒙古の赤ん坊」は、国境を越えて出会った人との、終生にわたる「絆」を感じさせる名篇である。

一期一会を抱きしめる旅人。

個人的にいちばん好きなのは、「善光寺詣り」というエッセイである。

自分がなぜ毎年の節分の日に善光寺詣りを欠かさずおこなうのか?なぜ善光寺をお詣りすると自分の中で気分が晴れやかになるのか?

好奇心の赴くまま、自分の先祖に関する歴史的考証の森に分け入り、読者を不思議な感覚の世界へと導いてゆく。

過去への考証と、現在の人々との一期一会の描写が、心地よく交差する。

最後の文章がまたいい。

「三十年間のお詣りで仏様にいうことはいつも同じだったような気がする。

『昨年中は有難うございました。こんなに気ままに生きて、昨年はまたしかじかの人の心を傷つけてしまいました。反省します』と手を合わせる。

何か頼んだ覚えは一度もない。これからも同じことを祈り続けると思っている。

しかし、よく考えてみれば、その時々、一番気になっている人の名を挙げ、その人に何とかご加護を与えてください、と祈っている。頼みごとはしない、などといいながら、やはりお願いしてるじゃないか」

エッセイを読む限り、高倉健は煩悶の人である。

そうした自分の気持ちとどう折り合いをつけていくのかが、このエッセイで語られている。

このエッセイを読み終わり、私は思うのだ。

「今年からは、高倉健のように生きよう」と。

…ん?そう書くと、

「ふざけんなてめえ!なに勘違いしてやがるんだ!」と失笑を買いそうである。

正確に言えば、

「今年からは、高倉健のような境地で生きよう」と。

どうせこれからも、旅は続くのだろう。

一期一会を抱きしめて生きる。

そして高倉健が悔恨したように、自分のせいで人を傷つけることのないように生きる。

これが、今年の目標です。

あけましておめでとうございます。

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