『捏造の科学者』メモ
須田桃子著『捏造の科学者 STAP細胞事件』(文藝春秋、2015年)を読んだ。
毎日新聞の記者の取材によるドキュメンタリーで、専門性が高く、冷静な叙述で、真摯な本だと受けとめた。
専門知識がないので、読むのに難儀したが、一読して、
(15年ほど前に起こったあの捏造事件と、構造的にはまったく同じではないか!)
という印象を持った。
若き「有望」な研究者と、「一流」の研究者。
「一流」の研究者は、若き研究者になぜか全幅の信頼を置き、その実験結果を信じて疑わない。そしてあっさりと騙される。
まさか若き研究者が捏造をするなどとは、露も思っていない。
周りで疑念がささやかれているにもかかわらず、「一流」の研究者は意に介することなく、お墨付きを与え、暴走を続けるのである。
そこに見えるのは、ある種の「狂信性」と「集団催眠」である。
「STAP細胞はあります!」と記者会見で叫んだ若き研究者は、騙そうとして言ったのではなく、本当にあると信じていたのではないだろうか。もはやそこには、科学的根拠のない「信仰」しか存在しない。
実験結果も、騙そうと思ったのではなく、「一流」の研究者に喜んでもらいたいために、なりふり構わずとった行動の結果なのではないだろうか。
この点が、15年ほど前に起こった捏造事件と、構造的には同じである。
一つ気になる叙述があった。
STAP細胞の存在について疑念が高まったころ、中心的にかかわった「一流」の研究者が、当然のことながら、その騒動に巻き込まれることになる。
そのときの、記者とのメールのやりとりの中に、次のような記述がある。
「なぜ、こんな負の連鎖になるのか、悲しくなってしまい、今日の上原賞の晴れの授賞式でもマスコミが押し掛け、異様な雰囲気になってしまいました」
彼はSTAP細胞とは無関係の自身の研究成果で、その分野のすぐれた業績に与えられる「上原賞」に選ばれ、授賞式に参加したのだった。そのときのことを「晴れの授賞式」と表現している。もし私だったら、こんなことは絶対に書かない。
「末は博士か大臣か」。理系研究者の世界では、学問的な成功が立身出世と分かちがたく結びついているのではないだろうか。華々しく評価されることが、科学者として一流であるとする認識が当然のごとく存在しているのではないだろうか。
文系の私による卑屈な見方かもしれないが。
いずれにしても感じたことは、
「科学の世界は非科学的な思考に満ちている」
ということと、
「人間は学ばない生き物だ」
ということである。
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