名誉顧問
1月11日(日)
よく私が自己紹介で、自虐的にいう挨拶に、
「福山雅治と同い年です」
というのがある。この挨拶はもちろん、福山雅治のようなオシャレでスマートな人とは、似ても似つかないオッサンです、という意味が込められている。
この理屈からいえば、こぶぎさんは、
「織田裕二と同い年です」
ということになるのだろうが、私もこぶぎさんも、いいオッサンである。
そのオッサンこと、こぶぎさんを、唯一、かっこいいと思う瞬間がある。
そう、それが「モギ裁判」の話をしているときである。
昨年末、「前の職場」で、恒例の「モギ裁判」があった。
もちろん私は、職場が変わってしまったので見に行くことができなかったのだが、こぶぎさんはもう10年ほど、「モギ裁判」を見に行っている。
こぶぎさんがすごいのは、知っている学生もいないのに、わざわざチケットを予約して、自腹を切って、片道50キロの道のりをかけて見に来ているということである。招待券をもらって見に行くどこぞの大人たちとは、わけが違うのである。
そして毎回、アンケートに細かく答える。よかったところは褒め、問題のあったところはダメ出しをする。
そのアンケートが実って、このたび「カーテンコール」が実現した、ということは、前に書いた。
モギ裁判を見たのがもう1カ月近く前であるにもかかわらず、こぶぎさんはモギ裁判のストーリーをよく覚えていて、それをまるで、浜村淳のように私に解説してくれるのである。
「最初に、顧問みたいな人が挨拶するでしょう。『ここで裁かれるのは、モギ裁判を演じる学生たちです』みたいなことを言うんだけど、『俺はそんなつもりで見に来ているんじゃない。純粋に演劇を楽しみに来ているんだ』って、いつも思うんだよね」
「去年もその人、その挨拶をしてたけど、今年もその挨拶したの?よっぽど気に入ったフレーズなんだろうね」
「まあそんなことはともかく、今回の演劇は、ここ10年で最高の出来だったよ」
「あぁそう」
そこから、話はとまらない。
「自殺した高校生、いじめた高校生、傍観者の幼なじみの女子高生を舞台に三人並べて、暗闇に上からピンスポットだけを当てて「魂の台詞」を叫ぶ。これがまたすごいんだ」
「へえ」
「ふだんは、ゆっくりしたセリフ回しでしょう」
「そう、歌舞伎みたいにね」
「でも、このときだけ、学生たちも感極まったのか、きわめて演劇的なんだ」
「そのギャップがまた、いいんじゃないの」
「で、このあと画面が暗くなって『中入り休憩』へって、『え?ヤマ場はまだこのあとかよ』って思ってさ」
「すごいねえ」
「あと、裁判シーンで原告側代理人が遺書を読み上げると、自殺した高校生と入れかわりになって、やはり「魂の叫び」の台詞回しで遺書の後半を読み上げる、といったズルい演出があって、泣いちゃったよ」
「まさに涙泥棒だね」
…と、こんなふうに詳細な解説が続く。
「あの場面で、カウンセラーはああいう行動は取らないよ。カウンセラーに取材して台本を書いたと思うんだけどね。そのこともちゃんと、アンケートに書いておいた」とこぶぎさん。こぶぎさん自身、カウンセラーの資格を持っている。
「それは、取材をした学生が悪いんじゃなくて、きっと取材先のカウンセラーに問題があるんだと思う。私もよく知ってるけど、あそこのカウンセラーはちょっと問題があるんだ」と私。
私はモギ裁判を見てないのだが、話をしているうちに、まるで自分も見ているような気がしてきたから不思議である。
そして「こんどはどんな裁判を取りあげたらよいか」について、あれこれと話し合う。
それにしても、である。
これほど、モギ裁判に愛情を注いでいる人は、いるだろうか?
私の知る限り、こぶぎさんこそが、モギ裁判に最も愛着がある人である。
このようにモギ裁判を見てくれる人がいるだけでも、学生たちにとっては「冥利に尽きる」というものである。
ああ、こぶぎさんみたいに熱心にモギ裁判を見てくれる人がいるということを、学生たちに聞かせてあげたかったなあ。
「こぶぎさん、あなたが顧問をやりなさいよ。あなたこそ、顧問にふさわしい」
「ヤだよ。義務が生じたら、やる気がなくなるもん。外野からあれこれ言ってるのが楽しいんだよ」
たしかにそうだ。
こぶぎさん、あんた、かっこいいよ。
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コメント
検察官:異議あり!
裁判長:却下します。弁護人、続けてください。
弁護人:検察官は起訴状のオチで被告を褒めていますが、「唯一かっこいい」のは模擬裁判を語る時だけ、いうくだりはいかががものか。たとえば、午後5時から深夜1時半まで、実に8時間半もトークバトルを繰り広げた後、雪中ドライブの末に自宅に着いたにも関わらず、翌日には減量を進めるために予定通りスキーへ出かけた、というエピソード一つをとっても、ワイルドでかっこよくありませんか。
裁判長:検察官、いかがですか?
検察官:ここで乙1号証を示します。
これによれば、弁護人が上で述べた事件に関して、前日の無理がたたって実際にスキーに出かけたのは、日も暮れたナイターの時間であったこと、また、スキー場内に流れる広瀬香美、平井堅、新田恵利といった歌声に、「なぜスキー場に流れる音楽は今でも90年代のままなのか」と思いつつも、妙に若い頃にタイムスリップした心持ちになって調子に乗って滑り続けたため、翌日は全身疲労で寝床から起き上がれなかったと証言しています。当職も先日、腰痛の原因がトシのせいであったという経験をしたばかりですが、それに勝るとも及ばないほどのかっこ悪さと言えましょう。
裁判長:弁護人、いかがですか?
弁護人:当職も、どうせなら、映画「八甲田山」のテーマの方が、よっぽど氷点下のスキー場に似合った音楽である点だけは同意します。
質問を変えます。先ほど検察官は、被告人は織田裕二と同い年と発言していましたが、これは事実誤認ではありませんか?
検察官:裁判長!
裁判長:検察側、どうぞ。
検察官:被告人はかつて、わざわざ四国にまで行って往年のトレンディドラマ「東京ラブストーリー」最終回の舞台となった「海辺の駅」に、リカのスカーフが結ばれていることを確認して来たと自供しております。このドラマで主人公のカンチを演じたのが織田裕二でありますから、上のような行動に走らざるをえないほど、被告人と織田裕二の間には、同い年としての強い共感があったと言えます。
弁護人:異議あり! 検察官は、憶測に基づいて発言をしているにすぎません。
裁判長:異議を認めます。被告人が織田裕二と同い年というのは「カンちがい」で、本当は別の有名人と同い年なのではありませんか?
検察官:カンちがいではありません、裁判長。ロマンスの神様の名にかけても。
投稿: カンチこぶぎ | 2015年1月14日 (水) 02時05分
検察官:異議あり!
裁判長:却下します。弁護人、続けてください。
弁護人:そもそも検察官がなぜ、本件に関してのみ被告人を褒め称えるのか、不思議でなりません。被告人は最近自転車に目覚めて、ロードバイクを買って、風と一体になって疾走したり、さらにはスキーにまで行っているというではありませんか。
裁判長:なるほど。
弁護人:検察官については、さらに不審な点があります。検察官はかつて、「自分はもうモギ裁判は応援しない」と過去のブログに書いていましたね。にもかかわらず、一転して応援しているのは、なぜですか。
裁判長:検察官、答えてください。
検察官:それは簡単なことですよ。私はモギ裁判の学生たちに対して、何も含むところはありません。むしろ応援しているといっていい。問題は、それを利用して浮き足立っている、大人たちのほうです。それまでまったく見向きもしなかったのに、まるで自分たちの手柄のように、学生たちの努力をわがものにしようとしている。そういう、にわかに応援し出した大人たちを批判しているのです。
弁護人:裁判長、今の発言の中に、被告人を褒め称える本質が潜んでいるとは思えませんか?
裁判官:どういうことです?
弁護人:つまり、検察官は、被告人を褒め称えることにかこつけて、当局批判をしているということです。
検察官:裁判長!異議あり!それは論理の飛躍です。
裁判長:異議を認めます。
弁護人:はたして論理の飛躍でしょうか。検察官の性格、そしてこのブログの性格をよくご存じならば、被告人を褒め称える言辞が暗示であることは言を俟たないでしょう。
裁判長:検察官、答えてください。
検察官:絶対にそんなことはありません。ロマンスの神様、いや、原稿の神様の名にかけても。
投稿: onigawaragonzou | 2015年1月14日 (水) 21時10分