よしなしごと賛歌
「かっぱえびせん」の話は、誰にも共感を得られなかったようだ。
それはともかく。
以前、
「人生に無駄なことなんて何一つない」
という名言を考えついたのだが、ある同世代の友人から、「たしかその言葉、トータス松本が言ってたよね」と言われた。
その後、その友人がトータス松本の「明星」という曲を紹介してくれた。その曲の歌詞の中に、
「何もかも 間違いじゃない
何もかも 無駄じゃない」
という一節があった。その友人が言っていたのは、この歌詞のことだったんだな。
若いころから私は、「歌詞のある曲」というのをあまり聴く習慣がなく、したがってウルフルズとかトータス松本の曲も、ほとんど知らなかったのだが、それ以来、私はこの曲をiPodに入れて、折にふれて通勤時間などに聴いたりしている。
むかしこの友人が、「実はウルフルズが好きだ」とカミングアウトした文章を書いたのを読んだことがあって、意外に思ったものである。一見クールにみえて、実はとてもウェットな人間であるということに、そのとき気づいたのである。ウルフルズのような、底抜けに明るく、前向きな歌詞に励まされて自分を奮い立たせているのだな、と思った。
まあウェットな人じゃなきゃ、このブログは読みつづけられないわな。
「明星」は、とくに私のようなオッサン世代にとっては、励まされる歌詞であふれているのだが、実はこの歌詞ある部分は、何となくちぐはぐなのである。
「この頃あのバカ 連絡ないけど
アメリカ行ったかな
そういえば今朝 ぜんぜん関係ないヤツに
留守電入れたの 今気づいたよ
あのコにあいたい
あのコにあいたい
夢でもいいから」
とか、
「「地球にやさしく」って言われても
何すりゃいいのかよ
それよりオレにもやさしくしてくれよ
頑張ってるんだから
タバコも吸わずに
パソコンがなんだ
検索がどうした
答えは見つけたか
最終電車で拾ったマンガを読んだら
涙が止まらない
腹が減ったな 何か食べたい
何か食べよう あったかいものを」
といった部分。
何度か聴いても、何だか意味がよくわかんなかったんだが、今日、仕事からの帰りの電車の中で、グッタリ疲れた状態で聴いていたら、その意味がようやくわかった。
これって、サラリーマンが勤め帰りの電車の中で、グッタリしながら頭の中に思い浮かぶような「よしなしごと」ことを、そのまま歌詞にしてみたんじゃないだろうか。
例えば最初の部分。これは3つの内容に分かれる。
①この頃あのバカ連絡ないけど、アメリカ行ったかな
②そういえば今朝 ぜんぜん関係ないヤツに留守電入れたの、今気づいたよ
③あのコにあいたい、あのコにあいたい、夢でもいいから
この3つは、何の脈絡もない「よしなしごと」である。だが、私たちは電車の中でボーッとしているときって、こんな感じで、脈絡のない「よしなしごと」を次々と考えているのではないだろうか。
後半の部分もそうである。
①「地球にやさしく」って言われても何すりゃいいのかよ。それよりオレにもやさしくしてくれよ。頑張ってるんだから、タバコも吸わずに。
②パソコンがなんだ、検索がどうした、答えは見つけたか。
③最終電車で拾ったマンガを読んだら、涙が止まらない。
④腹が減ったな、何か食べたい。何か食べよう、あったかいものを。
これも同じ。これって、ふだん俺が、電車の中でボーッと考えているようなことじゃないか。
「今日のあの会議での発言、言わなきゃよかったなあ」「いまさらだけど、俺にもなんか役に立つことあるかなあ」「そういえばあいつ、今ごろどうしているかなあ。何で連絡くれないのかなあ」「あのときは裏切られた感じがして、涙が出たなあ」「腹減ったなあ」「何かあったかいものでも食べたいなあ」
どんなに心配事があっても、どんなに悲しくっても、腹は減るものだ。あったかいものを食べれば何とかなる。人間の日常なんて、こんな断片的思考の連続なのではないだろうか。
それをトータス松本は、歌詞に表現したのだ!
…これも、ひょっとして共感を得られないか。
いや、でもためしに、仕事からの帰り道に自分がどんなことを考えていたかを、ひとつひとつ振り返ってみるがよい。
きっと、たいしたことは考えていない。
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コメント
だいたいいつも共感してますけどねえ。まあ、チャック・マンジョーネとかはよう分かりませんが。「よしなしごと」が次々に浮かぶときは、きっと充電している状態だろうと思ってます。
ところでサクサク地獄について質問あり。その人は咀嚼するときに口を開けてましたか。閉めてましたか。それによって思い浮かぶ音質がだいぶ違うもんで。
投稿: ひょん | 2015年1月31日 (土) 00時15分
その人は、かっぱえびせんを咀嚼するときに口を開けていました!この大事な情報を書いておくべきでしたね。口を開けたままかっぱえびせんを咀嚼している音を聞くと、何とも自分がバカにされているような気分になります。はたして共感できるか???
投稿: onigawaragonzou | 2015年1月31日 (土) 00時36分
嗚呼!閉じていたならまだしも、口を開けたままひと袋行かれましたか!鬼瓦先生、完全にやられましたね。それは確信犯です。
私はこんな攻撃に見舞われたことがあります。会社帰りの電車に乗って脈絡のないことを考えていたら、隣の青年がおもむろに手提げからお菓子の袋を取り出して、折ってあった口を開けて何か丸いものをパクリと口に入れました。音はしませんでした。
彼は袋の口を閉じて手提げに入れましたが、3秒後にまた袋を取り出して、パクリと食べて袋を閉じて手提げに戻しました。と思ったらまた3秒後には袋を取り出し…これが「お不動様のお膝元」から、「武蔵の国の大神さまのまち」までずっと続きました。
席を立って「い、いい加減にしろお!喰いたいなら続けて喰ええ!」と叫べばコントが始まるのですが、さすがにそれもできずに悶々としていましたとさ。
投稿: ひょん | 2015年1月31日 (土) 12時30分
「新幹線で便意もよおす」
http://yossy-m.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-cf23.html
そういう食べ方が流行っているんでしょうか…。
投稿: onigawaragonzou | 2015年1月31日 (土) 23時41分
ボクなんか、列車に乗る前に必ずお菓子とお茶を買ってるんですけど、おかしいですか?
うん。子供じゃないんだから。
それに、「一口食べてしまう」というのもよくやるんですけど。ずっと袋を出していると食べ過ぎちゃうのでしまうんですけど、また食べたくなっちゃうので。ボクの電車の乗り方がおかしいのかなあ。お菓子だけに。
例えば、山手線の車内で物を食べるなんて、なんか抵抗感を感じちゃうでしょ。周りの人からも見られているし。
そこは違うんです。ボクにとって、Y線は通勤列車でなくて観光列車なんです。
ほー。通勤通学の手段ではなくて、言うなれば、ボックス席でおにぎりを交換して食べている行楽帰りのおばさま達の感覚で、Y線に乗っているというわけですね。
そのうち、向かい席同士でトランプでも始めようかと。
確かに、新幹線では、お菓子であろうと弁当であろうと、飲み食いして一向に構いませんから、そういう感覚に近いんじゃないですか。
旅行感覚というか、観光っぽい雰囲気があるかどうかが、お菓子を食べたくなるのと大いに関わっている、と言うことか。
つまり、その列車の「観光風情感」が車内飲食の是非を左右していると。
「観光風情感」があれば、えびせんを隣でサクサク頬ばられても、一向に気にならなかっただろうと。
だから、その列車がどこを走っているかも大事なんです。通学生とか沢山乗り込んでくると観光風情感がなくなりますから。
K駅とか、駅名はとても観光風情感が溢れているのに、学生の乗り降りが多いからダメです。
A駅だってそうですよ。
列車によって「車内カルチャー」は全然違いますよね。J線なんか、始発駅からアルコールと、さきイカの匂いで車内が充満してますし。
満員の車内でドアに押しつけられながらも、ワンカップとつまみを両手に持ったまま離さなかった猛者だって、見かけましたから。
そういう列車なら、みんなできあがっちゃっているから、車内でお菓子を食べても、かえって咎められないんじゃないんですか。
いや、お菓子はダメですよ。「晩酌風情感」を損ないますから。
投稿: 風情感こぶぎ | 2015年2月 2日 (月) 23時26分