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異端を継ぐ

2月14日(土)

昨年の夏、同業者のMさんが亡くなった。

通勤の電車の中で倒れ、そのまま帰らぬ人となったという。まだ50代後半という若さだった。

私は、一度しかお目にかかったことがなく、日常的なおつきあいはまったくなかった。

それからしばらくして、秋になったころ、Mさんと同門の方が私におっしゃった。

「いま、Mさんの大学の研究室の蔵書整理をしているんですよ。あなたにぜひお願いしたいことがある」

「何でしょう?」

「Mさんの蔵書の中に、韓国関係の研究書がたくさんあるんです。一度、研究室に見に来てもらえませんか。それで、もしあなたの希望の本があれば、それをひきとってもらいたい」

よくよく聞いてみると、次のようなことであった。

Mさんが亡くなったあと、今の大学の研究室をそのままにしておくわけにはいかず、遅くとも年度が終わる3月末までには完全に研究室を明け渡さなければならない。

そのために今、Mさんの奥さんと娘さんが中心になって蔵書の整理をしているのだが、何人かの同業者に呼びかけて、できるだけ蔵書をひきとってもらい、その残りを古本屋に売るなどして処分したい、というのが、奥さんの意向である。

もともと日常的なおつきあいのない私にその話が来たのは、同業者の中で韓国関係の研究書に関心があるのがは私くらいしかいない、というのと、Mさんの研究室が私の職場から比較的近い、という二つの理由によるものだった。

Mさんと日常的なおつきあいがなかったが、私はMさんの研究にとても魅力を感じていたし、Mさんのお人柄についても、いろいろな方から聞いて知っていた。

誰もがMさんについて口にするのは、次の二つである。

一つは、博覧強記である、ということ。

研究対象を日本だけではなく、中国や韓国など、東アジアまで広げて、あらゆることに好奇心を持っていた。その博覧強記ぶりは、多分野の専門家たちが驚嘆するほどであった。

もうひとつは、お酒をこよなく愛していた、ということ。

Mさんのことを語る人は、もっぱら、Mさんとお酒の席をともにすることがいかに楽しかったか、という話をしていた。

さて、私が一度だけお目にかかったというのは、今から7,8年ほど前の、小さな研究会の席である。

Mさんのところにご挨拶に行くと、

「前からあなたにお会いしたいと思っていましたよ」

と言われた。

研究会の席で、Mさんは何も見ずに、古今東西の事例をひきながら、滔々と発言された。私はそのお話に、すっかり引き込まれてしまった。

研究会が終わったあと、Mさんの行きつけの中華料理屋に行き、一緒にお酒を飲んだ。

「飲み助」という言葉がピッタリの人で、終始、楽しいお酒だった。

一度しかお話しする機会はなかったが、私もまた、Mさんの博覧強記ぶりと、飲み助ぶりの両方を実感したのである。

さて、蔵書整理に話を戻す。

奥さんと娘さんが研究室に赴いて蔵書整理をしているのだが、奥さんはお仕事をされているし、娘さんは大学に通っているので、時間の空いているときしか整理ができない。ついては、奥さんや娘さんが蔵書整理されている日に合わせて、来てもらえないか、という。

ということで、日程調整をして、Mさんの研究室を訪れることにした。

最初に訪れたのが、1月13日の午前である。

研究室を訪れて、驚いた。

膨大な蔵書量である。

日本の本だけでなく、中国で刊行された本や韓国で刊行された本もたくさんある。

ジャンルも、Mさんが関心を持ったあらゆる研究テーマのものを、徹底的に集めたことが、よくわかる。

(よく、こんな本見つけてきたなあ)

と思う本ばかりなのである。

「これでも、いろいろな方に本を持っていってもらったんですよ」と、奥さんが言う。

私は、正直、困ってしまった。

私の研究室は、すでにもう本であふれていて、これ以上、まとまった量の本を研究室に運び入れることはできない。

最初は、最小限のものだけをお引き取りしようか、とも思っていた。しかし、奥さんが言う。

「一冊でも多く活用してもらえれば、Mも喜ぶと思うんです」

たしかに、これだけのマニアックな本を、古本屋に引き取ってもらったとしても、そのあとはどうなるかわからない。とくに、ハングルで書かれた本であればなおさらである。

私は腹を括って、韓国関係の本をできるだけお引き取りすることにした。

それにしても膨大である。

ひきとろうかどうか迷うものもあったので、とりあえずこの日は最小限のものを段ボールにつめて、自家用車で職場の研究室に運んだ。それでも8箱くらいにはなったと思う。

だがその後も、迷った挙げ句にひきとらなかった本のことが気になって仕方がない。

2回目は、1月21日の午前である。

この日もまた、韓国関係の本を中心に、段ボール8箱ほどを引き取った。

それでもまだ、迷った挙げ句に引き取らなかった本があった。

「あのう、もう一度うかがってもよろしいでしょうか」と私。

「ぜひお願いします」と奥さん。

日程調整をした結果、あとは2月14日しかないことが判明した。

この日が、蔵書整理の最終日で、このあと、古本屋に本を引き取ってもらうことになっているのだという。つまりこの日がタイムリミットなのだ。

ということで今日の午前。

Mさんの研究室に向かう道中で、車を運転しながらつらつらと考える。

同業者の中でも、Mさんほど、幅広く、しかもマニアックに研究されている方はいなかった。

私がその蔵書の一部を引き継いだとしても、私がMさんほどに、その本を使いこなすことはないだろう。

では、かといって、ほかに関心を持ってくれる同業者は、いるだろうか?

私が長年、同業者たちを見てきて、思ったことが一つある。

それは、研究者というのはそのほとんどが、自分のしていること以外に関心を持たない、ということである。

前の職場でも感じたことだったが、ほとんどの同僚の研究室には、自分の専門分野の本がシンプルに並べられているにすぎなかった。

研究者は変人だと思われがちだが、とんでもない。

研究者こそ、常識にとらわれ、自分の殻から出ようとしない、視野が狭く、頭の固い人種なのである。

その点から言えば、Mさんはれっきとした変人である。異端といってもよい。

だが、変人とか異端こそが、突然変異のごとく、その分野を革新するパワーとなるのだ。

常識的で視野の狭い凡百の連中からだけでは、何も新しいことは生まれてこない。

では、Mさんの異端ぶりを、いったい誰が受け継ぐのか?

誰かが受け継がなければならない。

そこでハタと気づく。

蔵書を引き取るということは、Mさんの異端としての生き方をも、受け継ぐということなのではないか。

結局私は、Mさんの集めた韓国関係の蔵書のほとんどを、引き取ることにした。

全部で段ボール8箱におさめ、これで都合24箱である。

自分の研究室にもはや置いておくスペースはないが、まあ何とかなるだろう。

3回にわたる蔵書引き取り作業が、これで終了した。

「どうもありがとうございました」と奥さん。

「こちらこそどうもありがとうございました」と、お辞儀をして別れた。

大学生の娘さんが、8箱の段ボールを私の車まで運ぶのを手伝ってくれた。

台車を使って運んでいる道中、娘さんが私に聞いてきた。

「これ、全部ハングルで書かれた本ですか?」

「まあだいたいはそうです」

「ちっとも知りませんでした。韓国の本がこんなにあったなんて…。それにしても不思議です」

「何がです?」

「父は、韓国語が全然できなかったんですよ」

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