メタリックと背広と八丁味噌
2月11日(水)
またまた旅の空です!
飛行機で「黄色いガードレールの県」にやってきました。
泊まっているホテルは、この県出身の詩人の記念館のはす向かいです。
…まあわからないだろうな。
明日の朝から2日間にわたって、「眼福の先生とその仲間たち」による調査である。そのために、前日に現地入りしたのであった。
夜、みんなが現地に集合し、「眼福の先生」を囲んで食事をした。
傘寿を越える先生だが、お話しは尽きることがない。
例えば、こんなお話。
「眼福の先生」が東京の大学を定年退職したあと、ある地方の小さな私立大学で教鞭をとることになった。数年間の単身赴任が始まった。
研究に専念できた東京の大学とは勝手が違って、地方の小さな私立大学の学生は、とても個性的である。
「眼福の先生」といえば、その分野では知らない人はいない、というほどの碩学なのだが、地方の小さな私立大学の学生にとっては、そんなことはまったく関係ない。
先生の受け持っていた学生の中で、ひとり、ほとんど大学に来ない学生がいた。
たまに大学に顔を出すのだが、腰のあたりに、たくさんの金具のようなものをジャラジャラとぶら下げている。
今でいう「チャラ男」である。
眼福の先生は、その学生のことを「メタリック」と名付けた。
メタリックが、4年生になった。
卒論を出さなければ、卒業できない。
提出の直前になって、メタリックは「眼福の先生」に、卒論をどうしたらいいかわからない、と相談に来た。
それはそうである。だって、今まで全然大学に来ていないんだから。
さあ困ったのは、眼福の先生である。
メタリックに、どうやって卒論を書かせたらよいか。
困り果てたあげく、眼福の先生はメタリックに言った。
「君が今いちばん関心のあることを書きなさい。君は何に関心があるんだ?」
するとメタリックは、「よくぞ聞いてくれました」と、話を始めた。
メタリックは、バイクが好きで、ひとりでバイクを走らせて日本を一周したのだという。
彼が大学にほとんど顔を出さなかったのは、バイクで日本一周していたからだったのだ。
その話をじっと聞いていた眼福の先生が言った。
「じゃあ、そのことを書きなさい。君が、バイクで全国を旅している間、どんな人と出会い、どんな人に助けられ、トラブルをどうやって乗り越え、どうやって全国を一周したかを、事細かに書きなさい」
メタリックは、それを書いて、卒論として提出した。
文章はとても読めたものではなかったが、彼は先生に言われたとおり、バイクの旅の一部始終を事細かに書き記していた。
そして、なんとか卒業することができたのである。
卒業式の日。
眼福の先生は、メタリックの姿を見てびっくりした。
ふだん見慣れている、腰のあたりに金具をジャラジャラぶら下げた格好ではなく、およそ不似合いな背広を着てきたからである。
「君、その背広どうした?」
「僕は背広を持っていないので、お父さんに借りました」
どうりで似合わないはずである。
「先生、今までありがとうございました」
そう言うと、メタリックは先生にあるものを渡した。
「これは何だね?」
「八丁味噌です」
「八丁味噌?」
八丁味噌は、この地域の名物である。
「まさか君が、こんなに気がきく人間だったとは思わなかったよ」
眼福の先生が驚いて言うと、
「先生にお渡しするようにと、親に言われたんです」
背広も八丁味噌も、メタリックには、およそ不似合いなものだったが、メタリックにとってみれば、最大限の誠意だったのだろう。
「それ以来、八丁味噌が好きになってね」
「眼福の先生」は、あのころを思い出したように、そうおっしゃった。
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コメント
汚れっちまった悲しみに
今日も八丁味噌の降りかかる
そっちじゃない方の詩人の記念館の2階に座って、窓から外を眺めると、詩に書かれた風景のまんまで眼福なんですけど。
投稿: ランボオこぶぎ | 2015年2月12日 (木) 10時59分
こぶぎさんには簡単すぎるクイズでしたね。
投稿: onigawaragonzou | 2015年2月13日 (金) 00時05分
朝、鈍い日が照つてて 風がある。
千の天使が バスケットボールする。
二日酔いではないけれど。
ご自愛召され。
投稿: ランボオこぶぎ | 2015年2月13日 (金) 09時23分