久和ひとみさん
3月6日(金)
中島みゆきが母校の高校の卒業式に寄せたメッセージが、ほかの何者かが作った偽のメッセージだったということで、ニュースになっていた。
テレビ局は犯人捜しに躍起になっていたが、メッセージ自体はとくに茶化している内容でもなく、ひょっとしたら、誰かが本当によかれと思ってやったのかも知れない、だからそっとしておいてやれよ、と思ったのだった。
私の母校の高校の先輩に、久和ひとみさん、という方がいた。といっても私よりも8年ほど上の先輩なので、在校中にお会いしたことはない。
フリーのアナウンサーをしていて、TBSテレビの夕方のニュース番組を担当していた。私の高校の先輩だったということもあったが、ショートカットをトレードマークに、的確にニュースを伝える姿はとてもかっこよく、当時の私の憧れの存在だった。
いちどだけ、間近にお目にかかったことがある。私が大学3年生のときだったから、1990年ごろのことだったか、高校の何十周年記念かの同窓会が開かれたとき、当時私が属していたOBの吹奏楽団がそこで2,3曲演奏し、そのときに司会をしていたのが、久和ひとみさんだった。
同窓会が終わったあと、何人かで一緒に写真を撮ってもらった。実際にお会いしても、とてもいい方で、私はますますファンになってしまった。
その後久和ひとみさんは、重い病にかかり、2001年に40歳の若さで亡くなった。
何でこんなことを思い出したかというと、私が高校を卒業し大学に進学するころ、久和ひとみさんが書いたメッセージを読んだことがあるからである。
どこに書かれたメッセージだったかは、覚えていない。また、正確な内容も覚えていないのだが、
「大学生活の4年間とは、社会に出る直前に、いまの社会に対して距離を置いて考えることができたり、社会を批判的な視点で考えたりすることができる、唯一の貴重な時間です」
というようなことが書かれていて(実際はもっといい表現で書かれていた)、私はそのとき読んだ他のどんな人のメッセージよりも、心を揺さぶられたのだった。そして私はその言葉をずっと胸にいだいて大学生活をすごした。
のちに私が大学に勤めるようになって、せめて私と関わる学生たちに対しては、大学がそういう場になるように心がけた。久和ひとみさんのメッセージは、私の仕事の上でも、大きな指針だったのである。
私がかかわった学生の多くは、卒業後も、社会に対して少し距離を置いて考えることのできる社会人になったと思う。いまでもたまに卒業生たちに会って話してみると、そのことを実感する。
私が昨年度までの教員稼業で唯一誇れることがあるとしたら、そういう学生を社会に送り出すことができたことである。
久和ひとみさんがもしいまも生きていたら、筑紫哲也さんのあとを継ぐニュースキャスターになっただろうな、と思う。
どうして、いい人は早く死んじゃうんだろうな。
…こんなことを書いたのは、最近のニュースに憂鬱になったからである。
新聞報道によると、「政府の教育再生実行会議は、職業に結びつく知識や技能を高める実践的なプログラムを大学に設けるとの提言を首相に提出した。アカデミックな教育課程に偏りがちな大学を変革し、産業界が求める「即戦力」となる人材を育てるのが狙い」とある。
これからの大学は、4年間で「社会に役立つ人材」を養成することになるらしい。一歩立ち止まって、今の社会に疑問を持ったり、批判的にとらえたりする思考は、大学教育からは排除されていくことになる。
現場の人間が強い意志をもってこれに抗うことができない限り、この流れは急速に進むだろう。
久和ひとみさんのメッセージに誰も共感しなくなるような時代が、もうすぐそこまで来ている。
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