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原稿ため込み党のため息

3月3日(火)

間が悪かったり、しくじったりで、軽く死にたくなることばかりですよ。

まあそれでも、生きていればいいこともあるかも知れないと思いながら、わずかなことに望みをつないで、なんとか生きております。

前回は「こだわる生き方がいい」などと書いたが、そんなことを考えているのは私だけで、たんなる身勝手な思い込みにすぎない。そろそろ「こだわらない生き方」に慣れなければいけないのかも知れない。

それにつけても、私にいつもつきまとうのは、原稿である。

時間を見つけては、あまり日の目を見ないであろう原稿を、ああでもないこうでもないといいながら書いている。

それでも、400字原稿用紙で200枚弱の原稿を3月末までに書かなければならない。

若いころは、締切を絶対に守ることを心に決めていたのだが、最近は締切を過ぎることに、あまり抵抗を感じなくなってしまった。

よく、高校時代の友人・福岡のコバヤシに言われるのだが、

「民間企業では考えられない」という。

「民間企業で、約束の期日を過ぎるようなことをすると、信頼問題に関わる」

それはそうだな。そう考えると、われわれの業界は、少し甘やかされすぎている。

同業者の多くもご多分に漏れず、原稿ため込み党のようである。

先日ある同僚と廊下ですれ違ったときにたまたま原稿の話になり、やはり原稿に苦しんでいるとのことだった。

年度末に向けて原稿に苦しむというのは、この業界にはよくあることである。ま、年度末に限ったことではないのだが。

その後、その同僚とすれ違うたびに「原稿はどうなりました?」とか聞いてみると、「それどころじゃないですよ」とか、「まったくピクリとも思い浮かびません」とか、「この調子だと落としますなぁ」とか。

「落とす」とは、掲載予定の媒体に原稿を載せることができないことを意味する言葉である。

「そうですよねえ」なんて相づちを打ちながら、最初は軽く考えていたのだが。

どうもその同僚は、だんだんピリピリしてきたようで、あまりシャレにならなくなってきたようだった。

つい最近は、「原稿どうなりました?」などといつものように軽口を叩こうものなら、あまりその話題には触れたくないみたいな感じになっていることが、如実にわかってきたのである。

「もうそんな軽口はいいから!」

みたいな雰囲気になっていることが、空気でわかってきたのである。

こちらとしては、いちおうお互いを励ます意味でエールを送っていたのだが、そうなるともう、うかつに原稿のことを話題に出せない。

よかれと思って言ったことが、かえって不快に思われてしまうという、私が陥るいつものパターンである。

…というか、私だってよかれと思って以前から気にかけているのだから、進捗状況くらい教えてくれればいいのに…。

あんまりしつこく言うのも煩わしがられるだけだということに、私もようやく気づき、人間、わきまえることが大事だと思ったのだった。何度も気づいては、直らないという私の悪い癖である。

考えてみれば、私が信頼したり尊敬したりしている人は、年齢に関係なく、私よりもはるかにわきまえている人たちなのだ。

考えてみれば当然か。私よりもわきまえている人だから、信頼したり尊敬したりできるんだな。

ああ(ため息)、私も相手の心を察してわきまえられる大人になりたい。

(現時点の原稿字数…44343字)

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