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輪の中にいる

昨日に引き続き、わかりにくいお話。

3月16日(月)

土曜日に行われた、前の勤務地でのボランティア活動定期会合で、講師としてお呼びしたTさんと、打ち上げの席ではじめてお話しした。私とほぼ同世代の方である。

初対面の方との話は、どうも苦手なのだが、いろいろと話しているうちに、私が研究者として尊敬している、Nさんの話になった。

Nさんは、ある県の高校の先生をしていて、そのかたわら、地元の研究者として活躍していた。いまから25年以上前に、50歳の若さで亡くなった。没後、2冊の遺著が出版された。

学界ではあまり目立たない方だったが、私は学生時代にこの方の本を読み、専門分野は異なるが、いつかこんな本を書いてみたい、と思うようになった。

そして昨年、私はNさんへのオマージュとして、一冊の本を書いた。そのことは、その本の中でも触れている。

そのことをTさんに話すと、Tさんはびっくりした顔をした。

「実は僕も、Nさんが憧れの研究者だったんです!」

Nさんと同じ県に住み、Nさんと同じ専門分野の研究者であるTさんにとって、Nさんは憧れの存在だったという。

「僕の最初の勤務先が、Nさんが教師をしていた高校だったんです。それで何か運命的なものを感じて、Nさんの研究の足跡をたどったりしました。いまもNさんの教え子さんという方が何人もいらっしゃるのですが、お話をうかがうと、いまでもN先生のことを慕っているんですよ」

「そうですか」

「こんど、うちの県にいらしてくださいよ」

「え?」

「Nさんとゆかりの深いフィールドをご案内します。Nさんの足跡をたどりましょう」

「ぜひお願いします!」

ひとしきり、Nさんの話題で話がはずんだ。もちろん、Tさんも私も、Nさんにお会いしたことはない。ただ本の中のNさんを知るのみである。にもかかわらず、まるで思い出話を語り合うように、話は尽きないのだ。

ということで、今年中に、Nさんの足跡をたどることに旅をする!

帰り際、初対面だったTさんと握手を交わして、お別れした。

不思議だなあと思った。初対面の人と、一度もお会いすることのなかった人の思い出話に花を咲かせるなんて。

さて翌日の日曜日。

朝早い新幹線で「前の勤務地」を離れ、今の職場に向かった。午後から職場で研究会なのである。

研究会が終わり、夕方から懇親会が始まった。20名近くが参加したが、そこには、昨年の夏に50代後半の若さで急逝されたMさんの出身大学の後輩のみなさん(といっても、私よりも年上の方ばかりだが)が何人もいらしており、私もその方々の近くに座ることになった。

そこでの話題は自然と、「同門」のMさんの話になる。

以前にも書いたように、私はMさんとは出身大学も違うし、お話ししたのは一度だけだったが、これまた不思議なご縁で、Mさんが亡くなったあと、Mさんの職場の蔵書の一部を引き取らせてもらうことになった。

私は、ほかの方々とは違い、Mさんとの生前の思い出はまったくといっていいほどない。研究論文を通じてしか知らないのである。

しかし蔵書には、Mさんのこれまでの足跡がしっかりと残されていた。おそらくMさんは、このときこんなことを考えていたんだろう、と蔵書の一冊一冊を見ながら、私は想像をめぐらせた。

私はそのことを「同門」のみなさんにお話しした。

たぶんそれは、「同門」のみなさんも知らない、私しか知らないことである。

不思議な感じである。生前の思い出などまったくないのに、私はまるで、Mさんの思い出を語っているのだ。

二日続けて、そんな不思議な体験をした私が思ったことは、二つある。

ひとつは、生前にどれだけ会っているかどうかは、その人との近さをはかるバロメーターではない。

もうひとつは、亡くなった人について語り合うとき、その人は、その輪の中にいるのである。

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