あざなえる縄の如し
3月20日(金)
一日たりとも、平穏な日というのがない。
今日もまた、片道4時間以上かかる場所に日帰り出張だった。
いいかげん、東海道新幹線も乗り飽きたぞ!移動のしすぎで疲労困憊である。
今日は気分的にとてもイヤな仕事だったが、それも仕事のうちなのだから仕方がない。
仕事をしていると、いろいろなことが起こる。
こちらが誠意をもって行っているつもりでも、相手が悪意をもって受け取る、といったことはよくある。
そんなときは、いくら「自分は純粋に誠意をもってやっているのだ」といっても、相手に通じない。
わかりやすい例でいえば、震災ボランティアがそうだ。
自分は純粋に何かの役に立ちたいと思ってボランティア活動をしているつもりでも、別の人から見たら、「売名行為だ」とか「偽善者だ」とか言われたりすることは、よくある。
そういう人に、いくら自分が純粋な気持ちでそれをしているかを説明してみても、おそらくは通じないだろう。
では、自分は純粋な人間で、他者は悪意ある人なのか?
おそらくそうではない。
自分も自分で、悪意をもって他者の行動を理解してしまうこともある。
その時々の立場や感情によって、それを善意と解釈するか悪意と解釈するかは異なるのである。
おそらくそれは、そのときの個人的な感情に大きく左右される。
悪意の背景には、嫉妬とかコンプレックス、あるいは抑圧された感情、といったものがあるのだ。
そういう感情から解放されない限り、自分だけが純粋な気持ちであると嘆いてはいけない。
まずは自分を疑うことからはじめよとは、山本周五郎が小説「武家草鞋」でテーマにしていることである。
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