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忘れない生き方

3月11日(水)

旅先で、この日を迎えた。

旅先は、一昨日から思いのほか寒く、昨晩は雪が降った。

この町の観光案内図を見たら、なんと私の名前を冠した公園があるので、びっくりした。この名前の公園は、たぶん日本でここだけだろう。

4年がたち、私はどのくらい、あのときのことを忘れずにいるだろうか。

「あのときのこと」というのは、出来事という意味ではない。あのときに困惑し、不安になり、絶望し、そして高揚した感情のことである。

今でも忘れない光景がある。

その年の3月11日が金曜日。土日をはさんで、3月14日に臨時の会議が開かれた。

職場に居合わせた教員が全員集められたその会議では、結局事態もつかめぬまま、ほとんど何も決まらずに、終わったと記憶する。

会議が終わって仕事部屋に戻ると、私の仕事部屋の前の廊下に、当時3年生だった私の指導学生がいた。どうやら私が戻るのを待っているようだった。

その学生は、私を見るなり、

「先生!」

と叫んで、わっと泣き出した。

「どうしたの?」

「両親と連絡がとれないんです」

その学生の実家は、津波の被害に遭った町にあり、両親の安否が全然わからないのだという。

あの日から4日目になろうとするのに、両親に連絡がとれない。両親の安否がわからない。

その学生は、あの日から今日に至るまで、両親の安否を確認するためにどれだけ手を尽くしたかを、泣きじゃくりながら話した。

ふだんは前向きで、何事にもへこたれない学生が、私を見るなり、何かが決壊したかのごとく、泣きじゃくったのである。

20歳を過ぎたばかりの学生が、4日間も、両親の安否もわからず、かといって実家に駆けつけることもできず、たったひとり、アパートでじっとしているよりほかはないという状況を、想像してみるがよい。

私はその学生に、どのような言葉をかけてあげればよいのか?

「大丈夫だよ」か?

「心配ないよ」か?

「がんばりなさい」か?

どれもが、空虚な言葉である。

適切な声をかけてあげるのが仕事であるはずの私が、かけるべき言葉も見つからないまま、絶句してしまったのである。

あのときほど、自分の無力感を感じたことはない。

せめて、その学生を励ますような言葉をかけるのが自分に与えられた役割だろう、と思っても、その言葉すら、出てこなかったのである。

自分は、なんと役に立たない人間なのだろう。

いちばん言葉が必要なときに、その言葉が、出てこないのだ。

私はこの仕事、失格である。

今でもその時のことを、ありありと思い出す。

私の周囲で、次第にあの日のことが忘れられていく姿を、私は昨年のこの日あたりから、まのあたりにしてきた。たぶん私自身も、かなり忘れてしまっているのだろう。

「あの日を忘れない」というのは、出来事だけではなく、あの日にわき起こった感情をも含めて、忘れないということだろうと思う。

あの日いちにち、朝、昼、そしてあの時間、さらにその後、どのような感情で過ごしたのか。

どんな人たちと、どんな言葉を交わしたのか。

そのことを、折にふれて思い出すことにしている。

少し前に書いた「こだわる生き方」、というのは、いいかえれば、「忘れない生き方」である。

だから「こだわる生き方」を貫こうとすると、つらくなるのだ。

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