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2015年4月

まだまだ徒然草

…というわけで、突如自分の中で『徒然草』ブームが巻き起こった。

『徒然草』のすごいところは、滑稽話から湿り気のある話まで、振り幅が大きいということである。

しかもよくよく読んでみると、滑稽話はできるだけ具体的に描写をし、湿り気のある話はできるだけ抽象的な表現を使う、という特徴がある。

これは現代にも通じる話芸や文章術ではないだろうか。不遜ながら私も、このブログでそういう書き分け方をしているのだ。

兼好法師って、私と同様の面倒くさい人間だったんじゃないだろうか?

私がいちばん好きな文章は、第26段の、

「風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月(としつき)を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外(ほか)になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ」(第26段より)

(風が吹かないのに散ってしまう花のように、人の心は移り変わってしまう。親しかった頃に、しみじみと感慨深く聞いた一つ一つの言葉を忘れることはできないのに、その人はしだいに自分とはかけ離れた遠い存在になってしまう。これが世のならいだとはいっても、それは故人との別れよりも悲しいものである)

であるというのは、前に書いたが、もうひとつ好きな文章がある。第12段の一節である。

「同じ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなくいひ慰まんこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向ひ居たらんは、ただひとりある心地やせん」  

(同じ思いを持つ人と、じっくりと話をして、風流なことも、世の中のはかないことも、心おきなく話してみたら、さぞ楽しいだろう。でもそんな相手はそうめったにはいない。たいていは、気心の知れない人と少しでも意見が違わないようにしようと向き合っていることが多いので、かえって孤独を感じるものである)

つねひごろから私が感じていることを、兼好法師はすでに言い当ててしまっている。

こうした湿り気のある文章を書くかと思えば、第45段みたいに、

「藤原公世(きんよ)の兄である良覚僧正は、非常に短気な人だったそうな。

僧正のすみかの庭に大きな榎木があったことから、人々は『榎木の僧正』なんていうあだ名を付けた。

僧正は、本名で呼ばれず、あだ名で呼ばれることに腹を立て、その木を伐ってしまった。

すると今度は、木の切り株が残ってしまったために、人々は『切り株の僧正』というあだ名を彼に付けた。

良覚僧正は、当然これにもご立腹。「こんなものがあるから、俺はあだ名で呼ばれてしまうんだ」と、今度は切り株を掘り出して捨ててしまった。

すると今度は、掘ったところに水がたまり、池のようになってしまった。そこで人々は「堀池の僧正」とあだ名を付けたそうな」

みたいな、オチがあるんだかないんだか、どーでもいい文章も書き残している。

兼好法師は、俺と似てるんじゃないだろうか?

彼の人となりを解く鍵が、ほかならぬ『徒然草』に残っているのだが、それはまた別の機会に。

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一対の獅子

えー、馬鹿馬鹿しい咄をひとつ。

京都の丹波地方に出雲という土地がございまして、その土地を支配してるのが、「しだ某(なにがし)」さんという人で、この土地に、島根の出雲大社の流れをひく立派なお社が造営されたことから、出雲という名前がついたそうでございますな。

そのしだ某の知り合いに、聖海上人というお坊さんがおりまして、ある年の秋、しだ某が「ぜひ当地の出雲神社にお参り下さい。名物のおはぎでもご馳走いたしましょう。どうかみなさんでおいでください」と、聖海上人を招待いたしました。

甘いものに目がない聖海上人は、それじゃあってんで、弟子たちを引き連れてお社まで出かけていきました。

みんなで、お社の拝殿で熱心にお祈りしておりますと、聖海上人が、あることに気づいた。

本殿の前に獅子が対になって立っているんですが、その獅子が、なんとお互い反対を向いて背中合わせになっているんですな。ふつうは向かい合って並んでいるのに、背中合わせってのは、めずらしい。

これを見た聖海上人、しきりに感心しはじめた。

「どうだい、見事なものじゃないか。とくにこの獅子の立ち方なんてのはとてもすばらしい。きっとこれは深い意味がこめられているにちがいないぞ」

「へえ、和尚さん、私らにはサッパリわかりません」と弟子たち。

「だからお前らは修行が足りんというのじゃ。お前らには、このすばらしさがわからんのか?」

「へえ、サッパリわかりません」

「ああ、このありがたさがわからんとは、情けない情けない。ああありがたやありがたや」

聖海上人は、感涙にむせびながら一対の獅子に手を合わせた。

「たしかに、そう言われればちと変わっていますなあ」「これは都に帰ったら、いい土産話になりますな」などと、弟子たちはまだピンとこない様子。

「本当にお前らはわからん奴らだ。待ちなさい、いま神官様にお尋ね申し上げるから。…神官様、神官様!」

「どうしましたかな?」

「このお社のお獅子、ふつうと違って背を向けて並んでおられますな」

「そのようですな」

「まことにありがたいご様子。私など、あまりのありがたさに、この通り涙も止まりませぬ。このお社の獅子の立ち方には、何か深き謂われがあるのでしょうか」

「ああ、そのことですか。あれは近所のいたずら坊主の仕業でして、いつも獅子を反対に向かせるんですよ。まったくけしからん子どもたちです」

そういうと神官は、獅子を「よいしょ」と持ち上げて、元の向きに据えなおして、そのまま行ってしまった。

そのときの聖海上人の顔ときたら…。

「上人の感涙、いたづらになりにけり」という、ご存じ、『徒然草』第236段の一節でございました。

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これも徒然草

あらためて読んでみると、『徒然草』はとてもいい。不遜なたとえだが、『徒然草』のひとつひとつの語りは、いまの私が書いているブログみたいなものだ。滑稽な話もあれば、湿り気たっぷりの文章もある。

なかでも、次の文章はとても美しい。

「風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月(としつき)を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外(ほか)になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ」(第26段より)

(風が吹かないのに散ってしまう花のように、人の心は移り変わってしまう。親しかった頃に、しみじみと感慨深く聞いた一つ一つの言葉を忘れることはできないのに、その人はしだいに自分とはかけ離れた遠い存在になってしまう。これが世のならいだとはいっても、それは故人との別れよりも悲しいものである)

古典がすばらしいと感じるのは、自分の中に漠然と存在する感情が、研ぎ澄まされた言葉で見事に表現されていることに気づいたときである。

つまり私の中にある思考や感情は、すでに古典の中に存在しているのである。

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先達はあらまほしきことなり

昨年、トラック野郎のおじさんたちと何度も一緒に仕事をした。

いろいろな経験をしているトラック野郎のおじさんたちとは、トラックに同乗して長距離を移動していても、話題が尽きない。

なかでもいちばんベテランのOさんは、50代後半くらいの方だが、知性にあふれていて、私の「トラック野郎」観をくつがえす人だった。

「我々は京都で仕事があるたびに、伏見のホテルに泊まるんですよ」とOさん。

「それはなぜです?」

「そのホテルはトラックが泊められるからです」

「なるほど、京都のまちなかのホテルだと、そうはいきませんよね」

「ええ。で、あるとき、相棒のコウタが、せっかく伏見に来たんだから、伏見稲荷を参拝しようと思ったそうでしてね」

相棒のコウタ、というのは、まだ20代の若いトラック野郎である。

「夕方に伏見に着いて、まだ少し陽があるというので、コウタがひとりで伏見稲荷に参拝に行って、帰ってきたんです」

「ほう」

「『お前、ずいぶん早く戻ってきたな』と言うと、『ちゃんとお詣りしてきましたよ』と答えるので、『山のほうには登ったか?』と聞いたら、『山のほうって、何のことです?』と言いやがった」

「ハハハ」

「まったく、『先達はあらまほしきことなり』ですな、ハハハ」とOさんは言った。

Oさんは『徒然草』の一節を引用して、さらりとこの話をまとめたのである。

もちろん、『徒然草』のこのエピソードは、誰でも知っている有名なものだが、それを自然と会話のなかで使っていることに、感嘆した。

作業着に身を包みながら、さりげなく古典の一節を盛り込んで会話をする。こういうことを、真の知性というのだろう、

こういう会話ができたときは、実に愉快である。

しばらくトラック野郎のおじさんたちと仕事をする機会がないのは、残念である。

「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)ごろ思ひつること、はたし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」(徒然草52段)。

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スムージー生活

今年は桜の便りが誰からも来ないまま、すでに夏のような天気である。

4月26日(日)

妻がいよいよ、ロードバイクを買うと決断した。20㎞ほど離れた職場まで自転車通勤をしようと考えているらしい。

気が変わらないうちにと、近所でロードバイクを売っている店を探し、買いに行くことにした。

この町に住んでみてわかったのだが、この地域に勢力を伸ばしている自転車屋さんが、○○サイクルである。

もうひとつ、全国チェーンの○○○館という店があり、この地域に住む人は、○○サイクルか○○○館のどちらかで、自転車を買っているようである。

なぜそれがわかるかというと、自転車の後輪のカバーのところには、買ったお店のシールが貼ってあり、自転車置き場でそれを見ると、ほとんどが○○サイクルのシールで、それに次いで○○○館のシールが多いのである。

おそるべし、○○サイクル帝国、である。

そんなわけで、ロードバイクを売っている店を探したところ、隣の市の「複合型大型ショッピングセンター」内にある、○○サイクルの支店を見つけたので、そこに行くことにした。

しかし、ほとんど何の予備知識もなく行ったので、自転車の専門的な部分に関しては、まったくわからない。

自転車に詳しい友人たちが、これまでいろいろと説明してくれたのだが、実はすべて聞き流してきたのだ!いま、その報いがきた。

そもそも、クロスバイクとロードバイクの違いすら、よくわからない。

店員さんに聞いてみると、

クロスバイクはハンドルがまっすぐなヤツで、ロードバイクはハンドルが下にクネっと曲がっているヤツ。初心者はクロスバイクからはじめるが、そのうち物足りなくなり、ロードバイクがほしくなる。

という。

ということは、クロスバイクを買ったとしても、いずれロードバイクに移行する時期が来るということだな。

だったらロードバイクを買った方がいいだろうということになったのだが、クロスバイクよりも、ロードバイクの方が値段が高い。

当然、スタンドだの、空気入れだの、ライトだの、ヘルメットだの、手袋だのを一緒に買ったら、けっこうな値段になった。

なるほど、いい自転車は価格に反映されるんだな、と実感した。

「納品は1週間後です」

すぐに乗れるのかと思ったら、在庫がないということらしい。

待ち遠しいが、5月の連休明けぐらいに、晴れて妻はロードバイクデビューをすることになるだろう。

私も空いている時間に乗せてもらうことにして、もし気に入ったら、自分用のロードバイクを買おうと思っているのだが、どうなるかはわからない。

さて、複合型大型ショッピングセンターに来たついでに、ロードバイクを買ったテンションのまま、今度は懸案の「スムージー作りの道具」を買うことにした。

昨年11月、「殻付きマカデミアナッツ専用殻割り器」をプレゼントにくれた卒業生のMさんが、同じときに「スムージーは健康にいいですよ。私は毎日作っています。スムージーをはじめてから8㎏痩せました」という話をしてくれた。

この機会に、スムージーを家で作ることにしようと考えたのである。

ミキサーを買えばすむ話なのだが、最近は「マイボトルブレンダー」という、まさにスムージーを作るのにピッタリのミキサーがあることがわかり、それを買うことにした。

家に帰って、さっそくスムージーを作ることにする。

1手始めに、リンゴとほうれん草のスムージーである。

ぎっちぎちにつめて、ミキサーをまわすが、ぜんぜんまわらない。

何度もミキサーをまわしていると、焦げたようなニオイも出てきた。

(おかしいなあ…。不良品かなあ)

と思っていると、妻が、

「水を入れないとダメだよ」

という。

そうか、野菜や果物を入れただけではダメなのか。

とにかく私は、生まれてからいままで、ミキサーというものを使ったことがないのである。

2中身を少し減らし、水を入れてあらためてまわすと、たちまちリンゴとほうれん草がこなごなになった。

できあがったものをさっそく飲んでみるが、これがとても美味しい。

これからはスムージー生活である。

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古典は身を助ける

身を助ける」シリーズ

古典がいかに人生の指針として不可欠なものであるかということを、このところずっと考えていて、思い出したことがある。

話としてはサイテーな内容であることをお断りしておきます。

前の職場での話。4年生の男子学生が私の仕事部屋に訪ねてきた。ちょうど、就職活動がいちばん大変な時期である。

「あのぅ…。公務員試験を頑張らなければいけない時期に、こんなこと先生に話していいのかどうか…いや、こんなこと先生にしか言えません。友達にも決して言えません。でも言わないと、気持ちの整理がつかないんです」

あまりにも思いつめた様子である。

「どうしたの?」私はたずねた。

「先日、公務員試験を受けてきたんですよ」

「ほう」

「朝、試験が始まる前に試験会場の前で並んでいると、すぐ後ろに○○さんがいたんです」

○○さん、というのは、やはり私の指導学生で、その男子学生と○○さんは、同学年の仲よしグループの仲間だった。

「僕に気づいた○○さんが、さかんに僕に話しかけてくるんですよ」

「そりゃあ友達なんだから、当然だろう」

「ええ。まあいつものように、ふつうにいろいろなことを話していたんですが、ほら、僕は背が高くて、○○さんは背が低いでしょう?」

「そうだね」

「立って話していると、目線がどうしても下に行ってしまうんですが、○○さんはそのとき、ワイシャツの第1ボタンと第2ボタンを閉め忘れていたみたいで…」

「……」

「何というか、…胸元が見えてしまったんです」

折しも、季節は夏であった。

「まあ不可抗力だろう」と私。

「ええ、僕も自分に必死でそう言い聞かせていたんですが、いままで○○さんのことを、そういう意味ではまったく意識したことがなくて…」

「つまり、○○さんとは、ふつうに軽口をたたき合える友達どうしにすぎないということだね」

「そうです」

ふだんの二人の関係性をよく知っている私には、その男子学生の言っていることがよく理解できた。二人は顔を合わせればお互いを罵りあい、軽口をたたき合う間柄である。

「ところが僕、そのあとの試験がボロボロだったんです」

「なるほど」

「先生、…僕の言いたいこと、わかりますか?」

「わかる」

「こんな話、ほかの友達には絶対に打ち明けられないでしょう?」

「たしかに」

だからといって俺のところに言いに来るなよ、と思ったが、それは言わなかった。

「で、僕が悩んでいるのは、直後の試験がボロボロになってしまった、ということについてなんです。もしこれが、自分が好きな女の子の胸元がつい見えてしまったというのであればわかります。でも、ふだんそんなことをまったく意識したこともない○○さんの胸元を見ただけで心がかき乱されるというのは、いったいどういうことなんでしょう?僕の心がおかしいんでしょうか?悔しくて悔しくて、自分の中で折り合いがつかないんです」

いつになく、その学生はまじめに私に聞いてきた。

さあ、どう答えたらよいものか。

「それはあなたの深層心理の中で、○○さんのことが好きだからだよ」

と答えるのは、あまりに短絡的だし、たぶん誤りである。

私は少し考えたあげく、こう答えた。

「兼好法師の『徒然草』を知ってるだろう?」

「はい」

「その中に、久米の仙人の話というのがある」

「久米の仙人、ですか?」

「空を自由に飛ぶことができる久米の仙人が、あるとき洗濯をしている女性の白いふくらはぎを見て、たちまち神通力を失い、空から落っこっちゃった、っていう話」

「へえ」

「仙人ですら、たまたま洗濯をしていた見知らぬ女性の白いふくらはぎを見た程度で、神通力を失ってしまうんだ。ましてやあなたが試験がボロボロになるなんて、当然のことだろう」

「そう言われれば、そうですね」

「あなたが経験したことは、久米の仙人が経験したことと同じことなのだ」

「なるほど」

「だから今度同じようなことがあったら、久米の仙人のことを思いなさい」

「わかりました。てっきり、こんなことを考える俺ってどうかしていると思って、ずっと悩んでいたのですが、やっぱり思いきって先生に打ち明けてすっきりしました。久米の仙人でも、神通力を失うんですよね」

「そう、久米の仙人だぞ」

「でも先生、このことは絶対に誰にも言わないでください。恥ずかしいことなので」

「もちろん、誰にも言わないよ」

…もちろん当時は誰にも言わなかったが、いまはもう何年も経っているので時効だろう。

その男子学生は、いまでは立派な公務員である。

「世の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。

匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通(つう)を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外(ほか)の色ならねば、さもあらんかし」(『徒然草』第8段)

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寝落ちって何だ?

ひたすら忙しくて、特に話題もないので、たわいもない話をひとつ。

電車に乗っていたら、前に乗っていた女性二人が会話をしていた。

「ネコ派?イヌ派?」

「うーん。ネコ派かな」

いつも思うのだが、ネコ派とかイヌ派とか聞いて、どうするのだろう?

というか、ネコ派とかイヌ派に分ける意味って何なのだろう?

そもそも、「ネコ派」「イヌ派」というのは、「ネコ好き」「イヌ好き」という意味なのか、それとも、自分自身が「ネコ的」なのか「イヌ的」なのかという意味なのか、考え出すとよくわからない。

こういう「意図のわからない会話」というか、「言葉だけがむなしく空(くう)を飛び交う会話」、というのがたいそう苦手なので、私はたぶんふつうの飲み会というのが、苦手なのである。

そういえば先月だったか、出張中の列車の、隣のボックスシートで会話していた女子たちは、なかなかよかった。

おそらく大学生の女子3人の卒業旅行っぽかったのだが、一人が、

「私、『寝落ち』っていう言葉の意味がワカンナイ」

と言い出したのである。

(「寝落ち」か…たしかに聞いたことがあるなあ。そういえば学生がよく使っていたなあ)

と思いながら聞いていると、どうもその学生は、「寝落ち」という言葉の意味をインターネットでひととおり調べてみたんだけれど、本来の語感から考えるとどうも納得がいかない、という話を、延々としていて、その話を二人の女子が熱心に聞いていた。

座席で隔てられていたので、細かい内容の話は聞けなかったのだが、「寝落ち」という言葉に注目して、その使い方の「納得のいかなさ」を理屈を交えて延々と話している。

このテーマならば、「ネコ派かイヌ派か」の話よりも、かなり好感がもてる。

そうか、つまり私は理屈っぽい話が好きなんだな。

ところで「寝落ち」の意味については、相変わらずよくわからない。

「○○落ち」というのは、ふつう、落語でいうところの「オチ」の意味で使われる場合が多い。

「考えオチ」とか、「出オチ」とか。

その語感からすると、「寝落ち」というのは「夢オチ」と同じような使い方か?というと、そうではない。

あるいは、映画「蒲田行進曲」でいうところの「階段落ち」と同じような使い方か?というとそうでもない。

「都落ち」と同じような使い方でもない。

調べてみると、「何らかの活動をしている最中に、睡眠状態に陥ってしまうこと」をいうらしい。

たとえば本を読んでいて、いつの間にか寝てしまう、というようなことだろうか。

その場合、「寝落ち」の「落ち」とは、どういう意味なのだろう?

「本を読んだまま寝てしまって、がくっと首が落ちる」の「落ち」だろうか?

よくわからない。

別の説明では、こうある。

「オンラインゲームなどで、ゲームにログインしていても操作するプレイヤーが睡眠を取っていて画面の前にいないこと」「プレイヤーが寝ていてキャラクターが移動や戦闘、会話が一切出来ない状態になること」

この場合、途中で寝てしまったためにゲームやコミュニケーションに参加できなくなってしまったことを「寝落ち」というらしい。

つまりこの場合の「落ちる」とは、「脱落する」「落伍する」「ドロップアウトする」という意味か?

「寝落ち」の「落ち」とは、「原稿が落ちる(原稿が出せずに脱落する)」の「落ちる」と同じ意味なのである。

ということは…。

原稿が出せなかったことは、「原稿落ち」と言えばいいのか?

使い方としては、

「すみません。原稿落ちしました」

とか、

「あなた、また原稿落ちしたんですね」

とか。

…ま、その場合はふつうに、

「あなた、また原稿を落としたんですね。信頼していたのに」

と言えばいいのか。

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すぐに怒る人たち

「報道番組は、現政権に批判的な報道をすると現政権からすぐに圧力がかかるのに、なぜ同じ放送局で製作しているドラマ『相棒』は、あれほど強烈な現政権批判をしているのに、現政権から圧力がかからないのか?影響力からいったら、報道番組なんかよりも『相棒』のほうがはるかに脅威だろうに。それとも、作り話だと思って受け流しているの?」と妻の疑問。

「『相棒』は、現政権批判というより、現政権の人間を含めた、『人間の愚かさ』がテーマだ。もしこれに反論するとすれば、『自分たちは愚かではない』ことを証明しなくてはならない。しかしそれは彼らにはできない」と私が答えると、

「何だか、わかったようなわかんないような…」という反応。

何か上手い答えがないかなあと思っていたら、映画評論家の町山智浩さんが、本質を一言で言ってくれていた。

「すぐに怒る人たちって、逆にちょっとひねると意味がわからない人たちなんだよね」(『爆笑問題&町山智浩 自由にものが言える時代、言えない時代』(太田出版、2015年)

つまり、彼らはちょっと(表現を)ひねると意味がわからなくなる人たちだ、というだけにすぎない。

わからないことは通り過ぎようとする人たち、ということである。

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創作落語・粗忽嘘石

えー、嘘のようなほんとの話。

横丁のご隠居さんが、暇にまかせて化石収集に凝り出しまして、集めた化石を瓦版で紹介したところ、江戸でずいぶん評判になった。

サー面白くないのが長屋の連中。このご隠居さん、何かというとすぐに長屋の連中に無理難題を言いつけるものだから、ふだんからひどく嫌われている。

そこで長屋の連中は、ご隠居さんに一泡吹かせてやろうと考えた。

おい、熊さんよ。

なんだい八っつぁん。

どうにかしてあのご隠居をギャフンと言わせたいんだが。

それについちゃあ、いいことを思いついたぜ。

なんだい?

オレたちが嘘の化石を作ってご隠居のところに持っていくのさ。

どういうこったい?

ご隠居はオレたちが作った嘘の化石を、ホンモノの化石だと信じて瓦版で紹介するだろう?あとでみんなにそれが嘘の化石だとわかったら、ご隠居は恥をかくって寸法さ。

そんなにうまくいくかい?

何が?

だってオレたちが作った嘘の化石なんて、ご隠居が簡単に見破るんじゃねえか?

もし見破ったら、ご隠居は見る目があるってことで、オレたちも納得するさ。ものは試しだ。いっぺんやってみようぜ。

というわけで、手先が器用な石工(いしく)の熊さんが、見よう見まねで嘘の化石を作ることになった。

まずは手のひらに乗るくらいの石に、鳥の骨格の形を刻んで、いかにも化石のように作ってみた。

へぇ、驚いたねえどうも。熊さんがいくら手先が器用だっていっても、まさか化石を作っちまうとはねえ。どっからどう見たって化石だ。

へへ、蛇(じゃ)の道は蛇(へび)といってね。まあものは試しだ。ご隠居さんのところへ持っていこう。…ご隠居!ご隠居!

おおぅ。誰かと思えば熊さんじゃないか。どうした?

へぇご隠居。実はあっしが妙な石を見つけましてね。ことによるとこれは化石ってもんじゃねえかと思いまして、それで化石にお詳しい隠居に鑑定していただこうと持ってきたんでやすがね…。

どれどれ見せてごらん。…ほう、これはまためずらしい鳥の化石じゃな。

鳥の化石ですかい?

ひょっとすると新発見の化石かもしれん。

ほんとですかご隠居?

瓦版に紹介してもよいかな?

もちろんですよ。ご隠居が発見されたということでかまいませんから。

数日後、新種の鳥の化石が発見されたと瓦版で紹介されて、江戸で評判となった。

ずいぶん簡単にダマされちゃったねえ、ご隠居さんも。

ことによるとご隠居さん、化石がホンモノかニセモノか、見分けがつかないのかも知れねえぞ。しかし江戸の連中もみんなニセモノに気づいてないとあっちゃ、かえってご隠居の評判が上がるばかりだぜ。

そうだな。もう少し嘘だとわかる化石を持っていった方がいいな。…今度は「生きた鳥の化石」というのはどうだろう?

「生きた鳥の化石」?

前に作ったのは、鳥の骨の化石だろ?だからそれっぽい化石に見えたが、そうじゃなくって、生きた鳥の姿をそのまま石に刻んで、化石だと言い張ればいいのさ。

いくらなんでもバレるだろ?

ものは試しだ。やってみようぜ。…ご隠居!

おおぅ、熊さん。今度は何だ?

またひとつ化石じゃねえかってモノを見つけてきました。これはいかがでござんしょ。

どれどれ…おお!これは生きた鳥の化石だ!これはまためずらしい!

「生きた鳥の化石」ですか?

そうじゃ。ほら、ここに鳥が羽ばたいている姿が見えるじゃろ。

…ということで、また瓦版で紹介されちゃった。

おいおい、ことによるとあのご隠居、化石の専門家だなんていいながら、化石のことをまるでわかってないんじゃないか?

そうだな。そろそろ嘘だと気づいてもらわないとな。

ということで、熊さんは生きたネズミの化石とか、生きた亀の化石とか、明らかに嘘とわかる化石を次から次へと作って、ご隠居さんのもとへ持っていった。

ところがご隠居さんはそれが嘘と気づかず、次々と瓦版に紹介していった。

おい熊さん。ご隠居ぜんぜん気づかないじゃねえか。

そうだな八っつぁん。いくらなんでも嘘だと気づくと思うんだが。

もっと荒唐無稽な化石を作らないと気づかないんじゃねえか?

ということで熊さん、およそあり得ない化石を作ってご隠居のところへ持っていった。

今度はどんな化石じゃ?

ほうき星の化石です。

「ほうき星の化石」?なるほど。たしかにほうき星の姿が見えるな。…で、これは?

へえ、月の化石です。

月というと、空に浮かんでいる月かい?

へえ。こちらが満月の化石で、こちらが三日月の化石です。

なるほど、たしかにこっちの石には満月の姿が見えるし、こっちの石には三日月の姿が見える。これはたまげた。さっそく瓦版に紹介しよう。

…ということでご隠居さんは、またまた瓦版に紹介しちゃった。

熊さん。さすがに悪ふざけがすぎるぜ。いくらなんでもほうき星の化石とか月の化石ってのはないだろう。

オレもそう思ったんだが、まさかご隠居さんが信じるとはねえ…。こうなったら、どんな化石を持っていったらご隠居はウソだと見破ってくれるのか、わかんなくなっちゃった。

…いい考えがあるぜ、熊さん。

なんだい?

ご隠居の化石を持っていけばいいんじゃねえか?

なるほど。それはいい考えだ。

…ということで熊さん。ついにご隠居さんの化石を作って、ご隠居さんところに持っていった。

ご隠居ー!

熊さん、今度はどんな化石だい?

ついに見つけました!ご隠居の化石です!

アタシの化石かい?どれどれ…。ほう、これはすごい。たしかにアタシだ。

あのう…ご隠居。

なんだ、熊さん。

これはご隠居の化石ですよ。ご覧になって、何とも思わないんですかい?

思わないもなにも、これは正真正銘のアタシの化石だ。

……それじゃあ、ホンモノの化石だと?

そうじゃ。しかし不思議じゃのう。いま手に持っているこれは、たしかにアタシの化石じゃが、持ってるアタシは、いったい誰だろう?

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和泉聖治最強説

4月21日(火)

朝10時から夕方6時半まで、ずっと会議つづきだったが、今の職場では、さほど驚くべきことではなくなった。

こういう日は、精も根も尽きて家に帰っても何も考えられなくなる。

ということで昨日に引き続き、録画していた映画「相棒 X DAY」を見た。いわゆる「相棒」のスピンオフ映画らしい。

昨日見た和泉聖治監督の「相棒 劇場版Ⅲ」とは、演出面で歴然とした差があるといわざるを得ない。意味不明の演出がいくつかみられるのである。

そう考えるとやはり、「相棒 劇場版Ⅲ」を監督した和泉聖治は最強である。

私は和泉聖治監督の映画をほとんど見たことがない。唯一、大学生の頃に映画「沙耶のいる透視図」を見て、衝撃を受けた。こんな後味の悪い映画があるのか、と驚いたのである。それほどインパクトのある映画だった。

だから和泉聖治に関してまったく知識がないのだが、フィルモグラフィーを見ると、彼がまぎれもない職業的映画監督であることがわかる。

巨匠、というわけでもなく、名作を撮った監督というわけではないのだが、職業として映画監督を長く続け、職人のように映画を作りつづけたのである。

それは、活躍の舞台を映画からテレビに移っても同じだったのだろう。そのことをよく示すのが「相棒」なのである。

ちなみに「相棒 劇場版Ⅲ」が公開されたのは昨年で、そのときの監督の年齢は60代後半である。おそらく和泉聖治の演出は、60代後半になっても衰えることを知らないのだ。

だいたい映画監督は、60代後半や70代になっても衰えることを知らないものだが、芸術家肌の映画監督の中には、ともすれば作風が変わったり、枯れていったりしていくこともある。妙に情緒的になったり。だが和泉聖治は、おそらく演出のスタンスを変えることなく映画を撮り続けている。

若い頃から職業的映画監督として貪欲に映画を作りつづけた和泉聖治が、仕事の場をテレビの世界に移してもその演出のスタンスを変えることなく、60代後半になってふたたび、人々の注目を集める映画を監督し、ヒットする。

やっぱり職業的映画監督はすごいのだ。地味かも知れないが、ぽっと出の映画監督が太刀打ちできないような足腰の強さや安心感がある。

そんなふうに仕事が続けるのが、私の理想でもある。

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いまさら相棒

4月20日(月)

こぶぎさんが自身のブログで、「創作落語・戦争と平和」について「スクリプト・ドクター裏話」を書いているので、御味読いただきたい。

私も少し、脚本を勉強しなければならないと思い、昨日録画しておいた映画「相棒・劇場版Ⅲ」を見ることにした。

いまさら「相棒」かよ!と言われるかも知れないが、私はドラマ「相棒」の熱心なファンではない。思い出したように、年に数回見る程度の視聴者である。

「相棒」というドラマが、どんな変遷をとげているのかはわからないが、「相棒」に出てくる設定やトリックは、実に古典的で、かつテッパンである。もっとハッキリ言うと、ほとんど「刑事コロンボ」である。

ここ最近私が見た相棒は、偶然なのか、純粋な犯人捜しというよりも、どうも倒叙ミステリーといった感が強い。

「相棒・劇場版Ⅲ」では、「刑事コロンボ」を彷彿とさせる場面がいくつも出てくる。

たとえば、閉ざされた孤島に民兵の訓練施設があり、そこで殺人事件が起こると、杉下右京(水谷豊)らが入り込んで、寝泊まりをしながら捜査をする。その訓練施設には厳格で誇り高い人物が強いリーダーシップで訓練生を指導している。

この設定は、「刑事コロンボ」の「祝砲の挽歌」を彷彿とさせる。

…わかる人がわかればよろしい。

そして、馬の蹄鉄の指紋の話。

あれは見た人の誰もが、「刑事コロンボ」の「二枚のドガの絵」を思い出しただろう。

…ま、これもわかる人がわかればよろしい。

いずれにしても、「刑事コロンボ」のような「ミステリーの古典的傑作」は、時代を超えて受け継がれているということである。

ということはやはり、古典の中にこそ、面白さがあるということなのだ。

面白いから、古典として残ったともいえる。

古典だからといって、肩肘をはって向き合う必要などない。

それは、古典に対する偏見である。

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パルチザン伝説

桐山襲(きりやまかさね)『パルチザン伝説』(1983年)は、数奇な運命をたどった小説である。

ある人物の、兄への手紙から始まるこの小説は、父とその息子の二代にわたる「パルチザン」の物語である。

この小説は、その冒頭にさる高貴な人物の暗殺計画について触れているのだが、そのことが発売当時、週刊誌の格好のネタとして記事にされ、それがきっかけで著者は右翼の攻撃に遭い、この小説はたちまち発禁となった。今でいう「ヘイトスピーチ」による被害である。

マスコミが煽動することで、かえって言論が暴力的に弾圧されるという構造が、すでに30年以上前からこの国には存在していたのだ。

この物語は、前半で主人公や兄の反体制活動が、そして後半では父親の反体制活動の様子が、書簡や手記という形で書き進められていく。

この主人公の父親は、アジア太平洋戦争のとき、戦争を早く終結させるために、手製の爆弾を東京で爆発させるなどの、暴力的な行為を繰り返す。そして終戦の日の1945年8月15日に、ついに皇居に忍び込んで爆弾を爆破させようと試みる。

これだけ読むと、この小説はたんなる反体制小説のようにも思えるが、実際によく読めば、この国における反体制活動の限界を冷静に描いていることがわかる。

小説の後半は、Sという人物による戦時中の手記という形で、主人公の父「穂積一作」の行ったことが語られていくのだが、私が興味をひいたのはそこではない。

戦局が日に日に厳しくなっていく中、ある男が「戦争だから家が焼かれるのは仕方ないが工場が狙われるのが悔しい、それに宮城(きゅうじょう)が心配だ」とつぶやいたことに対して、Sが、

「なるほど、この国のひとびとはかつてない空爆のなかでそういうふうに考えているのか――動悸の細波が残っている胸を押さえながら、私は頭のどこかが痺れるのを感じていた。まだ焼かれ足りないのか、まだ殺され足りないのか、いや、全部焼かれ、全部殺されても、そう思いつづけているのか」

と気づき、次のように語る場面である。

「確かに私の周囲で生きているひとびとは、ただならぬ生活の混乱や肉親の死に直面しているにもかかわらず、未だ敗け足りていないように見えた。民間人だけではない、軍人もまた、真剣に降伏を考えているのは上層の極めて一部であり、それ以外は児戯に類する本土決戦の〝準備〟に我を忘れている状態だった。なるほど民は自らの水準に応じてその支配者を持つものだとするならば、知は力であるという段階を通過せぬまま権威と屈従の感覚だけは鋭敏にさせてきたこの国の民の水準に、軍部のごろつきたちはまことに適合しているのかも知れなかった」 

「民は自らの水準に応じてその支配者を持つものだとするならば、知は力であるという段階を通過せぬまま権威と屈従の感覚だけは鋭敏にさせてきたこの国の民の水準に、軍部のごろつきたちはまことに適合しているのかも知れなかった」という部分の「軍部」を、「官僚」ないしは「官邸」に置き換えれば、まさにいまこの国が抱えている問題にも通ずる。

いまから30年前に書かれたこの小説を読むたびに、「何も変わってないじゃないか」と思う。

なお桐山襲は、1992年に42歳の若さで亡くなった。

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創作落語・戦争と平和

鬼瓦亭権三(ごんざ)でございます。

久しぶりに、創作落語をひとつ。

横丁のご隠居が長屋の連中を集めて、読書会をやると言い出した。

さあ困ったのが長屋の連中。横丁のご隠居はヒマをもてあましているが、働き盛りの長屋の連中は、食うためにとにかく朝から晩まで働かなくてはならない。じっくりと本を読んでいるヒマなんてないのだ。

しかし断ることもできず、ご隠居のところに長屋の連中が集まってきた。

これからは教養が必要な時代じゃ。お前たちもな、少しは古今東西の古典というものを読まなきゃならん。ということで、各自が『戦争と平和』を読んできなさい。1週間後に感想を聞かせてもらうぞ。お前たち、『戦争と平和』を知ってるな?

知ってますぜご隠居、サザンオールスターズの新曲でがしょ?

八っつぁん、それは「ピースとハイライト」じゃ。「と」しか合っておらんじゃないか。

じゃあ、五味川純平原作で、山本薩夫が監督した映画ですか?

熊さん、それは『戦争と人間』じゃ。ボケがわかりにくいぞ。『戦争と平和』はな、ロシアの文豪、トルストイ原作の小説じゃよ。

ああ、ギリシャ哲学者の。

それはアリストテレスじゃ。「スト」しか合っておらんぞ。ますますボケがわかりにくいぞ。…とにかく、来週までに読んで感想を考えておくんじゃぞ。

へぇ。

さて1週間後。

みんな、『戦争と平和』は読んできたかな?

へぇ。

じゃあ順番に感想をいってもらおうか。…八っつぁんから言ってもらおう。

あっしからですか?

そうだ。お前さん読んできたんだろう?

へぇ。…弱ったな…。あのぅ…紅白歌合戦で政権批判をしたのがよかったでがすね。

だからそれは「ピースとハイライト」のことじゃろ!…さてはお前さん、『戦争と平和』を読んでこなかったな?

へぇ…。どうもあいすいません。

しょうがないねえどうも。じゃあ、熊さんはどうだい?

へぇ。あっしはちゃんと読んできやした。

そうかそうか。で、どうだった?どこがいちばん印象に残ったかな?

へぇ。何といっても、最後のシーンですな。

最後のシーン?

へぇ。なんてったって、「衝撃のラスト」でしたんでね。

「衝撃のラスト」?

へぇ、まさかあそこで「自由の女神」が出てくるとは…。

お前さんそれは「猿の惑星」じゃよ!さてはお前さんも読んでないな?だいたい「最後の場面が印象に残った」という感想は、たいていの場合読んでいない証拠なのじゃ。

へぇ、あいすいません。

じゃあ源さんはどうだい。

へぇ、あっしはちゃんと読みました。

で、どうだったかな?

もう悲しくて悲しくて涙が止まりませんでした。

ほう、これは興味深いな。どういうところが悲しかった?

とにかく悲しくて悲しくて…。泣いたのはあっしだけじゃありませんぜ。なにしろ「全米が泣いた」ってくらいですから。

おいおい、ヒットしないアメリカ映画の宣伝じゃないんだから。何でもかんでも「全米が泣いた」ですませるんじゃないよ。

へぇ、あいすいません。

まったくどいつもこいつも『戦争と平和』を読んでいないのかね。半兵衛さんはどうだい?

あっしはこの1週間、気合いを入れて読みましたぜ。

ほう、どうやらほんとらしいね。…で、感想はどうだったかな?

へぇ。なんというか、小説らしい小説でございましたな。

「小説らしい小説」?どういうこっちゃ。

ですから、小説らしい小説です。

具体的にどういうところが?

具体的にっておっしゃられましても…。「小説らしい小説だった」としか感想がありませんで…。

おまえさん、ほんとに読んだのかい?

なにしろ有名な古典ですんでね。気合いを入れて読みました。なぁ熊さん。あっしはちゃんと読んでたよな。

ああたしかに。半公はみんなにそうふれまわってましたから。「どうだ、俺はいま古典を読んでいるんだぜ、イケてるだろ」ってね。

まったくバカなヤツだねえ。そんなことをふれまわったって、そのていどの感想だったら読んでいないに等しいぞ。

へぇ、すんません。

まったくどいつもこいつも…。権造さん、あんたも読まなかったのかい?

いえ、あっしは読みました。

どうせ嘘だろう?…まあ期待しないで聞くが、どういうところがよかったかな?

なんといっても物語の中盤で主人公の一人であるピエールがナターシャに、感極まって純粋な想いを告白する場面がいいですなあ。

「たったひとつ僕からお願いがあるんですが…僕を親友と思ってください。そしてもしあなたに助力や忠告が必要となった場合…いや、いまじゃありません。いまじゃなくとも、いつかあなたの心のうちがはっきりしたらですよ…そのときはどうか、僕のことを思い出してください」

ここを読んだらもう泣けて泣けて…。

…どうだいみんな。えぇ?権造さんみたいな感想を聞きたかったんだよ。権造さん、あんた本当に『戦争と平和』を読んだんだね?読むのにずいぶん時間がかかっただろう?

いえ、2時間はかからなかったでがすよ。

まさか!あの大河小説を2時間弱で読み終えるなんて不可能じゃよ。どうやって読んだんじゃ?

NHKの番組「100分de名著」を見てましたから。

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なつかしい人

4月14日(火)

まだ出張2日目だが、朝から夕方まで緊張と集中がつづき、早くも疲労困憊である。

一昨日に訪れたE君の実家で、E君のお父さんから聞いたお話に、いくつか印象に残るものがあった。

E君のお父さんは、医学部の教授を20年ほど前に定年退職されて、悠々自適の生活を送ってこられたようだった。

もうすでに傘寿を越えた年齢の方だが、学識が深く、論旨が明快で、話題は尽きない。

「ファラデーは、大学に行かず、独学で学者になったんですよ」

「そうですか。むかしは独学で立派な学者になる人がいましたね。日本だと、鳥居龍蔵などもそうでしょう」と私。

「そうですね。で、そのファラデーが電磁誘導の法則を発見したとき、それを当時イギリスの大蔵大臣だったグラッドストーンに説明したんです。そのとき大蔵大臣は、

『…で、これはいったい何の役に立つのかね?』

と言ったそうです」

「学問が役に立たないと思っていたんでしょうね」

「そうですね。でもそのときファラデーはこう答えたそうです。

『生まれたばかりの赤ちゃんは、何の役に立ちますか?』」

「なるほど。学問というのは、いまはすぐに役に立たないものであっても、時間をかければいろいろな方向に成長する可能性を秘めた存在である、ということがわかる逸話ですね」

「まったくです。そう考えると、学問に対するいまの政府の政策は、まことに間違った方向に進んでいるといわざるを得ません。まったくおかしな世の中になったものです」

E君のお父さんは、いまの時代を嘆いている様子だった。

「ところで、『なつかしい』という言葉がありますね」E君のお父さんは続けた。

「ええ」

「私たちの頃は、『なつかしい人』という言い方をよくしましたが、いまは『なつかしい』をそういう意味で使うことはなくなったようです」

「なつかしい人、ですか…」

「なつかしい」というのは「昔を思い出してなつかしい」というニュアンスでもっぱら私は使っていた。しかしE君のお父さんがいう「なつかしい」というのは、どうもそれとは違う意味のようだった。

「『アイツはなつかしいヤツだ』とか、そういう言い方です。いまはぜんぜんそういう言い方をしないでしょう?」

「ええ」

「でも私らの頃はよくしていたのです。そういう言い方で言えば、息子は『なつかしいヤツ』でした」

「そうですか…」

あとで「なつかしい」の意味を辞書で調べてみた。

なるほど、お父さんにとってE君は「なつかしい人」だったのだ。

私はこれまでいろいろな人を見てきて、その人が信頼している人と次第に疎遠になっていく(あるいは自ら遠のいていく)場面を、何度もまのあたりにした。

人間の関係とはまことに脆弱なものだなあと、そのたびに思ったものだ。

かつてある人が次第に精神的な袋小路に入り、その救いを占いに求めていったことに対して、

「その人は仲のいい友人だったが、占いに頼らざるをえないくらい迷ったときに、こっちは頼ってもらえていないという時点で、俺はそのていどの人間だったということでしょう。それは俺の自己責任だ」

と言ったラジオDJがいて、私はその言葉になぜかひどく共感したのだった。つまり問題は、その人にとって自分は「なつかしい人」であるかそうでないか、という点にあるのである。

自分に置きかえてみたらどうだろう?

私もやはり同じである。私が一方的に他者を「なつかしい」と思っていても、他者にとっては次第にそうではなくなる、ということが多いような気がする。

たぶんすべての場合、原因は私にある。その人にとって私が「なつかしい人」ではなくなったのは、ひとえに私がそのていどの人間であったからにすぎない。

ところで、E君のお父さんが言うところの「なつかしい人」というニュアンスが通じなくなったのは、いつ頃からなのだろう。

それとも、いまでも「なつかしい人」という言い方は、ふつうに使われているのだろうか。

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ハルキをめぐる冒険

4月13日(月)

僕がその、プラハ出身の作家の名前のカフェを訪れようと思ったのは、たまたま今週、僕がその町に出張中で、そのカフェが友人の弟さんが経営する店だということが一番の理由だったが、理由はそれだけではなかった。

数日前、友人からメールが来て、弟さんの経営するそのカフェが、どうやら村上春樹のホームページで紹介されたらしいというのである。

教えられたとおりにそのホームページにたどり着くと、27歳女性の大学院生と名乗る読者が村上春樹に質問をして、それに対して村上春樹が答えるという内容のものだった。

「数年前、ひどくぼんやりとした沼の底にいたのですが、そのときに村上さんの本に出会いました」で始まるその大学院生の文章は、ひどく不思議なもので、僕には意味のとりかねる内容のものだったのだが、その最後に彼女は、

「その町の公園の近くにプラハ出身の作家の名前をつけたカフェがあるのですが、私の代わりに行ってみてくれませんか?」

と、村上春樹に「お願い」していたのだった。

これに対して村上春樹は、

「わかりました。今度その町に行ったら、そのプラハ出身作家の名前のカフェに入ってみますね。そしてお昼の「ザムザ定食」を食べてみます」

と答えたのだった。

僕は妻にこのホームページの内容を話した。

「この27歳女性の大学院生って、どんな人なんだろうね。最初に書いてある『数年前、ひどくぼんやりとした沼の底にいたのですが』というのは、どういう意味なのだろう」と僕は妻に訊ねた。

「さあね。それにしても村上春樹は大変ね。だって、どんな質問に対しても、村上春樹は村上春樹らしい答えをひねり出さなければならないんだもの」と妻は言った。

「なるほど、そういうものかね」と僕は言った。

とにかく僕は、大学院生と村上春樹とのやりとりがひどく印象に残った。そして、ひょっとしてあのカフェに行ったら、村上春樹に会えるかも知れない、と思ったのである。

出張先での仕事は、朝からずっと緊張を強いられっぱなしだった。ようやく夕方に解放された僕は、同僚たちと別れたあと、大雨と大風の中を、歩いてそのカフェへと向かった。

ひょっとしたら村上春樹がカフェにいるかもしれないと思いながら、すっかりぬれねずみになった僕がカフェに入ると、数人の先客がいて、会話を楽しんでいた。いずれも女性の観光客らしき人たちばかりで、村上春樹の姿はなかった。そして背広姿で全身ずぶ濡れの男性は、僕だけだった。

「いらっしゃいませ」と店主が言った。

メニューを見ると、村上春樹が書いていた「ザムザ定食」はなかった。

「チキンカレーとコーヒーをください」と僕は言った。

「コーヒーでいいですか?ミニコーヒーもありますよ」と店主が言った。

「ではミニコーヒーをください」

「コーヒーは食後でよろしいですか」

「食後にお願いします」と僕は言った。

しばらくしてチキンカレーが運ばれ、それが食べ終わった頃に、ミニコーヒーが運ばれてきた。

Photo僕はその間、ずっと村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読んでいた。

ひょっとしたら村上春樹がこのカフェに来るかも知れない、そうしたらサインをもらおうと思い、出張先まで持ってきたのだった。

コーヒーを飲み終わっても、村上春樹は来なかった。

仕方がないので、カフェを出ることにした。

しかしここでもうひとつ僕を悩ませることがあった。

それは、店主に僕の素性を明かすべきかどうか、ということだった。

「僕はあなたの兄の友人です」と素性を明かしたら、「お代は結構です」と言われるかも知れない。いやその反対に、「それがどうしたんです?」と言われるかもしれない。

さんざん悩んだあげく、お金を払い、お店を出る直前に、素性を明かすことにした。

「あの、僕はあなたの兄の友人です」と僕は言った。

「そうでしたか。たしか前にも一度いらっしゃいましたよね」と店主は言った。

「はい。今日はたまたま出張に来たので寄らせていただきました」

「そうでしたか」

「またおうかがいします」

「どうもありがとうございました」と店主は言った。

日はすっかり暮れていて、歩き始めると背中に小さな雨の音が聞こえた。

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手書きの卒業論文・その3

4月12日(日)

新幹線と在来線を乗り継いで4時間、出張先の定宿に着いたのは、午後4時のことだった。

ホテルにチェックインしたあと、今度はバスでE君の実家へ向かう。

バスに乗ること30分。住宅街のバス停で降りると、E君の御母様がバス停まで迎えに来てくれていた。

「ご無沙汰しています」25年ぶりである。

「遠いところよく来てくださいました」

E君の実家にお邪魔したのは25年ぶりなので、もうほとんど記憶になかったが、バス停から歩いているうちに、なんとなく思い出してきた。

道すがら、御母様がいう。

「卒論のコピーなどというご面倒なことをお願いしてすみませんでした。実はいま、息子が書いた卒論の原稿を、もう一度書き起こしているんです」

なにぶん25年前の卒論のため、原本のインクが薄くなり、コピーをするとどうしても薄くなってしまった。それを御母様は、一字一字、まるで写経するように、書き写しているというのである。

私は提案した。

「私も今回初めて彼の論文を読んでみましたが、内容、表現ともに、実にすばらしいものです。ぜひこれをワープロソフトに入力して、印刷して小冊子を作って、多くの人にご覧いただいたらいかがでしょう」

すると御母様は答えた。

「ええ。そのつもりで、実はいま、パソコンの勉強をしているんです」

ご自宅に到着した。御父様が玄関で迎えてくれた。

遺影という形で、E君と久しぶりに対面した。

写真の中のE君をじっと見つめてみるが、まったく実感がわかない。

「あいつは、私たちに何も言わなかったんですよ。部長に昇進したことも、病気だったということも…。まったく何を考えていたんだか…」と御父様。「さあ、こちらに来て、お話ししましょう」

私は、E君の卒業論文の原本と、E君が写っている大学時代のスナップ写真をお渡しした。

御父様とお酒を飲みながら、いろいろな話をする。

E君の御父様は、大学の医学部の教授をずいぶん前に定年退職された方で、その博識ぶりには圧倒されるばかりだった。

時折、思い出したように、E君の話になる。

「あいつはおとなしいヤツでねえ。社交性があるわけでもない。家でも何も言わないし、こちらからいろいろと聞いても絶対に何も言わない。頑固なヤツでした。会社で上手くやっていけるのかなあと心配していたんですけど、あいつが死んだあと、同僚のみなさんが「偲ぶ会」をやってくれて、大勢の人が集まってくれたんだそうです」

「そうですか」彼を慕う人が多かったというのは、私にはよく理解できた。

「私は大学時代の彼しか知りませんが、彼自身が目立たない人間だったせいもあってか、目立たない人や弱い立場の人のことを常に考えていて、理不尽なことに対してはハッキリと拒絶していました。そういう彼の姿をちゃんと見ている人たちがたくさんいたということではないでしょうか」

「そうかも知れません」と御父様。「会社でも、まじめにコツコツとやってきたたたき上げの人が報われるような会社にしなければならないと言っていたそうです」

「E君らしいですね」

「ええ。…それで思い出したことがあります。彼が高校生のときです」御父様が続けた。

「高校に在日コリアンの同級生がいて、成績も優秀だったんです。ところがひとり、その同級生を日ごろからいじめていた同級生がいましてね。差別意識からきたいじめでしょうね。息子はそれを見て、腹に据えかねるものがあったらしい」

「ほう」

「あるとき、とうとう我慢ならなくなって、いじめていた同級生と大ゲンカをしたというんです」

「へえ」私は驚いた。「あのおとなしいE君がですか」

「ええ。そのときは、まわりの生徒たちもびっくりしたそうです。日ごろおとなしいアイツが声を荒げて大ゲンカしたってね」

「ふだんはおとなしくても、ここぞというときに声をあげたんですね。たぶん会社でも同じだったんじゃないでしょうか。だから目立たなくても、みんなに慕われていたんでしょう」

「そうかも知れませんね。

…私はね、鬼瓦さん。

息子が、本当は何をやりたかったのか、いまでもよくわからないんですよ。会社勤めすることが、彼が本当にやりたかったことなんだろうかってね。学問の道に進ませればよかったんじゃないかって、今でも思うことがあるんですよ」

「私はただ想像するしかありませんが」私は御父様に言った。

「彼が会社でやりたかったことは、どんな人間でも働きやすくなるような環境を整えることだったんではないでしょうか。そのための努力を惜しまなかったんでしょう。彼がどんな職業についていようとも、彼はそのことをしていたと思います」

「そうかも知れませんね。すると彼は、自分のやりたいようにやって、去っていったんでしょうかね」

「そうだと思います」

「あいつらしい」

気がつくと4時間がたっていた。

「また遊びに来てください。私らは夫婦二人暮らしで、時間をもてあましていますので」

「今度は大学時代の友人を連れてうかがいます」

E君の実家をあとにした。

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手書きの卒業論文・その2

「追伸

一つお願いがあります。

大学卒業時の卒業論文、一度見せるよう申しておりましたが、言を左右して生前ついに見せることなく終わりました。遺品中にあるかと鋭意捜してみましたが、遂に発見できませんでした。コピーで入手することは出来ないでしょうか。彼がこの世に在ったよすがに、できれば遺してやりたいと存じますので、たいした内容ではないとは存じますが、ご面倒ながらご教示くだされば幸いです」

大学時代の卒業論文…。

父のたっての願いは、息子の卒業論文を読んでみたい、ということだった。

卒業論文が彼の生きた証になるという御父様の言葉は、昨年度まで卒業論文を指導していた私に、重くのしかかった。

卒業論文が、その人の人生に如何に大きな意味を持つものか、それをあらためて思い知らされたのである。

はたして、25年前の卒業論文を、手に入れることはできるだろうか。

国立大学の場合、卒業論文は大学に提出されると、大学の財産として永久保存されることになっている。

妻にも手伝ってもらい、E君の卒業論文が大学に保管されているかを聞いてみた。

すると「ある」という。ただし、保管場所が離れているので、貸し出しには少し時間がかかるとの返答だった。

そして2カ月後、ようやく、E君の卒業論文を借り出すことができた。

それを見て私は驚いた。

万年筆で書かれた、手書きの卒業論文だったのである。

私が大学4年生の頃は、ワープロが普及しはじめた時期で、卒業論文を手書きで書く人と、ワープロで書く人が、半々くらいに分かれていた。私はワープロで卒論を書いたのだが、E君は手書きで清書していたのだ。

E君がこの世を去ったいま、彼が書いた肉筆の卒論が、彼の生きた証をかえって生々しく伝えているのは、せめてもの幸いというべきか。

400字の原稿用紙で98枚。別冊の注は23枚で、注番号は170番まであった。まぎれもない大作であった。

私はそれをすべてコピーし、御父様に郵送した。

私は次のような手紙を添えた。

「卒業論文の原本は、大学に返さなければなりませんが、その前に、いちどご自宅にうかがって、ぜひ卒業論文の原本をお目にかけられればと思っております。私事で恐縮ですが、仕事の関係で、4月13日~16日に関西方面に出張いたします。その前日、12日(日)から関西入りする予定ですので、12日(日)の午後か夕方、もしお時間がありましたら、ご自宅におうかがいしたいと存じますが、ご都合はいかがでしょうか」

数日後、御父様からお返事が来た。

「お便り有難うございました。また面倒なお願い致しましたところ、大部のコピーをお届けいただき、まことに有難うございました。座右に置いて家内ともども彼を偲ぶよすがにしたいと存じます。12日、お待ちしております」

卒業論文を、彼を偲ぶよすがにする…。

やはり私にはこの言葉が重くのしかかる。

なぜ、大学で卒業論文が大事なのか。

卒業論文の指導する機会が失われたいま、ようやくわかった。

卒業論文は、二十歳前後の、無限の可能性のある時期を生きたことの、証なのだ。

E君の卒業論文は、そのことを私に教えてくれたのである。(つづく)

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手書きの卒業論文

今年の1月はじめ、一通の封書が私のもとに届いた。

「愚息、昨年1月27日に易簀致しました。

一昨年部長に昇進して、にわかに仕事が増したのか、年来の不節制の故なのか、急なことで、残念なことでした。学生時代以来、長年にわたる御好誼に親として深く感謝申し上げます。

昨年、数回東京のマンションに出向いて、何とかあとかたづけを済ませ、幸い年末にマンションの売却を了えることができ、ひと息ついたところです。1月末に一年祭を了えれば、やっと一区切りつくことになります。お仕事で上方方面へおいでの機会があれば、またお立ち寄りください。長らく、どうも有難うございました。取り急ぎお報らせまで」

大学時代の友人、E君のお父様からの手紙だった。

E君が1年前に死んだ。それも突然にである。激務がたたったのだろうか。

私はそれと知らずに、彼に年賀状を出していたのだ。

私は大学時代、友人がほとんどいなかったが、同じ専攻のU君、O君、そしてE君とは仲がよかった。よく4人で、長期休暇になると関西方面に旅行に出かけた。

E君は、4人の仲でもとりわけ引っ込み思案で、とにかく控え目な性格だった。だが私たちの前では、関西特有の「笑いの間:」というのを、存分に発揮していた。

一度、E君とU君と私で関西を旅行したときに、E君の実家にお邪魔した。E君はふだん、自分のプライベートな側面を見せることを極力ひかえていたが、彼の実家は地元の旧家といった趣で、意外に感じたものである。

私は卒業して大学院に進み、3人は就職した。ちょうど、バブルの最後あたりの時期である。

E君はある大手企業に就職した。引っ込み思案の彼が、大手企業で上手くやっていけるのだろうかと心配するほど、彼は控えめな性格だった。

卒業して1年経った頃、E君が会社であまりに控えめなので、E君のために合コンを企画してほしいと、E君が勤める会社の女性から、リクエストが来たことがある。合コンをすれば、それをきっかけにE君にも何かいいことがあるだろうというのである。

例によってE君を含めた4人がその合コンに参加したのだが、結局、何も進展しなかった。

その後、私は東京を離れてしまったため、3人と会うことはなかった。

3年ほど前、恩師の傘寿のパーティーのときに、U君とO君に再会したが、E君とは会えなかった。ただ二人の話から、E君はいまや部長になっていること、そして婚活をしていることがわかった。

「また4人で旅をしたいねえ」と言って、そのときは別れた。

再会を約束したまま、E君とは会えずに終わってしまったのである。

E君のお父様からの手紙は、U君やO君も受け取ったようで、翌日、2人からメールが来た。

「昨日、Eくんのご両親から葉書をいただきました。

彼が昨年亡くなっていたと聞き、本当に驚きました。

2年前に会って以来、またそのうちにと思いつつ連絡を取らなかったのが悔やまれます。

お二人は何か事情等ご存知でしたか?」とU君。

「私も、昨夜深夜に帰宅し、E君のご両親からのハガキを見て驚愕した次第。「急死」「部長になり張り切り過ぎたのか、お酒を飲み過ぎたのか、」という文面からは、事故なのか病気なのかわかりませんでした」とO君。

一つ気になったのは、私には封書が来たのだが、2人には葉書が来た、と書いてある点である。

私が受け取った手紙は便箋3枚。3枚目の便箋には、「追伸」が書かれていた。

「追伸」には、次のようなことが書かれていた。(つづく)

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恐ろしき思い出の数々

4月11日(土)

事情があり、久しぶりに実家に行った。

事情というのは、大学時代のスナップ写真が実家にあるかどうかを探すという目的である。

大学時代のスナップ写真が残っているかどうか、まったく記憶がない。そもそも大学時代にスナップ写真なんぞ撮っていたのか?撮っていたとしても、1枚も残っていないんじゃないだろうか。

実家の自分の部屋の押し入れを探してみるが、見つからない。

(やはりなかったか…)

念のため母に聞いてみると、

「ここじゃないの?」

と、別の部屋の本棚に、アルバムらしきものが大量にならんでいるところを指さした。

まったく記憶になかったが、まあ出て来るわ出て来るわ、スナップ写真の数々。

私自身が撮った写真もあるが、私が写っている写真も多く、おそらくいろいろな人から、私が写っている写真をもらったということなのだろう。

それにしても、私自身が写っている写真のなんと多いことか。どんだけ写真写りを意識しているんだ?と、我ながらキモチワルクなった。

しかも、大学を卒業してからのある時期、私はそれらのスナップ写真を整理していたようで、テーマごとにアルバムを作っていたのである。

大学時代の写真がこんなに残っているとは、まったく記憶になかった。

それを見ると、大学時代の私はガリガリである。年月というのは、実に恐ろしい。

もうひとつ恐ろしいものを見つけた。

大学1,2年のとき、ある先生の授業を受講していた学生10人ほどが意気投合して、その先生と一緒に関西方面に何度か旅行に行ったことがあった。一般教養の授業だったのでいろいろな専攻の学生が受講していて、その受講生たちの中でもとりわけその先生を慕っていた10人ほどが、なぜか年に1度ていど旅行したのだった。

そのことは覚えているのだが、まさかその仲間で同人誌を作っていたことは、まったく記憶にない。

その同人誌が、なんと私の部屋から出てきたのである。

各人が分担して旅行記を書くという趣向のものであるが、私の部屋に残っていたのは「第3号」とあるので、少なくとも3冊は発行していたらしい。中身を見ると、手書きとワープロが混在していて、時代を感じさせる。

その同人誌を開くと、当然のことながら私も旅行記を分担執筆しているのだが、その文章の、まあ恥ずかしいこと恥ずかしいこと。

恥ずかしいというよりも、イタイ文章である。

「思えば、戦前から戦後にかけて行われた昭和大修理のさいに建物は焼失してしまった。だがこの「飛天」は、そのときあたかも自らの衣で飛び立ったかのように、辛くも焼失をまぬがれ、いま私たちのもとへふたたびまいおりてきたのである」

とか、

「もう夕日は遠く西の山々のかなたへとすいこまれていた。私はこの場所に立って、この3日間に訪れた場所の方角へ、ひとつひとつ目を転じてみた。そして目を閉じ、まぶたの裏に焼き付いた日本の原風景を、今度は脳裏へと伝えていった。私のよき思い出の一コマとなるよう…」

とか、もうイタすぎる文章のオンパレードである。

大学2年の俺に、「お前、バカじゃねえの?」と言ってやりたい。

とくに、

「もう夕日は遠く西の山々のかなたへとすいこまれていた」

という一文は、その当時私が耽読していた福永武彦の中編小説「廃市」の最後の一文、

「あの町ももう遠くに過ぎ去って、汽車は陽の照りつける晩夏の原野を喘ぎながら走って行くばかりだった」

をかなり意識して書いたことを、鮮烈に思い出した。

私だけでなく、全員がかなりイタイ文章を書いている。

まったく、どうかしていたとしか思えない。

2さらに、高校時代の写真も見つけた。

私が高校1年の時、所属していた吹奏楽部の定期演奏会の楽屋で撮った写真のようである。

みんななぜか、ポーズを決めてサングラスをかけている。イタすぎる。

私も写っているようなのだが、どこにいるのか皆目見当もつかない。

まったく思い出というのは、恐ろしいものである。

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「居残り佐平次」化計画

4月9日(木)

職場が変わって痛感しているのは、

「世の中、そんなに甘くないよなあ」

ということだった。

カネの話とか、交渉事とか、手続き論とか。

将来の戦略をシミュレーションして、暗澹たる気持ちになったり。

いきなりハシゴをはずされたり。

御上(おかみ)から来る理不尽なお達しにどう対処するかに悩んだり。

もっぱら、そんなことで一日が終わる。

最近は、同僚と

「一難去ってまた一難ですね」

と言葉を交わすのが日課になった。

そんな中で心を折らずに生きていくにはどうしたらよいか。

Af220d09s_3 何度でも書くが、やはりここは、川島雄三監督の映画「幕末太陽伝」の「居残り佐平次」のように生きるしかない、と強く思い直す。

面倒で些細な仕事を引き受けながら、職場の中を縦横無尽に駆けまわる。

根回しをしたり礼を尽くしたりして、方方(ほうぼう)をまるく収めていく。

決して情には流されず、孤独であることを恐れない。

人間を冷静に観察して、適当に人々をあしらう。

ここぞというときに、大見得を切る。

そんな感じで、「居残り佐平次」に少しずつ近づいていこう。

最近同僚によく言われる言葉は、自分が佐平次に近づいていることを予感させる。

「アンタほんまよう走り回ってるな。ほんで、なんで痩せへんの?」

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殻付きマカデミアナッツ専用殻割り器

4月8日(水)

職場2年目も引き続き忙しく、夕方にはグッタリしてしまう。毎日があっという間に過ぎ、特記すべき事件が起こるわけでもない。なので今日もとりたてて何も書くことはない。

20120117230519私が職場でめざしているのは、映画「幕末太陽伝」の主人公、フランキー堺扮する居残り佐平次のような役割である。なかなか実践するのは難しいが。

まあわかる人だけがわかればよろしい。

遊郭における彼の仕事ぶりもさることながら、彼の持っている無常観といったものも、持ち合わせたいものだと思う。

これについては以前にも書いたことがあるので、わからなければ映画を見ていただくしかない。

さて、昨日「虜になる」という話題を書いたが、いま私が虜になっているのは、ズバリ、

「殻付きマカデミアナッツ専用殻割り器」(正式名称)

である!

Img昨年11月に、卒業生のMさんが職場を訪ねてきてくれたときにプレゼントとしていただいたものである。

箱には、「世界一割れるクラッカー」と書いてある。

合わせて殻付きマカデミアナッツもいただいた。

「これ、どうやって使うの?」

「このクラッカーで、マカデミアナッツの固い殻を割って中のナッツを出して食べるんです。使い方は中に書いてあります。割り方にもコツがあって、やってみると意外と面白いですよ」

「ほんと?」

「ダマされたと思って試してみてください」

「ありがとう」

とは言ってみたものの、内心、わざわざ殻を割って食べるのはやっぱりちょっと面倒だなあと、そのときは思った。

ところが、である。

これがやってみると、たしかに癖になる。あっという間に、いただいた一袋を食べ終わってしまった。

パキッ!

と、これがまた実にいい音がして割れるのだ。

中のナッツがきれいに取り出せる場合もあれば、割り方を失敗して、取り出せない場合もまれにある。そのときは、この「殻付きマカデミアナッツ専用殻割り器」を使って殻をさらに細かく打ち砕く。

パキッ!

といい音がして、中のナッツがきれいに取り出せたときの達成感は、実に心地よい。

休みの日などの時間があるときに、殻付きマカデミアナッツを売っているお店に行って、殻付きマカデミアナッツを買って、それを殻付きマカデミアナッツ専用殻割り器で割って食べている。一度割り出すと、止まらなくなってしまう。

いまやわが家では、トング、土鍋の次ぐらいに使用頻度が高いのが、この「殻付きマカデミアナッツ専用殻割り器」なのである。

この「殻付きマカデミアナッツ専用殻割り器」を使うたびに思う。

きっと人間は、サルだった頃から殻を割ることに快感を覚えていたのだ、と。

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自転車と宝塚

先日、職場の送別会があったおりに、「いま、どんなことに興味があるか」という話題になった。

「自転車と宝塚ですね」と私は答えた。

「自転車を趣味にしている人って、自転車がいかに楽しいかをものすごく語りたがる傾向にあるんですよ。もうひとつ、宝塚もそうです。宝塚の舞台をいちど見た人は、たちまち宝塚の虜になってしまうといいます。それほとまでに人間を虜にしてしまう自転車とか宝塚を、今年こそは経験してみたいんです」

すると、いつも頓珍漢なことばかり言う人が言った。

「宝塚でも、すべてがいいってわけじゃありませんよ。見なきゃよかったって思うくらい残念な舞台もあります」

どうしてこの人は、いつも人の話の腰を折るのだろう。

「じゃああなたは、どういうことに興味があるんです?」私は反問した。

「納豆ですね」

「納豆?」

「私、納豆が嫌いなんですよ。そのことを友達に言うと、『お前は人生の楽しみの半分を知らない』と言われるんです。それが悔しいんで、納豆を食べられるようになりたいんです」

はぁ?

「それ、ちょっと意味が違いますよ」私は言った。

「どういうことです?」

「私が言いたいのは、自転車とか宝塚とか、熱く語りたくなるほど虜になるような趣味を経験したいと言ってるんです。納豆を食べることは、熱く語りたくなるほど虜になるような趣味と言えますか?」

「納豆を食べることが、自転車や宝塚と、どう違うんです?」

もうこれ以上話すのは無駄である。

…こういう会話は、とても疲れる。

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バジルのパスタのつづき

4月6日(月)

料理の話題を書くと、なぜか決まって同世代の男子にばかり反応がある。…といってもこぶぎさんとひょんさんだけなのだが。

バジルのパスタの話のつづき。

私がお土産にもらったのは乾燥バジルであり、それとは別に、ペースト状のものがあるとは、こぶぎさんのコメントで初めて知った。

さらに、ひょんさんからのメールで、ジェノベーゼというものがあることも知った。

ジェノベーゼとは、イタリア・リグリア州のジェノバ県生まれのソースで、 バジルペーストに、松の実、チーズ、オリーブオイルなどを加えたものだそうだ。

作り方は以下の通り。

1.新鮮なバジルを、よく洗ってから水気をとり、葉をちぎる。

2.フライパンで、松の実を弱火でゆっくりと、表面が薄く色づくまで煎る。松の実は焦げやすいので、ときどきかき混ぜながらやること。

3.フードプロセッサーに、松の実、ニンニク、バジル、あとは好みでカシューナッツやクルミを入れて細かくし、ペースト状にする。 フードプロセッサーがない場合は、すりばちで代用する。

4.上で作ったバジルペーストに、粉チーズ、オリーブオイル、粗引きブラックペッパーを加えて、塩で調味して完成。

…うーむ。とっても面倒くさい。

まずバジルの葉っぱをちぎるところからはじめなければならない。

それに、我が家にはフードプロセッサーもすりばちもない。

考えようによっては、こぶぎさんが紹介してくれたバジルペーストに、4の作業を加えれば、 ジェノベーゼになりそうである。

しかしいずれにしても重大な問題が残っている。

お土産の「乾燥バジル」は、いったいどう有効に使ったらいいのか?

やはり、茹でたパスタにふりかけるしかないようである。

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バジルのパスタ

4月5日(日)

妻のアメリカみやげが、小さいビンに入った「バジル」と「ガラムマサラ」だった。

(日本でも買えるのにな…)と思いながら、ありがたく受け取る。

「バジル」は、「これでパスタを作れ」というメッセージであり、「ガラムマサラ」は、「これでカレーを作れ」という意味であることは、すぐにわかる。

さっそく、バジルのパスタを作ることにするが、そもそも、バジルのパスタを食べたことはあるものの、作ったことがない。

インターネットで調べてみても、しっくりくるものがない。

仕方がないので、見よう見まねで作ることにする。

オリーブオイルを入れたフライパンにすりおろしたニンニクを入れたあと、火を付けて、鶏肉とタマネギを炒め、バジルを混ぜる。

ところがこの、バジルをどの程度入れていいのかがよくわからない。

「相当入れないと、バジル感が出ないよ。ほら、よくバジルのパスタって、全体が緑色になるでしょう。あれくらい入れないと」と妻。

けっこうな分量を入れてみたが、それでも、あんまりバジル感が出ない。

ゆであがったパスタを炒めた具にからめて、とりあえず完成したが、やはりバジル感が出ていない。

もっと入れた方がよかったのか?

バジルのパスタには、いったいどの程度のバジルを入れれば、バジル感が出るのだろうか。

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割腹尿検査

4月4日(土)

朝、かかりつけの病院に行く。

(今日は採血をする日だったよな)

そのつもりで行くと、

「血液検査と尿検査をします。まずは採尿をします」

と若い女性の看護師さんが言った。

えっ!尿検査をするなんて聞いてないぞ!

「あの…尿検査をするとは思わなかったんで、済ませてきてしまいました」

済ませてきた、というのも我ながらヘンな言い方だが、他に言いようがない。

「全く出ませんか?」とその若い女性看護師。

「ええ、無理です」

若い女性看護師さんは仕方がないという顔で続けた。

「では今、水を飲んでいただき、最初に血液検査をします。血液検査が終わったら、待合室で待っていて下さい。それでタイミングが来たら、また診察室に来て下さい」

タイミングが来たら、というのは、おしっこが出そうになったら、という意味であろう。

「わかりました」 水をコップ2杯ほど飲み、採血をした。

言われたとおり、いったん診察室を出て待合室で尿意を待つが、待合室でいくら待っても、尿意は催さない。

そうこうしているうち、さきに会計が終わったようで、受付カウンターで私を呼ぶ声がした。

「すみません。まだ尿検査が終わってないんです」

「そうですか」 受付の女性は不審そうな顔をした。それにしても尿意を全く催さないのはどうしたことだろう。

待合室で5分以上が経過した。

(早く行かないと診察室の看護師さんたちにヘンに思われてしまうな)

そう思った私は、尿意もそこそこに診察室に再び入った。

「おしっこ出そうですか?」

「え、ええ」

「じゃあそこの採尿室で尿をとって下さい」

見ると、診察室の一角に「採尿室」とある。端的に言えば、ふつうのトイレである。

トイレに入り、コップを手に取るが、待てど暮らせど、尿意は催さない。

5分くらいが経過した。

「採尿室」の壁は薄いようで、すぐ外の診察室にいる看護師さんどうしの会話が聞こえた。

「○○さん、まだ出てこないわね」

○○さん、とは、私のことである。

「ええ、今日は尿検査だったのに家でおしっこしてきちゃったみたいで、先ほど水を飲んでもらって、しばらく待合室で待ってもらっていたんです」

「ああ、そうなの」

ああ!今すぐここで死にたい!!!と思った。

看護師さんどうしにこんな会話をされて、俺はどんな顔をして「採尿室」から出ればいいのだ?

ますます尿意が引っ込んでしまった。

かれこれ採尿室で15分が経った。

このまま、おしっこが出るまでここに籠城し続けるか、それとも、降伏するか…。

考えたあげく、降伏することにした。

ドアを開けると、ドアの前に看護師さんが立っていた!

びっくりした!心配になって、ずっとドアの前にいたんだろうか?

「あの…すみません。また出直してきます」

「そうですか、次回は、家でおしっこをせずに病院に来てください」

「いえ、私はいまこの場で割腹しますので、もうここに来ることはないでしょう」

と、喉まで出かかって診察室をあとにした。

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さようなら、公爵夫人

書くネタがまったく思い浮かばないので、たいへん有名なフランス小話を一つ。

公爵夫人のことを「ブタ」と呼んで訴えられた男がいた。

判決は、「今後は公爵夫人を『ブタ』と呼んではならぬ」というものだった。

男:公爵夫人を「ブタ」と呼んではいけないってことですね。

裁判長:そうだ。

男:では、ブタに向かって「公爵夫人」と呼ぶのはどうです?

裁判長:それはお前の勝手だ。

男:わかりました。(公爵夫人に向かって)「さようなら、公爵夫人」

立川談志が、よく落語のマクラでこのフランス小話を紹介していた。

しかし客席は笑わないことが多かった。

落胆した談志は、

「この小話の意味がわかんなきゃ、あとは

『隣の家に囲いができたね』

『へえ~』

しかないね」

とよくぼやいていた。

私も一つ、小話を考えた。

ある漫才師が、総理大臣のことをバカと言った。

たちまち裁判にかけられ、「これから総理大臣のことをバカと言ってはいけない」という判決が下された。

漫才師:するってえと、総理大臣のことを「バカ」と言ってはいけないってことですね。

裁判長:そうだ。

漫才師:じゃあ、バカに向かって「総理大臣」と言うのはどうです?

裁判長;それはお前の勝手だ。

漫才師:わかりました。「さようなら、総理大臣」

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桜の名所

4月2日(木)

1年にこの時期だけは、今の職場のまわりがにぎやかになる。

今の職場は、山の上にあるのだが、桜の名所としても有名なのである。

駅を降りると、多くの人たちでごったがえしていた。

(そうか…みんな桜を見に行くんだな)

むかしは、職場の人たちがみんなで花見に行ったものだと聞いていたが、いまのこの殺伐とした雰囲気の中では、そんな風情は望むべくもない。

ということで、職場に行く前に、ちょっと寄り道、というかまわり道をして、ひとりで桜を見に行くことにした。

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ここからは、とりとめのない話。

こぶぎさんのブログに、「明智こぶ郎の事件簿」というシリーズがあって、久々にこのシリーズがアップされていた。

端的にいえば、私のブログで「場所当てクイズ」を出したときに、こぶぎさんがどのように調べて解答を導き出したのかを語るという趣向である。

最近は、クイズを出したつもりでもないのに、こぶぎさんが凝った解答をコメント欄に書いてきて、それを私が正解かどうかを当てるという、実にややこしい展開になってきている。

はたして読者はどれだけついてきているのだろう?面白がっているのは、当事者の二人だけなのか?

まあそれはともかく。

正月に放映された三谷幸喜脚本のドラマ「オリエント急行殺人事件」は、第1夜が探偵の立場から事件を描き(つまり原作通り)、第2夜が犯人の立場から事件を描く(こちらは三谷幸喜のオリジナル)ことで、話題となった。

これもそれに似ている。このブログが犯人の立場で書いているとすれば、「明智こぶ郎の事件簿」は、探偵の立場からこのブログの内容を書いているといってよい。

…そんな大層なものではないか。でもたぶん二倍楽しめると思うので、ぜひ読んでみてください。

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ショック!福岡のコバヤシの転勤!

4月1日(水)

3月18日に、福岡に住む高校時代の友人、コバヤシから「とりあえず報告」と題する短いメールが来た。

「4月東京本社異動の内示が出てしまいました。無念…。またそのうち連絡します」

えええええぇぇぇっ!!!

福岡のコバヤシが、「福岡のコバヤシ」でなくなる????

あらゆる意味でショックである。

ことわっておくが、これはエイプリル・フールの嘘というわけではない。本当の話である。

この4月以降も、福岡出張の予定があったので、私にとっても無念である。

東京に異動なら、これから一緒に飲む機会が増えるんじゃないかって?

いえいえ。それは逆です。

コバヤシが、自分の鑑識眼で福岡で美味い店を紹介してくれるから楽しいんであって、これが東京で一緒に飲んでも、面白くも何ともない。

あくまでもコバヤシの場合は、である。

それより何より、コバヤシ自身が無念だっただろう。

福岡には8年くらい住んでいたんだろうか。福岡という町をひどく気に入っていたようで、ずっとここに住み続けたいと言っていた。

おそらくこの町でいろいろな人に出会い、その絆は歳を重ねるたびに強くなっていったのだろう。

コバヤシが結成したジャズバンドはどうなるのか?メインのテナーサックスがいなくなったら、解散してしまうのだろうか?バンドのメンバーのショックは、相当なものだろう。

高校時代の親しい仲間たちは、彼が東京に戻ってくることをおそらく歓迎するだろう。

しかし私は、手放しでは喜べない。

高校時代や大学時代の仲間に勝るとも劣らない仲間を、この福岡で得てきたのではないか、と思うからだ。

私も昨年、同じような経験をしたので、コバヤシの無念の気持ちがよくわかる。

しかし、一方でこんなことも考える。

ずっと同じ場所にいることが、自分にとっていいことなのかどうかは、実はよくわからない。

そう思い込んでいるにすぎないのかも知れない。

その場所を離れるからといって、その場所の人たちとの関係が切れるわけでもない。

むしろ、これまでの人間関係が試されるのはこれからである。

自分に言い聞かせるように、コバヤシにエールを送る。

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