恐ろしき思い出の数々
4月11日(土)
事情があり、久しぶりに実家に行った。
事情というのは、大学時代のスナップ写真が実家にあるかどうかを探すという目的である。
大学時代のスナップ写真が残っているかどうか、まったく記憶がない。そもそも大学時代にスナップ写真なんぞ撮っていたのか?撮っていたとしても、1枚も残っていないんじゃないだろうか。
実家の自分の部屋の押し入れを探してみるが、見つからない。
(やはりなかったか…)
念のため母に聞いてみると、
「ここじゃないの?」
と、別の部屋の本棚に、アルバムらしきものが大量にならんでいるところを指さした。
まったく記憶になかったが、まあ出て来るわ出て来るわ、スナップ写真の数々。
私自身が撮った写真もあるが、私が写っている写真も多く、おそらくいろいろな人から、私が写っている写真をもらったということなのだろう。
それにしても、私自身が写っている写真のなんと多いことか。どんだけ写真写りを意識しているんだ?と、我ながらキモチワルクなった。
しかも、大学を卒業してからのある時期、私はそれらのスナップ写真を整理していたようで、テーマごとにアルバムを作っていたのである。
大学時代の写真がこんなに残っているとは、まったく記憶になかった。
それを見ると、大学時代の私はガリガリである。年月というのは、実に恐ろしい。
もうひとつ恐ろしいものを見つけた。
大学1,2年のとき、ある先生の授業を受講していた学生10人ほどが意気投合して、その先生と一緒に関西方面に何度か旅行に行ったことがあった。一般教養の授業だったのでいろいろな専攻の学生が受講していて、その受講生たちの中でもとりわけその先生を慕っていた10人ほどが、なぜか年に1度ていど旅行したのだった。
そのことは覚えているのだが、まさかその仲間で同人誌を作っていたことは、まったく記憶にない。
その同人誌が、なんと私の部屋から出てきたのである。
各人が分担して旅行記を書くという趣向のものであるが、私の部屋に残っていたのは「第3号」とあるので、少なくとも3冊は発行していたらしい。中身を見ると、手書きとワープロが混在していて、時代を感じさせる。
その同人誌を開くと、当然のことながら私も旅行記を分担執筆しているのだが、その文章の、まあ恥ずかしいこと恥ずかしいこと。
恥ずかしいというよりも、イタイ文章である。
「思えば、戦前から戦後にかけて行われた昭和大修理のさいに建物は焼失してしまった。だがこの「飛天」は、そのときあたかも自らの衣で飛び立ったかのように、辛くも焼失をまぬがれ、いま私たちのもとへふたたびまいおりてきたのである」
とか、
「もう夕日は遠く西の山々のかなたへとすいこまれていた。私はこの場所に立って、この3日間に訪れた場所の方角へ、ひとつひとつ目を転じてみた。そして目を閉じ、まぶたの裏に焼き付いた日本の原風景を、今度は脳裏へと伝えていった。私のよき思い出の一コマとなるよう…」
とか、もうイタすぎる文章のオンパレードである。
大学2年の俺に、「お前、バカじゃねえの?」と言ってやりたい。
とくに、
「もう夕日は遠く西の山々のかなたへとすいこまれていた」
という一文は、その当時私が耽読していた福永武彦の中編小説「廃市」の最後の一文、
「あの町ももう遠くに過ぎ去って、汽車は陽の照りつける晩夏の原野を喘ぎながら走って行くばかりだった」
をかなり意識して書いたことを、鮮烈に思い出した。
私だけでなく、全員がかなりイタイ文章を書いている。
まったく、どうかしていたとしか思えない。
私が高校1年の時、所属していた吹奏楽部の定期演奏会の楽屋で撮った写真のようである。
みんななぜか、ポーズを決めてサングラスをかけている。イタすぎる。
私も写っているようなのだが、どこにいるのか皆目見当もつかない。
まったく思い出というのは、恐ろしいものである。
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