まだまだ徒然草
…というわけで、突如自分の中で『徒然草』ブームが巻き起こった。
『徒然草』のすごいところは、滑稽話から湿り気のある話まで、振り幅が大きいということである。
しかもよくよく読んでみると、滑稽話はできるだけ具体的に描写をし、湿り気のある話はできるだけ抽象的な表現を使う、という特徴がある。
これは現代にも通じる話芸や文章術ではないだろうか。不遜ながら私も、このブログでそういう書き分け方をしているのだ。
兼好法師って、私と同様の面倒くさい人間だったんじゃないだろうか?
私がいちばん好きな文章は、第26段の、
「風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月(としつき)を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外(ほか)になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ」(第26段より)
(風が吹かないのに散ってしまう花のように、人の心は移り変わってしまう。親しかった頃に、しみじみと感慨深く聞いた一つ一つの言葉を忘れることはできないのに、その人はしだいに自分とはかけ離れた遠い存在になってしまう。これが世のならいだとはいっても、それは故人との別れよりも悲しいものである)
であるというのは、前に書いたが、もうひとつ好きな文章がある。第12段の一節である。
「同じ心ならむ人と、しめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなくいひ慰まんこそ嬉しかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違はざらんと向ひ居たらんは、ただひとりある心地やせん」
(同じ思いを持つ人と、じっくりと話をして、風流なことも、世の中のはかないことも、心おきなく話してみたら、さぞ楽しいだろう。でもそんな相手はそうめったにはいない。たいていは、気心の知れない人と少しでも意見が違わないようにしようと向き合っていることが多いので、かえって孤独を感じるものである)
つねひごろから私が感じていることを、兼好法師はすでに言い当ててしまっている。
こうした湿り気のある文章を書くかと思えば、第45段みたいに、
「藤原公世(きんよ)の兄である良覚僧正は、非常に短気な人だったそうな。
僧正のすみかの庭に大きな榎木があったことから、人々は『榎木の僧正』なんていうあだ名を付けた。
僧正は、本名で呼ばれず、あだ名で呼ばれることに腹を立て、その木を伐ってしまった。
すると今度は、木の切り株が残ってしまったために、人々は『切り株の僧正』というあだ名を彼に付けた。
良覚僧正は、当然これにもご立腹。「こんなものがあるから、俺はあだ名で呼ばれてしまうんだ」と、今度は切り株を掘り出して捨ててしまった。
すると今度は、掘ったところに水がたまり、池のようになってしまった。そこで人々は「堀池の僧正」とあだ名を付けたそうな」
みたいな、オチがあるんだかないんだか、どーでもいい文章も書き残している。
兼好法師は、俺と似てるんじゃないだろうか?
彼の人となりを解く鍵が、ほかならぬ『徒然草』に残っているのだが、それはまた別の機会に。
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コメント
寺田寅彦「徒然草の鑑賞」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/43257_17197.html
原文
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/turez_1.htm
現代語訳
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/turezuregusa.html
投稿: つれづれこぶぎ | 2015年4月30日 (木) 13時01分
徒然草のあとは、寺田寅彦だ!
投稿: onigawaragonzou | 2015年5月 1日 (金) 01時39分
課題図書の徒然草、現代語訳だと数時間で一気に読めるわけで。
秋よりも春がいい、のくだりで、「源氏物語や枕草子の2番煎じみたいだけど、どうせこんな文章捨てちゃうんだからいいんだ」的ないいわけを挟み込んでおいて、本心は絶対そんなこと思っていないとか、
木の上で居眠りした坊主を観客に屁理屈で説明して葵祭りを少し前の方で見られた話だって、葵祭りは牛車とかを見て想像するのがいいと言ってたくせに、こいつ本当は見たかったんだな、というか、この人、坊主が嫌いだな、と思ったり。
この作者、自意識過剰なのにひがみっぽくて上から目線の相当面倒くさい人の模様。恋愛マスターぶりも「女くどき飯」のヒロインを彷彿しましたし。
鬼瓦先生とは似て非なるものなりけり。
ありがたい訓話の部分だけ断片的にでなく、通しで教えてもらっていれば、高校の古文の時間も面白かったなと。
寺田寅彦は、読んでいて明治の昔の話じゃないような、視点の現代さというか、冷静さが好きで、エッセイなので読みやすいこともあって読ん込んじゃっているので。
関東大震災の時に、ものすごく冷静に周りを観察して書き残している所とか、満員電車を待つべきか乗るべきか、待っている間に理詰めで考えちゃった話とかが好きですね。
今回の課題図書さがしで久しぶりに青空文庫を漁って、魯山人の納豆茶漬けの話とか、古川緑波の戦前グルメの話とかをおいおい読もうかなと。
(おまけ)
もうすぐロードバイク納車記念日のようですから、お祝いがてらこちらのブログもデザインを変えました。
もっとも、自転車ネタの記事が公開されるのは、まだずっと先なんですけど、直すの面倒だからいいや。
最後に、私めも埼玉サイクルエキスポで受講した初心者講習会の動画を貼り付けておきます。わかりやすいですよ。
https://youtu.be/7tvQ3WRoyrM
投稿: 感想文こぶぎ | 2015年5月 2日 (土) 10時54分
課題図書の『徒然草』、まじめにおつきあいいただいたのはやはりこぶぎさんだけでした。しかも大型連休のしょっぱなにすでに読み終わってしまったとは、感謝です。
寺田寅彦の随筆は、高校時代にはまりました。高校時代、地学部という部活の幽霊部員だったのですが、当時地学部の出している会誌に地学にかかわる文章を書けという依頼が来て、寺田寅彦の地震に関する随筆の紹介と感想を書いた記憶があります。いまでも実家に残っているか、連休中に確認してみよう。
いま読み返すと、やはりいいですな。「電車の混雑について」はもちろん名作ですが、「学問の自由」は、いま自分が置かれている状況と照らして、「なんだ、昔も今も変わらないんじゃないか」と思ったりします。
投稿: onigawaragonzou | 2015年5月 2日 (土) 23時59分