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いまさら相棒

4月20日(月)

こぶぎさんが自身のブログで、「創作落語・戦争と平和」について「スクリプト・ドクター裏話」を書いているので、御味読いただきたい。

私も少し、脚本を勉強しなければならないと思い、昨日録画しておいた映画「相棒・劇場版Ⅲ」を見ることにした。

いまさら「相棒」かよ!と言われるかも知れないが、私はドラマ「相棒」の熱心なファンではない。思い出したように、年に数回見る程度の視聴者である。

「相棒」というドラマが、どんな変遷をとげているのかはわからないが、「相棒」に出てくる設定やトリックは、実に古典的で、かつテッパンである。もっとハッキリ言うと、ほとんど「刑事コロンボ」である。

ここ最近私が見た相棒は、偶然なのか、純粋な犯人捜しというよりも、どうも倒叙ミステリーといった感が強い。

「相棒・劇場版Ⅲ」では、「刑事コロンボ」を彷彿とさせる場面がいくつも出てくる。

たとえば、閉ざされた孤島に民兵の訓練施設があり、そこで殺人事件が起こると、杉下右京(水谷豊)らが入り込んで、寝泊まりをしながら捜査をする。その訓練施設には厳格で誇り高い人物が強いリーダーシップで訓練生を指導している。

この設定は、「刑事コロンボ」の「祝砲の挽歌」を彷彿とさせる。

…わかる人がわかればよろしい。

そして、馬の蹄鉄の指紋の話。

あれは見た人の誰もが、「刑事コロンボ」の「二枚のドガの絵」を思い出しただろう。

…ま、これもわかる人がわかればよろしい。

いずれにしても、「刑事コロンボ」のような「ミステリーの古典的傑作」は、時代を超えて受け継がれているということである。

ということはやはり、古典の中にこそ、面白さがあるということなのだ。

面白いから、古典として残ったともいえる。

古典だからといって、肩肘をはって向き合う必要などない。

それは、古典に対する偏見である。

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