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手書きの卒業論文

今年の1月はじめ、一通の封書が私のもとに届いた。

「愚息、昨年1月27日に易簀致しました。

一昨年部長に昇進して、にわかに仕事が増したのか、年来の不節制の故なのか、急なことで、残念なことでした。学生時代以来、長年にわたる御好誼に親として深く感謝申し上げます。

昨年、数回東京のマンションに出向いて、何とかあとかたづけを済ませ、幸い年末にマンションの売却を了えることができ、ひと息ついたところです。1月末に一年祭を了えれば、やっと一区切りつくことになります。お仕事で上方方面へおいでの機会があれば、またお立ち寄りください。長らく、どうも有難うございました。取り急ぎお報らせまで」

大学時代の友人、E君のお父様からの手紙だった。

E君が1年前に死んだ。それも突然にである。激務がたたったのだろうか。

私はそれと知らずに、彼に年賀状を出していたのだ。

私は大学時代、友人がほとんどいなかったが、同じ専攻のU君、O君、そしてE君とは仲がよかった。よく4人で、長期休暇になると関西方面に旅行に出かけた。

E君は、4人の仲でもとりわけ引っ込み思案で、とにかく控え目な性格だった。だが私たちの前では、関西特有の「笑いの間:」というのを、存分に発揮していた。

一度、E君とU君と私で関西を旅行したときに、E君の実家にお邪魔した。E君はふだん、自分のプライベートな側面を見せることを極力ひかえていたが、彼の実家は地元の旧家といった趣で、意外に感じたものである。

私は卒業して大学院に進み、3人は就職した。ちょうど、バブルの最後あたりの時期である。

E君はある大手企業に就職した。引っ込み思案の彼が、大手企業で上手くやっていけるのだろうかと心配するほど、彼は控えめな性格だった。

卒業して1年経った頃、E君が会社であまりに控えめなので、E君のために合コンを企画してほしいと、E君が勤める会社の女性から、リクエストが来たことがある。合コンをすれば、それをきっかけにE君にも何かいいことがあるだろうというのである。

例によってE君を含めた4人がその合コンに参加したのだが、結局、何も進展しなかった。

その後、私は東京を離れてしまったため、3人と会うことはなかった。

3年ほど前、恩師の傘寿のパーティーのときに、U君とO君に再会したが、E君とは会えなかった。ただ二人の話から、E君はいまや部長になっていること、そして婚活をしていることがわかった。

「また4人で旅をしたいねえ」と言って、そのときは別れた。

再会を約束したまま、E君とは会えずに終わってしまったのである。

E君のお父様からの手紙は、U君やO君も受け取ったようで、翌日、2人からメールが来た。

「昨日、Eくんのご両親から葉書をいただきました。

彼が昨年亡くなっていたと聞き、本当に驚きました。

2年前に会って以来、またそのうちにと思いつつ連絡を取らなかったのが悔やまれます。

お二人は何か事情等ご存知でしたか?」とU君。

「私も、昨夜深夜に帰宅し、E君のご両親からのハガキを見て驚愕した次第。「急死」「部長になり張り切り過ぎたのか、お酒を飲み過ぎたのか、」という文面からは、事故なのか病気なのかわかりませんでした」とO君。

一つ気になったのは、私には封書が来たのだが、2人には葉書が来た、と書いてある点である。

私が受け取った手紙は便箋3枚。3枚目の便箋には、「追伸」が書かれていた。

「追伸」には、次のようなことが書かれていた。(つづく)

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