これも徒然草
あらためて読んでみると、『徒然草』はとてもいい。不遜なたとえだが、『徒然草』のひとつひとつの語りは、いまの私が書いているブログみたいなものだ。滑稽な話もあれば、湿り気たっぷりの文章もある。
なかでも、次の文章はとても美しい。
「風も吹きあへずうつろふ、人の心の花に、馴れにし年月(としつき)を思へば、あはれと聞きし言の葉ごとに忘れぬものから、我が世の外(ほか)になりゆくならひこそ、亡き人の別れよりもまさりてかなしきものなれ」(第26段より)
(風が吹かないのに散ってしまう花のように、人の心は移り変わってしまう。親しかった頃に、しみじみと感慨深く聞いた一つ一つの言葉を忘れることはできないのに、その人はしだいに自分とはかけ離れた遠い存在になってしまう。これが世のならいだとはいっても、それは故人との別れよりも悲しいものである)
古典がすばらしいと感じるのは、自分の中に漠然と存在する感情が、研ぎ澄まされた言葉で見事に表現されていることに気づいたときである。
つまり私の中にある思考や感情は、すでに古典の中に存在しているのである。
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