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なつかしい人

4月14日(火)

まだ出張2日目だが、朝から夕方まで緊張と集中がつづき、早くも疲労困憊である。

一昨日に訪れたE君の実家で、E君のお父さんから聞いたお話に、いくつか印象に残るものがあった。

E君のお父さんは、医学部の教授を20年ほど前に定年退職されて、悠々自適の生活を送ってこられたようだった。

もうすでに傘寿を越えた年齢の方だが、学識が深く、論旨が明快で、話題は尽きない。

「ファラデーは、大学に行かず、独学で学者になったんですよ」

「そうですか。むかしは独学で立派な学者になる人がいましたね。日本だと、鳥居龍蔵などもそうでしょう」と私。

「そうですね。で、そのファラデーが電磁誘導の法則を発見したとき、それを当時イギリスの大蔵大臣だったグラッドストーンに説明したんです。そのとき大蔵大臣は、

『…で、これはいったい何の役に立つのかね?』

と言ったそうです」

「学問が役に立たないと思っていたんでしょうね」

「そうですね。でもそのときファラデーはこう答えたそうです。

『生まれたばかりの赤ちゃんは、何の役に立ちますか?』」

「なるほど。学問というのは、いまはすぐに役に立たないものであっても、時間をかければいろいろな方向に成長する可能性を秘めた存在である、ということがわかる逸話ですね」

「まったくです。そう考えると、学問に対するいまの政府の政策は、まことに間違った方向に進んでいるといわざるを得ません。まったくおかしな世の中になったものです」

E君のお父さんは、いまの時代を嘆いている様子だった。

「ところで、『なつかしい』という言葉がありますね」E君のお父さんは続けた。

「ええ」

「私たちの頃は、『なつかしい人』という言い方をよくしましたが、いまは『なつかしい』をそういう意味で使うことはなくなったようです」

「なつかしい人、ですか…」

「なつかしい」というのは「昔を思い出してなつかしい」というニュアンスでもっぱら私は使っていた。しかしE君のお父さんがいう「なつかしい」というのは、どうもそれとは違う意味のようだった。

「『アイツはなつかしいヤツだ』とか、そういう言い方です。いまはぜんぜんそういう言い方をしないでしょう?」

「ええ」

「でも私らの頃はよくしていたのです。そういう言い方で言えば、息子は『なつかしいヤツ』でした」

「そうですか…」

あとで「なつかしい」の意味を辞書で調べてみた。

なるほど、お父さんにとってE君は「なつかしい人」だったのだ。

私はこれまでいろいろな人を見てきて、その人が信頼している人と次第に疎遠になっていく(あるいは自ら遠のいていく)場面を、何度もまのあたりにした。

人間の関係とはまことに脆弱なものだなあと、そのたびに思ったものだ。

かつてある人が次第に精神的な袋小路に入り、その救いを占いに求めていったことに対して、

「その人は仲のいい友人だったが、占いに頼らざるをえないくらい迷ったときに、こっちは頼ってもらえていないという時点で、俺はそのていどの人間だったということでしょう。それは俺の自己責任だ」

と言ったラジオDJがいて、私はその言葉になぜかひどく共感したのだった。つまり問題は、その人にとって自分は「なつかしい人」であるかそうでないか、という点にあるのである。

自分に置きかえてみたらどうだろう?

私もやはり同じである。私が一方的に他者を「なつかしい」と思っていても、他者にとっては次第にそうではなくなる、ということが多いような気がする。

たぶんすべての場合、原因は私にある。その人にとって私が「なつかしい人」ではなくなったのは、ひとえに私がそのていどの人間であったからにすぎない。

ところで、E君のお父さんが言うところの「なつかしい人」というニュアンスが通じなくなったのは、いつ頃からなのだろう。

それとも、いまでも「なつかしい人」という言い方は、ふつうに使われているのだろうか。

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