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先達はあらまほしきことなり

昨年、トラック野郎のおじさんたちと何度も一緒に仕事をした。

いろいろな経験をしているトラック野郎のおじさんたちとは、トラックに同乗して長距離を移動していても、話題が尽きない。

なかでもいちばんベテランのOさんは、50代後半くらいの方だが、知性にあふれていて、私の「トラック野郎」観をくつがえす人だった。

「我々は京都で仕事があるたびに、伏見のホテルに泊まるんですよ」とOさん。

「それはなぜです?」

「そのホテルはトラックが泊められるからです」

「なるほど、京都のまちなかのホテルだと、そうはいきませんよね」

「ええ。で、あるとき、相棒のコウタが、せっかく伏見に来たんだから、伏見稲荷を参拝しようと思ったそうでしてね」

相棒のコウタ、というのは、まだ20代の若いトラック野郎である。

「夕方に伏見に着いて、まだ少し陽があるというので、コウタがひとりで伏見稲荷に参拝に行って、帰ってきたんです」

「ほう」

「『お前、ずいぶん早く戻ってきたな』と言うと、『ちゃんとお詣りしてきましたよ』と答えるので、『山のほうには登ったか?』と聞いたら、『山のほうって、何のことです?』と言いやがった」

「ハハハ」

「まったく、『先達はあらまほしきことなり』ですな、ハハハ」とOさんは言った。

Oさんは『徒然草』の一節を引用して、さらりとこの話をまとめたのである。

もちろん、『徒然草』のこのエピソードは、誰でも知っている有名なものだが、それを自然と会話のなかで使っていることに、感嘆した。

作業着に身を包みながら、さりげなく古典の一節を盛り込んで会話をする。こういうことを、真の知性というのだろう、

こういう会話ができたときは、実に愉快である。

しばらくトラック野郎のおじさんたちと仕事をする機会がないのは、残念である。

「仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩(かち)より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)ごろ思ひつること、はたし侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。

少しのことにも、先達はあらまほしきことなり」(徒然草52段)。

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