大型連休のひととき・その2
5月3日(日)
大型連休のひととき、いかがお過ごしですか。
前回に引き続き、法律について思い出したことがあるので、もう少し書く。
法律は、あることを規制するために作られるものだが、その法律が悪用されることも、法律のもつ宿命的側面である。
たとえば職場を例にとると、セクハラやパワハラについての規定がある。
セクハラやパワハラを受けた場合、自分はハラスメントを受けたとして、それをしかるべき委員会に申し立てをし、その委員会は申し立てに応じて調査をし、それがハラスメントかどうかを審議する、というのが、通常の流れである。
もちろんこれは、セクハラやパワハラを受けた、立場の弱い被害者のための規則である。
ところがこの規則を逆手にとり、この規則に則ってこれを狡猾に悪用する人もいる。そして組織を混乱に陥れたりする。そもそも悪用する人間は、こういうことに対して常に狡猾なのだ。
悩ましいのは、被害者を保護するために、徹底的に被害者の立場に立った規則を作れば作るほど、それが悪用されると、悪用した人間にその規則はより有利にはたらく、という、実に皮肉な結果をもたらすことである。
そういうことが組織の中でいちどでも起こると、被害者の立場に立ったハラスメント規定に対して、懐疑的になる人たちも出てくる。
極端な例では、悪用されたというトラウマがあるために、被害者自身に対して一律に懐疑的になる人たちも出てきたりする。
組織の中でハラスメント対策がなかなか進まない原因のひとつは、ここにあると私は思う。
私自身の乏しい経験の中でも、このようなことがかつてあり、その結果、ハラスメントに対してふだんからそうとう高い意識を持つ人たちの中にも、被害者の立場に立つことに対して一定の歯止めがかかってしまったのではないか、と感じられたりするようになって、仕方がないことだと思いながらも、少し寂しい思いをしたものだった。もっとも、私の思い過ごしかも知れない。
私の中でも、明確な解決策が見いだせず、悩ましい問題である。
では、よい連休をお過ごしください。
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