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大型連休のひととき・その×

昔はあたりまえに行われていたことが、いまは行われていなかったり、昔は無頓着だったことに、いまは気を使うようになった、などということは、よくある。

たとえば私が子どもの頃、駅のホームでタバコを吸って、それをあろうことかホームの下の線路にめがけて「ポイ捨て」する人が、とても多かった。

だからホームから下を覗くと、線路のところにタバコの吸い殻が山ほど捨てられていた。

刑事ドラマ「あぶない刑事」の再放送をみていたら、ユウジとタカ(だっけ?)が、締め切った車の中で、タバコを黙々と吸っている。犯人を張り込んでいるのだ。

で、犯人が現れたら、車をほっぽり出して、犯人を追いかけて、拳銃をバンバンと打ちまくる。

完全な路駐じゃないか!

…というかそれ以前に、拳銃をバンバン撃ちまくるほうがダメだろ!

話を元に戻す。

しかし今はどうだろう?タバコを線路に捨てる、なんてことをする人は誰もいない。分煙があたりまえの世の中になったいま、ホームですら公然とタバコを吸う無法者はおらず、喫煙場所で吸っているのである。

もうひとつ。

先日「月曜から夜ふかし」という番組で、「ひとりあたりのゴミの出す量が最も少ないのは熊本県」「ひとりあたりのゴミの出す量が最も多いのは大阪府」と言っていた。

熊本県のある自治体では、ゴミの分別がそうとう細かいレベルにまで厳格に行われており、それが、ゴミをなるべく出さないようにすることにつながっているというのである。

逆に大阪府では、ゴミの分別が厳格ではない自治体があるため、ゴミを分別することに対する意識が低く、ゴミを多く出すことに抵抗がないのだという。

ゴミの分別という意識も、私が子どもの頃の30年前と比べると、はるかに高くなっていると思われる。私たちは無意識のうちに、ゴミを分別し、決められたとおりに捨てている。

「タバコ」に対する意識も「ゴミの分別」に対する意識も、30年前に比べるとはるかに向上していることだけは、間違いないのである。

つまり大事なことは何か?

人間の意識は向上するものである、ということである。

それは法律による規制によるところが大きいのかも知れないが、それでも、人々の意識が向上することは、評価してもしすぎることはない。

セクハラやパワハラも同じである。

ひとりひとりが、セクハラとはどういうものか、パワハラとはどういうものか、ということへの意識を高めれば、組織や社会もかなり変わってくるのではないだろうか。

分煙やゴミの分別があたりまえの世の中になるように、である。

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