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それでもボクは会議で闘った

周防正行著『それでもボクは会議で闘う』(岩波書店、2015年)を読んで、7年ほど前のことを、まざまざと思い出した。

今から7年ほど前、職場で、キャンパス・ハラスメントの規程を改定することになり、そのためのWG(ワーキンググループ)が、労務担当のK理事の下で作られることになった。いろいろな部局から集まった7~8名からなるWGだが、私もそのWGに加わることになったのである。

様々な部局から集まっているという性質上、全員が集まって話し合いをすることがなかなか難しい。そこで、とりまとめ役のS先生を中心に、メール会議で意見を出し合うことになった。

周防監督の本を読んだ私は、そのときのことを思い出し、古いパソコンの中を探してみたところ、なんとその当時のメール会議の記録がほぼ残っていたことがわかった。

読み返してみると、規程作りをめぐって、激しい論戦がくり広げられたことがわかる。

とはいっても、もっぱら議論をふっかけていたのは、この私であった。

そしてメール会議の記録を読み進むにつれ、当時私は、まさに周防正行監督が経験したことと同じような思いをしていたことを、あらためて思い出したのである。

いったい、そのときのメール会議は、どのようなものであったのか?

試みに、そのときの私の発言部分のすべてを公開することにする。

公開しようと思った理由は、周防監督の本に触発されたためというのがいちばん大きいが、すでに7年も経過しており、当時の関係者が退職や異動によりほとんど職場に残っておらず、公開したとしてもさしたる影響がないと考えられるためである。

…というのはすべて建前で、このときの発言をたんに自分史の一コマとして残しておきたいと思ったからにすぎない。

私の発言部分しか公開しないので、いったいどのような議論がおこなわれていたか、一読しただけでは分かりにくいと思う。ましてや相変わらず読む気が失せるくらいクドい文章を書いているので、なおさら分かりにくい。

一点だけ解説を加えると、当時、キャンパス・ハラスメントの規程改定で私が最重要と思っていた点は、キャンパス・ハラスメントの申し立てを、どこが最初に受理するか、という点であった。

当時の雰囲気では、なんとなく「部局で起きた問題は、部局で処理をすべきだ」という意見が大勢を占めていた。

しかし私はこれに猛反対した。ハラスメントの申し立ては、部局ではなく、部局を越えた組織であるところの全学の防止委員会に対しておこなう仕組みをつくるべきである、と。

理由は簡単である。部局で起きた問題を部局で処理しようとすると、部局ぐるみの隠蔽工作を行う可能性も考えられるからである。実際、そんな事件も過去に起きていた。

他大学の例では、ハラスメントの申し立てを全学の委員会が受理するという規程になっているところが多い。

ふつうに考えれば当然のことなのだが、実はある部局だけが、「部局の問題は部局で処理するべきだ」という原則に猛烈にこだわっており、WGのメール会議でも、その部局の委員は、かなり強硬にその点を主張していた。

それに対して私は、かなりキツイ調子で、その意見に何度も反論したのである。

具体的な会議の経過が分からなくとも、私の発言を追うだけで、私という人間がいかにタチの悪いヤツかというのが、よくわかる。

こんなヤツが近くにいたら、絶対にイヤだよな。

当時の記録によると、メール会議における私の発言は、2008年の6月29日にはじまり、2008年7月25日に終わっている。約1カ月にわたり、私は発言し続けた。

メール会議はその後も続いたと記憶しているが、2008年11月末から韓国に1年ほど留学することになったので、その後、規程作りには関わることなく、中途半端に終わってしまった。

その後、どのような議論を経て規程の改定がおこなわれていったのかは、よくわからない。でもたぶん、私がいない分、スムーズに進んだのだろうと思う。

さて、メール会議での私の発言は、とても長いし、読んでいて不愉快になる人もいると思うので、画面左上の「アーカイブズ」というコーナーの中で公開することとした。

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