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2015年6月

鬼上(おにうえ)チキのSession22

6月30日(火)

TBSラジオ「鬼上(おにうえ)チキのSession22」、今夜のメインセッションです。

「探求モード・国立大学の文系学部、消滅の危機!」

「文部科学省は8日、全86の国立大学に、既存の学部などを見直すよう通知しました。おもに文学部や社会学部など人文社会系の学部と大学院について、社会に必要とされる人材を育てられていなければ、廃止や分野の転換の検討を求めています。国立大に投入される税金を、ニーズがある分野に集中させるのが狙いのようです。

通知では「特に教員養成系や人文社会科学系学部・大学院は、組織の廃止や社会的要請の高い分野に転換する」よう大学に求めています」

…というわけで、全国の国立大学から、人文社会系の学部が消滅するのではないかというこのニュース。安保法制のニュースに隠れてあまり報じられていませんが、今回はこの問題をとりあげたいと思います。

いま、なぜこのタイミングでこうした通知がなされたのでしょうか?歴史をひもといてみると、その背景がわかります。

実はこの通知、アジア・太平洋戦争のさなかの昭和18年(1943)に閣議決定された「教育ニ関スル戦時非常措置方策ニ基ク学校整備要領」に、非常によく似ているのです。以下、長くなりますが、この整備要領を見ていくことにしましょう。ところどころ現代語訳を入れます。青字と赤字の部分が原文、黒字の部分が現代語訳です。

教育ニ関スル戦時非常措置方策ニ基ク学校整備要領
昭和18年12月21日 閣議決定
 

先ニ閣議ニ於テ決定セル「教育ニ関スル戦時非常措置方策」中高等学校、専門学校及大学ノ整備ニ関シテハ当面ノ時局ニ即応シテ左ノ要領ニ依リ之ヲ実施スルモノトス

(先に閣議において決定した「教育に関する戦時非常措置方策」を、中高等学校、専門学校及び大学の整備に関しては、当面の時局に即応して次の要領でこれを実施するものとする)

第一 高等学校

一、文科学級ノ整理

 昭和十九年度ニ於ケル官立高等学校文科ノ募集人員ハ第一高等学校ニ在リテハ二学級、其ノ他ノ高等学校ニ在リテハ一学級トス
公私立高等学校文科ニ於テハ右ニ準ズルモノトス

(昭和19年度における官立高等学校文化の募集人員は、第一高等学校にあっては2学級、その他の高等学校にあっては1学級とする。公私立高等学校の文科においてはこれに准ずるものとする)

二、理科学級ノ拡充

昭和十九年度ニ於ケル官立高等学校理科ノ募集人員ハ第一高等学校乃至第八高等学校ニ在リテハ八学級、其ノ他ノ高等学校ニ在リテハ五学級トス
公私立高等学校理科ニ於テハ可能ナル限リ之ガ拡充ヲ図ルモノトス

(昭和19年度における官立高等学校理科の募集人員は、第一高等学校から第八高等学校にあっては8学級、その他の高等学校にあっては5学級とする。公私立高等学校理解おいては、可能な限りこの拡充をはかるものとする)

第二 専門学校

一、官公立専門学校

 (一)理科系専門学校ノ整備拡充
理科系専門学校ニ付テハ其ノ組織 教育内容等ヲ刷新シ其ノ収容力ヲ拡充ス
夜間ノ男子理科系専門学校及明治専門学校ノ修業年限ハ之ヲ三年ニ短縮ス

(理科系専門学校については、その組織、教育内容などを刷新し、その収容力を拡充する)

(二)高等商業学校ノ転換及刷新整備
(イ)高等商業学校ニ付テハ一部ハ之ヲ工業専門学校ニ転換シ其ノ他ハ生産技術ヲモ修得セル工業経営者ヲ養成スベキ工業経営専門学校(仮称)又ハ従来ノ高等商業教育ノ内容ヲ刷新シタル経済専門学校(仮称)トス

(高等商業学校については、一部はこれを工業専門学校に転換し、その他は生産技術をも修得する工業経営者を養成すべき工業経営専門学校(仮称)または従来の高等商業教育の内容を刷新した経済専門学校(仮称)とする)

(ロ)前号ニ依リ工業専門学校ニ転換スベキ学校ニ付テハ現ニ在籍スル生徒ノ卒業スル迄ハ之ヲ新ナル工業専門学校ト併存セシムルモノトスルモ必要ニ応ジ其ノ生徒ノ教育ヲ他校ニ委託スルモノトス

(三)外国語学校ノ刷新整備
外国語学校ハ外事専門学校(仮称)トシ大東亜其ノ他海外諸民族ノ諸事情並ニ其ノ言語ヲ総合的ニ修得セシムルヤウ其ノ教育内容ヲ刷新スルト共ニ其ノ修業年限ハ之ヲ三年トス

(外国語学校は外事専門学校(仮称)とし、大東亜その他の海外諸民族の諸事情ならびにその言語を総合的に修得させるよう、その教育内容を刷新するとともに、その修業年限を三年とする)

(四)音楽学校及美術学校ノ刷新整備
(イ)音楽学校ニ付テハ其ノ教育内容ヲ刷新シ男子ノ入学者数ヲ減少スルト共二入学資格ヲ中等学校第三学年修了トス
(ロ)美術学校ニ付テハ其ノ教育内容ヲ刷新スルト共ニ入学資格ヲ中等学校第三学年修了トシ其ノ修業年限ハ之ヲ四年ニ短縮ス

(美術学校についてはその教育内容を刷新するとともに、入学資格を中等学校第三学年修了とし、その修業年限はこれを4年に短縮する)

(五)国庫補助
公立ノ理科系専門学校ノ拡充又ハ文科系専門学校理科系専門学校ヘノ転換ニ要スル経費ニ対シテハ国庫ヨリ適当ナル補助ヲ為スモノトス

(公立の理科系専門学校の拡充または文化系専門学校の理科系専門学校への転換に要する経費に対しては、国庫より適切な補助をなすものとする)

二 私立専門学校(大学専門部ヲ除ク)

(一)理科系専門学校ノ整備拡充
理科系専門学校ニ付テハ可能ナル限リ之ガ整備拡充ヲ図ルモノトス

(理科系専門学校については可能な限り整備拡充をはかるものとする)

(二)文科系専門学校ノ転換及刷新整備
(イ)文科系専門学校ニ付テハ其ノ教育内容ヲ刷新整備ス

(文化系専門学校についてはその教育内容を刷新整備する)

(ロ)文科系専門学校ニシテ学校ノ種類、規模、地理的配置等ヲ勘案シ統合可能ノモノニ付テハ之ガ実現ヲ図ルモノトス

(文化系専門学校にして学校の種類、規模、地理的配置などを勘案し、統合可能のものについては統合をはかるものとする)

(ハ)文科系専門学校ノ入学定員ハ従来ノ入学定員ノ概ネ二分ノ一程度トス但シ時局下特ニ緊要ナリト認メラルル種類ノ学校並ニ統合シタル学校ニ在リテハ其ノ入学定員ニ付特別ノ考慮ヲ為スコトアルモノトス

(文化系専門学校の入学定員は従来の入学定員のおおむね二分の一程度とする)

(ニ)文科系専門学校ニテ理科系専門学校ヘ転換可能ノモノニ付テハ之ガ実現ヲ図ルモノトス

(文化系専門学校で理科系専門学校へ転換可能のものについては、実現をはかるものとする)

右ノ学校ニ付テハ現ニ在籍スル生徒ノ卒業スル迄ハ之ヲ存置スルモノトスルモ必要ニ応ジ其ノ生徒ノ教育ヲ他校ニ委託スルモノトス

(三)国庫補助
(イ)理科系専門学校ノ拡充又ハ文科系専門学校ノ理科系専門学校ヘノ転換ニ要スル経費ニ対シテハ国庫ヨリ適当ナル補助ヲ為スモノトス

(理科系専門学校の拡充、または文化系専門学校の理科系専門学校への転換に必要な経費については、国庫より適切な補助金を出すことにする)

(ロ)理科系専門学校ノ経常費ニ対シテハ国庫ヨリ適当ナル補助ヲ為スモノトス

(理科系専門学校の経常費に対しては国庫より的せるな補助を行うものとする)

(ハ)専門学校ノ教職員ニシテ本措置ニ伴ヒ退職スル者ニ対スル補助ニ付テハ私立大学ノ例ニ拠ルモノトス

(専門学校の教職員で、本措置にともない退職する者に対する補助については私立大学の例によるものとする)

第三 大学

一、帝国大学及官公立大学

 (一)理科系大学及学部ノ整備拡充
理科系大学及学部入学定員ハ高等学校理科卒業者数ノ増加ニ伴ヒ之ガ増員ヲ図ル

(理科系大学及び学部の入学定員は、高等学校理科卒業者数の増加に伴い、増員をはかる)

(二)商科大学ノ刷新整備
(イ)商科大学ハ産業経営ヲ主眼トスル大学トシテ学部及予科ノ組織、教育内容等ニ根本的ナル刷新ヲ行フ

(商科大学は産業経営を主眼とする大学として学部及び予科の組織、教育内容などに根本的な刷新を行う)

(ロ)商科大学学部及予科ノ入学定員ハ従来ノ入学定員ノ概ネ三分ノ一程度トス

(商科大学学部及び予科の入学定員は、従来の入学定員のおおむね三分の一程度とする)

二、私立大学(大学専門部ヲ含ム)

一)理科系大学及専門部ノ整備拡充
理科系大学及専門部ニ付テハ可能ナル限リ之ガ整備拡充ヲ図ルモノトス

(理科系大学及び専門部については、可能な限り整備拡充をはかるものとする)

(二)文科系大学及専門部ニ関スル措置
(イ)文科系大学及専門部ニ付テハ其ノ組織、教育内容等ニ付必要ナル刷新整備ヲ為スモノトス

(文科系大学及び専門部については、その組織、教育内容などについて必要な刷新整備を行うものとする)

(ロ)文科系大学校ニシテ統合可能ノモノニ付テハ之ガ実現ヲ図ルモノトス

(文科系大学校にして統合可能のものについては、実現をはかるものとする)

(ハ)文科系大学学部及予科ノ入学定員ハ従来ノ入学定員ノ概ネ三分ノ一程度トス

(文科系大学学部及び予科の入学定員は従来の入学定員のおおむね三分の一程度とする)

文科系専門部ノ入学募集ヲ行ハザル大学及統合シタル大学ノ予科ノ入学定員ハ右ニ拘ラズ従来ノ予科及専門部ノ入学定員ヲ勘案シ特別ノ考慮ヲ為スコトアルモノトス

(ニ)文科系専門部ノ入学定員ハ従来ノ入学定員ノ概ネ二分ノ一程度トス

(文科系専門部の入学定員は従来の入学定員のおおむね二分の一程度とする)

文科系予科ノ入学募集ヲ行ハザル大学ノ専門部及大学ヨリ転換シタル専門学校ノ入学定員ハ右ニ拘ラズ従来ノ予科及専門部ノ入学定員ノ概ネ二分ノ一程度ト為スコトヲ得ルモノトス

(ホ)文科系大学及専門部ニシテ理科系専門学校ヘ転換可能ノモノニ付テハ之ガ実現ヲ図ルモノトス右ノ大学ニ付テハ現ニ在籍スル学生生徒ノ卒業スル迄ハ之ヲ存置スルモノトスルモ必要ニ応ジ其ノ学生生徒ノ教育ヲ他ノ大学ニ委託スルモノトス

(ヘ)文科系大学及専門部ノ学生生徒ノ教育ニ付テハ授業上ノ関係並ニ防空上ノ見地ニ基キ必要アルトキハ之ヲ他ノ大学及専門部ニ委託スルモノトス

(三)国庫補助
(イ)理科系大学及専門部ノ拡充又ハ文科系大学及専門部ノ理科系専門学校ヘノ転換ニ要スル経費ニ対シテハ国庫ヨリ適当ナル補助ヲ為スモノトス

(理科系大学及び専門部の拡充または文科系大学及び専門部の理科系専門学校への転換に必要な経費については、国庫より適切な補助を行うものとする)

(ロ)理科系大学学部及専門部並ニ統合シタル文科系大学学部及予科ノ経常費ニ対シテハ国庫ヨリ適当ナル補助ヲ為スモノトス

(理科系大学学部及び専門部ならびに統合した文科系大学学部及び予科の経常費に対しては国庫より適切な補助を行うこととする)

(ハ)教育ノ委託ヲ受ケタル大学及専門部ニ対シテハ其ノ経理上必要アリト認メタルトキハ其ノ経常費ニ付国庫ヨリ適当ナル補助ヲ為スモノトス

(ニ)文科系大学及大学ヨリ転換シタル専門学校ニ付テハ精神科学ノ研究ヲ継続セシムル為其ノ研究施設ニ要スル経費ニ対シ国庫ヨリ補助ヲ為スモノトス

(ホ)文科系大学、予科及専門部ノ教職員ニシテ本措置ニ伴ヒ退職スル者ニ付テハ設立者ニ於テ支給スベキ職業転換資金及退職金ニ対シ国庫ヨリ適当ナル補助ヲ為スモノトス

(文科系大学、予科及び専門部の教職員で、本措置にともない退職する者については、設立者において支給すべき職業転換資金及び退職金に対し国庫より適切な補助を行うものとする)

備考
(一)本措置ニ伴フ学校校舎ノ処置ニ付テハ別途ニ之ヲ定ム
(二)女子教育ニ関シテハ別途考究ス

…という、昭和18年に出された整備要領ですけれども、読んでいて明らかなのは、「理系の拡充」「文系の整理縮小」という方針ですね。

まず高等学校についてみていきますと、第一高等学校の文系を2学級、その他の高等学校の文系クラスを1学級に縮小する一方で、理系クラスのほうは、一高から八高までは8学級、その他の高等学校は5学級に拡充するとあります。

文系と理系で、ずいぶんと差がみられますね。

次に専門学校についてみてみましょう。

官公立の専門学校については、理科系専門学校の拡充がうたわれているのと、商業専門学校を刷新して、その一部を工業専門学校などに転換すべきことが述べられています。とくに私立の専門学校については、文科系専門学校の刷新や統合を進めています。

興味深いのは、外国語専門学校の整備です。これはいまのグローバル人材育成の考え方と、まったく同じといっていいでしょう。

音楽や芸術の専門学校については、縮小すべきことがうたわれているようです。

続いて、大学です。

こちらも同じですね。理科系大学の拡充と、文科系大学の整理統合がうたわれています。より具体的には、文科系大学の入学定員を三分の一にすると定められています。

そして、こうした政府の方針に沿った改革を進める専門学校や大学に対しては、積極的に国庫補助をすると書かれています。いまの文科省のやり方と同じですね。

さて、ここまで読んでおわかりでしょう。

いま、政府が進めている国立大学の文系学部の整理統合は、まさにこの昭和18年のときの「教育ニ関スル戦時非常措置方策ニ基ク学校整備要領」と同様の発想に基づいているのです。

もうおわかりですね。

安保法制の整備と国立大学文系学部の廃止や統合。両者は、一見関係のないように思われますが、実は一連の流れと考えるべきものなのです。

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相談は踊るか

6月28日(日)

眼福の先生との調査、2日目。

調査は無事に終わった。

今回の調査で、眼福の先生が長年考え続けていたことが、ようやく証明される結果となり、最後に先生は、

「万歳!と叫びたいという心境です」

とおっしゃった。これぞ研究の醍醐味である。

それにしても疲れた2日間だった。

帰りの道中で、昨日放送されたTBSラジオ「ジェーン・スーの相談は踊る」のポッドキャストを聴く。

ジェーン・スーが、リスナーのさまざまな悩みを聞き、それに答えるという番組。

今週の「代行MC」(ゲスト)は、脚本家の北川悦吏子さんだった。

いつもは、週替わりにアナウンサーが出演して、「代行MC」として、番組を仕切ることになっていた。

つまり番組を仕切れる人が、「代行MC」という名のゲストとして登場するのである。

今回に限って、ラジオについてのド素人である脚本家が「代行MC」をつとめるのは、ジェーン・スーと北川悦吏子さんが親しい友人で、ジェーン・スーが北川さんをリスペクトしているからであるという。

北川悦吏子さんといえば、「恋愛ドラマの神様」である!

私はどうもそういうドラマが苦手なこともあり、そういった先入観からか、

「いけすかねえ人なんじゃねえか?」

と、ずっと思っていた。

実際、ラジオのオープニングのトークを聴いてみると、

(うーむ。なかなか面倒くさそうな人だ)

という感じがプンプンする。

しかし聴いているうちに、なかなかいいことを言う。

とくに印象的だったのは、番組の最後だった。

番組の最後に、「どうしても言いたいことがある」という。

「(ジェーン・)スーは、リスナーからの相談に真摯に答え、その言葉は心に響くものであるけれど、相談した人は、スーに答えてもらったことを、大事にしすぎてはいけない。スーの答えを、まるで神託のように大事にすることは、相談する側にとっても窮屈なことだし、なにより相談に答えたスーにとっても窮屈である」

「相談する人は、もし友だちが5人いたとしたら、スーの答えを6人目の友だちが言ってくれたことだというくらいに聞き流すのがちょうどよい」

そんなことを言っていた。

ジェーン・スーはそれに対して、

「自分は占い師でもないし、自分は相談にのるためのプロフェッショナルなスキルがあるわけでもないし、自分の言葉は神託でも何でもない。それを言ってくれて気が楽になった」

と言っていた。

これについては、思い出すことがある。

教員稼業をしていたころ、いろいろな悩み相談を受けた。

それに対して、何か気のきいたことを答えなくては、と思い、必死になって考えて、言葉を選んで、答えたりした。

もちろん聞き流してくれる人も多かったが、なかにはそれをまるでご神託のように受けとめる人もいて、それが自分にとってはすごいプレッシャーだった。

(そんなに背負えないよ!)

と思って、こっちの神経がまいってしまうようなこともあった。

むかしどこかで聞いたことがあるが、相談のプロフェッショナルは、その人自身が、たまにカウンセリングを受けることで、精神のバランスを保つのだという。

相談にのるということは、決して、その人が強い人だからではない。

その人もまた、ふつうの人間なのだ。

そのことを痛感していたので、北川さんの言葉が、妙に心に響いたのである。

そして、そのことを気にかけて、言葉をかけてくれる北川さんに、おそらくジェーン・スーは救われたのだろう。

番組の最後でジェーン・スーは鼻をすすっていたが、あれは絶対泣いていたぞ。

北川さんに対する私の偏見が、しだいに消えてゆく。

そして私は気づくのである。

言葉を大切にする人に、悪い人はいないのではないだろうか、と。

帰宅すると、期せずして、同世代の友人の数人から、近況を伝えるメールが来ていた。

異なる場所で奮闘する同世代の友人たちの言葉に、癒やされる。

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眼福の先生との調査

6月27日(土)

「眼福の先生」と一緒に調査をするのは、これで何度目だろう?

この土日は、都下のある大学で、「眼福の先生」を含めた4,5人による、「例のもの」の調査である。

「例のもの」は、全国各地に数十点(ひょっとしたら100点近く)現存する。その現物にできるだけ数多くふれ、詳細な調査しようというのが、この調査団の目的である。

1回の調査で、だいたいまる2日はかかる。つまり、土日がまるまる潰れてしまう。

たぶん、ふつうの研究者から見ても、

「そんなことをして、何の意味があるのだ?」

と思われるような調査かも知れない。

まる二日、重箱の隅をつつくような地味な調査が延々と続き、その成果も、ほとんど日の目を見ないことが多いのだが、目に見えてめざましい成果が上がることだけが研究ではない。

この地味な研究を自分の中で続けられるかどうかが、自分が本物の研究者として続けられるかどうかのリトマス試験紙でもあるのだ。

この調査をすると、実に小さな発見がある。実に小さな知的興奮がある。

今日は、「例のもの」に関連した、ある1枚の古い写真が話題になった。

今から80年くらい前に撮影された、1枚の写真。

その写真をじっくり観察して、その写真がどこから撮られたものか、その写真に写っている建物がどんな構造なのか、そして、それが「例のもの」の状態とどのような関わりがあるのかを、みんなで推理していく。

そして、ある1つの仮説に行き着いた。

一見して関係のないような些細な事象を一つ一つ積み重ねていって、今までまったくわからなかった謎が解ける。

これが、この調査の醍醐味である。

ふつうの人から見たら大した発見ではないかも知れないが、重要なのは、その思考のプロセスである。

役に立つ成果を出すことが研究の本質ではない。

それによってものの見方が変わることが、研究の本質である。

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傾聴姿勢

6月25日(木)

西日本縦断の、2日間の出張は無事に終わった。

出張先ではいつも、先方の方と「ちょっとした会話」をして、関係を築いていかなければならない。今後のこともあるので、あるていど座を持たせて、かつ不愉快にならないトークをすることが必要である。

こういうの、何ていうの?雑談力?

こぶぎさんもコメントで書いていたが、雑談力とか営業トークというのは、なかなか難しい。

私自身も、サッカーとか相撲とか野球とかゴルフとかオリンピックとか、まったく興味がないので、いつも話題に困るのである。

たとえば、こんな話題ならばできる。

今さらですが、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」って面白いですねえ。

といっても、時間がある時にたまにポッドキャストを聞く程度なんですけど。

これは私の偏見かも知れないですけれどね、TBSの男性アナウンサーって、スポーツ実況メインのアナウンサーがわりと目立っているような気がするんですよ。

昔でいえば、山田二郎とか、渡辺謙太郎とか、松下賢次とか、かつてスポーツ実況で名を馳せたアナウンサーが、花形って感じがしますね。その伝統は、今でもTBSにあるような気がします。

え?すでにこの時点で、この話題についていけない?

スポーツ実況バタケを歩んだアナウンサーは、弁舌爽やかで、歯切れがよいのですが、ところがなんとなく私はなじめないんです。

そこへいくと、安住紳一郎アナウンサーは、それとは真逆です。TBSの男性アナウンサーの中では、異端といってもよいでしょう。体育会系ではなく、ガッチガチの文化系という感じですからね。

ラジオ番組の冒頭の、「おはようございます。日曜日、朝10時になりました。安住紳一郎です」という挨拶が、ちっとも爽やかではない。

喋りのトーンは常に一定で、ラジオだからといってテンションを上げるわけでもない。

だが、折り目正しい落ち着いた喋りとは裏腹に、トークの内容はかなり腹黒い。よくよくこの人のトークを聞いてみると、「ああ、この人は俺と同じで、『根に持つタイプ』だな」と思い、その人間くささに安心するのです。

番組で募集する「メッセージテーマ」に寄せられるリスナーからのメッセージが、どれも安住アナの「文体」にピッタリ合っていて、それもまたそこはかとなく面白い。

「ラジオパーソナリティ」とはよく言ったもので、そのパーソナリティと同じ「センス」や「文体」を持つ人たちが、リスナーとして集まってくるんだろうな。

安住アナのもうひとつすごいところは、ゲストを招いた時のインタビューが、実はかなり巧いということなんです。

一般に、「聞き上手」と言うべきなんでしょうけど、「聞き上手」というのとはちょっと違う。

この点について安住アナは、以前ラジオ番組の中で自分のことをこんなふうに言ってました。

「わたし、自分でいうのもナンですけども、生まれ持った傾聴姿勢というんでしょうか。客としてお店に行っても、店員に間違われることがけっこうあるんです」

傾聴姿勢、という独特の言葉のチョイスが、そこはかとなく面白いですなあ。なるほど、「傾聴姿勢」ね。

ここで私は気づいたのです。

トークで大事なのは、「聞く力」ではない。「傾聴姿勢」なのだ、と。

「傾聴姿勢」こそ、トークの極意、いや人間関係の極意だと思うんですよ。

…とまあ、いかがです?こんな営業トークは。

たぶん誰も食いつかないだろうな。

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自分で答えを見つけやがれ!

6月24日(水)

またまた旅の空です!

新幹線と私鉄を乗り継いで4時間ほどかかる場所で仕事をしたあと、夕方に再び新幹線に乗って、今度は福岡に移動する。

結局、東京から博多まで、ずっと新幹線で移動したことになる。

道中で、高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書、2015年)を読む。

最近どうも、このブログがそんな話題にばかりなっているふしがあるが、世の中がどんどんおかしくなっているので言わずにはおれなくなる。嫌なら読まなくてよろしい。

しかしこの本は読んでもらいたい。

ある新聞の「論壇時評」という欄で連載していた文章をまとめたものだ。連載は、東日本大震災直後の2011年4月26日から始まっている。当然、震災をめぐる「論壇」が最初に取りあげられる。

お恥ずかしいかぎりだが、新聞連載中はほとんど読む機会がなかった。だがいちど、妻に勧められて読んだ「『アナ雪』と天皇制」(2014年6月26日)の回が秀逸だった

で今回、一冊にまとめられたおかげで、連載を通して読むことができたのだが、どの回も秀逸である。

こうして続けて読んでみると、震災以降、社会の雰囲気が不健全な方向に大きく変化していった様子が、よくわかる。

震災、原発、戦争、安全保障、憲法、女性差別、格差社会、教育、日の丸、君が代、いじめ、国民主権、基本的人権、外国人差別、宗教対立、テロ、パワハラ、全体主義、民主主義、表現の自由…。

こんなキーワードに、ちょっとでも関心がある人なら、読むべきである。

「私たちの社会は子供たちが引き継いでくれる。だから大人は、子どもに失礼のないように、思考停止してはいけない」という桜井千恵子さんの言葉(桜井千恵子『子どもの声を社会へ』岩波新書、2013年)

「みんなで集まって考えたり行動したり、自分の考えを本とかにしたりとかは自由だぜ。どんな表現でもそれはお前の権利だから胸はってやれよ」という現行憲法24条の口語訳(「口語訳 日本国憲法」)

「身も蓋もない言い方をするならば、『みんなで無知でいようぜ、楽だから』というメッセージ」が蔓延しつつあり、「彼らにとって、政治家のレベルが低いことは好ましいことであり、むしろそのことを、無意識のレベルで熱望しているのです」という、映画監督・想田和弘さんの諦観。

「あなたたちは何のために柔道をやってきたの。私は強い者に立ち向かう気持ちを持てるように、自立した女性になるために柔道をやってきた。だから、自分たちで考えて」指導者による暴力(パワハラ)を告発した柔道女子選手の相談相手だった柔道家・山口香さんが、後輩たちに託したメッセージ(山口香インタビュー「15人の告発」『朝日新聞』2013年2月7日朝刊)。

「力の弱いもん、声が小さいもんが大切にされる社会がええねん」という「全日本おばちゃん党」の「維新八策」ならぬ「はっさく」の一節。

そして、ヒップホップグループ・ライムスターの

「選ぶのはキミだ キミだ 決めるのはキミだ キミだ 考えるのはキミだ 他の誰でもないんだ…The choice is yours」

という歌詞!(ライムスター「The Choice Is Yours」作詞Mummy-D・宇多丸)。

ともすればいまの世の中で埋もれてしまいそうな言葉たちをすくい上げる。

この本を読んでつくづく思ったのは、もし今の世の中が生きづらいのだとしたら、自分がほしい答えを、他人に求めてはいけないということである。

自分で答えを見つけやがれ!

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誰が響刑事を嗤うのか

6月23日(火)

刑事ドラマ「Gメン75」のうち、1976年に放映された「東京-沖縄 縦断捜査網」「暑い南の島 沖縄の幽霊」「沖縄に響く痛恨の銃声」は、本土復帰して間もない沖縄を舞台にした三部作で、「Gメン75」シリーズの中でも屈指の傑作である。

沖縄が本土復帰をはたしてからまだ4年しかたっていないという「リアルタイム」に、このドラマが制作されたのだが、実にストレートに、戦後の沖縄の苦悩が描かれており、見ていて切なくなる。

すごいと思ったのは、ドラマの中で、公然と米国批判が行われているということである。このドラマでは、米兵が徹底的に悪人として描かれている。いまではとてもこのような表現はできないだろう。

しかも批判の矛先は、米国だけではなく、沖縄に対して無知で無邪気な本土の政府官僚に対しても向けられている。

批判することを自粛しているいまのテレビ局の状況では、決して放送できない内容である。

印象的なのは、事件を追って東京から沖縄にやってきたGメンの女刑事・響刑事(藤田美保子)と、地元沖縄の安仁屋刑事(川内民夫)との会話である。

Hib東京からやってきた響刑事は、戦後の沖縄が置かれてきた状況を、まったく知らない。

米軍の占領下だったころの沖縄で、二人の沖縄の女性が二人の米兵により強姦される事件が起こったが、米国の軍事法廷は、無罪の判決を下した。

その事実を知った響刑事は、なぜそのとき沖縄の警察は彼らを逮捕できなかったのかと、安仁屋刑事に詰め寄るのである。

響「二人とも裁判にかけられなかったんですか!あなたがた沖縄の警察は二人の米国人を逮捕しなかったんですか!」

安仁屋「君は何も知らないようだ。4年前ここは、米軍の占領下にあったんですよ」

響「それにしても…」

安仁屋「本当に何も知らないんですね。君は」

響「……」

安仁屋「当時米軍関係者が犯した事件は、小さな交通事故一つにしろ、沖縄人が処理できず、米軍のカーテンの彼方に持ち去られてしまったんです。だからカーテンの中で行われた軍事裁判が、どんなインチキなものか…。本土の人間にわかるはずがない!」

響「……」

安仁屋「あなたは、高等弁務官布令第23号というのを知っていますか?」

響「…(首を横に振る)」

安仁屋「1959年に、この沖縄は当時は琉球といったが、われわれ沖縄人を縛りつけるために、アメリカ高等弁務官が出した刑法です。その9条の(イ)にこう書かれている。

『合衆国軍隊の要員である婦女を強姦し、また強姦する意志をもってこれに暴行を加えた者は死刑』

我々沖縄人が、アメリカの軍人の妻や娘に暴行すれば死刑。逆に、アメリカの軍人が沖縄の女に暴行しても無罪。これほど沖縄民族を馬鹿にし、蔑み、公然と人種差別をうたった刑法がどこの世界にあるんですか!」

私はこのドラマで初めて、高等弁務官布令なるものの存在を知った。

東京のエリート刑事である響刑事は、沖縄のことをまったく知らない、浅はかな刑事として描かれている。その様子は間抜けで滑稽ですらある。

しかし私は、無知な響刑事を嗤うことはできない。

あの無知で浅はかな響刑事は、私の姿でもあるのだ。

いったい今、どれほどの人が、響刑事を嗤うことができるのだろうか?

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在庫なし

6月22日(月)

たぶん、お医者さんや薬剤師さんは1人もこのブログを読んでいないと思うので書くのだが。

かかりつけの病院に行って、「いい思い」をしたことが一度もない。

どちらかといえば不愉快な思いをすることのほうが多い。

今日の夕方、薬をもらいにかかりつけの病院に行った。

平日は仕事をしているし、職場も遠いし、家事もやらなきゃいけないしで、時間を見つけてかかりつけの病院に行く機会がなかなかない。それでも、薬を切らしてはいけないから、月に一度は病院に行かなくてはならない。

いつも思うのだが、医者の先生は私の顔を見ずに、パソコンの画面のほうを向いて私に話しかける。

そもそも月に1度、1分程度、目を見ずに話したところで、いったい俺の何がわかるというのだ?

ところで今日は、前回の血液検査の結果が出たみたいで、パソコンの画面にあらわれた血液検査の結果を見ながら、医者の先生が言った。

「数値が下がりませんねえ。薬は飲んでいるんでしょう?」

「ええ」と私。

「おかしいわねえ。いつも強い薬を出してるんだけど」

いま飲んでいる薬が、かなり強い薬であることは、私も知っていた。

「たまに薬を飲み忘れることがあるので、たまたまそのときに血液検査をしたから、数値が下がらなかったのではないでしょうか」

と私は言おうとしたが、もしそれを言うと、「なんで薬を飲み忘れるんですか!」と責められそうだったので、言うのをやめた。

医者の先生はパソコンをカタカタと動かして、何らかの結論を得たようだった。

「薬を変えてみましょうか。いま、1日1錠を飲むタイプの薬でしょう?」

「ええ」

「朝と晩に1錠ずつ飲むタイプの薬が新しく出たんですよ。それを試してみましょうか」

オイオイ、それじゃまるで人体実験じゃないかよ!

私が断る間もないまま、医者の先生はパソコンをカタカタと動かした。

どうやら、処方箋を作っているようだ。

数値が下がらない原因を、薬のせいにして、それを別の薬で解決しようとしている。

もちろん現代医学では正しいセオリーなのだろうが、どうも納得がいかない。

じゃあいままでその薬で数値が下がっていた事実は、どう説明するんだ?

それに、新しい薬が私に合うのかどうかもわからない。

これではまるで手探りではないか!

しかし、薬を飲まなければ数値が下がらないのだから、背に腹は替えられない。

いまはこの医者の先生にすがるしかないのである。

支払いを済ませ、すぐ近くの薬局に処方箋を持っていった。

「これお願いします。…あ、またおくすり手帳忘れました」

「そうですか。ではとりあえず今日1冊作りますので、後日お持ちの手帳を持ってきていただければ、1冊にまとめます」

もう何冊たまったんだ?おくすり手帳

夕方7時過ぎをまわっていて、薬局はお薬を受け取る人たちでごったがえしていた。

「ただいま混んでおりますので、お出しするまでにお時間をいただきます」

「わかりました」

座って待っていると、しばらくして、薬剤師さんが私のところにやってきた。

「今回のお薬、前のお薬とは違うタイプのお薬ですよね」

「そうです。医者の先生に、薬を変えるように言われました」

「お体に合わなかったのですか?」

「いえ、そういうわけじゃないです」

「あのう…たいへん申し訳ないのですが、今回のお薬、いまうちに在庫がありませんで…」

「ええぇぇっ!!在庫がないんですか?」

私は驚いた。いままで薬をもらいに行って、在庫がないと言われたのは生まれて初めてである。

薬局に薬の在庫がないなんてことがあるのか?

「なにぶん新しく出たお薬でして…」

最近出たばかりの新薬なので、まだこの薬局では扱ってなかったということらしい。

ほらみたことか!医者の先生がいたずらにというか気まぐれにというか、新薬に変えてしまったものだから、薬局にもまだ置いていないという事態が起こったのだ!

「だったら、前に飲んでいた薬でいいです」

と、喉元まででかかったが、言うのをやめた。だいいち、医者の先生の処方箋を無視して、患者である私が薬を変えてくれと言ったところで、無駄な抵抗である。

「後日取りに来ていただくことは可能でしょうか?」と薬剤師さん。

「次にいつ取りに来られるかわからないので、できれば今日のうちに…」と私。

「わかりました。いま、近くの薬局にあるかどうか聞いてみます!」と言って、薬剤師さんは奥の部屋に入っていった。

それにしても、と考える。

私のように1日2日、薬を飲まなくても何とかなるようであれば問題ないだろうが、これが1日でも薬を飲み怠ると大変なことになるような症状を抱えている人だったら、どうなのだろう?在庫がないので待ってください、というわけにはいかないのではないだろうか。

しばらくして、薬剤師さんが再び私のところに来た。

「すみません。近くの薬局にも在庫がなかったんですけど、幸い問屋さんと電話が通じまして、明日の午前中に持ってきてくれるとのことです」

「そうですか」薬の問屋さん、というのはどういうところなのだろう、と一瞬思った。

「ですので、明日の午後にはお渡しできると思うのですが、明日の午後以降に来ていただくことは可能でしょうか?」

「わかりました。明日時間を見つけてこちらにうかがいます」

…ということで、結局薬の受け取りは明日ということになった。

帰り道、ずっと考えていたのは、

「薬局に、処方箋に書かれた薬の在庫がないというケースは、どのくらいレアなことなのだろう?それとも、よくあることなのだろうか?」

ということと、

「医者に根気よく通い続けるには、まず体力と気力が必要だ」

ということだった。

そういえば思い出した。

今日、病院の待合室で待っていたら、受付の人たちが話していたのが聞こえた。

「いま○○さんから電話があってね。今日は診察を予約していたんだけれど、体調がすぐれないので来られないんですって」

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ヤメゴク

録画していたTBSテレビのドラマ「ヤメゴク」を最後まで見た。

主演の大島優子がよかったのと、それを支える北村一輝が、「クドくてオーバーな演技であるにもかかわらず、ちっとも鬱陶しくない」という絶妙な線を行っていて、私としてはツボにはまったのであった。

やくざとかかわり、それに苦しめられた過去を持つ警察官の麦秋(大島優子)が、一人でも多くのやくざを極道の世界から「足抜け」させようと、時にかなり強引な方法でやくざを追い詰め、足抜けを実現させてゆく。

それだけではなく、麦秋は「ある極道の人物」の逮捕のために、なりふり構わない方法で突っ走ってゆく。

しかし麦秋が自分の過去にこだわるあまりに突っ走るその行動は同時に、他者への想像力を失わせ、周囲の多くの人たちを傷つけてゆく。麦秋の思いを実現していく過程で、その犠牲は彼女を心配する人たちにまで及んでゆく。

物語の最後で麦秋はそのことに気づき、過去から「足抜け」すべきは、ほかならぬ自分自身だったのだと悟る。

麦秋役の大島優子は、自分の背負ってきた過去への思いをまじめに貫徹しようとしたが故に多くの人たちを犠牲にしてしまったことへの苦悩と、そしてそれを克服していこうとする成長の様子を、見事に演じていたと思う。

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腰痛自転車クラブ

6月20日(土)

先週の土日は、新幹線と私鉄の「観光特急」を乗り継いで3時間かけて海女さんの取材に行ってきたので、2週間ぶりの「吹きだまり自転車部」である。

今日は川沿いの道を走って、臨海公園をめざす。

ただし、まだ少し腰が痛いので、無理は禁物である。

まず出発点の目印となる常夜灯。

Photo

ここから川に沿って、ひたすら海に向かって進む。

すると、1時間もたたないうちに、東京湾の河口付近に突き当たった。

2

ここで右に曲がり、進んでいくと、見たことのある火山が目の前にあらわれた。

2_2

夢の国だ!

臨海公園に行こうとして、夢の国に着いてしまった。

地図を持っていないとこれだから困る。

だがせっかくなので、夢の国のまわりを少し走ることにした。

初めて知ったのだが、夢の国のホテルのすぐ近くに、駐輪場があるんだね。

考えてみれば、自転車で夢の国に遊びに来る人もいるのだろうから、駐輪場があって当然といえば当然である。

Photo_2

先日来た時、海辺のサイクリングロードがあまりに気に入ったので、今回もそこから東京湾を眺めることにする。

まずは、東京ゲートブリッジ。

Photo_3

臨海公園とスカイツリーをのぞむ。

Photo_4

そして、空港が近いせいか、頭上ではひっきりなしに飛行機が行き交う。

Photo_6

気を取り直して、臨海公園に向かう。川を渡ると、すぐに着いた。

Photo_7

臨海公園だけあって、すぐそこが海である。

Photo_8

公園内を自転車で走っていると、川をはさんだ反対側に、ついさっき訪れた夢の国のホテルが見えた。

2_3

「お城」と「火山」も見えた。

Photo_9

ということで本日の目的を終え、帰途につく。

いつも思うことだが、道中、ロードバイクに乗っているオッサン、しかも太ったオッサンが、かなりいる。

ご同慶の至りであることこの上ないのだが、たぶんオッサンは、休日になると家の中に居場所がないんだろうな。

ロードバイクで走っていれば、家にいて煙たがられることもないし、外の風は気持ちいいし、健康的だし、場合によっては痩せるかも知れないしと、いいことずくめである。

家にいるのが居たたまれない太ったオッサンにとって、ロードバイクは最高の趣味だと思うのだ。

今日は9時半から12時半間での、3時間の部活でありました。

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研究立志篇

久しぶりに映画「男はつらいよ」のお話。

「男はつらいよ」第16作「葛飾立志篇」(1975年公開)。

大学で考古学を専攻する研究者の礼子(樫山文枝)が、ふとしたことから、寅次郎の実家である柴又の「とらや」の2階に下宿することになった。

旅から帰ってきた寅次郎は、2階に下宿する礼子のことが気になってしかたがない。

礼子さんは、いったいどんな人なのか?

それを妹のさくら、さくらの夫の博、そしておばちゃんに聞くのである。

以下、その場面。

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寅「…コウコ学??コウコ学ってなんだい?親孝行の学問か?」

さくら「孝行じゃないの」

寅「え?」

さくら「考古」

寅「コウコ?」

さくら「うん、つまり古い時代の学問よ」

寅「古いって言うとあれか、カチカチ山とか桃太郎とか」

博「違いますよ、何千年も前の昔のことを、地面をほじくり返して調べるんですよ」

寅「あー、よく昔の金持ちが埋めたっていう千両箱を…。え?あの人、女のくせにそんなことやってんの?」

さくら「そうじゃないのよ」

寅「なんだよぉ~」

さくら「大昔の人が使ったね、こういうお茶碗のかけらとか石のやじりとか、そういうものを探すのよ」

寅「そんなもん探してどうするんだい?」

さくら「研究するのよ」

寅「研究してなにになんだよ?それが」

さくら「知らないわよ!、そこまで」

寅「なんだよ!」

おばちゃん「わかんない男だねえ~、そうやって偉い学者の先生たちがいろいろ研究してくださってるからこそ、私たちがこうやって平和に暮らしていられるんじゃないの」

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最後のおばちゃんのセリフ、今聞くと、心にグッと突き刺さる。

学者は、自身が好むと好まないとにかかわらず、ありがたい存在にならなければならない。

「偉い先生たちがいろいろ研究してくださってるからこそ、私たちがこうやって平和に暮らしていられるんじゃないの」

この言葉は、おばちゃんの根拠なき幻想に過ぎないかも知れない。

だがおばちゃんのこの言葉を、おばちゃんの幻想にとどめてはいけない。

それにふさわしいことを、学者はしなければならないのだ。

いまはどうだ?

学者の意見が、政治家や官僚によって平気で軽んじられる世の中だ。

政権与党のある政治家は、こんなことを言った。

「憲法調査会の場でおのおのの考えを自由に述べていただくことは結構なことであります。私たちとしても、自分たちと異なる意見を持つ方々も尊重します。その一方で、私たちは、憲法を遵守する義務があり、憲法の番人である最高裁判決で示された法理に従って、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、自衛のための必要な措置が何であるかについて考え抜く責務があります。これを行うのは、憲法学者でなく、我々のような政治家なのです」

「憲法の番人は、最高裁判所であって、憲法学者ではありません」

ずいぶんと学者もなめられたものだ。しかもこの政治家は、「立憲主義」という言葉を意図的に悪用することに、何の躊躇もしていない。学者の意見を無視すると、こういう破綻した論理が跋扈する世の中になるという見本のような発言である。

学者はこれに、繰り返し反論しなければならない。

もう一度書く。

「研究してなにになんだよ?」

「学者先生たちがいろいろ研究してくださってるからこそ、私たちがこうやって平和に暮らしていられるんじゃないの」

いまこそ学者は、すべての力を結集してその理想に近づくべきである。

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腰痛現場主義

6月17日(水)

朝、在来線特急で3時間ほどかけて、ある町へと向かう。

昨年だったか、私の本を読んだという大工さんから突然電話がかかってきて、「ぜひいちど現場に来てください」と言われたのだった。

「はいわかりました」と言ったものの、忙しかったこともあり、なかなか行くきっかけがつかめなかった。

先々週だったか、その大工さんから、連絡をいただいた。

「そろそろ現場が佳境ですので、ぜひ見に来てください」

ということで、今日、日帰りでその現場を見に行くことにしたのである。

昨日の重苦しい会議がすっかりとストレスになり、朝から腰痛がひどかった。かがむことはもちろん、歩くこともしんどかったが、だが休むわけにはいかない。

10時半、3時間かかってようやく目的地の駅に着き、大工のSさんの車で現場に向かう。大工のSさんは、アラ還くらいの年齢のオジサンである。

Sさんとは初対面だったが、とても物腰が柔らかく、それでいて気さくな方だった。

いつも思うのだが、職人さんは、意外と物腰が柔らかい人が多くて、初対面であっても、話していて安心する。経験に裏打ちされた職人さんのお話は、実に的確で、わかりやすい。

道を究めた人のお話というのは、面白いのだ。

話術だけが、話を面白くするのではないことを、痛感する。

午前中、現場事務所であれこれとお話ししていると、私がこれまで手がけた仕事と、Sさんがこれまで手がけた仕事が、いろいろなところでつながっていたことが判明して、実に不思議な気持ちになる。

初対面なのに、まったくそれを感じさせないのは、そういう目に見えない「縁」のようなものがあったからではないだろうか。

昼食後、

「では現場に行きましょう」

とSさん。

「現場はどこですか?」

「この山の上です」

Photo見上げると、階段がある。

どうして腰痛の日に限って、こんな高い山に登るんだ?

Photo_2ヒイヒイ言いながらようやく山に登り、現場に到着する。

「じゃあ今度は、足場に登りましょう」

足場が組んであって、その足場を、上に行ったり下に行ったりして、現場をくまなく歩く。

2_2何層にもわたって組まれている狭い足場を上へ下へと歩き回るのは、汗かきで腰痛のデブにとってはかなり至難の業である。

(イタタタタタタ…)

腰は痛いし、汗は滝のように流れてくるしで、心が折れそうになったが、Sさんと現場でお話しするうちに、次第にいろいろなことがわかってきて、実に有意義な取材になった。

Photo_3山の上の現場から、再び下の現場事務所に戻る。川に落ちたような汗の量になった。

「今日はありがとうございました。やっぱり現場に来てみないとわからないことがたくさんありますね」と私。

「こちらこそありがとうございました。こうやってお話ししてみると、いろいろなことがわかってきたりして面白いですねえ」とSさん。

短い時間だったが、本当に有意義な取材だった。

こうやってこれからも、日本中を旅して、そこでお会いした初対面の人にいろいろとお話を聞いて、そんな感じで一生を過ごせたら、どんなに楽しいことだろうと、こういう調査をするたびに思う。

ただし今回の取材でひとつわかったことは、私は大工の孫にもかかわらず、大工に向いていない、ということである。

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サラダ記念日

「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」

有名な俵万智の歌集「サラダ記念日」。

この歌がなぜ好きなのかというと、

「記念日なんて、そのていどのものだぜ」

と思わせてくれるからである。

記念日が、あまり好きではない。

というか、記念日にこだわる人が、あまり好きではない。

それは結婚記念日とか妻の誕生日とかを、うっかりと忘れてしまうことを正当化しているに過ぎないのではないか、という批判があるかも知れない。

その批判は当たっているが、それがすべてではない。

妻も、少なくとも表面上は記念日をあまり気にしない人なので、こちらとしてもとてもリラックスできるのだ。

別に記念日でなくとも、美味しいものを食べに行きたければ、食べに行けばよい。

別に記念日でなくとも、感謝したい時に感謝すればよい。

冒頭のサラダ記念日の歌は、

「今日たまたまサラダを作ったら、『君』が美味しいと言ってくれて嬉しかった」

といっているに過ぎない。

まさかこの人はその後、毎年7月6日にサラダを作って「君」に食べさせるのだろうか。

「どうして今日サラダなの?」

「だって、サラダ記念日だから」

もし私が「君」の立場だったら、「サラダを美味しいと思う自由」が奪われたような気がして、ちょっとゾっとする。

考えすぎか?

ただ、誕生日プレゼントは素直に嬉しい。

なんでもない時にもらうプレゼントも嬉しい。

というか、プレゼントは何でもうれしい。

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取り残された感じ

アナログな友人が、いつの間にかLINEをはじめていると聞いた。

ちょっと取り残された感じがする。

少し昔の例でいえば、

「スマホなんて持っていてもしょうがないから、俺たちはガラケーを持ち続けようぜ」

と言っていたのに、いつの間にかその友人の携帯電話がスマホに変わっていて、「取り残された感」を味わうような感じ、とでも言おうか。

人は無意識に、何の根拠もないのに、自分の基準となる人を設定するものである。

「あいつが結婚しないうちは、俺も結婚しなくても大丈夫だな」

などと安心していると、急にその友人が結婚してトントン拍子で家庭を築くようになる。

そうなると自分は、取り残された感じになる。

いまの私には、LINEがそれにあたるのだ。

それだけではない。

先日、夜中に高校時代の友人から携帯メールが来た。

件名が「大ニュース」となっている。

何だ何だ?何事だ?と思って見ると、

「○○から連絡が来た!お前のアドレスを○○に教えてもいい?そもそもこのアドレス生きてるのか?」

と書いてある。

○○、というのは高校時代の友人で、大学を卒業して社会に出てから、音信不通というか、行方不明になっていた。風の噂では、かなり波瀾万丈な人生を送っているらしかったが、現在の彼を知る者は、誰もいなかった。

その○○から、その友人のもとに連絡が来たというのである。

私はビックリして、すぐに返事を書いた。

「アドレス生きてるよ。連絡先教えてもかまわないよ」

この場合の「連作先」とは、携帯電話のメールアドレスのことである。

するとすぐに、その友人から、

「サンキュ!」

とだけ返事が来た。

よくよく考えると、なぜ何十年ぶりに、その友人のもとに○○から連絡が来たんだろう?わからないので聞いてみることにした。

「そもそもなんで連絡が来たの?」

すると友人からまたすぐ返事が来た。

「FBにいきなり」

FB、つまりFacebookのことか。今どき、私の年代でもたいていの人はFacebookをやっているだろうから、それじたいは驚くべきことではない。

それよりも驚いたのは、「サンキュ」とか「FBにいきなり」とか、友人の返信は実に短い。これも最近流行の文体なのだろうか。

私はまた返事を書いた。

「なるほど、FBをやっているとそんなこともあるのか」

すると友人からすぐに返信が来た。

「良くも悪くもね。なりすましだったりして…(>_<)」

相変わらず短い。それに顔文字も入っている。やはり最近のメールは、短く書くのが吉なのか???

私はまた返事を書いた。

「なりすますメリットがよくわからない(笑)。LINEくらいは始めようかと思う今日この頃だが、そもそもまだガラケーなのでいかんともしがたい(笑)」

私は古い人間なので、顔文字ではなく、つい「(笑)」を使ってしまう。

すると、しばらくして返事が来た。

「(^▽^)」

何だ何だ?ついに顔文字だけになってしまったぞ!

これはもう、このあたりで終わりにしようや、という合図だろうと理解し、これ以上返信を書くのはやめた。

そこでハタと考える。

友人のメールの返信は、なぜこんなに短いのか?

それは、彼自身がLINEをしているから、短い返信を書くことに抵抗がなくなったのではないだろうか?

そう思ったら、今どき携帯メールでこんなやりとりをしていることじたい、彼にとってはまどろっこしくて仕方なかったのではないだろうか?

またしても、「取り残された感」である。

さて、せっかく連絡先を教えたのにもかかわらず、長年行方不明だった○○からは、まだ連絡が来ない。

きっと携帯メールのアドレスを教えられて、

「今どき連絡先が携帯メールのアドレスかよ。ふつうはFBかLINEのアカウントだよな。連絡するのめんどくせえ」

と思っているに違いない。

さあどうする?俺。

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あまさん

6月13日(土)~14日(日)

海の町に出張し、海女さんを取材した。

海女さんが経営する民宿に泊まり、翌朝、海女さんに案内されて、漁場に行く。

民宿の海女さんは、おばあさん、といっていい年齢の方である。軽トラックに男の子の孫二人を乗せて、私たちの車を先導し、漁場に向かった。

民宿の海女さんは、今日は漁に出なかったのだが、知り合いの海女さんが漁に出るということで、連れていってくれたのである。

その日、海女さんが漁に出るかどうかは、その日になってみないとわからない。今日は天気も悪くなく、海も穏やかなので、何人かの海女さんが漁に出たのである。

Photo漁場に着くと、すでに何人かの海女さんは漁をはじめていた。

その景色を遠くに眺めながら、民宿の海女さんの説明が始まった。

「私ら、小さい頃から海に潜ってますねん。そやから自然とこの仕事をするようになりましてん」

おばあちゃんに連れられて散歩しているこの二人の孫も、いずれは海の仕事に就くのだろうか、と私は想像した。

民宿の海女さんの話は聞いていてとても面白かった。

「1月と2月は、漁はお休みです。旅行へ行くんやけども、どこへ行くにも、あんまり美味しいものには興味あらしまへん。いつも美味しいお魚を食べとるからね。そやから私らにとっては、温泉が一番の楽しみなんです」

遊歩道のような道を歩いて、見晴らしのいい丘の上に着いた。

Photo_2すると、小さな石仏がいくつも、海のほうに向かって立っている。

「これは、お墓ですか?」

「そうです。遭難した海女のお墓です。お墓といっても、本当のお墓は別のところにあります。でもこうして海が見える場所にもうひとつお墓を作ってあげれば、仲間たちもいつでも海を見ることができるでしょう」

「たしかに、どのお墓も海のほうを向いていますね」

「私らにとっても、こうすることで、死んだ仲間のことを忘れないのです」

「なるほど」

「私らには、決まりがあります」

「どんな決まりですか?」

「毎月の7日と17日は、どんなにいい天気で、波が穏やかでも、漁に出ない、という決まりです」

「それはどうしてです?」

「7日と17日は、遭難した仲間を供養するために、漁に出ないのです」

「どうして7日と17日なんです?」

「海女が遭難するのは、なぜか7日と17日が多いんです。それで私らも、この日は海に出ずに、仲間の供養をすることにしとるんです」

7日と17日に遭難することが多い、というのは、本当だろうか?と、聞いていた誰もが訝しんだ。およそ科学的とはいえない話である。

しかし、7日と17日というふうに日にちを決めることで、月のうちこの2日は、死んだ仲間のことを思い出すのである。たとえそれが科学的とはいえなくとも、結果的には事故に遭わないように心がけるための合理的な方法であることには違いない。

「ちょっと、ごめんなさい!」

話の途中で、突然海女さんが大声を出した。

「孫が、うんちしたい言うてるんです!ちょっと孫をトイレまで連れていきます。話が途中でごめんなさい!」

そう言うと、孫を連れて一目散に見晴らしのいい丘を駆け下り、トイレへと走った。

孫は、間に合っただろうか?

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原点は青森

6月11日(木)

ここしばらくJR東日本の新幹線に乗っていなかったが、久しぶりに乗ってみたら、「トランヴェール」の巻頭エッセイが、山田五郎さんに変わっていた。

連載のタイトルは「旅先はアート日和」。今月号のエッセイのタイトルは、「ナンシー関の照れ笑い」というものだった。

ナンシー関、亡くなって13年たつのか。

いまから7年ほど前、出張で訪れた町のデパートで「ナンシー関 大ハンコ展」というのをやっていて、仕事が終わったあと、その展覧会を見に行った。

そのあと、本のリサイクルショップでナンシー関の書いた文庫本を手に入るかぎり集め、徹底的に読んだことがある。

しかしその文庫本も、昨年の引っ越しのときに全部売ってしまった。惜しいことをしたと思う。

話を山田五郎さんのエッセイに戻すと。

いまから30年前、当時山田五郎さんが担当していた雑誌の編集部に、青森から出てきたひとりの女性があらわれる。「大きな体で小さな消しゴムをつまみ、カッターナイフ1本で、あっという間に味のある版画を彫り上げる」。彼女の作品は雑誌に採用され、そればかりではなく、並外れた観察眼の鋭さから、抜群のテレビ評、芸能人評を書くようになり、多くの読者を獲得するようになる。ナンシー関の誕生である。

編集者としての山田さんは、ナンシー関の作家性に絶大な信頼を寄せ、価値観を共有し、やがて二人はかけがえのない友人となっていく。亡くなって13年たってもなお、ナンシー関に対する山田さんの友情は変わらない。

「あれから13年たった今も、芸能人が何かしでかすたびに『ナンシー関ならこう言ったはず』と想像する人が後を立たない」と山田さんは書く。私も、そのひとりである。ナンシー関の没後、その文体をまねたテレビ評が週刊誌に次々とあらわれたが、誰もナンシー関には及ばなかった。たぶん多くの人が、「タモリロス」ならぬ「ナンシー関ロス」を味わったのだと思う。

久しぶりに手に取った「トランヴェール」で、ナンシー関に対する友情に満ちた山田さんの文章を目にしたというのも、何かの縁かも知れない。

このエッセイで「なるほど!」と思ったのは、ナンシー関の「消しゴム版画」の原点は、同じ青森出身の版画家・棟方志功だったということである。ナンシー関にとって、子どもの頃から版画は日常の中に存在していたのである。。

以前にもこのブログに書いたことだが、ナンシー関は、矢野顕子のベストアルバム「ひとつだけ」によせて、こんな文章を書いている。

「『ひとつだけ』は、矢野顕子の歌唱する力を改めて認識させてくれる曲だと思う。

ハマリすぎなので言うのが、ちょっと恥ずかしいくらいだけど、「ひとつだけ」の入っているアルバムを、上京したての浪人の時に本当によく聴いた。そのうえ、それまで矢野顕子の曲は黙って聴くものだと思っていたのに、いつも一緒に歌ってたりした。別に都会のコンクリートジャングルは冷たいとか思っていたわけではないんだけど」

これだけの文章だが、ナンシー関にとって矢野顕子は大きな存在だったことがよくわかる。

そして矢野顕子も、青森出身である。

青森出身のナンシー関は、同じ青森出身の棟方志功や矢野顕子の影響抜きには、語れないのではないだろうか。

…と、青森出身の祖父母をもつ私は、そう考えるわけです。

ナンシー関が39歳の若さで亡くなったのは、2002年6月12日のことだった。

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文系学部の矜持

6月10日(水)

いま、国会でやってる安保関連法案の審議。

あれって、絶対に大学の教材になると思うんだがなあ。

いま私がかなり力を入れて聴いているTBSラジオの荻上チキ「セッション22」は、ポッドキャストで聴けるので、思考停止に抗おうとする方は聴いた方がよい。

昨日(6月9日)のゲストは、憲法学者の長谷部恭男さんと木村草太さんだった。

長谷部恭男さんは、憲法審査会に、与党の推薦者として招かれ、発言したが、安保関連法案が憲法違反であると発言して、つい最近、話題になった。

私も以前、憲法に関する長谷部さんの新書を読んだが、たぶん長谷部さんのふだんの主張を知っていれば、長谷部さんが憲法違反の立場を取るのは、至極当然だと考えるはずである。

まあそれはともかく。

ラジオでは安保関連法案と憲法との関係がわかりやすく語られていて、法律学って実は面白い学問だったんだなあ、と思ったりした。

大学のときにまじめに勉強していればよかったと後悔した。

安保関連法案は、憲法や国際法との整合性という問題を、きわめて基礎的なレベルで考えることができる、恰好の素材である。だから、大学の教材としてふさわしいと思うのだ。

その意味では、いまこそ、憲法学者と国際法学者の出番である。絶対にこの機を逃してはならない。

それと、論理学。

野党の質問に対する政府の答弁は、まったく論理的ではない。これは、私の主観ではなく、客観的に見ても、非論理的だと言わざるを得ない。

もし、このまま非論理的な答弁がつづき、法案が成立したとすれば、この国において「論理的思考」とか「論理的なトレーニング」というのは、まったく必要のないものになってしまう、ということを意味する。

また、どんな質問や批判が出されても、それには答えず、判で押したように繰り返し繰り返し同じことを言う。

これは、「ディベート」のルールを根底から覆すものである。こんなことをやっていては、いつまでたっても「ディベート力」は上がらない。

政府側の非論理的な答弁は、これまたきわめて基礎的なレベルで、論理的思考とは何かを学ぶことができる、恰好の素材なのである。

政府の答弁だけではない。質問する野党の側にも注目する必要がある。

各党の質問を注意深く聞いてみると、質問者がこれまでどんな人生を歩んできたかが、よくわかる。

たとえば、野党第一党の筆頭質問者の場合、質問がヘタである。質問がヘタというより、話すのがヘタである。

喋りにまったく論理性がなく、ときに感情的に、上滑りした発言をするので、政府の最高指導者からも野次が飛んできたりする。

たしかに聞いていると、喋りがヘタなのだ。

なぜなのだろう、と考えていくと、私が推測するに、この人は言葉を一つ一つ吟味して丁寧に話すというトレーニングをしてこなかったのではないか、と愚考する。

雰囲気や勢いだけでこれまで生きてきたんだな、ということが、よくわかる。

勢いだけでなんとなく上手くやってきた人は、言葉に対する敬意を払わないから、ぞんざいな言葉の使い方になってしまうのである。

それに対して、別の野党の筆頭質問者は、実に冷静に、論理的に、感情的にならず、一つ一つの言葉を吟味して質問をしていた。

こうした「いい事例」と「悪い事例」を見ることができる野党側の質問は、いま必要とされる「プレゼン能力」を学ぶ上で、恰好の素材である。

ざっと考えただけでもこれだけのことが学べる。ほかにも与党議員が、まるで今すぐにでもどこかから誰かが攻めてくるかのようにおびえながら必死に話す姿を見れば、心理学的な何かを学ぶこともできるだろう。

法律学がこれまで守ってきた法律的思考や、物事を考える根本となる論理的思考、さらには対立する人々とのコミュニケーションの手段としてルール化してきたディベート、といった大学で学ぶべきことが、いとも簡単に、しかも公然と、破壊されていく姿を、リアルタイムでまのあたりにすることができるのである。

賢明な読者諸賢はすでにお気づきのように、この状況は、この国が、法律の整合性だとか、論理的思考だとか、健全なディベートといったことと決別するという意思表示であり、それは、いま政府が進めている、大学の文系学部が直面する危機的状況と無関係ではないのである。

私たちは、そこに未来を見るべきなのか?

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カメアシ

6月8日(月)

「カメアシ」という言葉は、最初は何のことだかわからなかった。

これは業界用語で、「カメラアシスタント」のことだということを、のちに知った。

今日は職場で、その「カメアシ」みたいな仕事をした。

朝から夕方まで、職場の写真スタジオで、専属カメラマンの撮影のお手伝いをした。

私の仕事は、写真のモデルを、次から次へとカメラの前にスタンバイさせること。

なにしろ、モデルの数は多いのだ。滞らないように段取りを組まなければならない。

こちらでポーズを指示したりするのだが、なにぶんこっちは素人。プロのカメラマンさんが少しポーズの手直しをしたりするたびに、

「いいですねえ」

と、つい口をついて出てくる。

よく、カメラマンがモデルに対して「いいねえ」とかいいながらカシャカシャと写真を撮ったりする場面を見るが、あれは自然と口をついて出てくるものなんだな。

午前2時間、午後2時間半の合計4時間半がかかって、ようやく撮影は終了した。

撮影の作業は、地味で、かつ忍耐のいる仕事だと実感した。

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ジョージ・クルーニーで煮しめる

6月7日(日)

実に久しぶりに、劇場に映画を見に行くことにした。

「ピッチ・パーフェクト」にするか、「トゥモローランド」にするか、迷いに迷った末、「トゥモローランド」を見ることにした。

1427959585057「トゥモローランド」は、ジョージ・クルーニー主演のディズニー映画である。

この映画を見たいと思ったのは、町山智浩さんの映画解説ですでに予習していたからである。予習をした上でこの映画を見ると、この映画のもつ深みが、よくわかる。以下、町山さんの受け売り。

1960年代の子どもたちは、バラ色の未来を描いていた。

たとえば、「鉄腕アトム」がアニメ化されたのが、1963年から1965年。

ここで描かれる未来の町は、実に清潔で整然とした町である。

Kuucyuuこのころ、子ども向けの雑誌に「未来の都市」として必ず描かれたのが「真空チューブ列車」である。

1964年のニューヨーク万博は、そうしたバラ色の未来がテーマだった。

このころ、ウォルト・ディズニーは、「トゥモローランド」という壮大な計画を考える。

それは、フロリダの一角に未来都市を作り、そこに2万人ほどの人を住まわせて、「未来の生活とはどのようなものか?」を実験する、というものだった。

ウォルト・ディズニーは、この計画を実現しようと、実際に土地の購入までおこなっていたのだが、1966年のウォルト・ディズニーの死とともに、その計画は頓挫する。

これじたいは本当の話である。映画は、この話をモチーフにしている。

ところが1970年代以降、未来はバラ色ではなくなる。

環境破壊が進み、争いが絶えない社会になると人々が考えるようになる。人類は未来に滅亡するのではないかという悲観的な考え方が主流を占めるようになる。

つまり、60年代に子どもだった人と、70年代以降に生まれた子どもとでは、未来に対するするイメージがまったく異なるのである。

はたして未来は、絶望的なのか?それとも希望があるのか?

それが、この映画のテーマである。

主演のジョージ・クルーニーは、この種のファンタジー映画とは相性がいいのかも知れない。「ゼロ・グラヴィティ」もそうだった。

映画が見終わったのが午後3時前。

今日もロードバイクに乗らなくてはならない。なにしろ部活なのだから。

夕方、2時間半ほど、ポタリングをした。

有名な文学碑。

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水上勉の旧居跡の碑。私は「飢餓海峡」「櫻守」が好きである。旧居跡は、いまはある駅前のロータリーになっている。

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そして今日の目的地は、この駅。

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それにしても、いっこうに痩せないのはどういうわけか。

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タイのBEGIN

6月6日(土)

今日は午後から所用があったので、午前中、1時間だけ、ロードバイクで走った。

いつものサイクリングコースである。

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いまは、菖蒲が見ごろである。

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ところで。

告白すると、BEGINの音楽が、そうとう好きである。

BEGINは、デビュー当時はブルース路線を行っていたと思うが、彼らが沖縄色を出したころから、そうとう好きになった。

10年近く前、タイに旅行に出かけた時、タイ・POPのCDを買おうと、バンコクのCDショップを訪れた。

…といっても、私はタイPOPについては、まるで知らない。

ジャケ買いをしようと思い、とりあえず目についたもので、よさそうなものを、買うことにした。

Album_c7a9478cea60ae1d0e0b8165ff475そのうちの1枚が、 Calories Blah Blahのというバンドの「 BIG MAN & a little JAZZ」というアルバムだった。

まったく予備知識はなかった。ただCDジャケットのイラストが、

「なんとなく、タイのBEGINといった感じだな」

と思い、衝動買いしたのであった。

タイでどれくらい人気のあるグループなのかも、知らない。

日本に戻り、このアルバムを聴いてみると、私が漠然と想像していた感じの音楽で、すぐに好きになった。

特に好きなのは、このアルバムの1曲目の

น้ำเต็มแก้ว」

という曲である。

しかし悲しいことに、私はこの曲のタイトルの意味がまったく分からない。

もちろん、歌詞の意味もまったく分からない。

たぶんこれから先も、まったくわからないだろう。

しかし、私にとっては、この曲が私の「テーマ曲」である。

この音楽のような人生にしたい、と思った。

もし私がラジオ番組をもつことになったら、と妄想するたびに、番組のテーマ曲はこれにしようと決めている。

では、お聴きいただきましょう。 Calories Blah Blahで、น้ำเต็มแก้ว」です

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図太い奴、危険な賭け

子どもの頃見たドラマで、いまだに鮮烈に記憶に残っているものがある。

小学生の頃に見た、テレビ朝日の土曜ワイド劇場で放映された「図太い奴、危険な賭け」というタイトルのドラマである。

小学生の頃、土曜日の夜9時といえば、TBSの「Gメン75」か、日本テレビの「土曜グランド劇場」のどちらかを、必ず見ていた。だから「土曜ワイド劇場」を見ることは、ふつうはありえなかった。

にもかかわらず、このドラマを見たのは、理由がある。

それは、主演が坂上二郎だったからである。

小学生の頃の私は、二郎さんのファンだった。とくに、坂上二郎が人情派刑事を演じたTBSテレビの「明日の刑事」というドラマが好きで、毎週見ていた。

その二郎さんが、土曜ワイド劇場に主演するというのを知って、この2時間ドラマを見ることにしたのである。

しかもその役柄は、ふだん二郎さんが演じている「善人」ではなく、「悪人」だったのである。

それは、こんな内容だった。

町の小さな散髪屋を切り盛りする男(田村亮)のもとに、ひとりの客(坂上二郎)が訪れる。ヒゲをあたってくれという。

客のヒゲを剃っていると、客は散髪屋の男にあることを言う。

その客は、散髪屋の男がかつて犯した、ひき逃げの一部始終を目撃したというのである。

それからというもの、毎日その客は、散髪屋にあらわれた。

そしてヒゲを剃るたびに、客はひき逃げのことを言って男をゆする。男は、客に金を渡すようになる。その額もどんどん高額になってゆく。

毎日毎日、ヒゲを剃りにやってくる、悪魔のような客。

ついに男は、たえきれなくなり、ヒゲ剃りの途中、カミソリで客の頸動脈を切ってしまう。

客は男に「俺が動いたせいだと言え」と言って、死んでしまうのである。

男は殺人の罪には問われず、業務上過失致死で執行猶予付きの有罪となった。

その後、男のもとに、殺された客の妻が訪れ、その客が男に宛てた遺書を渡す。

遺書には、

「自分は役者だが、仕事がなく食べていけない。妻と子どもに生命保険を残すために、誰かに殺されるしかないと考えた。そこで、たまたま目撃したあなたの事故を利用させてもらった。いままで何をやっても下手な役者だったが、あなたの前では最高の演技を見せることができた。いままでゆすり取った金はすべてお返しするので許してほしい」

と書いてあり、いままでゆすり取られた全額が同封されていた。

…という内容である。

このドラマが、すごく面白かった。

なにより、坂上二郎の演技が、じつによかったのである。

もともと善人の売れない役者が、散髪屋の男の前では悪役を演じる、というドラマの設定が、「もともと善人役が多い坂上二郎が悪役を演じる」ことと重なって、虚実皮膜の面白さを生み出していたのだ。

あとで調べてみると、このドラマは1978年に土曜ワイド劇場で放送されたとあるから、私がなんと小学校4年のときである!

で、「図太い奴 危険な賭け」で検索をしてみると、このドラマが好きだったという人が、かなりいるということがわかった。

やはり、多くの人の心に残ったドラマだったのだ。

このドラマの原作は、西村京太郎の「優しい脅迫者」という短編小説である。

私は西村京太郎の小説をほとんど読んだことがない。西村京太郎といえば、十津川警部シリーズといった、シリーズものがまず頭に思い浮かぶていどである。

このドラマの原作も読んでいないのだが、西村京太郎は、実は短編の名手だったのではないだろうか、と想像する。

やはり昔見た、円谷プロ制作のドラマ「恐怖劇場 アンバランス」シリーズの一作、「殺しのゲーム」の原作も、西村京太郎の同名短編小説だった(こちらの方は文庫化されている)。これもまた傑作である。

これから少しずつ、昔の短編を読んでいくことにしよう。

そして「図太い奴 危険な賭け」のDVD 化を、強く希望する。

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メンタルヘルスに気をつけよう

6月3日(水)

最近ウツ気味である。

午前、職場で「メンタルヘルスおよびハラスメントに関する研修会」があったので、出席した。前半はメンタルヘルスのお話、後半はハラスメントのお話だった。

このテの研修会に、人がほとんど集まらないのは、いずこも同じである。

講師は臨床心理士の先生である。最初に先生の名誉のために書いておくと、お話自体は、とてもわかりやすく、誠実な内容だった。

だがこれは完全に私の偏見だが、臨床心理士の先生のお話って、どこか「強者の論理」ではないだろうか。

たとえば、人間関係がうまくいかず、気に病んでいる人がいたとする。

臨床心理士の先生は、こんなアドバイスをする。

「相手に対しては、アグレッシブでも、ノンアサーティブでもいけません。アサーティブになることが、人間関係がうまくいくコツです」

しかし、アサーティブになれないから、気に病んでしまうんじゃないだろうか?

…アサーティブって何だ?

まあそれはよい。

それと、ストレスマネジメントが大切なのだそうだ。

・食事や運動や睡眠などで、ストレスに負けない体を作る。

・ON/OFFの切りかえをする。

・受け止め方が、被害妄想的、自虐的、悲観的にならないようにする。

「以上を気をつければ、ウツになる心配はありません」

というのだが、こういったことがなかなかできないから、気に病んでしまうんじゃないだろうか。

なんとなく、

「向かってくるボールにバットを当てれば野球なんて簡単だよ」

と言われるのと、同じような気がしたのだが、これまた私の被害妄想か。

ただ、お話の中でなるほどと思ったことがある。

「元気の出ない考え方」というのがあるそうだ。

・0か100かの思考。

・過剰な一般化 ・肯定的側面の否認

・「すべき」思考

・結論の飛躍、心の先読み

・レッテル貼り

これらはいずれも、「元気が出ない思考」なのだそうだ。

ビックリすることに、全部私にあてはまるではないか!

0か100かの思考」…あぁ、どうせ俺には理解者なんてひとりもいないんだ。

過剰な一般化」…臨床心理士の先生のお話は、みな強者の論理である。

肯定的側面の否認」…気を使って感謝してくれたが、ほんとうはそれほどありがたくないんだろうな。

すべき』思考」…よかれと思ってあんなものを送るべきじゃなかった。

結論の飛躍、心の先読み」…メールの調子が悪い」と言われたということは、「迷惑なのでメールをよこすな」ということだな。

レッテル貼り」…法曹界や医療界は冷たい人が多い。

われながら、「元気の出ない考え方」ばかりしていたことに、呆れてしまった。

しかし、こうした考え方から脱却するにはどうしたらよいのか?

「ものごとの受けとめ方を変えることです」と臨床心理士の先生。

だから、その方法を知りたいんだってば!

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ラジオに救われる

6月2日(火)

TBSラジオ「荻上チキ・セッション22」のポッドキャストを聴く。

5月29日(金)放送の「自衛隊の過酷な実態」は、実に衝撃的な内容だった。

海外に派遣されていた自衛官の54人が自殺していたことが明らかになった。なぜ、自衛隊では自殺者が多いのか?

その背景には、自衛隊の過酷な実態があったと、ジャーナリストの三宅勝久さんは言う。

そこには、組織に巣食う恐るべき「パワハラ」や「いじめ」の実態があった。

まるで野間宏『真空地帯』の世界が、現代にもまだ生きているようである。

上官の命令に逆らえない。

逆らうと、組織の中で居づらくなる。

ときには暴力的な制裁も受けることがある。

仕方なく、上官の理不尽な要求に応えなければならなくなる。

こうして、弱い者が自殺に追い込まれてしまうのである。

だが、どうして自殺に追い込まれてしまうのか、公式的にはまったく明らかにされていない。

いったい自殺した自衛官は、どの部隊にいたのか?原因は何だったのか?

取材をしても、「プライバシー」という理由で、具体的なことは何一つ明かされないのである。

これでは、隠蔽と言われてもしかたがない。

自衛隊で起こっていることは、どの組織でも起こりうる「パワハラ」である。

他人事だと思って聴いてはいけない。

自衛隊が特殊な組織だから、そのような極端な「パワハラ」「いじめ」が横行するのか?

「学校」は「自衛隊」とは違うと、本当に言い切れるのか?

学校だって、自衛隊と同じように、社会の目が届かない閉鎖的な組織であることに、変わりはないじゃないか。

そして学校の中にも、厳然とした序列があるのだ。

社会の目が届かない閉鎖的な空間の中で、パワハラやいじめが起こりやすいことは、これまでの多くの事例からも明らかである。

学校が常識的な組織で、自衛隊が非常識な組織なのか?そんなことはないだろう。

自衛隊で起こっていることは、学校や会社でも起こりうることなのである。

だから決して他人事ではないのだ。

自衛隊は今後、法律の改正によってますます危険な状況に置かれることになる。

国会でも、自衛官の自殺の問題について野党から懸念する意見が出された。

これに対する政府側の答弁は、自衛官の自殺を、組織ではなく個人の問題に矮小化させるものだった。

構造的な問題を、なきものにしたのである。まるで学校に「いじめ」は存在しないと言わんばかりに。

政府側のこの答弁は、この国において私たちの生命や人権が脅かされることを憂うに十分な材料である。

さて、この番組の中でいちばん印象的だったのは、電話出演した岡田尚さんという弁護士の方だった。

岡田さんは、これまで多くの自衛官の訴訟や相談を受けてきたという。

なかでも大きく報道されたのが、「海上自衛隊『たちかぜ』自殺訴訟」である。

護衛艦「たちかぜ」に配属された若き自衛官が、わずか10カ月で自殺してしまったこの事件。なぜ彼は、「たちかぜ」に配属されたとたん、追い詰められてしまったのか?

背景には、艦内における壮絶ないじめがあったことが明らかになったのである。

岡田さんは、そのいじめの実態を丹念に明らかにしていく。そしてその語り口は、実に論理的で明快である。

訴訟は、一審では敗訴したが、二審では訴えが認められた。

「たちかぜ判決」以降、自衛隊内部で相談のシステムが作られるようになったという。

だが、岡田さんはこれを懸念している。次の発言が特に印象的である。

「ただ結局、自衛隊内部の救済機関は、そこに相談に行っても、本当にその人の立場になってさまざまなことを考えたり手立てを講じたりするのがどうしても難しいんですよね。そこに相談に行ったら、『こんなことくらいで何言っとるんだ!』とか、あるいは『こういうことを相談してきたら、お前自身の評価が下がるぞ!』とか、そういう対応がいまでもあるわけです。

私は、内部の中にそういう救済機関があるのがよくないとは言いません。パワハラに対する意識を内部の中にちゃんと植え付けていくシステムは必要です。ただそれですべてが解決するわけではありません。これは構造的な問題ですから、自浄作用で何とかなるということはありません。やはり外からの救済ネットワークみたいなもので中を変えないといけません。

『一人二人の悪いヤツがいた。だからコイツがいじめた。

一人二人のいじめられそうなヤツがいた。だからコイツに集中した』

そういう問題じゃないんですよね。

これは構造的な問題ですから、内部の自浄作用とか意識改革だけでは本当の意味での救済にはならないだろうと思います」

岡田さんのこの発言に私が感動したのには、理由がある。

前の職場で、パワハラやセクハラの規則作りに参加したことがあった

このとき、さまざまな部局の人たちと議論をたたかわせたのだが、実は私の主張は単純だった。

「外部の相談員体制を充実すべきである」

この1点である。

理由は簡単である。部局内でいくら相談窓口を設けたとしても、部局の利害が優先され、相談をうやむやにされたりもみ消されたりする恐れがあるからである(実際そういう事件が起こっていた)。そもそも相談する側は、その部局内でパワハラを受けているかぎり、その部局に対して信頼はしていないものである。

だから、利害関係のない、外部の相談員体制が絶対に必要なのである。

ところが、である。

この私の主張は、当時誰からも理解されなかった。というか、ほとんど気にとめられることなく聞き流された。

ただの一人も、理解者はいなかったのである。

今に至るまで、「外部の相談員制度の充実」は実現していない。

私の主張は、間違っていたのだろうか?

取るに足らない主張だったのだろうか?

そのことでずいぶん悩んだ。

だが私は、ラジオでの岡田さんの発言に救われた。

私が考えていたことは、岡田さんが自衛官の相談を通じて体得した結論と、同じものだった。

私の主張が理解されなかったのは、私の主張が間違っていたからではなかったのだ!

私はラジオを聴きながら、共感できる人がいたことに感謝したのである。

残念だったなあ。

もう3年ほど早く、岡田さんのこのお話を聞いていればなあ。

絶対に、職場のハラスメント防止講演会の講師としてお呼びしたのに。

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