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眼福の先生との調査

6月27日(土)

「眼福の先生」と一緒に調査をするのは、これで何度目だろう?

この土日は、都下のある大学で、「眼福の先生」を含めた4,5人による、「例のもの」の調査である。

「例のもの」は、全国各地に数十点(ひょっとしたら100点近く)現存する。その現物にできるだけ数多くふれ、詳細な調査しようというのが、この調査団の目的である。

1回の調査で、だいたいまる2日はかかる。つまり、土日がまるまる潰れてしまう。

たぶん、ふつうの研究者から見ても、

「そんなことをして、何の意味があるのだ?」

と思われるような調査かも知れない。

まる二日、重箱の隅をつつくような地味な調査が延々と続き、その成果も、ほとんど日の目を見ないことが多いのだが、目に見えてめざましい成果が上がることだけが研究ではない。

この地味な研究を自分の中で続けられるかどうかが、自分が本物の研究者として続けられるかどうかのリトマス試験紙でもあるのだ。

この調査をすると、実に小さな発見がある。実に小さな知的興奮がある。

今日は、「例のもの」に関連した、ある1枚の古い写真が話題になった。

今から80年くらい前に撮影された、1枚の写真。

その写真をじっくり観察して、その写真がどこから撮られたものか、その写真に写っている建物がどんな構造なのか、そして、それが「例のもの」の状態とどのような関わりがあるのかを、みんなで推理していく。

そして、ある1つの仮説に行き着いた。

一見して関係のないような些細な事象を一つ一つ積み重ねていって、今までまったくわからなかった謎が解ける。

これが、この調査の醍醐味である。

ふつうの人から見たら大した発見ではないかも知れないが、重要なのは、その思考のプロセスである。

役に立つ成果を出すことが研究の本質ではない。

それによってものの見方が変わることが、研究の本質である。

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