ジョージ・クルーニーで煮しめる
6月7日(日)
実に久しぶりに、劇場に映画を見に行くことにした。
「ピッチ・パーフェクト」にするか、「トゥモローランド」にするか、迷いに迷った末、「トゥモローランド」を見ることにした。
「トゥモローランド」は、ジョージ・クルーニー主演のディズニー映画である。
この映画を見たいと思ったのは、町山智浩さんの映画解説ですでに予習していたからである。予習をした上でこの映画を見ると、この映画のもつ深みが、よくわかる。以下、町山さんの受け売り。
1960年代の子どもたちは、バラ色の未来を描いていた。
たとえば、「鉄腕アトム」がアニメ化されたのが、1963年から1965年。
ここで描かれる未来の町は、実に清潔で整然とした町である。
このころ、子ども向けの雑誌に「未来の都市」として必ず描かれたのが「真空チューブ列車」である。
1964年のニューヨーク万博は、そうしたバラ色の未来がテーマだった。
このころ、ウォルト・ディズニーは、「トゥモローランド」という壮大な計画を考える。
それは、フロリダの一角に未来都市を作り、そこに2万人ほどの人を住まわせて、「未来の生活とはどのようなものか?」を実験する、というものだった。
ウォルト・ディズニーは、この計画を実現しようと、実際に土地の購入までおこなっていたのだが、1966年のウォルト・ディズニーの死とともに、その計画は頓挫する。
これじたいは本当の話である。映画は、この話をモチーフにしている。
ところが1970年代以降、未来はバラ色ではなくなる。
環境破壊が進み、争いが絶えない社会になると人々が考えるようになる。人類は未来に滅亡するのではないかという悲観的な考え方が主流を占めるようになる。
つまり、60年代に子どもだった人と、70年代以降に生まれた子どもとでは、未来に対するするイメージがまったく異なるのである。
はたして未来は、絶望的なのか?それとも希望があるのか?
それが、この映画のテーマである。
主演のジョージ・クルーニーは、この種のファンタジー映画とは相性がいいのかも知れない。「ゼロ・グラヴィティ」もそうだった。
映画が見終わったのが午後3時前。
今日もロードバイクに乗らなくてはならない。なにしろ部活なのだから。
夕方、2時間半ほど、ポタリングをした。
有名な文学碑。
水上勉の旧居跡の碑。私は「飢餓海峡」「櫻守」が好きである。旧居跡は、いまはある駅前のロータリーになっている。
そして今日の目的地は、この駅。
それにしても、いっこうに痩せないのはどういうわけか。
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