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相談は踊るか

6月28日(日)

眼福の先生との調査、2日目。

調査は無事に終わった。

今回の調査で、眼福の先生が長年考え続けていたことが、ようやく証明される結果となり、最後に先生は、

「万歳!と叫びたいという心境です」

とおっしゃった。これぞ研究の醍醐味である。

それにしても疲れた2日間だった。

帰りの道中で、昨日放送されたTBSラジオ「ジェーン・スーの相談は踊る」のポッドキャストを聴く。

ジェーン・スーが、リスナーのさまざまな悩みを聞き、それに答えるという番組。

今週の「代行MC」(ゲスト)は、脚本家の北川悦吏子さんだった。

いつもは、週替わりにアナウンサーが出演して、「代行MC」として、番組を仕切ることになっていた。

つまり番組を仕切れる人が、「代行MC」という名のゲストとして登場するのである。

今回に限って、ラジオについてのド素人である脚本家が「代行MC」をつとめるのは、ジェーン・スーと北川悦吏子さんが親しい友人で、ジェーン・スーが北川さんをリスペクトしているからであるという。

北川悦吏子さんといえば、「恋愛ドラマの神様」である!

私はどうもそういうドラマが苦手なこともあり、そういった先入観からか、

「いけすかねえ人なんじゃねえか?」

と、ずっと思っていた。

実際、ラジオのオープニングのトークを聴いてみると、

(うーむ。なかなか面倒くさそうな人だ)

という感じがプンプンする。

しかし聴いているうちに、なかなかいいことを言う。

とくに印象的だったのは、番組の最後だった。

番組の最後に、「どうしても言いたいことがある」という。

「(ジェーン・)スーは、リスナーからの相談に真摯に答え、その言葉は心に響くものであるけれど、相談した人は、スーに答えてもらったことを、大事にしすぎてはいけない。スーの答えを、まるで神託のように大事にすることは、相談する側にとっても窮屈なことだし、なにより相談に答えたスーにとっても窮屈である」

「相談する人は、もし友だちが5人いたとしたら、スーの答えを6人目の友だちが言ってくれたことだというくらいに聞き流すのがちょうどよい」

そんなことを言っていた。

ジェーン・スーはそれに対して、

「自分は占い師でもないし、自分は相談にのるためのプロフェッショナルなスキルがあるわけでもないし、自分の言葉は神託でも何でもない。それを言ってくれて気が楽になった」

と言っていた。

これについては、思い出すことがある。

教員稼業をしていたころ、いろいろな悩み相談を受けた。

それに対して、何か気のきいたことを答えなくては、と思い、必死になって考えて、言葉を選んで、答えたりした。

もちろん聞き流してくれる人も多かったが、なかにはそれをまるでご神託のように受けとめる人もいて、それが自分にとってはすごいプレッシャーだった。

(そんなに背負えないよ!)

と思って、こっちの神経がまいってしまうようなこともあった。

むかしどこかで聞いたことがあるが、相談のプロフェッショナルは、その人自身が、たまにカウンセリングを受けることで、精神のバランスを保つのだという。

相談にのるということは、決して、その人が強い人だからではない。

その人もまた、ふつうの人間なのだ。

そのことを痛感していたので、北川さんの言葉が、妙に心に響いたのである。

そして、そのことを気にかけて、言葉をかけてくれる北川さんに、おそらくジェーン・スーは救われたのだろう。

番組の最後でジェーン・スーは鼻をすすっていたが、あれは絶対泣いていたぞ。

北川さんに対する私の偏見が、しだいに消えてゆく。

そして私は気づくのである。

言葉を大切にする人に、悪い人はいないのではないだろうか、と。

帰宅すると、期せずして、同世代の友人の数人から、近況を伝えるメールが来ていた。

異なる場所で奮闘する同世代の友人たちの言葉に、癒やされる。

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