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文系学部の矜持

6月10日(水)

いま、国会でやってる安保関連法案の審議。

あれって、絶対に大学の教材になると思うんだがなあ。

いま私がかなり力を入れて聴いているTBSラジオの荻上チキ「セッション22」は、ポッドキャストで聴けるので、思考停止に抗おうとする方は聴いた方がよい。

昨日(6月9日)のゲストは、憲法学者の長谷部恭男さんと木村草太さんだった。

長谷部恭男さんは、憲法審査会に、与党の推薦者として招かれ、発言したが、安保関連法案が憲法違反であると発言して、つい最近、話題になった。

私も以前、憲法に関する長谷部さんの新書を読んだが、たぶん長谷部さんのふだんの主張を知っていれば、長谷部さんが憲法違反の立場を取るのは、至極当然だと考えるはずである。

まあそれはともかく。

ラジオでは安保関連法案と憲法との関係がわかりやすく語られていて、法律学って実は面白い学問だったんだなあ、と思ったりした。

大学のときにまじめに勉強していればよかったと後悔した。

安保関連法案は、憲法や国際法との整合性という問題を、きわめて基礎的なレベルで考えることができる、恰好の素材である。だから、大学の教材としてふさわしいと思うのだ。

その意味では、いまこそ、憲法学者と国際法学者の出番である。絶対にこの機を逃してはならない。

それと、論理学。

野党の質問に対する政府の答弁は、まったく論理的ではない。これは、私の主観ではなく、客観的に見ても、非論理的だと言わざるを得ない。

もし、このまま非論理的な答弁がつづき、法案が成立したとすれば、この国において「論理的思考」とか「論理的なトレーニング」というのは、まったく必要のないものになってしまう、ということを意味する。

また、どんな質問や批判が出されても、それには答えず、判で押したように繰り返し繰り返し同じことを言う。

これは、「ディベート」のルールを根底から覆すものである。こんなことをやっていては、いつまでたっても「ディベート力」は上がらない。

政府側の非論理的な答弁は、これまたきわめて基礎的なレベルで、論理的思考とは何かを学ぶことができる、恰好の素材なのである。

政府の答弁だけではない。質問する野党の側にも注目する必要がある。

各党の質問を注意深く聞いてみると、質問者がこれまでどんな人生を歩んできたかが、よくわかる。

たとえば、野党第一党の筆頭質問者の場合、質問がヘタである。質問がヘタというより、話すのがヘタである。

喋りにまったく論理性がなく、ときに感情的に、上滑りした発言をするので、政府の最高指導者からも野次が飛んできたりする。

たしかに聞いていると、喋りがヘタなのだ。

なぜなのだろう、と考えていくと、私が推測するに、この人は言葉を一つ一つ吟味して丁寧に話すというトレーニングをしてこなかったのではないか、と愚考する。

雰囲気や勢いだけでこれまで生きてきたんだな、ということが、よくわかる。

勢いだけでなんとなく上手くやってきた人は、言葉に対する敬意を払わないから、ぞんざいな言葉の使い方になってしまうのである。

それに対して、別の野党の筆頭質問者は、実に冷静に、論理的に、感情的にならず、一つ一つの言葉を吟味して質問をしていた。

こうした「いい事例」と「悪い事例」を見ることができる野党側の質問は、いま必要とされる「プレゼン能力」を学ぶ上で、恰好の素材である。

ざっと考えただけでもこれだけのことが学べる。ほかにも与党議員が、まるで今すぐにでもどこかから誰かが攻めてくるかのようにおびえながら必死に話す姿を見れば、心理学的な何かを学ぶこともできるだろう。

法律学がこれまで守ってきた法律的思考や、物事を考える根本となる論理的思考、さらには対立する人々とのコミュニケーションの手段としてルール化してきたディベート、といった大学で学ぶべきことが、いとも簡単に、しかも公然と、破壊されていく姿を、リアルタイムでまのあたりにすることができるのである。

賢明な読者諸賢はすでにお気づきのように、この状況は、この国が、法律の整合性だとか、論理的思考だとか、健全なディベートといったことと決別するという意思表示であり、それは、いま政府が進めている、大学の文系学部が直面する危機的状況と無関係ではないのである。

私たちは、そこに未来を見るべきなのか?

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