高峰秀子とジョニー・キャッシュ
斎藤明美『高峰秀子の引き出し』(マガジンハウス、2015年)を読むと、女優・高峰秀子が、いかに自分をしっかりと律していて、完璧主義だったかがよくわかる。
とりわけ印象的だったのは、手紙に関するエピソードである。
「簡潔だった。
心に染みた。
それが、高峰秀子の手紙だった」
「そして高峰が便りを出すときの最大の特徴は、自分からは出さなかったことにある。どうしても必要に迫られた重大な用件がある時のみ、例外的に出した。
年賀状も一切出さなかった。
黙って人を想う人だった。
手紙を読むのには時間がかかる。
(中略)
人の時間を奪うことは罪悪である。
これが高峰の信条だった。
その代わり、返事は早かった。
読んですぐ出した。いつも」
これを読んで、私は急に恐くなった。
最近は手紙をほとんど書かなくなったので、もっぱらメールということになるが、たとえば気を許した友人などに対して自分から書くメールは、簡潔でも心に染みるものでもなく、むしろクドい文章なのである。
ひょっとしたら、相手の時間を奪っているのではないか?
実際、最近は以前とくらべてウザがられているような気がする。
そう思ったら、自分からクドい文章のメールを書くことが、急に恐くなったのだ。
誤解のないように書いておくと、私自身が長いメールを受け取って読むことは、まったく苦にならない。時間が奪われたとは決して思っていない。これは本当である。
ただ私自身が、高峰秀子の境地に達したいと思うばかりなのである。
2.
小学生の頃、担任の先生が宿題を出した。
「NHKで夕方に放送しているドラマ「大草原の小さな家」を見て、印象的だったセリフを書きとめて、翌日の授業で発表してください」
というもの。
私が小学生の頃、夕方に「大草原の小さな家」というアメリカの連続ドラマが放送されていた。
アメリカの古きよき時代の人々を活写した傑作である。いま見ても、まったく色あせることなく、感動を呼び起こす。
最近、たまたま第3シーズンの第1話「にせの牧師さん」を見直してみて、この回に登場する「にせの牧師」役のゲストスターが、どこかで見たことのある顔であることに気づいた。
必死に記憶をたどっていくと、「刑事コロンボ」シリーズの「白鳥の歌」の犯人役で出演していたジョニー・キャッシュであることを思い出した。
ジョニー・キャッシュは、もともと俳優ではなく、アメリカを代表するカントリーミュージシャンである。
「白鳥の歌」の犯人は、カントリーミュージシャンという設定だったので、ジョニー・キャッシュはまさに適役だったのだ。
今でいう「ちょい悪オヤジ」といった感じで、完全なワルにはなりきれず、つい人のよさが出てしまうという役どころを、見事に演じていた。
「にせの牧師さん」のにせ牧師役も、まさにそういったキャラクターである。
「白鳥の歌」が放映されたのが1974年。
「にせの牧師さん」が放映されたのが1976年。
ジョニー・キャッシュの本職が歌手で、ドラマにほとんど出演していないことを考えると、「白鳥の歌」における彼の演技が評判になり、「にせの牧師さん」へのキャスティングへと結びついたのではないだろうか、とまた妄想する。
ちなみに「にせの牧師さん」の中で、彼が馬に乗りながら歌を歌う場面がある。おそらく当時としては、ファンに向けてのサービスカットだったんだろうな。
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