DA・YO・NE
7月4日(土)
また時事ネタでごめんなさい。
ちょっと前、ある与党政治家が、こんなことを言っていた。
「党がガタガタとするのは、政策よりも「なんか○○党、感じが悪いよね」と国民の意識がだんだん高まっていったときに危機を迎えるのが私の経験だ。政策は大事だが、「嫌な感じ」が国民の間に広まることは心しなければいけない」
まあこれじたいは、なんということのない発言なのだが、たまたまインターネットを見ていたら、この発言について、ある人がこんなコメントを書いていた。
「私は、この人の『〈〜だよね〉という声が』
このコメントを読んで、ハタと膝を叩いた。
そうか!私がこの政治家の発言をどうも不愉快だなあといつも思っていた原因は、ここにあったのか!
たしかにこの政治家は、「○○だよね、ということなんです」みたいなことをよく言っていた。
どうも私は、「○○だよね、ということなんですよ」という口癖が、たまらなく苦手なのだ。基本的には男女問わずだが、とくにエラそうなオジサンがこの口癖だと、居丈高な感じがして、耐えられなくなるのだ。
それで思い出した。
少し前の話だが、あるラジオ番組で、「道路交通法が改正されて、自転車をめぐるルールが変わった」というテーマで探究モードのメインセッションがあった。私も最近ロードバイクに関心を持ったので、ポッドキャストを聴いてみることにした。
そのときにゲストに来ていた、自転車関係のNPO法人のオジサンの話が、全部正論なんだけれど、どうもなじめない。なんとなく居丈高な感じがするのだ。
もう一度聴き返してみると、その理由は、やはり「だよね話法」だったことがわかった。
「僕らはべつに、自転車を優遇してくれと言ってるわけじゃなくて、ふつうの都市の交通手段としてちゃんと認めてね、他の国じゃ認めてるよね、どうして日本だけダメなの?と言うことを聞いているだけで…」
「検挙が3年間で2回あったら、ちゃんと勉強してもらわなきゃ困るよね、ということになっただけであって…」
どうもこの方はこれが口癖のようで、やはりこの方のお話が苦手な原因は、この「だよね話法」だったのだ。
政治家のオジサンも然り、自転車のオジサンも然り、この世の中には、一定の割合でこの「だよね話法」を使う人が存在するようである。
一見、難しいことをやさしく言い換えている配慮の表現のようにも聞こえるこの「だよね話法」が、私にはどうも居丈高に聞こえて仕方がないのである。なぜなのだろう。
そもそもこんなことが気になるのは、私だけなのだろうか?
なんかおかしな話だよね。
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