読むんじゃなかった!
たまに他人のツイッターなんかを見たりすると、
「ああ、見るんじゃなかった!」
と思ったりすること、あるよね。
ちょっと前、TBSラジオ「ジェーン・スー 相談は踊る」を聴いていたら、ある男性が、
「自分が今いる職場の部局は、自分と、若い女性の2人なのだが、先日、その女性のツイッターとおぼしきものを見つけてしまい、読んでみると、
『同じ部屋にいるやつがキモイ』
みたいなことを書いているのを読んでしまいました。その人は、私の悪口をたまに書いているようなのですが、私はどうしたらよいのでしょう?」
みたいな相談をしていた。
ジェーン・スーがどのように答えたのかは覚えていないが、うっかりツイッターを見つけて読んでしまったがための「事故」と考えて諦めるしかない。
自分に対する悪口もさることながら、自分がよく知る人の身内らしき人が、身内としてその人のプライベートな一面について無邪気にツイートしているのを目にしたりすると、やはり、
「ああ、読むんじゃなかった」
と思ったりする。
「そんなこと、書くんじゃねーよ!」
と言ってやりたくなりもするのだが、そんなことを指摘してしまったら、自分が読んでいることがバレてしまい、要は「天に唾を吐く」ような行為である。
結局は、そんなツイッターを読んで、勝手に不快に思っている自分に責任があるのだ。
だがもう少し、ツイッターを使う上では、リテラシーというか、そういうことが必要なのではないか、とも思う。
私自身は、そのへんが自信ないので、ツイッターをやらないのである。
そのあたりに自信がない人は、ぜひツイッターに鍵をかけてもらいたいものだ。
そうかと思えば、むかし卒業生からこんな話を聞いた。
その卒業生が入社したての頃、同じ課の同僚に、とてもステキでかっこいい男性同僚がいたという。
スマートでかっこよく、ウィットに富んでいて、優しい男性である。
その卒業生は、その男性にひそかに好意を持つようになった。
彼女にとっては、王子様みたいな存在だったんだろう。
ところがほどなくして、その同僚が転勤してしまった。
彼女は、その男性のことを思い続けて、仕事が手につかなくなるほどだった。
そしてあるとき、その男性が結婚したことを知る。
そのことを教えてくれたのは、その「王子様」のことをむかしからよく知っている、別の男性同僚だった。
「あいつ、よく結婚できたよなあ」
その言葉に、彼女は驚いた。
「どうしてです?」
「だってあいつ、むかしからわがままだし、ひねくれ者だし、気むずかしいし、とにかく厄介なやつだったんだぜ。それに…」
「それに…?」
「服の趣味がメチャクチャダサいことで有名だったんだぜ」
「ほんとうですか?」
彼女はビックリした。ふだん、仕事場でしか会ったことがないので、背広姿しか見ていなかったのだが、私服はメチャクチャダサかったのだ!
わがまま…、…ひねくれ者…、気むずかしい…、厄介なやつ…、そしてダサい私服…。
彼女は、その「王子様」がダサい私服を着ている姿を想像して、笑いがこみ上げてきた。
自分は、何も知らなかったのだ。にもかかわらず、まるで王子様であるかのような幻影を抱いてきたのだった。
この瞬間、自分を苦しめてきた幻影から解き放たれたような気がした。「その話、聞いてよかった」と、そのとき彼女は思ったという。
もし仮に、である。
彼女が、その話に対して「そんな話、聞くんじゃなかった」と思ったとしたら、どうだったろう。
いつまでも、「王子様」という幻影にとらわれ、苦しんでいたかも知れない。
しかし彼女は、「聞いてよかった」と思うことで、気が楽になったのである。
「読むんじゃなかった」「聞くんじゃなかった」と思うか、それとも「読んでよかった」「聞いてよかった」と思うかは、結局は自分次第だ、ということである。
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