新・世界遺産論
7月7日(火)
新国立競技場の建設費用が、当初よりも900億円多い2520億円になるというニュースを聞いて、吉田満の名著『戦艦大和ノ最期』の一節を思い出した。
戦艦大和の当時の乗組員たちの間で、「世界の三馬鹿、無用の長物の見本」として「万里の長城」「ピラミッド」そして「戦艦大和」である、という話がささやかれていた、という一節がある。
「世界ノ三馬鹿、無用ノ長物ノ見本、万里ノ長城、ピラミッド、大和」ナル雑言、「少佐以上銃殺、海軍ヲ救ウノ道コノホカニナシ」ナル暴言ヲ、艦内ニ喚キ合ウモ憚ルトコロナシ」(吉田満『戦艦大和ノ最期』より)
その次の「暴言」もなかなかよい。いつの世も上層部は愚かだと思われているのだ。
それはともかく、近い将来、「世界ノ三馬鹿、無用ノ長物」の見本は、「万里の長城、ピラミッド、新国立競技場」と言われる日が来るだろう。
ピラミッドや万里の長城がどのような意志決定で作られたかを私たちは知るよしもないが、幸か不幸か私たちは、「無用ノ長物」となるであろう新国立競技場の、愚かな意志決定のプロセス、いわばその歴史的瞬間まで含めて、同時代に生きる者として見届けることができるのである。戦艦大和の乗組員が、同時代に生きる者として戦艦大和を「無用ノ長物」と喝破したように。
「人類はいかにして無用の長物を作り上げてきたか」
私たちはここから学ばなければならない。高い授業料を払って。
そういえば、「万里の長城」も「ピラミッド」も、世界遺産である。
「無用ノ長物」と揶揄されたものが、いまや世界遺産なのである。
そこでハタと気づく。
世界遺産と言われているものの多くは、搾取や収奪や犠牲の産物なのではないか。
万里の長城やピラミッドは、決して芸術を目的として作られたものではない。
「世界遺産」を、「人類が将来にわたって残すべき遺産」と定義するとき、そこには「人類の偉大な英知」だけではなく、その背景にある筆舌に尽くしがたい搾取や収奪や犠牲にも思いを致すべきである。
そもそも「世界遺産」は、それを考えるきっかけを与えてくれていると理解すべきなのだ。
先だって登録された産業革命遺産もまた然りである。
さて、近代の産業革命に関する諸施設が世界遺産に登録されたとなれば、近い将来、「エネルギー革命」を象徴するあの施設が、世界遺産として登録される日が来るかもしれない。
「人類の英知の産物」ともてはやされた果てに、その後始末をめぐって筆舌に尽くしがたい犠牲を払っている、あの施設である。
そのとき初めて、「世界遺産」が「人類が忘れてはならない遺産」として、強く意識されることだろう。
| 固定リンク
「ニュース」カテゴリの記事
- 皆既月食(2022.11.09)
- 欠席する理由(2022.09.26)
- 国葬雑感(2022.09.21)
- ボートマッチ普及運動(2022.07.05)
- 贋作・アベノマスク論ザ・ファイナル(2022.04.13)
コメント