ケラリーノ・サンドロヴィッチさん
ずいぶん前に、劇団「ナイロン100℃」の舞台公演を見に行ったことがあることを思い出した。
記憶をたよりに調べてみたら、1997年に上演された「カラフルメリィでオハヨ '97 ~いつもの軽い致命傷の朝~」である。
ちょうどこのころ、演劇を見に行くことにはまっていて、演劇好きの後輩に勧められるがままに、見に行ったと記憶する。
これがとてもおもしろい芝居だった。この芝居を書いた人は、すごい才能の人だなあと思った。
その人が、ケラリーノ・サンドロヴィッチさん。劇団「ナイロン100℃」の脚本と演出を担当していた。
2002年に上演された「空飛ぶ雲の上団五郎一座」の「アチャラカ再誕生」は、脚本が「いとうせいこう、井上ひさし、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、筒井康隆、別役実」、総合演出が「ケラリーノ・サンドロヴィッチ、いとうせいこう」という超豪華メンバーだった。私はこの公演を生の舞台ではなく、のちにDVDで見たのだが、これがむちゃくちゃおもしろかった。
ケラリーノ・サンドロヴィッチさんのお連れあいって、緒川たまきさんなんだね。いまさらながら、これまたビックリである。
ケラさんに対する私の知識は、そのていどなのだが、そのケラさんが7月16日付のある新聞に書いたコラムが目にとまった。
「…このコラムで政権に触れることは避けてきたのだが、触れないのも不自然な世の中だ。たまにそうした領域の意見をツイッターで呟くやいなや、「あなたには政治的な発言はしてほしくなかった」だの「創作家は政治に言及すべきではない」だのと批判される。そうしたツイートを読むと自身の立場が相対化され、不安になるのかも知れない。しかしもう、そんなこと言ってる場合ではない。「政治的」などではない。「社会的」なだけだ。皆さんと同じである」
言葉を生業とする創作家たちが声をあげ始めた背景には、いまの政権が言葉を空虚化、空洞化しようとする(つまり言葉から生命力を奪おうとする)行為に我慢ならなくなったからではないかと思う。
言葉に生命を吹き込もうとする創作家にとって、言葉が蹂躙されることほど耐えがたいことはないからである。
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