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暗闇の思想

松下竜一、という作家がいた。

1937年、大分県中津市で生まれ、高校卒業後、家庭の事情で進学を断念し、親の家業を継いで豆腐屋になる。

そのときの心境を綴った手記『豆腐屋の四季』が評判となり、14年続いた豆腐屋を辞め、作家に転身する。

その後、公害問題に関心を持ち、豊前火力発電所建設の反対運動に参加する。

反対運動の過程で、さまざまなバックラッシュにあう。

この国が巨大開発により高度経済成長を遂げ、世界的に経済発展していったことはすばらしいことではないか。発電所に反対するということは、この国の経済発展に水を差すことになる。よってお前は「非国民」である、と。

しかし松下は考える。

「誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬ」と。

「まず、電力がとめどなく必要なのだという現代の絶対神話から打ち破らねばならぬ。1つは経済成長に抑制を課すことで、1つは自身の文化生活なるものへの厳しい反省で、それは可能となろう」と。

そして「暗闇の思想」という言葉に行き着く。

「月に一夜でも、テレビ離れした〈暗闇の思想〉に沈みこみ、今の明るさの文化が虚妄ではないのかどうか、冷えびえとするまで思惟してみようではないか」

やがて松下の運動は、火力発電所建設反対運動から、原子力発電所建設反対運動へと広がってゆく。

松下竜一の講演集『暗闇に耐える思想 松下竜一講演録』(花乱社選書、2012年)は、東日本大震災の後に公刊された。松下の死後、8年目のことである。このタイミングで公刊されたのは、当然、東日本大震災にともなう原発事故が起こったことと関わりがある。

私は震災後になってはじめて、松下竜一という作家の名前を知った。

この本は講演録ということもあり、松下の主張のエッセンスが述べられている。

この本を読んで驚いた。

「私の現場主義」と題する講演が収録されているが、この講演が行われたのが、1988年4月12日の日本武道館。私の出身大学の入学式においてである。

このとき、まさに私は、新入生としてこの入学式に参加していたのだ!

つまり私は、松下竜一のこの講演を、大学の入学式で聞いているはずなのだ。

だがこのときのことを、まったく覚えていない。

講演録を読み返すと、このときの講演では、松下竜一がこれまで歩んできた人生の話、そして、ある時期から「暗闇の思想」というキーワードを掲げて発電所建設の反対運動にのめり込んでいく話が、コンパクトに語られている。

おそらく今、大学の入学式で、このような講師を呼ぶことはあり得ないだろうし、このような内容の講演が行われることもないだろう。

それほど、30年ほど前と今とでは、時代が変わってしまったのだ。

この講演の中では、原発事故や放射能汚染への危機感についても述べられている。ちょうど、チェルノブイリの原発事故が起こった1986年から2年後のことなので、このようなことが話題になることは、当然であった。

この講演の中で、松下は述べる。

「私は、若い皆さんがこういう問題に対してあまり関心を抱かないことを、どう考えればいいのか分かりません。今や核の問題というのは、それこそ、これからの時代を担う皆さんの双肩にかかってくる、そういう問題であるはずなんです。明日にも、チェルノブイリ級の事故が、日本のどこかの原発で起きるかもしれない。その時にはもうこの狭い日本列島、どこにもその汚染から逃れる場所はありません。そういう状況に対して、なぜ若い人たちが声を挙げないのか、と思わざるを得ません」

このとき「若い皆さん」と呼びかけている、その目の前には、当時新入生だった私が、たしかにいたはずなのである。

しかし私は、この話をまったく覚えていないのだ。

そしてそれから23年たった2011年。松下の言っていたことが実際にこの国でも起こり、私は慌てふためいた。

入学式のとき、私はなぜ、松下の警鐘に耳を傾けようとしなかったのだろう?

松下の警鐘に対して、それを受けとめるだけの想像力を私は持ち合わせていなかったのだ。なんという無知な若者だったことか。

今となってはそのことが、激しい悔恨である。

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