怒りをうたえ!
7月15日(水)
今から25年ほど前、まだ私が大学生だった頃のことである。
高校時代のクラスメートだった女子から、電話があった。一緒に映画を見に行かないか、という誘いである。
どんな映画なのかと聞いてみると、「怒りをうたえ」という、ドキュメンタリー映画だという。
高校時代、ほとんど話したことのないのに、なぜ私が誘われたのか、よくわからなかったが、とりあえず見に行くことにした。
全部で3時間ほどの映画で、70年安保や沖縄闘争について、当時のデモの映像がひたすら流れるというものだった。
誘ってくれた人は、とくに活動家だった、というわけではなく、およそそんな映画とは無縁とも思われる雰囲気の、どちらかといえばお嬢様という感じの人だっただけに、いったいなぜこの映画を見たいと思ったのか、まったく分からなかった。
その後、その人とはまったく音信不通になっているので、どういう心境であの映画を見ようと思ったのか、そしてなぜ私に一緒に見に行こうと誘ったのか、今も分からずじまいである。
今日の、与党による法案強行採決と、それにともなう国会議事堂前でのデモの映像を見ていて、25年前のその映画のことを思い出したのである。
今回の一連の法案審議には、私のまわりの同世代の友人たちもさすがに怒り心頭だったようで、ある友人が国会前のデモに参加した際の写真を送ってきてくれた。ふだん、デモに参加するなどということのないその友人が、電車を乗り継いで国会議事堂前に向かったというのだから、その怒りは相当なものであったと推察される。
今回のデモですごいと思ったのは、組合などの組織的動員だけではなく、かなりなていど個人の自発的な意志による参加がみられるのではないか、ということである。
その事実こそが重要である。
ここ最近、怒りにふるえることばかりである。
安保法案の強行採決、新国立競技場建設問題、国立大学の文系学部廃止の危機、与党議員による報道弾圧発言、米軍基地移設問題、原発再稼働…。
しかし何より怒るべきなのは、政治家たちの言葉を軽さ、品格のなさである。
たとえば、音楽を専門とする音楽家は、不協和音やチューニングが合っていない音を聴くと、気分が悪くなるでしょう?
芸術についての鑑賞眼を持つ人が、ヘタな芸術作品を見ると、気分が悪くなるでしょう?
それと同じで、言葉をあつかうことを生業にする者が、軽い言葉や品のない言葉、非論理的な言葉を平気で使っている場面に出くわすと、気分が悪くなるのである。
たとえば、7月10日の「衆議院平和安全法制特別委員会」での首相の答弁。
「まさに私の念頭にあったのはですね、基本的に他国部隊が襲われた時にですね、その部隊から助けてくれといわれても、それは襲われたという状況になったことをかんがみて、われわれは、「失礼します、と。 助けることはできません」、危険な状況になったから失礼します、ということになりますよ、という意味のことでございます。
今度の法改正に置いては、駆けつけ警護はできるようになったわけでご ざいます。駆けつけ警護そのものを皆さんは否定しているわけでありますが。それはできるようになったということでございます。
それとは別にですね、まさに武力行使をしているところの後方支援でありますから、これはサマワにおける人道復興支援活動とも 全く根本的に違うわけであります。
人道復興支援活動は限りなく、かなりですね、いわば平和維持活動に近づいて行く活動であります。ただ、国連にもとづく、PKO活動ではなかった、ということであります。
それを述べていることと、いわば後方支援活動を混同させるべきではない。事実PKOについてもそうですが、後方支援活動においても、そういう状況になれば、撤収するのは当然のことであり、PKOについても ゴラン活動においてもわれわれは、撤収をしている、ということであります。
そもそも法律の中において、できることしか、できない。それは当然でありまして、順法精神のもとにおいて、それを行うのは当然のことであろうと。
私がどう思うか、思わないかは全く関わりのないことだと思います。これはまさに、法律そのものを見ていただきたいと思います。」
この答弁、何を言いたいのかまったく分からない。
なんとか理解しようと思って、字面を何度も追っていくうちに、気分が悪くなるのだ。理由は、意味不明の内容だから。
一事が万事、こんな感じで審議が進んでいったのである。
こんな意味不明な言葉で審議を乗り切ろうとする心根は、私たちを愚弄しているとしかいいようがない。
そう、怒りの根源にあるのは、「愚弄されている」という感覚なのだ。
おそらく、愚弄されたと感じた人たちが、いま国会の前に集まっているのである。
国会前に集まっている人たちの映像を見ながら、ふと思った。
25年前、ドキュメンタリー映画「怒りをうたえ」を一緒に見た高校時代の友人も、あの映画のことを思い出し、デモに参加したのだろうか。
それとも、25年も前のことなど、もうすっかり忘れてしまっているだろうか。
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