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2015年8月

ぐうの音も出ない

先日の「サックス8人会」について、もう少し書く。

いちばん傑作だったのは、次のような話題である。

モリカワさんが近所の本屋で、私が去年出した本を見つけたのだが、「こんな小さな本屋さんにも置いてあるんだ~」と思っただけで、買わなかったのだという。

そしたらそこにいる全員が、私の本を買っていなかったことが判明した。そればかりか、昨年うちの職場で行ったイベントにも誰も来なかったし、昨年末に放送したラジオも誰も聞かなかったというのだ。

「おい、お前ら!それでも友だちか!」

例によって私の「かまって病」が始まった。

「だって本の内容に興味ないし。お前の職場まで行くのも遠くてめんどうくさいし」とコバヤシ。みんなが大きくうなずいた。

「そりゃあ、興味があれば本だって買いますけど、興味ないですもん」とモリカワさんがたたみかけた。

なんてやつらだ!とうちひしがれていると、自動車会社に勤めるオオキが言った。

「じゃあ聞きますが、僕は会社で○○という車を開発したんですけど、買ってくれますか?」

「…いや、それはその…あんまり車には興味ないし…」

「先輩がもしおうちを建てるとして、そのときに「サカクラプロデュース」でガーデニングを任せてくれますか?」と、今度は造園会社に勤めるサカクラさんがたたみかけた。

「…いや、それはその…あんまり興味ないし、家を建てるとか考えてないし…」

「ジロー君やアサカワ君のライブにいちどでも行きましたか?」とモリカワさん。

「…時間が合わないことが多いし、それにライブハウスまで遠いしなあ」

「そういうことなんですよ、先輩」とモリカワさん。

「……」

「先輩が逆の立場だったら、私たちの仕事なんて、それほど興味ないでしょう?」

「…それもそうだな…」

「でも興味がないからといって、友だちじゃないということではないんですよ。そんなことは関係ないことなんですよ」

「…なるほど」

考えてみれば、高校時代、それぞれがどんな職業につくかなんて、わからなかったのだ。そんなことなど関係なく友だちだったわけである。

俺は一体何にこだわっていたのだ?たんに頑張ってるいまの自分を見てくれと一方的に望んでいただけだったのではないのか?と、自分が情けなくなった。

高校時代からの友人とは、言いたいことを言い合うことが大事。

社会人になってからの友人とは、励まし合うことが大事。

この持論は、今も変わっていない。

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雷門再会

8月29日(土)

高校時代の友人、元福岡のコバヤシがこの4月から東京に戻ってきたということで、1学年後輩のモリカワさんの呼びかけで、「サックスパート」で集まりましょうということになった。

「サックスパート」というのは、高校時代の吹奏楽部でサックスパートにいたメンバーのことで、

同期…コバヤシ、私

1学年下…アサカワ、エーシマ、オオキ、モリカワさん

2学年下…サカクラさん、ジロー

の8人会のことをいう。

今回、アサカワとエーシマは所用により欠席。6人が浅草の雷門近くの居酒屋に集まった。

折しもこの日は、浅草でサンバカーニバルが行われた。モリカワさんによれば、ブラジル好きのアサカワがこのサンバカーニバルに出演していたというのだが、残念ながらその姿を確認することはできなかった。

さて、4時間以上みんなで喋っていた中で、その3分の2近くが、私に対する「カウンセリング」だった。

ご承知のように、私はたいへん「めんどうくさい性格」で、自分のまわりクドい性格から人に迷惑をかけてしまうことや、自分が他人にどう見られているか、などといった、「他人からしたらどうでもいい悩み」を、クドクドと考えてしまい、気に病んでしまう。

今回もそんな話を延々としたら、みんなが笑い飛ばしてくれた。

「あんた、バカじゃないの?」(オオキ)

「今日は、先輩のための会じゃありませんよ!コバヤシ先輩が主賓なんですからね!」(モリカワさん)

「人間というのは、変わらないもんだなあ」(コバヤシ)

「先輩の悩みなんて、まだ健全なほうです。ミュージシャンなんか、もっと深刻なんですから」(ジロー)

「日本でいちばんおいしいコーヒー豆を見つけたって、まさかドトールとかじゃないですよね」(サカクラさん)

まあそんな感じで、次々と言葉を浴びせかけてくる。

「自分の病んだ部分をこれだけさらけ出せるのは、お前らだけだよ」

と私が言うと、

「お前のめんどうくさい性格は、周りはみんな気づいてると思うぞ」

と返される。

なるほど、そうかも知れないと、私自身も笑い転げた。

しかし、やはりこれだけ自分の病んだ部分を開けっぴろげにできるのは、高校時代からよく知るこのメンバーしかいない。

最後に宣伝です。

ジローが所属する「ザ・ショッキング」が、9月10日にニューアルバム「ALIVE!」をリリースします!

ぜひ、ご贔屓に!

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画期的な体質検査

8月28日(金)

「クドいだけで、ちっとも面白くない話」シリーズの第3弾。

韓国出張最終日。ソウル市内のとある場所に見学に行く。

見学に行った場所にいた職員のおばちゃんが、「忙しそうにテンパっていて、ちっとも仕事が進まない」という、よくいるタイプのおばちゃんだった。

見学が終わったあと、そのおばちゃんが、

「体質検査」があるので、みなさん、ぜひ試してみてください」

という。

別にここに来た目的は「体質検査」ではなかったので、

「けっこうです」

と答えると、

「とにかくみなさん、ここに座ってください。日本語の質問用紙もありますから」

と、強引にわれわれを座らせ、アンケート用紙のような書式の「体質検査」の用紙を全員に配付した。

「当てはまるものに○をすれば、あなたの体質がわかりますから!」

と言ったあと、

「ああ忙しい!」

と、どこかへ行ってしまった。

ずいぶんと強引なおばちゃんだなあ。しかも何も解説してくれないのかよ!

仕方がないので、みんなで「体質検査」をやることにした。

A4版1枚の紙の裏表にいくつか質問項目があり、それぞれ4つの選択肢から、自分があてはまるものに○をつけていくと、最後に自分の「体質」がわかる、というもの。むかしの偉い医学者が発明した分類法らしい。

選択肢に○をつけるだけで自分の体質がわかるのだから、これは画期的な体質検査システムである!

以下は私も試してみた「体質検査」の原文です。

みなさんもぜひ試してみてください。

「Ⅰ 外見(4項目)

〈体型〉次の中であなたにあてはまる体型はどれですか?

1.腰とお腹など主に下半身が発達していて、立っている姿勢がしっかりして見える。

2.主に下半身が発達していて、上半身が貧弱な方だ。

3.主に上半身が発達していて、下半身が貧弱な方だ。

4.上半身が発達した体型で首が太く発達していて、上半身に比べ下半身が貧弱で、立っている姿勢が不安定に見える。

〈顔色〉次の中であなたの顔色はどれですか?

1.茶色っぽかったり、黒っぽい顔色だ。

2.鮮やかな黄色。

3.赤みをお帯びている。

4.白いほうだが、ほんの少し黒っぽい。

〈顔立ち〉あなたの顔は次の中でどれに当てはまりますか。

1,目鼻が大きく、唇が厚い。

2.目鼻がおおむね小さく、整っている。

3.唇が薄いほうで、表情がいつも明るい。

4.額が広く表情が明るくて、すっきりした印象だ。

〈歩き方〉あなたの歩き方は次の中でどれですか?

1.歩き方がゆっくりで、重そうに歩く。

2.歩き方が自然で、落ち着きがある。

3.歩き方が速い。

4.歩き方が真っ直ぐだが、どこか不安定に見える。

Ⅱ.心性

〈気立て、気質〉次の中で、あなたは仕事をするとき、どのように処理をしますか?

1.行動は遅いが、最後まで根気をもってやりぬく。

2.行動より思索するほうを好み、仕事の処理が細かく几帳面に行う。

3.いろいろな仕事を行うが、まとめをキチンと行わず、創造的で率直だ。

4.進取的で推進力があり、仕事の処理を滞りなくキチンと行う。

〈性格〉次の中で、あなたはどんな性格を持っていますか?

1.外のことより家の中のことを大切に思い、活動するのが嫌いだ。

2.内向的で恥ずかしがり屋で、自分の意見をちゃんと述べることができず、消極的だ。

3.外のことばかりに奔走し、家族や自分のことを疎かにする。

4.細かいことに心を配らず、緻密ではなく、計画性もなく、考えなしに仕事を推し進める。

〈言語・習慣〉次の中で、あなたが話をするときの日常的な習慣は?

1.口数が少なく時々どもったりするが、一度親しくなると、よく話す。

2.若干遅い方で、静かで落ち着いた話し方だ。

3.口数が多く、気配りをしないで話す。

4.口数が少ない方ではないが、おしゃべりではなく、憚りなく誰とでも話をする。

Ⅲ.病症

〈健康状態〉次の中で、あなたはいつが健康だと思いますか?

1.汗をよくかいた時、健康だと思う。

2.消化がよくできた時、健康だと思う。

3.便がよく出た時、健康だと思う。

4.尿の量が多くてよく出た時、健康だと思う。

〈よく罹る病症〉健康に問題がなくても、よく感じられる症状はどれですか?

1.よく胸がどきどきしたり、息が切れたり、目が疲れやすかったり、痛くなる。

2.ため息をよくつき、消化がよくできないほうだ。

3.物忘れが多い。

4.しょっちゅう胸が息苦しく詰まったような気がし、足に力がなく長時間歩くことができない。

〈食べ物の好み/食性〉次の中で、あなたの食性はどうですか?

1.食欲が旺盛で食べ物の好き嫌いがなく、だいたい温かい食べ物が好きだ。

2.ふつう食べ物をゆっくり食べるほうで、食欲も旺盛でなく、だいたい温かい食べ物が好きだ。

3.食べ物の好き嫌いがなく速く食べるほうで、だいたい冷たい食べ物が好きだ。

4.ふつう食べ物の好き嫌いがないが、脂っこい食べ物は体に合わないようで、主にさっぱりして淡泊な食べ物が好きだ。」

これが、「体質検査」の質問の全文です。いかがでしたか?

この「体質検査」をやってみた全員が思ったことは、

「こんな選択肢じゃ、どこに○つけていいか、わかんねえよ!」

ということだった。

選択肢の一つ一つが、あまりにも「決め打ち」すぎて、これでは、自分に当てはまるものが何なのかを決めることができず、どこに○をつけていいのか、わからなくなってしまうのである。

さあ、それでも、苦労して○をつけていただいたでしょうか。

では、結果発表です。

○をつけてみて、選択肢の1番に○が最も多かった方、あなたの体質は「太陰人」です!

2番に○が最も多かった方、あなたの体質は「小陰人」です!

3番に○が最も多かった方、あなたの体質は「小陽人」です!

4番に○が最も多かった方、あなたの体質は「太陽人」です!

おめでとうございます!

え?「太陰人」「小陰人」「小陽人」「太陽人」が何かって?

それは各自で調べてください。

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サムソン美術館での出来事

8月27日(木)

前回に引き続き、「面白さが伝わりにくい、というか、クドいばかりでさほど面白くない話」シリーズ。

その、ソウルにあるサムソン美術館でのこと。

いま開催されている特別展は、思いのほか見応えがある。

韓国を代表する優品ばかりが展示されていた。

つい時間を忘れて見入ってしまったのだが、長い時間見入ってしまったために、尿意をもよおした。

だが、特別展の会場を一度出てしまうと、再入場はできないことになっている。

私立の、しかもとてもオサレな美術館なので、入場料も高い。せっかく高いお金を払って見に来たのだから、特別展を最後まで見ないともったいない。

なんとか尿意と戦いながら、特別展を最後まで見終わった。

さあ、トイレに行こうと、エントランスにあるトイレに向かうと、なにやら人だかりがしている。

そればかりでなく、警察官が何人か、トイレの前に立っているではないか。

トイレに入ろうとすると、

「ここはダメです。あっちへ行け、しっ、しっ」

と、向こうへ行けという仕草をしている。

なんだなんだ?どういうことだ?

ははぁ~ん。さてはVIPが来ているな!

サムソン美術館といえば、韓国のセレブたちが集まる、高級感あふれる美術館である。

しかもいまは、特別展が開催され、韓国内の優品が集められている。

VIPが来ていてもおかしくないのだ。

トイレの方からは、女性の「キャー」という歓声も聞こえるではないか!

来ているVIPというのは、イケメンの俳優なのか?

それとも財閥の御曹司なのか?

そんなことを思いながら、少し離れたところにある、もうひとつのトイレに向かった。

すると、トイレには男女ともに列ができている。しかも女性トイレは長蛇の列である。

順番を待って、ようやく用を済ませたのだが、トイレに入ってみて驚いた。

なんと、そのトイレは小用便器が一つしかなく、つまりは一人用のトイレなのである!

こんなに大きな美術館なのに、何でこんなにトイレが小さいのか?バランス悪すぎるだろ!

おそらくVIPが入っている方のトイレも、同じように一人用なのだろう。だから、トイレの前で警官が警護をしたのだろう。

ふつう、大きな美術館や博物館には、一度に何人も用が足せるようにトイレが作られているはずなのだが、この美術館はそうはなっていない。

なるほど、やはりセレブはお上品だからトイレになんか行かない人たちなのだろう、だからトイレをたくさん作る必要はないのだ、と、私は妙に納得したのだった。

さて、私がトイレから出たあとも、例のトイレの前には、まだ警官が数人立っていた。

用を足すのにどんだけ時間がかかっているんだ?このVIPは。

VIPが誰なのかひどく気になったのだが、集合時間まであまり時間がなく、私はまだ常設展を見ていなかったので、急いで常設展を見ることにした。

常設展を見終わり、集合場所に行くと、今回の出張のメンバーの一人であるKさんが言った。

「先ほどはタイヘンでしたよ。でもようやく解決したみたいです」

「何がです?」

「さっき、トイレから奇声が聞こえませんでしたか?」

「奇声?」

「女性がトイレに立てこもって、奇声を上げていたんですよ。それで、警察まで来ちゃってタイヘンだったんですから」

「え?それじゃあ、トイレの中にいた人は、VIPじゃなかったんですか?」

「VIP?何言ってんですか。VIPなんかじゃありませんよ。頭のおかしい女性です」

「警官は、警護の警官じゃなかったんですか?」

「違いますよ。通報を受けて駆けつけた警官ですよ」

「ええぇぇぇっ???」

「ついさっき、その女性は警官たちに取り押さえられて、ようやく出ていきました」

なんと!トイレの前に警官数人がいて、一般人を寄せ付けない仕草をしていたので、私はてっきりVIPがトイレに入っているものだと思っていたのだが、真相は全然違っていたのだ!

トイレの方から聞こえた女性の声も、「ファンの歓声」ではなく、「立てこもった女性の奇声」だったのだ!

私はつい、「セレブが集うサムソン美術館」というイメージから、VIPが来ていた、と勝手に解釈していたのだった。

これは「空脳」なのでしょうか?

というか、女性がトイレに立てこもって奇声を上げて警察沙汰になるなんて、ここはどんな美術館なんだ?

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タクシーの運転手と客の会話・韓国編

8月27日(木)

ただいま韓国出張中。

この話の面白さが、どれほど伝わるのかは、まったく自信がない。というか、クドいばかりで、さほど面白い話ではない。

今回の出張では、何人かのメンバーと一緒に行動し、韓国語が少しわかる私は、いちおう今回の旅の引率係である。

午後、S大学への訪問を終え、次の目的地である、サムソン美術館に向かうことにした。

ソウル市の郊外にあるS大学は、やや交通が不便だが、さすが、韓国第一の大学だけあって、構内が広い。

対するサムソン美術館は、ソウル市の中心部に近いところにある私立の博物館である。サムソン、というのは、韓国の有名な財閥で、その財閥は、豊富な資金力を背景に韓国内の優品を収集したことで知られる。所蔵する美術品は、どれも超一級品である。

S大学の構内を走る空車のタクシーを見つけたので、乗ることにした。

運転手は、ちょっと恐そうな顔をしたオジサンである。

助手席に私が乗り、後部座席に他のメンバーが乗った。後部座席のメンバーは、韓国語がわからない。

以下、タクシーの運転手と私の会話。

「サムソン美術館までお願いします」

「え?どこ?」

「サムソン美術館です」

「サムソン美術館?知らんなあ」

「有名な美術館ですよ」

「わからない」

とりあえず、タクシーが走り出した。料金メーターは倒さないままである。

「どこだって?」

「サムソン美術館です」

「サムソン?」

「ええ」

「サムソン会長の家なら知ってるぞ。そこなら行けるぞ」

「それは関係ありませんよ」

「ごめん、俺、やっぱりわからないわ。とりあえずタクシーがつかまる場所まで乗せてってやるから、他のタクシーをあたってくれよ。なんなら、俺が他のタクシーをつかまえてやってもいいからさあ」

「カーナビで調べればいいじゃないですか」私はカーナビのほうを指さした。

「このカーナビ、故障しているんだ」

たしかに、カーナビは作動していなかった。

やがて、数百メートルほど走ったところで、広い通りに出た。

「ここならタクシーが頻繁に通るから、ここで他のタクシーをつかまえなよ」

タクシーが止まった。

もちろん、ここまでの会話はすべて韓国語である。

私は後部座席をふりかえり、今度は日本語で、後部座席のメンバーたちに言った。

「とりあえずここで降りてください」

全員が降りたあと、タクシーはそのまま走り去っていった。

さあ、頭の中に「?」が浮かんだのは、後部座席のメンバーたちである。

事情もわからず、乗ったと思ったらいきなりタクシーを降ろされたからである。

「一体どうしたんです?」

後部座席にいたNさんが、心配そうに私に聞いた。

私が、かくかくしかじかと、運転手と交わした会話を説明した。

「なあんだ、そういうことだったんですか」

Nさんによれば、韓国語で会話をしていた内容がわからなかったため、次のようなことを想像していたというのである。

Nさんの目の前、つまり運転手と助手席の私との間でくり広げられていたのは、次のような光景であった。

1,恐そうな顔をした運転手が、料金メーターを倒さずに、走り出した。

2,運転手と私が、なにやら口論を始めた。

3.私が、料金メーターのほうを指さして、何か言った。

4.運転手が何かを私に言ったあと、私が後部座席のはみんなに向かって「とりあえずここで降りてください」と言った。

この現象から、Nさんは、次のような想像をしたのである。

運転手が料金メーターを倒さずに走り出したため、私が「料金メーターを倒してくれ」と運転手に言ったのだが、運転手は頑として聞かない。

私がそれでもなお、料金メーターを指さしながら、料金メーターを倒すようにと言ったのだが、それでも運転手はメーターを倒さない。

運転手に何かを言われ、ぼったくられると思った私は、交渉が決裂したと判断し、後部座席にいるメンバーに「降りてください」と言った。

…しかし、事実は逆である。

メーターを倒さなかったのは、タクシーの運転手が親切にも、他のタクシーが頻繁に通る道路まで、タダで乗せてくれたためであった。

私が指さしたのは、料金メーターではなく、そのすぐ上に付いているカーナビであった。

事情がわからない後部座席のNさんは、てっきり悪い運転手にぼったくられると思ったのだという。

…というお話。

なかなか伝わりにくい話で、しかもさほど面白くない話なのだが、海外でタクシーに乗ると、その運転手さんがいい人なのかそうでないのか、見極めが難しい、ということが言いたかっただけである。

この運転手の場合、自分は道がわからないからと、他のタクシーがつかまりやすい場所までタダで乗せてくれた点では「いい人」なのだが、そもそも「サムソン美術館まで行けない」といって乗車拒否をしたことを考えると、手放しで「いい人」とはいえないのである。

はたしてこの運転手は、いい人なのか?悪い人なのか?

ナンダカヨクワカラナイ。

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吾妻橋再会

8月23日(日)

タクシーの運転手と客の会話より(2013年1月5日)

「私が通っていた大学は、3年生になると、学部に進学して、それぞれの専門の勉強をはじめる。

3年生のときに、私と同じゼミに、1人のおじいさんが入ってきた。Mさんである。

Mさんは、長らく会社を経営されていたが、引退を機に、自分が若いころに勉強したかったことを勉強したいと思い、私のゼミの先生の門をたたいたのである。

つまりMさんは、私と机を並べて勉強した、同級生なのだ。

Mさんとたまにお酒の席で一緒になって、ことあるごとにお話を聞いた。それはそれはもう、壮絶な人生だった。

大学で勉強したい、という志もなかばに、学徒出陣で戦地に赴き、戦後はシベリアに抑留され、想像を絶する苦難を経験する。日本に戻ってからは、生きるために働き、商社に勤める。

そして、引退後、ようやく、自分の好きな勉強ができたのである。

Mさんの人生にくらべれば、私など、なんと生ぬるい人生だろう。

Mさんは、それから10年以上、ゼミに出続けた。私が東京を離れたあとは、こんどは後輩である私の妻が、Mさんの話し相手になった。

そんなMさんも、もう90歳を越え、かなり足腰も弱くなった、と聞いた。つい最近、奥さんを亡くされ、いまは1人で暮らしておられるという。いまはたまに、妻が手紙のやりとりをする程度である。手紙には、さびしい生活をしている、と書いてあったという。

妻と一緒に、Mさんに会いに行かなきゃなあ。

タクシーの運転手さんの話を聞いて、そんなことを、思った」

さて今年(2015年)の1月、Mさんから年賀状が来た。

Mさんは、ご長男の家に転居されたという。「浅草から吾妻橋を渡ったところで、東京スカイツリーがすぐ近くです」とあった。

ご無沙汰をしているMさんに会いに行きたいと思いつつ、そのままになってしまっていたが、日程調整をして、今日、妻と二人でMさんのお宅にうかがうことになった。

年賀状に書いてあるとおり、Mさんのお宅は、スカイツリーをすぐ近くに見ることができる高層マンションだった。

事前に息子さんから、「すっかり足腰が弱くなってしまい、ほとんど外に出歩けない」「耳が遠くなってしまったので、こちらの話すことが聞き取れないことが多い」とうかがっていたので、お会いしたとしても、どのていどお話しできるのか、少し心配だった。

しかしその心配は、杞憂に終わった。

午後2時にご自宅にうかがってから、午後5時45分までの3時間45分、Mさんは休むことなく、私たちにお話しになった。

「脳だけはまだ大丈夫だと医者に言われています」とMさん。Mさんのお話は、尽きることがなかった。

正直なところ、私がいちばん聞きたかったのは、旧制高校在学中に、学業の志半ばに学徒出陣で戦地に送られ、その後、シベリアに抑留され、苦役させられた頃のお話であった。

しかし、そのことは多くは語られなかった。

ただ、「今でも一人で寝ていると、あの頃のことを思い出し、自分が生き残ったことの意味を考える」とだけおっしゃった。

私たちに語ってくれたのは、もっぱら旧制高校時代の思い出である。

「あの頃がいちばんよかった。寮生活でね。朝から晩まで、みんなで議論ばかりしていた。自由な雰囲気だった」

と述懐された。

話を聞きながら思った。

人は年を重ねるごとに、楽しかった頃の思い出を、胸に抱いて生きるものなのだ。

Mさんは1冊の本を取り出した。

色あせた小冊子の表紙に、『愛唱寮歌集』というタイトルが書かれている。

「私が通っていた旧制高校の、寮歌集です」

「寮歌集?」

私は不勉強で知らなかったのだが、どの旧制高校にも寮歌というものがあった。もちろん校歌もあったのだが、校歌が歌われるのは入学式の時の1度だけである。もっぱら学生たちが集まると歌うのは、寮歌だった。

その寮歌は、一つではなかった。毎年、その高校の寮生やOBによって作られ、歌われた。だから一つの旧制高校に何十もの寮歌があったのである。

「息子はね、また寮歌の話か、って呆れますけど、私にとって寮歌は、高校時代を過ごした証なんです」

ひとしきり、寮歌についての思い出話をされたあと、Mさんが言った。

「その本、あなたに差し上げます」

「え?いいんですか?」

私は驚いた。「寮歌集」は、Mさんにとって青春の思い出ではないのか。

「私がかつてこういう寮歌を歌っていたということを、たまに思い出してください」

こうして、3時間45分にわたるMさんとのお話しが終わった。

ずっとMさんのかたわらにいた息子さんが、別れ際の玄関先で、私たちに言った。

「親父がこんなに長い時間話をするなんて、きっと嬉しかったんでしょう」

「またうかがいます」

「また来てください」

マンションの外に出ると、夕方の風がひんやりしていた。

「もとめても もとめても

ときがたき こころかな

わがともよ ともにつどいて

ひとのよの いのちなげかん」

私は「寮歌集」に載っていた寮歌の一節を、思い出していた。

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取り越し苦労の子守歌

8月21日(金)

今でも強烈に印象に残っている4コマ漫画がある。

1コマ目。

将棋盤を真ん中に向かい合う二人。一人(A)が、第一手をさす。

2コマ目。

対するもう一人(B)は、黙ったまま考えこんでしまい、まったく動かない。

3コマ目。

2コマ目と同じ絵。

4コマ目。

Bが、「まいりました」と頭を下げる。

というもの。

タイトルは「読みの名人」。

この意味、わかるかな?

正確にいうと、私はこの4コマ漫画を直接見たわけではない。

子どもの頃に読んだ鈴木健二の本の中で、文章の形で説明されていたのである。

なので、本当にこんな4コマ漫画があったのかは、不明である。誰が描いた漫画なのかも、わからない。

だが子どもの頃から、この「見たことのない4コマ漫画」が強く印象に残り、いまでもちょくちょく思い出すのである。

ここに出てくる、「まいりました」と頭を下げる棋士は、まさに私そのものではないか!

常に深読みしすぎ、妄想がすぎて、自滅するのである。

仕事にせよ、人間関係にせよ、よかれと思って提案したことや、言ったことに対して、まだ反応がはっきりと返ってきたわけではないのに、

「あ~あ、絶対『あいつ、なに先走ってんだよ!』と思われてるだろうなあ」

とか、

「あ~あ、絶対『あいつ、なに調子乗ってんだよ』と思われているだろうなあ」

などと、いつも最悪の事態を考え、ウツになってしまう。

たとえば、職場で私が提案した取り組みについて、まだ何も始まっていない段階で、

「あ~あ、どうせみんなから冷ややかに見られているんだろうなあ」

「この取り組み、絶対に失敗するんだろうなあ」

と、つい、思ってしまうのである。

つまり、始まる前から、

「まいりました」

という気持ちになってしまうのである。

あと、些細な出来事を過剰に意味づけて得意げに語ったりして、相手にドン引きされて自滅したりね。

まあ、私の人生は、そんなことの繰り返しである。

とくにこの夏は、そんなことがよくあった。

振り返るたびに、軽く死にたくなる。

だからせっかくの楽しい夏休みなのに、例によって気に病んでしまったのである。

まったく面倒くさい性格である。

さて、冒頭に紹介した、「読みの名人」という4コマ漫画。

死ぬまでにぜひ一度実物を見てみたいものだ。

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崎山記者の原発ニュース

私も妻も、TBSラジオの崎山記者のファンである。

荻上チキ「Session22」で、「崎山記者の原発ニュース」を継続的に担当している。

311以後、今に至るまで、原発ニュースを継続的に取り上げているのは、「Session22」だけだと思う。それも、崎山記者の力だろう。

崎山記者の話は、マニアックで、わかりやすくて、面白い。

崎山記者自身が、好奇心旺盛だからにほかならない。

とにかくその、風変わりな感じが、とても好きなのである。

だが、私も妻も、崎山記者の風貌を見たことがない。ラジオだから。

先日の「Session22」で、川内原発再稼働の特集があった。

当然、崎山記者が現地取材をした。そのときの様子を、崎山記者は事細かに報告した。

再稼働当日の朝、崎山記者は川内駅からタクシーに乗り、川内原発に向かう。

原発反対のデモを取材するためである。

ところが、である。

原発の数㎞手前で、警察による検問が行われていた。

「ここから先は車は通れません。降りてください」

と言われた。

本来ならば、ふつうの県道なので、「通ってはいけない」という法はないのだが、そこはそれ。この国では、警察こそが法なのである。

無用にもめてもしかたがないと思った崎山記者は、そこでタクシーを降りて、歩いて原発に向かった。

だがこの暑さである。たちまちバテてしまう。

それでも、デモが始まる午前7時前には原発の正門前に着いて、何とか取材に間に合ったのである。

そのときの取材の様子が、ラジオで流れたのだが、崎山記者は、明らかに息を切らしている。ゼイゼイ言っているのである。

それを聞き逃さなかった司会の荻上チキは、取材の音源が終わったあと、

「ずいぶん息を切らしていましたね」

と崎山記者に言う。すると崎山記者は、

「そりゃあ私、肥満体ですから」

と答えた。

さあ、ここでビックリしたのが妻である。

崎山記者の声の感じから、妻の中でイメージしていた崎山記者というのは、痩せている人で、むかしテレビで天気予報などを担当していた「福井敏雄」のようなイメージを描いていた、というのである。

一方私は、崎山記者を、声の感じから、「ポッチャリした人」とイメージしていた。たとえて言えば、俳優の「六角精児」のようなイメージである。

だから「肥満体ですから」という発言を、当然のように聴いていた。

同じ声に対して、一人は「福井敏雄」を連想し、もう一人は、「六角精児」を連想する。

崎山記者に対するイメージは、まったく異なっていたのである!

さて、崎山記者は、実際はどんな姿をしているのか?

答えはまだ、知らない。

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マネージャーのキクチさん

少し前、「怒り新党」というテレビ番組で、お笑い芸人の有吉弘行が言っていたことなのだが。

有吉が所属している芸能事務所「太田プロ」に、キクチさん、というおじいちゃんがいて、むかしビートたけしが太田プロに所属していた当時のマネージャーだった人なのだが、この人は、ふだん事務所で居眠りばかりしていて、たまに電話をとるくらいが、仕事である。

「ビートたけしのオールナイトニッポン」を聴いていた私たちの世代であれば、「マネージャーのキクチさん」が伝説的なマネージャーであることは、よく知っているだろう。

いまは好々爺といった感じで、とりたてて仕事もなく、太田プロにずーっといるそうなのだが、では必要のない人か、というと、そういうわけではない。

ビートたけしが太田プロに来たときに、「よぉ、キクチさん!」と、キクチさんに声をかける。

つまり、 ビートたけしが来たときに、キクチさんがいると安心するというのだ。

その一点において、キクチさんの存在価値はある、というのである。

どんなに周囲から「必要がないのではないか?」と思われていても、実は「ここぞ」というときに、誰にもできない役割を果たすことがある。

友人から、こんな話を聴いた。

その職場には、Xさんという人がいて、この人がまあ、頓珍漢で「使えない人」なのだそうだ。

ところがあるとき、そのXさんが、頭の固い職場の上司に本質を突くような「ひと言」を言って、上司をギャフンと言わせたというのである。

そのひと言に、ふだんから上司たちに不満を持っていた人たちは拍手喝采したという。よくぞ言ってくれた、と。

10年近く一緒に仕事をしてきて、Xさんははじめて高く評価されたのである。

「そのときはじめて、ひょっとしたらこの人、使えるんじゃないか、って思っちゃいました」

「なるほど。でも10年間も潜伏期間があったわけですから、「化ける」かどうかは、セミよりも待たなければなりませんね」

「たしかにそうですね」

「そういうことでいうと、そちらの職場にQさんという人がいるじゃないですか」

「ええ」

「あの方も、職場に長くいらっしゃるけれど、気の毒なことに「まったく使えない人」なんて周りからは言われてますね」

「そうですね」

「私は、『ここぞ』という時に言うQさんの「ひと言」が、周りを救うような気がするんですよ」

「そうでしょうか。今までそんなこと、一度もありませんでしたよ。あなた、見たことないでしょう?」

「見たことはありません。でも何かそんな感じがするんです」

「マネージャーのキクチさん」は、たぶんどこにでもいるのだ。

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自転車部ヘタレ高原合宿

8月14日(金)

ロードバイクを車に積んで、高原でサイクリングしようと試みる。

当初は、高原の滞在地から出発して、ドラマ「高原へいらっしゃい」のロケ地となった場所までロードバイクで行こうという壮大な計画を考えた。

インターネット上の地図でルート検索してみると、片道45㎞。高低差は400メートル。平均の傾斜は6度、とある。

これがどのていどのものか、よくわからない。

朝5時過ぎに起きて、6時くらいから走り始めるのだが、これが思いのほかキツイ。

アップダウンがさほど激しいというわけでもないのだが、とたんに息が上がってしまった。

「高原へいらっしゃい」のロケ地どころか、その手前も手前、片道10㎞ちょっとのところであきらめて引き返してきた。

(久しぶりだからこんなに疲れるのかな?)

よく考えたら、標高1300メートルの場所に、今いるのだった。

(これほどゼイゼイ言うのは、ひょっとして、酸素が薄いせいかもしれない)

つまりロードバイク初心者には、かなり危険な練習場所なのではないだろうか。

午後、今度は山を下りて、日本有数の湖へと向かう。

湖の周囲は16㎞。アップダウンもないし、気軽にロードバイクを走らせるのにはちょうどよい。

翌日が花火大会ということもあり、湖のまわりはすでに屋台の準備で道幅が狭くなっており、それに加えて車が渋滞している。

その間をぬうように、ロードバイクを走らせた。

こぶぎさんのように頻繁にロードバイクに乗っているわけではないから、これくらいがちょうどよいのだ。

Photo1時間ほどかけて、ゆっくりと1周した。

スタート地点に戻った頃、ちょうど雨が降り出した。

湖畔にある「伝統ある温泉施設」に入って、汗を流した。

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死の島

8月15日(土)

福永武彦の長編小説『死の島』を、今になって読み始める。

福永流の実に技巧的な作品で、しかも福永文学の永遠のテーマである「人間の愛と孤独」を全面に出した小説だが、この小説では原爆という現実の政治的事件が主題となっている点が、他の小説とは異なる大きな特徴である。

出版社につとめる小説家志望の相馬鼎(そうまかなえ)、画家の萌木素子(もえぎもとこ)、そして素子と同居している相見綾子(あいみあやこ)の三者をめぐる物語。

本当は読後感を書くべきなのだが、まだ読み終わってないし、読み終わったとしても、書けるかどうかはわからない。

以下は、相馬鼎と萌木素子の何気ない会話の場面だが、今日という日に、たまたまこの部分を読み、印象に残ったので、心覚えのために(会話部分だけを)引用する。

「一体、相馬さんは平和って何だと思うの?」

「平和ですか。平和は、そうだな、人間の本能的な希望でしょう」

「そうかしら。本能的には、人間は闘争の方に向いているんじゃないかしら。穏やかに、何ごともなくて、無事に暮らしていけるなんてのは、それこそ夢もいいところじゃない?放っておけば人間どうしはいつでも喧嘩を始める、国家どうし、民族どうしはいつでも戦争を始める。それが本能なんじゃなくて?」

「性悪説ですかね」

「茶化さないで頂戴。わたしは、平和は選び取るべきもので、黙っていて与えられるものじゃないと思うの。日本人は戦争に負けて平和を与えられた。平和を強制された。それで日本人はみんな平和を満喫して、平和ほどいいものはないと言っている。一体それが平和かしら。そんな済し崩しの平和なんて、いつまで持つと思っているのよ」

「どうもよく分からないな。そんなことを言ったってしかたがないでしょう。戦争はとうに終わった。日本は目下平和である。いかにして平和を維持するか、それが問題なんでしょう?」

「国際的にはね。戦争は御免だということは、わたしたち日本人はみんな知ってるわ。戦争が終わって九年経ったけど、日本人はそんなに健忘症じゃないわね。誰も戦争なんて欲しがりません。他の国のごたごたで戦争に引込まれるなんてのは真平よ。でもね、わたしたちの一人一人にとって、平和が与えられたもので選び取られたものでない限り、いつどうなるか分らないわ。群集心理ってものもあるし、無意識的なものもあるし。問題は一人一人の心の中なのよ。相馬さんはどう?」

「僕は平和主義者ですよ。言うまでもない」

「あなたは人生の肯定者なのよ。お目出たい人よ。あなたの平和は一つの状態なので、深淵と深淵との間に懸けられた懸橋じゃないわ」

「何ですこの懸橋ってのは?」

「もう遅くってよ。あなた出掛けるんでしょう?」

「出掛けます。議論はまたこの次ね」

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夏休みのクイズ

次の文章を読み、私が卒業した中学校が、市内で何番目にできた中学校かを答えなさい。

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何度も書いているが、荒井由実の「中央フリーウェイ:」の、

「右に見える競馬場 左はビール工場」

という歌詞は、私の実家の場所を言いあてている。

まさに私は、競馬場とビール工場のあいだで育ったのだ。

もうひとつ、荒井由実の歌でビックリしたことがある。

荒井由実の「卒業写真」の2番の歌詞に、

「話しかけるように揺れる柳の下を

通った道さえ今はもう電車から見るだけ」

というのがあるが、これも、私が高校生になって体験したことである。

中学校の通学路の街路樹には、柳の木が植えられていて、私は3年間、その通学路を歩いて通っていた。

中学を卒業し、高校1年の時、自宅から最寄りの駅から私鉄に乗って、さらに国電(当時)に乗り換えて、高校まで通った。

東に向かって走ってた私鉄電車が、北へと進路を変える。

しばらくすると、私が通っていた中学校の横を通るのである。

すると、私が毎日歩いていた通学路が、電車の窓から見えた。

そんなとき、

「話しかけるように揺れる柳の下を

通った道さえ今はもう電車から見るだけ」

という歌詞を思い出したのである。

しかし、電車通学はあまりにお金と時間がかかるということで、半年ほどでやめてしまい、その後は自転車通学に切り替えた。

だから「卒業写真」の歌詞のような体験は、わずか半年のことであった。

それに今は、だいぶ景観が変わってしまって、通学路に柳の木があるかどうかはわからない。

だが私にとって、「中央フリーウェイ」と「卒業写真」は、自分の育った場所を思い起こさせるような、特別な歌なのである。

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ではよい夏休みを。

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オ・ダルス最強説

2015080300000021yonh000view現在韓国で公開中の映画「暗殺」は、主演がチョン・ジヒョンで、共演者にハ・ジョンウ、イ・ジョンジェ、オ・ダルスという、なんとも豪華な組み合わせである。

監督は、「10人の泥棒たち」「タチャ~イカサマ師」などのチェ・ドンフンである。

チョン・ジヒョンもイ・ジョンジェもオ・ダルスも、前作の「10人の泥棒たち」に出演している。

この「10人の泥棒たち」が、実におもしろい映画だった。

そして、この映画のチョン・ジヒョンは、ドキッとするくらい、魅力的だったのである。

チョン・ジヒョンをこれほど魅力的に思えたのは、「猟奇的な彼女」以来だな、というほどである。

「10人の泥棒たち」では群像劇の1人であったチョン・ジヒョンが、この映画では主役をはっている。

さて、映画の感想だが。

ツッコミどころ満載の映画、といったらいいだろうか。

もちろん、水準以上のおもしろさであることは間違いないのだが、前作の「10人の泥棒たち」ほど、ワクワク感がない。

なにより、チョン・ジヒョンに、前作ほどの魅力が感じられないのである。

それを期待していただけに、残念である。

それに、内容のところどころに、詰めの甘さがあるように思う。

これはまったくの想像だが、この映画は、70年目という節目の年に、「こういうコンセプトの映画を作りたい」という、制作者側の企画が先行していたのではないだろうか?

しかもそれでいて、現在世界が抱えている問題、たとえばテロなど、について、微妙に配慮したりしているようにみえる。

そのために、この映画は、完全燃焼しきれていない感じがするのである。

まあ私の思い過ごしかも知れない。

間違いなくいえることは、2つある。

ひとつは、この映画、日本で公開されることはないだろうということ。

Originalもうひとつは、脇を固める個性派俳優オ・ダルスは、同時期に公開されている話題作「ベテラン」(ファン・ジョンミン主演)にも重要な役で出演しており、いまや韓国映画の脇役で最も重宝されている役者である、ということである。

93396ba3c56983ac33d20099d836d64f同時期に公開されている2つの話題作のポスターに、オ・ダルスが登場していることが、何よりそのことを示している。

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韓国路線バスの謎

こぶぎさん、正解です!

8月8日(土)

これから書くことは、とてもわかりにくい話です。ひとえに私の説明が下手であることによりますので、ご容赦ください。

韓国に滞在してストレスがたまることの一つは、路線バスである。

とくにソウルのバスは、複雑すぎてよくわからない。

韓国の路線バスには、すべて番号がついている。

目的地までバスで行きたい場合、自分の乗るべきバスの番号をあらかじめ調べたり覚えたりして、停留所にそのバスが来たら乗ることになる。

バス停にバスの時刻表はない。

バス停には、番号ごとにバスの路線図が書いてあり、そこに「何分間隔で来ます」みたいなことが書いてある。

最近は、停留所に電光掲示板が普及していて、「○○番バスは、○分後に来ます」みたいなことがリアルタイムでわかるようになっている。

なので、時刻表がなくとも、それじたいがストレスになることはない。

以前に書いたことがあるが、バス停に自分の乗りたい番号のバスが近づいたときに、

「バスに乗ります!」

と運転手に意思表示をしないと、バス停を通り過ぎられてしまう場合がある。

バスの運転手に見えるように、

「おーい!そのバスに乗りまーす」

とアピールしなければ、バス停にとまってくれないのである。

バスを降りる場合も同様である。

降車ボタンを押しても、座席に座っていたままでは、バス停にとまってはくれない。

降車ドアの近くに立って、

「次、降りまーす」

と運転手にアピールしなければ、とまってくれないのである。

まあ、ここまでは、私もさすがに慣れてきた。

しかしこれだけではなかった。

今日、ソウルの南の郊外にある研究所に訪問することになった。

ソウル南部郊外の地下鉄の駅で降りて、そこから303番のバスに30分ほど乗って、Aというバス停で降りれば、その研究所にたどり着く。

そこまではあらかじめ調べておいて、その通りに向かうことにしたのだが、なにしろはじめて乗るバスである。

自分が降りるべきバス停に、バスに乗ってからどのくらいで着くのかが、わからない。

バスの中には、路線図が書いてあるのだが、これが必ずしも正確ではない。

途中の停留所を抜かして書いている場合があるので、うっかりそのまま信じることはできないのである。

もうひとつ、バスの車内では、

「次の停留所は○○です。その次の停留所は××です」

という自動アナウンスが流れるのだが、これも全面的に頼ることはできない。

音声が小さすぎて聞きとれない場合があったり、運転手がうっかり、というか面倒くさがって、自動アナウンスを放送しない場合が、稀にあるのである。

今日乗ったバスが、まさに「自動アナウンスの音声が小さすぎて聞こえない」というパターンだった。

そうなるとあとは、バスの窓から目視でバス停の名称を確認し、自分の降りるバス停があとどのくらいかを推測していくしかないのである。

しかし、それでもわからない場合がある。

バス停に表示されている「次の停留所」の名称が、路線図と一致していない場合もあるのだ!

結局、いちばん確実なのは、

「運転手さんにどこで降りればいいかを聞く」

という方法である。

最も原始的な方法が、最も確実なのである。

結局今日はそうやって、なんとか研究所の近くのバス停で降りることができた。

その研究所は、人里離れた場所にあり、バスだけが唯一の公共交通機関である。

研究所での用事が終わり、再びソウルの市街地へ戻るために、バス停に向かった。

バス停には、行きに乗ってきた303番バスのほかに、いくつものバスがここを通ることがわかった。

303番のほかに、350番、220番、それに、9003番、9004番、9005番など、9000番台のバスもこの停留所を通る。

バス停に貼ってある路線図を見ると、9000番台のバスは、直接ソウルの中心部に行くらしい。

ということは、9000番台のバスに乗れば、郊外の駅から地下鉄を乗り換えたりすることなく、ソウルの中心部に行くことができるのだ。

しかも、その路線図には、「20分間隔で来ます」と書いてある。

当然、9000番台のバスを待つことにする。

ひとつ、気になる貼り紙があった。

「このバス停には、ここを通るすべてのバスがとまることになっています。もし不便なことがありましたら、下記へご連絡ください」

と書いてあり、バス会社の電話番号らしきものが書かれていた。

「すべてのバスがとまることになっています」…?そんなの当たり前だろう、と思いながら、バスを待つ。

最初に来たのが、9005番バスである。

いつもそうしているように、バス停から少し道路にはみ出しながら、

「乗りまーす」

と意思表示をすると、あろうことか、そのバスはスピードを落とすことなく、私の横を通り過ぎてしまった。

どうなってんだ?

俺のアピールが足りなかったのか??

20分ほど待った。

すると今度は、9003番バスが来た。

今度はさっきより強くアピールして、

「乗りまーす!」

と意思表示すると、なんとまたスピードを落とすことなく、また私の横を通り過ぎてしまったのである!

どうなってんだ?

また20分ほど待った。

すると今度は、9004番バスが来た。

今度は走ってくるバスの前に立って、ひかれるのを覚悟で運転手さんに向かって手を振って、

「乗りまーす!」

と意思表示をした。

すると、バスの運転手さんは、私に向かって、手で大きく

「×(バッテン)!」

の仕草をして、スピードを落とすことなく、私の横を通り過ぎてしまった。

いったいどうなってんだ?

バス停には、9000番台の路線バスの路線図が書かれていて、「20分ごとに来ます」と書いてあるのである。

ということは、それらのバスは、このバス停にとまることになっているのだ!

しかも、これだけ意思表示をしても、無視されてバスが通り過ぎてしまう。

バス停に「○○番のバスがこの停留所にとまります」と書かれている番号のバスが、バス停にとまらずに通り過ぎるとなると、いったい何を信じていいのか、よくわからない。

こうなると、先ほど見たバス停の貼り紙、

「このバス停には、ここを通るすべてのバスがとまることになっています。もし不便なことがありましたら、下記へご連絡ください」

の意味するところが、妙に気になってしまう。

いずれにしても、すでに9000番台のバスに3台もふられ、バス停で1時間も棒にふってしまったのである。

(もう一生、ソウルには戻れないんじゃないだろうか…)

と泣きたくなってきた。

しかし、ともう一度落ち着いて、バス停の路線図をすべて見直してみる。

反対方向から来た303番バスに乗れば、さきほど降りた地下鉄の駅にたどり着くことができる。

そのほかにも、200番台や300番台のバスに乗れば、必ずどこかの駅を通ることがわかった。

とにかくなんでもいいから、来たバスに乗って、どこか郊外の駅に着けば、そこから地下鉄を乗り継いでソウルの中心部に向かうことができる。

結局、220番のバスが一番早く来たので、そのバスに乗って、地下鉄に乗り換え、なんとかソウル中心部に戻ることができた。

それにしても、なぜ9000番台の路線バスが、停留所にとまらずに通り過ぎてしまったのか?その謎は残ったままである。

韓国の路線バスは、複雑すぎてわからない。

そこで提案なのだが。

テレビの人気番組である「路線バスの旅」。あれを、韓国でやってくれないかなあ。

絶対におもしろい番組になると思うんだが。

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韓国暴炎紀行

8月7日(金)

韓国では「猛暑」のことを「暴炎」という。

韓国も日本に負けず劣らずの「暴炎」である。

ソウルの「南部バスターミナル」から、高速バスで1時間半ほどかけて、ある地方都市に行く。

毎年、なぜかこの暑い時期に、韓国の地方都市の「小高い丘」に登ることが恒例になっている。

とにかく暑い。

日ざしをさえぎる木々がないことも手伝って、熱中症寸前である。

ほぼ1日、歩き回った。例によって、川に落ちたように汗が止まらなくなった。

だが、「小高い丘」のすぐ横を流れる、韓国を代表する江(カン)の1つが眼下に広がったときは、感動した。

いつもクタクタになってしまい、「もう二度と『小高い丘』になんか登るもんか!」と、登るたびに思うのだが、日ごろのストレスから解放された韓国で、大汗をかきながら「小高い丘」を1日歩く、というのが、私の夏の健康法なのかも知れない。

今回の場所は、写真を見ただけではわからないだろうな。

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引きの強い人

8月6日(木)

今週は、月~水が、新幹線と私鉄を乗り継いで3時間半かかる町に出張。

そして今日(木曜日)から日曜日まで、韓国に出張である。

ひょんな人とひょんなところでお会いする、ということが、私の場合は多い。

以前、韓国のある地方都市の郊外を歩いていたら、知り合いの一団にバッタリ出会ったことがあった

ある友人は私のことを「引きの強い人」と評する。

たしかにそんな感じはする。

最近は、何年もお会いしていなかった人や、以前少しだけ一緒にお仕事をしたことのある人と再会して、再び一緒に仕事をする機会が多い。

何年も連絡をしていない人に、意を決して、久しぶりに「一緒に仕事しませんか?」と連絡をとってみたところ、「ぜひやりましょう」と言っていただいたりする。

何年もたってまた一緒に仕事ができる、ということは、無沙汰をしている間も、お互いが同じ方向を向いて仕事をしていたということを意味するのかも知れない。

さて今日の夕方、ソウルに到着した。

夕方、ソウルのまちなかを「何を食べようかなあ」と思いながらブラブラ歩いていると、2年ほど前、卒業旅行で韓国を訪れたCさんとN君、そして当時韓国に留学中だったOさんたちと合流して入った「サムギョプサル(焼き肉)」のお店の前をたまたま通りかかった

(そういえば2年前、この店でOさんやCさんやN君たちと焼き肉を食べたんだった)

そのことを急に思い出し、2年ぶりにこの焼き肉屋に入った。

これも「引きの強さ」か?

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親友の条件

もともとが情に脆い性格なので、ぼんやりしているときはつまらないことばかり考えてしまう。

タレントの伊集院光と山本太郎が無二の親友であるということは、両者のファンであれば誰でも知っていることである。

伊集院光はどちらかといえば内向的な性格で、あまり人付き合いがいいタイプではない。それに対して山本太郎は、積極的にオモテに出ていくようなタイプである。両者はまるで正反対の性格のように思えるのだが、その二人が親友だというのは意外である。

伊集院はよく、「(山本)太郎とはめったに会わないけれど、たまに会うと、昨日の話のつづきのように話ができるから不思議だ」

とラジオで言っていた。それを聞いた私は、

「本当の友人とは、長い間会ってなくて、久しぶりに会ったとしても、昨日の話の続きのように話ができる間柄のことだ」

というのを親友の定義であると考え、その言葉を抱きしめて、いままで生きてきたのである。

東日本大震災後、山本太郎は反原発を強烈に主張し、政治家に立候補して、当選した。

当初は山本太郎のこの行動を、エキセントリックな行動として見る人たちが多かったと記憶する。

私自身も、「役者をやめて政治家になるなんて、残念だなあ」と思った。私は役者としての山本太郎が好きだったからである

山本太郎が政治家になって以降、伊集院光は、山本太郎について語ることがほとんどなくなった。

政治色がついてしまうことを伊集院自身が嫌ったことは明らかだが、はたして伊集院は、親友が政治の世界に目覚め、自分とはまったく異なる世界に行ってしまったことを、どう思ったのだろう?

ひょっとしたら、親友であることをやめ、距離を置くようになったのかな?とも想像する。

もっともこんな他人様(ひとさま)の友情について考えるなんざ、余計なお世話だ、という話なんだが、

そんなことを漠然と考えていたら、先日のTBSラジオ「ジェーン・スー 相談は踊る」の中で、リスナーから、「親友とはどんなものなんでしょう?自分が親友だと思っている人は、本当に親友と言えるんでしょうか?」という質問があった。

それに答えたのが、ライムスターのMummy-Dさんである。いわく、

「しょっちゅう会っている友人が親友とは限らない。めったに会わなくても、お互いが親友であることを意識していることが、親友の条件なのではないか」

「いろいろなことが話せることが親友の条件ではない。本当に困っているときに手をさしのべてくれたり、自分が大きな失敗や過ちを犯し、誰からも相手にされなくなったときに、それでも味方をしてくれるのが親友だと思う」

というようなことを言っていて、なるほどなあと思った。

もちろんこの「定義」は、私自身も漠然と考えてきたことではあったけれども、Mummy-Dさんの話を聞いてみて、ハタと気づいたことがあったのである。

たとえば、私の場合。

私自身が一生懸命準備したイベントとか開催されるとか、頑張って書いた本が出版されるとか、ひょんなことでラジオに出演するとか、ごく稀に、自分のやっていることが日の目を見ることがある。

そんなときは、「自分が親友と思っている人」に来てもらったり、見てもらったり、聴いてもらったりしたいと、当然思うものである。

しかし実際には、時間が合わなくて親友と思っている人が来てくれなかったりすることがある。いやむしろそういうことのほうが多い。

すると私は、

(何だよ。せっかく頑張ってるのに、見に来てくれなかったのかよ)

とか、

(何でラジオをちゃんと聴いてくれなかったんだろう)

と落ちこんだりもするのだが、しかしそれは、間違いであることに気づいたのである。

そんなことは、些末なことなのである。

自分が頑張っているところを逐一見守ってもらうことが、親友の条件として重要なのではない。

自分が困ったときに手をさしのべてくれることの方が、重要なのではないだろうか。

頑張っていることをすべて見守る必要はない。あいつ頑張ってるらしいなあ、ということがわかりさえすればいいのだ。

さて、話を伊集院光と山本太郎に戻す。

いま、山本太郎が国会質問で頑張っている姿を、伊集院光は見届けただろうか?

いや、親友ならば、そんなことは問題ではない。

あいつは頑張っているらしい、という風の便りを聞きさえすれば、十分なのだ。

親友として本領を発揮するのは、彼が窮地に立たされたときであると思う。

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真夏の自転車部

8月1日(土)

このところ、全然ロードバイクに乗っていなかったので、久しぶりに乗ることにした。

ロードバイクを買ったときに、お店の人に言われた。

「2カ月に1度くらいは、お店にもってきて点検してみてください」

「このお店でなくてはいけませんか?ちょっと自宅が離れているもので」

「いえ、○○サイクルの支店がご自宅の近くにあれば、そこへ持っていってもらってもかまいません」

「そうですか。わかりました」

買ったロードバイクには、「○○サイクル」でかったことを証明するシールが貼ってある。

つまり、ロードバイクを「○○サイクル」のどの支店に持っていったとしても、

「ああ、このロードバイクはうちの系列の店で買ったのね」

ということがわかるわけである。

この「○○サイクル」というのは、私が住んでいる県内に数多くの店舗を持つ自転車ショップである。ここで買った自転車には、「○○ショップ」で買ったことを示すシールがもれなく貼られる。

駐輪場などにとめてある自転車を詳細に観察すると、そのほとんどの自転車に「○○サイクル」のシールが貼られていることに気づいた。

この県は、「○○サイクル帝国」なのである。

さて今日、自宅から一番近い「○○サイクル」の支店に、ロードバイクを持っていくことにした。

しかし実のところ、あまり気が進まない。

以前このお店に、パンクした自転車を持っていったところ、「時間がないから」という理由でパンクの修理を断られたのだ。

その時の店の主人の態度が、どうも私には苦手だった。

そのことが頭をよぎったのである。

ロードバイクをそのお店に持っていったのが午後1時半頃。

この店はご夫婦で切り盛りをしているようで、店の奥に気むずかしそうな主人が自転車を修理していた。奥さんが店の前で対応している。

「すみません。このロードバイク、ちょっと点検してもらいたいんですけど」

私が店の前にいた奥さんにそういうと、奥さんは店の奥にいるご主人のほうをチラッと見た。

すると、店の奥で自転車を修理している主人が、奥さんに目配せをした。

「あのう、ごめんなさい」と奥さん。「今日、点検できません」

「どうしてです?」

「今日、この町で花火大会があるでしょう?それで自転車の修理が立て込んでるものだから、今日は無理です。日を変えてもらえませんか?」

まだ午後1時半である。それに、花火大会があるから自転車の修理が多いって、どういうことだ?花火大会と自転車の修理には、何の因果関係もないはずである。

ははあ~ん。これはやりたくないんだな、ということがわかった。

「わかりました。じゃあいいです」

私はこの自転車屋をあとにした。

前回、パンクした自転車の修理を頼まれたときととまったく同じ対応である。

これでは一生、この店に自転車の修理を頼めないじゃないか!

俺に個人的な怨みでもあるのか???

むしょうに腹が立ってきた。

「○○サイクル」はみんなこんな感じの対応なのだろうか?

しかし、何としてもロードバイクを点検しなければならない。

仕方がないので、家から2番目に近い○○サイクルの支店に行くことにした。

(また「花火大会」を理由に断られたらどうしよう…)

と不安だったが、思いきって店の中に入った。お店には、若い男性店員さんが二人ほどいた。

「あのう…ロードバイクを点検してほしいんですけど」

「いいですよ」

二つ返事でOKをもらった。

「ただ修理の順番がありますもので、30~40分ほど時間をいただけませんか?」

「わかりました。お願いします」

何だよ、実に愛想よく引き受けてくれたじゃないか!

ロードバイクを預けたあと、暑いので、時間が来るまで近くの喫茶店で休むことにした。

「最初に入った店は、やっぱり感じ悪かったなあ」と私。

「花火大会だから自転車の修理が増えるなんて、おかしいよね。…ひょっとして、あの夫婦が花火大会に行きたいもんだから、お店を早じまいしたいんじゃないの?」例によって妻の推理が冴える。

「なるほど。とにかくわかったことは、「○○サイクル」が感じ悪いのではなく、あの夫婦が感じが悪いということだ。もう二度とあの店には行かないぞ」

私は堅く心に誓った。

40分後、「2番目のお店」に行くと、

「点検は終わりました。タイヤの空気も調整しましたし、油も差しました。とくに問題となる箇所はなかったです」

と言われ、実に丁寧な応対を受けたのである。

自転車を受け取ったのが、2時45分。いちばん暑い時間帯である。

しかし、せっかく自転車も点検してもらったことだし、少し長い距離を走ってみたくなった。

「ちょっとこれから、せっかくだからロードバイクで長めに走ってくるよ」

「今日は花火大会で、河川敷のサイクリングロードは走れないよ」と妻。

「今日は国道を走ってどこまで行けるか試してみるよ」

妻と別れ、1人でロードバイクを走らせることにした。

幹線道路を、県庁所在地の市に向かって走り始める。

さて、今回の目的地をどのように定めようか。

例によって、地図を持たずに走っているので、目的地は走りながら考えることに決めている。

そうだ、電車で何度か行ったことのある「大学」を目的地に定めよう、と決めた。

さてこの国道は、道が一車線ですごく狭い。そのせいか自動車の渋滞が日常茶飯事である。これは、この県の道路の特徴である。

自動車に細心の注意を払いながらペダルをこぐ。

暑い。とても暑い。

やはり真夏の、しかもいちばん暑い午後の時間帯に、ロードバイクに乗るものではない。

ずっと国道を走り続け、ようやく「県庁所在地の市」に入った。

すると驚いたことに、この市に入ったとたん、道路はいきなり三車線になった。

しかも路肩には自転車専用レーンもある。

実に快適である!

Photo例によって「勘」で走り、1時間半ほどして、ようやく目的地の大学に到着した。

そして同じ道を戻り、家に帰ってきたのが午後6時。

往復で40㎞くらいは走っただろうか。国道の走行も、慣れれば悪いものではない。

今日は忙しい。

なにしろ午後7時15分から、家の近所の河川敷で花火大会があるからである。

夕食を慌ててすませ、歩いて花火大会の会場に向かう。

佃煮みたいな人の数には閉口したが、8時半まで間近で花火を楽しんだ。

昨年写真をたくさん撮ったので、今年は省略。

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二千の風の便りになって

7月31日(金)

ほぼ2000本目の記事です。

「ほぼ」と書いたのは、下書きをして非公開にしている文章がいくつかあり、通常は下書きの文章までカウントされている。それを除いた、公開されている記事が、だいたい2000になった、ということである。

2012年10月8日の「千の風の便りになって」が1000本目の記事だったので、その次の「和っちゃん先生」(2012年10月8日)以降の記事から、「ベストエピソード大賞」を選びたいと思います。最も印象に残った記事があったら、推薦をよろしくお願いします。

さすがに2000本も書いていると、「だまらー」や「だまりすと」の中には、今ではすっかり離れてしまった人もいる。人間の関心なんぞ、そのていどのものなのだろう。今はもうごく数名の読者を相手に書いているようなものである。

最近は本当に書くネタがなくなった。

仕方がないので、例によって、一度書いてボツにした文章を載せることにする。

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根拠はないけれど、小説に対する小川洋子の鑑識眼に何となく信頼を寄せている。

小川洋子の小説は、『博士の愛した数式』と『原稿零枚日記』くらいしかちゃんと読んでおらず、エラそうなことは何も言えないのだけれど、『原稿零枚日記』は、私が憧れとする世界観の小説である。

『洋子さんの本棚』(集英社)は、小川洋子と平松洋子の、二人の洋子による対談本である。二人はほとんど同世代で、出身も同じ岡山県である。恥ずかしながら、平松洋子という人を、この本で初めて知った。

これまで二人のそれぞれの人生を後押ししてきた本をサカナに、語り合う二人の話は、言ってみればちょっとした人生の処方箋である。

心覚えのために印象的な会話の部分を引用する。

小川 『夜と霧』の中に、「すなわち最もよき人々は帰ってこなかった」という有名な一文がありますが、あまりにも理不尽で過酷な体験をした人は、自分が生き残った意味を考え続けなければいけない運命を背負わされている。それはとても苦しいことだと思うんです。(中略)

平松 (略)誤解を恐れずに言えば『アンネの日記』にも、日記というジャンルを超えた過剰さがありますが、しかし、それは必要な過剰さだった。言葉というものがどんなに人を救うか、ただ単に救うだけでなくその人を作りもするかということを切に感じます。

小川 書くにしても、読むにしても、考えるにしても、人は言葉とかかわっていくことで自分という人間を組み立てていく。それを人生をかけて繰り返していくのでしょう。

平松 人は客観的でないと言葉を探せないし、論理を働かせなければ言葉を重ねていけない。言葉にかかわることによって自己を補強するし、発見もするのだと思います。私は子どものときに本をたくさん読むことがすべてとは思わないし、“良書”と出会うことだけが人を育てるとも思わない。本に出会う時期、本と友達になる時期はいろいろで、適切な言葉に出会いさえすれば、いつでも自分を見つめなおせるのだと思います。

小川 考えてみれば、文字を書くことを職業にしているのは幸せなことです。言葉と意識的に向き合うことが、そのまま仕事なのですから。誰のためでもなく、報酬のためでもなく、書くことで自分を支えている人は大勢いると思います。文字にしないまでも、胸の中で言葉に置き換えながら、日々はつくられている。

平松 そう考えると、読むことと書くことはそれほど違わない。

小川 さらに言えば、作家だから物語を書いているのではない。誰もが物語を持っていて、それを実際に書くか書かないかだけの違いだと思います。

(中略)

小川 人って未熟なまま、言い残したことがあるまま、互いの手を放してしまうことがある。きっとその方が多いですよね。

平松 だけど、いっぽうで、言葉にしなかったからこそお互いに救われるということもたくさんあるから、どっちが正解とも言えなくて。

(中略)

小川 どんな失敗も、どんな愚かな行いも、過去は、それはそういうものだったんだと、その代わり、先々のことは心配しすぎるくらいします。心配性の楽観主義者です。

平松 はい。やっぱり私も同じです。私がいつも思うようにしているのは、過去は必然だったのだと。自分が今ここにこうあるのは、やっぱりあの過去があったから、と。思い出したく過去なんていくらでもありますけど、その時、いやいや、あれは必然だったと肯定すると、ちょっと救われる感じがします

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ここで述べているようなことを、このブログはこれからもめざしていきます。

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