二千の風の便りになって
7月31日(金)
ほぼ2000本目の記事です。
「ほぼ」と書いたのは、下書きをして非公開にしている文章がいくつかあり、通常は下書きの文章までカウントされている。それを除いた、公開されている記事が、だいたい2000になった、ということである。
2012年10月8日の「千の風の便りになって」が1000本目の記事だったので、その次の「和っちゃん先生」(2012年10月8日)以降の記事から、「ベストエピソード大賞」を選びたいと思います。最も印象に残った記事があったら、推薦をよろしくお願いします。
さすがに2000本も書いていると、「だまらー」や「だまりすと」の中には、今ではすっかり離れてしまった人もいる。人間の関心なんぞ、そのていどのものなのだろう。今はもうごく数名の読者を相手に書いているようなものである。
最近は本当に書くネタがなくなった。
仕方がないので、例によって、一度書いてボツにした文章を載せることにする。
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根拠はないけれど、小説に対する小川洋子の鑑識眼に何となく信頼を寄せている。
小川洋子の小説は、『博士の愛した数式』と『原稿零枚日記』くらいしかちゃんと読んでおらず、エラそうなことは何も言えないのだけれど、『原稿零枚日記』は、私が憧れとする世界観の小説である。
『洋子さんの本棚』(集英社)は、小川洋子と平松洋子の、二人の洋子による対談本である。二人はほとんど同世代で、出身も同じ岡山県である。恥ずかしながら、平松洋子という人を、この本で初めて知った。
これまで二人のそれぞれの人生を後押ししてきた本をサカナに、語り合う二人の話は、言ってみればちょっとした人生の処方箋である。
心覚えのために印象的な会話の部分を引用する。
小川 『夜と霧』の中に、「すなわち最もよき人々は帰ってこなかった」という有名な一文がありますが、あまりにも理不尽で過酷な体験をした人は、自分が生き残った意味を考え続けなければいけない運命を背負わされている。それはとても苦しいことだと思うんです。(中略)
平松 (略)誤解を恐れずに言えば『アンネの日記』にも、日記というジャンルを超えた過剰さがありますが、しかし、それは必要な過剰さだった。言葉というものがどんなに人を救うか、ただ単に救うだけでなくその人を作りもするかということを切に感じます。
小川 書くにしても、読むにしても、考えるにしても、人は言葉とかかわっていくことで自分という人間を組み立てていく。それを人生をかけて繰り返していくのでしょう。
平松 人は客観的でないと言葉を探せないし、論理を働かせなければ言葉を重ねていけない。言葉にかかわることによって自己を補強するし、発見もするのだと思います。私は子どものときに本をたくさん読むことがすべてとは思わないし、“良書”と出会うことだけが人を育てるとも思わない。本に出会う時期、本と友達になる時期はいろいろで、適切な言葉に出会いさえすれば、いつでも自分を見つめなおせるのだと思います。
小川 考えてみれば、文字を書くことを職業にしているのは幸せなことです。言葉と意識的に向き合うことが、そのまま仕事なのですから。誰のためでもなく、報酬のためでもなく、書くことで自分を支えている人は大勢いると思います。文字にしないまでも、胸の中で言葉に置き換えながら、日々はつくられている。
平松 そう考えると、読むことと書くことはそれほど違わない。
小川 さらに言えば、作家だから物語を書いているのではない。誰もが物語を持っていて、それを実際に書くか書かないかだけの違いだと思います。
(中略)
小川 人って未熟なまま、言い残したことがあるまま、互いの手を放してしまうことがある。きっとその方が多いですよね。
平松 だけど、いっぽうで、言葉にしなかったからこそお互いに救われるということもたくさんあるから、どっちが正解とも言えなくて。
(中略)
小川 どんな失敗も、どんな愚かな行いも、過去は、それはそういうものだったんだと、その代わり、先々のことは心配しすぎるくらいします。心配性の楽観主義者です。
平松 はい。やっぱり私も同じです。私がいつも思うようにしているのは、過去は必然だったのだと。自分が今ここにこうあるのは、やっぱりあの過去があったから、と。思い出したく過去なんていくらでもありますけど、その時、いやいや、あれは必然だったと肯定すると、ちょっと救われる感じがします。
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ここで述べているようなことを、このブログはこれからもめざしていきます。
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コメント
調子に乗って早朝サイクリングなんかするもんだから、夕方には気を失うように研究室の床に寝てしまいましたよ。
出勤前にスイミングに通うエリートサラリーマンじゃないんだから、慣れないことしたらだめでしょ。
右腕の関節も痛いし、案の定、今朝は寝坊してせっかくの代休がパーだ。
で、「千の吹きだまり」問題ですけど、こちとりゃ3年近くかけて全部読んでいるのに、急にベスト記事を推薦しろったってねえ。
記事タイトルの一覧表くらいないと思い出せないよ。
2012年なんて、タキシード着てサックス吹いてる頃だからね。
ふつうココログのバックナンバー機能の裏技を使うとタイトル一覧が出るんですけど、几帳面に整理しすぎちゃっているものだから、月ごとのリストが出てくるだけで役に立たない。
http://yossy-m.cocolog-nifty.com/blog/archives.html
ビックデータかよ。
それならばと、マイクロソフトが誇る「bing」で検索すると、一番目にヒットするのは「風の便りの吹きだまりの吹きだまり」なんですけど。
(がくっ)それ、乙女旅の記事じゃん。
「さわやか銀輪ブログ」に改名した際にうっかり「吹きだまりファン」を明示しちゃったものだから、検索ロボットが取り違えちゃったようで。
居場所当てクイズとかは、既に明智こぶ郎シリーズで沢山書いちゃってるし、もお、覚えているだけで選んでいいんじゃない?
ほら、老先生と鬼瓦さんが駅で出会って24時間後に別れるなんてやつ、ファンタジーぽくてよくない?
いや、夏ならスイカをめぐるオッサン達の冒険も捨てがたい。
そういえば、コメント欄でスクールウォーズごっこをしたことがあったぞ。
「連歌遊び」だと、原稿ため込み党とか。
ところで、そこにある緑の小袋は何?
ああこれ? 採便キット。医者から渡されたんだけど。
小学校の頃と違って、ずいぶんと小さくなっちゃて。これならカバンに入れて旅行にも持っていけるね。
でも、この暑さでしょ。採取後、時間が経った場合は、冷蔵庫で保管しなさいって(実話)。
そりゃ大変だ。こんな話していないで、直ぐに医者に持っていかないと。
じゃ、推薦記事は「採便キット、海を渡る」でよくない? なんか変にキャッチーなタイトルだったので、印象に残ってたし。
投稿: こぶぎキット | 2015年8月 3日 (月) 16時43分